没落貴族に転生した名探偵(8歳児)は推理する
短編練習として書きました。暇つぶしに読んでいただければ幸いです。熱心なファンの方は読まない方が良いです。
シャーロック・ホームズは子供の時読んだ以来で書いているうちに「あの人はこんな性格ではなかった気がする……」と気がつきました。
これを機にまた読み直そうと思います。
某探偵があどけない少年として異世界転生。
まだ性格が拗れる前(?)の前提で話をスタートさせています。
ページをめくる母の指は、白くしなやかでありながら、かすかにささくれ立っていた。労働の跡だ。
膝の上で開かれた絵本は、繰り返し読み込まれたせいで角が擦り切れ、表紙の金箔は剥げかけている。だが、綴じはしっかりとしており、頁に破れはない。大切に扱われてきた証拠だ。
広々とした部屋には、身分に見合わぬ静けさが漂っていた。壁には古びた肖像画が掛けられているが、調度品は必要最低限しかなく、豪奢とは言い難い。通常、貴族の子供の世話は乳母の役目であるはずだが、母自らがこうして膝に乗せ、物語を読み聞かせている。
――なるほど。どうやら、私は没落貴族の子息に転生したらしい。
母の優しい声が物語を紡ぐ。だが、彼女の穏やかな表情の奥にある疲労の影を、私は見逃さなかった。
(さて、これからどうするか……)
少年の体に宿った探偵の魂は、静かに次の一手を考え始めていた。母の優しい微笑みを見つめながら、私は静かに考えを巡らせた。
この家は没落し、母は疲れを隠しながら私を育てている。貴族社会において、家の再興には金と人脈が必要だ。しかし、子供の私にはどちらもない。
だが、知恵はある。
推理力と観察眼、そして――(8歳児の)拳がある。
「……おかあさま」
私は膝の上の絵本にそっと手を置き、母を見上げた。
「私、お手伝いがしたいのです。この家のために、何かできることはありませんか?」
母は驚いたように目を見開き、それからくすりと笑った。
「まあ、シャルクったら。そんなことを言うなんて、まるで大人みたい」
優しく頭を撫でる手は温かい。だが、その温もりの奥にある疲労は、やはり誤魔化せない。
「お手伝いなら、元気に育つことが一番よ。それだけで、お母さまは十分幸せだから」
母はそう言うが、それでは何も変わらない。
(ならば、母に心配をかけぬよう、こっそり動くしかないな)
私は静かに決意した。
まずは情報収集だ。この家の財政状況、使用人の数、母が頼れる親族の有無。そして、この国の社会構造と、貴族のしきたり。
翌日から私は、屋敷の中を歩き回りながら、観察を始めた。
使用人はわずか二人。年老いた執事と、若い女中のみ。貴族の家にしてはあまりに少ない。母が自ら子守をしていたのも納得だ。
屋敷の装飾は古く、磨かれてはいるが新調された形跡がない。収入がほとんどないのだろう。
決定的だったのは、執事が時折、屋敷の銀器を数えていたことだ。
(……売るものが尽きかけている、ということか)
結論は明白だった。
この家は、もうすぐ立ち行かなくなる。
だが、絶望するにはまだ早い。
(ならば……金を稼げばいい)
屋敷に残された僅かな書籍を読み漁り、この世界には「スキル」と呼ばれるものが存在することを知った。どうやら誰もが何かしらの才能を持って生まれてくるらしい。
かつて母が指先を軽く回しただけで、閉じられたカーテンがまるで意思を持つかのように開かれたことがあった。なるほど、確かに便利なものだ。
そして、驚くべきことに――おそらく私は、それらの力を一切持っていない。
『無能力者』
それが、かつて名探偵として名を馳せた私に刻まれた烙印だった。
私にはスキルがない。魔法もない。だが、推理力がある。転生前の知識と技術がある。ならば、それを使って稼ぐ方法を考えればいい。
探偵事務所を開こう。
貴族社会には秘密が多い。浮気、相続争い、失踪事件――私の力が役に立つ場面はいくらでもあるはずだ。
問題は、どうやって最初の依頼を得るか。私は屋敷の門を見つめ、思案する。すると、ちょうどそのときだった。
門の外で、誰かが騒いでいる。
「おい! 俺の財布を盗んだのはお前だろう!」
「ち、違います! ぼ、僕じゃ……!」
怒鳴り声と、怯えた少年の声。私は目を細めた。
(なるほど、これが初仕事というわけか)
小さな事件かもしれない。しかし、これを解決できれば、探偵としての第一歩を踏み出せる。
私は屋敷の門を開け、外へと足を踏み出した――。
門の外に出ると、そこには二人の少年がいた。一人は粗末な服を着た痩せた少年。おそらく平民の子供だろう。怯えた目で、もう一人の少年を見上げていた。
もう一人は、上質な刺繍の入った服を着た少年。まだ幼いが、立ち居振る舞いにはどこか貴族らしい傲慢さがある。周囲にはお付きの人間がいない。……このクラスの貴族子息がお供を付けずに散策?
彼が怒りに顔を紅潮させ、相手の襟を掴んでいた。
「しらばっくれるな! さっきお前とぶつかった後に、俺の財布がなくなったんだ!」
「ほ、本当に違います……!」
「証拠は?」
私は静かに言った。貴族の少年は驚いたようにこちらを見た。
「な、なんだお前は?」
「こちらの世界ではシャルク。……探偵だ」
探偵事務所を開くのなら、まずは名乗ることから始めねばなるまい。貴族の少年は眉をひそめたが、すぐに興味を持ったようだった。
「タンテイ? なんだそれは?」
「真実を見つける者、と言えばわかるか?」
私はゆっくりと二人を見渡した。
「君の財布が消えたのは事実だ。だが、それが本当に彼の仕業かどうかは、まだわからない」
「でも、こいつとぶつかった後に――」
「それだけでは証拠にならない。ならば、私が証明してみせよう」
私は地面を見下ろした。土の上には、まだ新しい足跡がいくつかついている。
(ぶつかった場所は……ここか)
私はしゃがみ込み、慎重に地面を観察する。
そして、すぐに気づいた。
「……なるほど」
私は立ち上がり、二人を見た。
「君の財布は盗まれたのではない。落としたんだ」
「なっ……!?」
貴族の少年が目を見開く。私は彼の足元を指さした。
「君はさっきから、ずっと左足をかばうように立っている。歩き方が慣れていないようだが、最近怪我をしたのだろう。ぶつかったとき、バランスを崩したのでは?」
「……そ、それは……」
私はじっと貴族の少年を見つめた。
「……君、普段から財布を持ち歩いているのか?」
「え? そ、そりゃあ……持ち歩くさ!」
「ふむ」
少年は少し動揺しながら答えた。しかし、私は彼の服を指さした。
「でも、その服には財布を入れるのに適したポケットがない」
「なっ……?」
少年が驚いて自分の服を見下ろす。確かに、彼の上着には装飾用の小さなポケットしかなく、深さもない。貴族の服は基本的に、財布や金貨袋を入れるためのものではない。貴族は通常、財布を持ち歩くのではなく、従者に預けるのが普通だ。
「つまり、君は普段なら財布を持ち歩かないのに、今日は何かの理由で無理にポケットに突っ込んだ。そして、ぶつかった衝撃で落としたんだ」
少年は言葉を失った。
「でも、落ちたなら地面にあるはずだろ! どこにもないじゃないか!」
「そうだな。でも、君が落とした直後、財布を拾って持ち去った者がいる」
私は空を見上げた。
「カラスだ」
「……カラス!?」
少年たちが驚いて顔を上げる。私は近くの木を指さした。
「さっきから、あの木の上にカラスがいる。ほら、何かをつついているだろう?」
少年たちが目を凝らすと、確かにカラスがくちばしで何かを突いているのが見えた。
「カラスは光るものを集める習性がある。君の財布には金の装飾が施されていたんじゃないか?」
「! ……そういえば、俺の財布には金の留め具がついてる!」
「つまり、君の財布はここで盗まれたのではなく、落ちた後にカラスに奪われたんだ」
私はゆっくりと微笑んだ。
「さて、あとはどうやってカラスから財布を取り戻すか……だな」
◇◆◇◆
「カラスの巣は……あそこだな」
シャルクは屋敷の庭に生えた大きな木を見上げた。貴族の屋敷にしては庭が荒れ気味で、落ち葉が積もり、枝も好き放題に伸びている。庭師を雇う余裕がないのだろう。
そして、その木の上。
黒い影が、何かをつついている。
「間違いない。あのカラスが君の財布を持っている」
少年たちも木を見上げる。すると、カラスが嘴でつついているものが、ちらりと光った。
「お、おい! あれ、俺の財布だ!」
「やっぱりな。問題は、どうやって取り返すか……」
カラスの巣は高い位置にあり、登るのは難しそうだ。シャルクは少し考え、庭の状態 に目を向けた。
「……いいことを思いついた」
そう言って、地面に転がっていた熟れた果実を拾い上げる。庭が荒れ始めているせいで、誰も収穫しない果実がそのまま落ちているのだ。
「カラスは食べ物を優先する。特に、熟れた果実の甘い匂いには敏感だ」
シャルクは果実を軽く放り投げた。地面に落ちると、すぐに別のカラスがバサバサと羽ばたいて近寄ってくる。それを見た財布を持っているカラスも、警戒して巣から降りてきた。
「よし……」
シャルクは、カラスが地面に降りた瞬間を見計らい、素早く駆け寄った。
バッ!
驚いたカラスが飛び立つ――が、その瞬間、くちばしから財布がポトリと落ちた!
「捕まえた!」
シャルクは反射的に財布をキャッチし、満足げに微笑んだ。
「ほら、君の財布だ」
少年は呆然としながら財布を受け取る。
「……す、すげえ。あんな方法で取り返すなんて……」
「観察していれば、解決策はいくらでもあるさ」
ホームズは木の上の巣を見上げた。
没落した貴族の屋敷に、居座るカラス。
庭師を雇えず、荒れ始めた庭。
「……ここも、そろそろどうにかしないとな」
シャルクは小さくつぶやくと、静かに少年たちに向き直った。
「まずは謝らなければならないことがある」
二人の少年が私を見つめる。
私は一歩前に出て、深く頭を下げた。
「我が家の管理が不十分だったため、こんなことが起きてしまった。すまない」
少年たちはしばらく黙っていたが、やがて一人が口を開いた。
「……面白いな、お前」
その少年は、財布をぎゅっと握りしめたまま、私を見つめていた。
「すごいな、お前。たったそれだけで、わかったのか?」
私は冷静に答える。
「観察すれば、見えてくるものだ」
少年はにっと笑い、胸を張った。
「ふん、面白い!」
「俺はレオポルド! 公爵家の次男だ! お前みたいなやつは初めて見た!」
「レオポルド?」
その名を聞いて、私は驚きと共に一瞬考えた。確か……貴族名録にその名が載っていた。それに、公爵家といえば、王家に次ぐ名門の家柄だ。
「お前、面白いな! 俺の友達になれ!」
「……友達?」
私は目を瞬きながら、彼を見つめた。
「それと、探偵ってやつ……本当に何でも見つけられるのか?」
「当然だ」
「なら、俺の屋敷に来い!そこで話をしよう!」
その言葉に私は一瞬考えた後、静かに微笑んだ。
(なるほど、これは……チャンスかもしれない)
公爵家に関わることができれば、情報も人脈も手に入る。私は静かに頷いた。
「……いいだろう。依頼を引き受けよう」
こうして、シャルク(8歳)の探偵としての第一歩が始まったのだった――。
推理物を書く頭脳はないのでたぶん続きません。
でも無能力者の転生シャーロック(8歳)がスキルや魔法にばかり頼る大人をボクシングで打ちのめすシーンだけ読みたい。打ちのめされて目の前にいる幼児がシャーロックだと気がつくワトソン君と読みたいな。
悪役伯爵令嬢として転生したジェームズ・モリアーティ教授(12歳)を読みたいな。
……推理物を勉強してからまたチャレンジしてみようかな。