第11話:地面師の罠(後編)
「文治さんね、もう……2年前に亡くなったのよ」
古びた木造住宅の前で、年配の女性がそう言った。ヒロさんと橘が訪ねたのは、かつて“佐原文治”名義で売買された物件の隣人だった。
「息子さんもいないし、妹さんが最後に手続きを済ませて、それっきり。誰かが文治さんの名義を使ったってこと?」
ヒロさんは深くうなずいた。
「ええ。文治さんの名前が、別の土地で“まだ生きてる”んです」
その言葉に、女性は目を見開いた。
「そんな……怖い世の中ねぇ」
ヒロさんと橘は、記録としての証言を丁寧に取り、律子に報告を入れた。
「登記の申請が本人の死亡後であれば、法的にも無効を主張できます。関係機関への通知も済ませたわ」
律子の冷静な声に、ヒロさんはようやくひとつ息を吐いた。
「ありがとう。これで、土地は守れる」
しかし、ヒロさんにはまだ気がかりなことがあった。
「橘。今回の詐欺グループの代表名義、“岡村靖仁”。聞き覚えあるか?」
「いえ……」
「昔、俺がまだ会社にいた頃に追っていた男だ。何度も登記の抜け穴を利用して、土地を奪ってきた」
「逃げられたんですか?」
「いや、逃げられたというより、“見逃された”んだ。法に触れるギリギリで止めてくるやり方でな。だが、今回は違う。死者の名義を使った。これは明確にクロだ」
その日の夕方、ヒロさんは都庁の都市整備課を訪れた。
そこには、久々に顔を合わせる女性の姿があった。
「春香、手伝ってくれないか。岡村の件で、警察や行政との連携が必要だ」
春香は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに頷いた。
「分かった。あなたがここまで動くってことは、本気なのね」
「俺の過去の仕事のケジメでもある」
翌日、行政からの通報を受けた警察が動き出し、岡村靖仁を事情聴取。過去の類似登記と、今回の死者名義利用が結び付けられ、正式な立件に向けた調査が始まった。
ヒロさんは、再開発予定地の前に立っていた。
「この街は、嘘の上に立っちゃいけない。信頼で積み上げなきゃ、また崩れる」
橘が隣でうなずいた。
「今回、学びました。"完璧な書類"ほど、裏にドラマがあるって」
「これが俺たちの仕事だ。書類を読むだけじゃなく、その向こうにいる“人間”を見る。それが、ほんとうの交渉人だ」
夕暮れの風が、二人の間を静かに通り抜けた。
今回で3話構成の長編エピソード「地面師の罠」は完結です。
この話は、実際にあった地面師事件と、私自身が経験した登記トラブルをもとに再構成したものです。
登記や書類というのは、たしかに法的な正しさを示すものですが、そこに人間の悪意が入り込むと、かえって“隠れ蓑”になってしまうこともあります。
ヒロさんは、それに気づく経験と覚悟を持っています。そして、これは彼にとっても"過去との決着"だったのだと思います。
また次回から、新たな土地と人の物語が始まります。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
【次回予告】
第12話:兄と弟の境界線(前編)
ある相続案件に現れた兄弟。長男は立ち退きに応じると言うが、次男は断固反対。
その背景には、複雑に絡んだ家族の歴史と、かつての約束があった。
ヒロさんは、“本当に守るべき境界線”を探していく。