第2章38話「恥」
ガーベラは流河を見ることが出来なかった。
寝ている流河すら顔向けすらできなかった。
ガーベラは横目に流河を見続けた。
今はただ何か異変があったときのために、ここにいる。
ペルシダが傍にいるが、ペルシダは寝ているのでガーベラは起きていた。
流河は数時間たっても目覚めなかった。
もしこのまま起きなかったら。
ペルシダは流河の容態を聞いて直ぐに駆けつけてくれた。
戦闘もあって大変だったのに、流河の傍に来て椅子に座ったまま寝ている。
しかもガーベラが起きてここに来てからだ。
疲れているのに何時間も座って流河の手を握っていた。
流河に助けてもらった。
なのにガーベラは流河の心配よりも自分の事ばかり考えている。
一体ガーベラは何をしているというのだ。
何も出来なかった。
嫌出来たのは周りに迷惑をかけてきたことだけか。
必死に努力したつもりだ。毎日訓練をして。練度も上げてきた。
でも駄目だった。
嫌、努力を言い訳にしていただと今思う。
努力しているから許してくれると。
そしてそんな言い訳が流河を傷つけた。
結局その高みに手をかけることすら出来なかった。
今まで培ってきた努力も何も実らなかった。
失望されただろう。
それに家に帰ったとしてもどうなるのだろうか。
フラガリアの義息子を守れず、かばわれて生きている。
そんなこと許されるはずがない。
そもそも、生きたとして何をするというのだ。
家に対して何も出来ずに、周りでこそこそと言われて家を汚すか。
ジェイドは教師や研究者に向いているのではないかと言われたが、全て電気信号魔法と大翔によって解決することが出来る。
大翔の方が頭の発想が柔軟でそしてその異能がある。
そしてそれを電気信号魔法で普及させることが出来る。
ガーベラなど何も意味がない。
もし戦いで武勲を残せるほど強くなっていたら。
家に対して恩返しも出来るし、皆に認めてもらえる。
そう認めてもらえるのだ。
ガーベラに対して遠慮することもそして励ますことも、慰めることもしない。
「君は悪くない」
ガーベラが起きて、周りの状況を確認していたジェイドから言われた。
「君には嬉しくない言葉なのかもしれないが、君がいなければ間違えなく流河は捕まっていた」
違う。流河は怪我することすらなかったのだ。
流河の中で信用を落としたのだ。車花を守らなければと。
魔力がない流河に。
心の中でぼろぼろと崩れだす音が聞こえる。希望も、矜持も、夢も。
ガーベラは生きて何の意味が在るのだろうか。
そう思い始めた矢先、流河は目が覚めた。
ガーベラは流河に意識を向ける。
「流河!!」
ガーベラは流河に声をかけて反応を確かめる。
何か障害がないか確認するためだ。
反応はするのか、聴覚は、視覚は。意識に障害が残っていないかどうか。
声掛けに対して反応がない。
その目は虚ろだった。
車花の叫びにペルシダは起きた。
そしてペルシダも流河が目を覚ましたことを確認し
「流河!! 私よ。分かる?」
「流河!! 良かった…」
ペルシダは流河の手を握る。
流河はその握った手に目を向けた。
触角をある。それに視覚もあるようだ。目が動いている。
流河は腕を見る。栄養剤を入れるために刺さった点滴を見る。
焦点を合わし、それが何か確認した瞬間。
「ああああああああああああああああああ!!!!」
流河は叫んだ。
ペルシダの手を強引に払い、よだれを垂らして体を震わせていた。
そして点滴を無理やり引っ張る。
「はる…」
ペルシダは最後まで流河の名前を呼ぶことは出来なかった。
ペルシダの口は枕によって塞がれた。
流河が枕を投げたからだ。
「ペルシダ……今は駄目」
そこに理性などない。
理性があれば攻撃という手段はとらない。
力量差が分かっていればペルシダを攻撃して撃退できるとは思わない。
自分の痛みから生存本能むき出しで攻撃的になっている。
錯乱している。
痛みに過剰反応を起こしている。
そして痛みのある手にペルシダが手を握っていたことで、
悪魔が折れた腕をつかむのと同じようにペルシダも敵だとそう認識してしまったのか。
ガーベラは何もすることが出来なかった。
反応は出来ていたはずなのに体が動かなかった。
流河はガーベラを見た瞬間同じように近くの物を投げてきた。
かわすこともない。痛みなど感じない。
でもそれは心に大きな痛みを与えた。
「どうしたの……?」
「流河は……その攻撃を過剰に受けて……」
ペルシダの言うのがためらってしまう。
どうしてそんなことになってガーベラは今平然としているのかと。
ガーベラのせいだ。
ガーベラが悪魔によって流河が痛みつけられている所を守れなかったからだ。
逃げてもらうために、回復魔法を当ててもらうために相手といる時間を増やしてしまった。
そのせいで好きな人を傷つけようとしている。
とにかく何とかしなければ。
興奮している。
そのせいで血が溢れ、流河は頭を抱えて叫んでいた。
このままだと精神的にまずい。
とにかく一度落ち着かせるべきだ。
流河の状態が分からない以上、下手に時間をかけて落ち着かせるより寝かせた方が確実に次に繋げられる。
そして大翔にバトンを繋げられる。
大翔なら異能で調べられるし、流河も兄弟ならば精神的に落ち着くことが出来るはずだ。
それが最適解なはずだ。
車花は流河に気づかれないようにそっと近づいた。
電気信号魔法を当てれば意識を乗っ取って眠りの状態に入らせることが出来ると……
「ペルシダ?」
だがそれよりも流河に近づいた人物がいた。ペルシダだ。
ペルシダが近づいて流河はまた叫び声をあげた。
腕を振り回してペルシダを近づけまいとペルシダの頬に引っ掻き傷が出来た。
ペルシダは少し顔をゆがませる。
身体強化魔法を切ったのだ。
体外に放出する身体魔力が自動的に身体強化魔法となって体は固くなる。
痛みはなくなるがその分流河に痛みが走ってしまう。
爪なんて最悪割れてまた血が出てしまうかもしれない。
だからペルシダは身体強化魔法を切ったのだ。
ガーベラは見ることしか出来なかった。
そしてペルシダは流河を抱きしめた。
流河はペルシダを叩いた。蹴りも入れた。
だがそれよりも強くペルシダは流河を抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫」
ペルシダは流河を全身で抱きしめた。
その腕で流河の頭を引き寄せる。
そして頭を優しく撫で始めた。
「大丈夫。大丈夫だから……」
そうやってペルシダは流河がどんなに力で押しのけようとも決して離さなかった。
流河の身体が止まった。そして泣き始めた。
ペルシダを強く抱きしめてその存在を確かめるようにして、すがるかのように泣き出した。
ガーベラは何もすることが出来なかった。
ただ自分という存在が崩れていくのを感じた。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
流河は目が覚めた。
まだ意識が混濁している。
だがすぐにでも顔を動かしたかった。
顔がべたべたで気持ち悪かったからだ。
だが動かそうにも体が上手く反応しない。
粘り気と湿気が顔全体に広がっている。
蒸れて耳の前まで湿気で濡れて更に気持ちが悪かった。
よだれでも垂らして寝たのだろうか。にしては垂らしすぎだ。
どっちかと鼻水なのだろう。鼻の穴がふさがっている。
何で鼻水が付いているのか分からないが、早く顔を洗いたい。
こんなの誰にも見せられない。
それに体制も普段は仰向けなのにうつ伏せになっている。
それにオットセイのように体が曲がった状態なのだ。
意識が目覚めたのと同時に記憶がフラッシュバックされた。
腕が折れ曲がり、歯が抜けて口から血が溢れだす記憶が。
汗が止まらない。ここはどこなのか。
ただわかるのは真っ暗であるということ。
流河は死んだのだろうか。死の先は無で光も何もかも感じない。
「大丈夫、大丈夫だから」
そう背中を優しくリズムよく叩いてくれた。
赤子をあやすかのように、紫花菜やアスハが赤ちゃんの世話をしている時のような感じだ。
その声は流河の頭の上から聞こえた。
そしてその声は心臓がどきどきとするような、その声を一番聞きたかった声。
「ペルシダ?」
かすれた声が出た。
喉が痛い。どのくらい寝ていたのだろうか。
未だに意識が混濁していて、状況がつかめない。
「あ、起きたの?」
じゃあ、体起こし..
その言葉の間に一気に意識が覚醒し、流河の今の状況が確認し始めた。
目の前はブラックホールと思った。
真っ暗で怖いはずなのに、怖くない。むしろ引き込まれる、引き込まれたいと思うほどに頭が動かない。
そして顔の感触だ。気持ち悪いの先に逆の柔らかいものがある。
気持ちいいとそう思ってしまった。
もっと深く埋めたい。そう埋めたいという言葉が頭の中で浮かび上がった。
そして音だ。一定のリズムで心地よく、何故か安心する。
そしてその音は誰にでもなる音だということに気づいた。
心臓の音。
真っ暗な闇、ペルシダの声、声の位置、柔らかな感触、心臓の音。
それらを組み合わせて得られた結果。
流河は身体を上げて、すぐに離れた。
それは電車で女性とぶつかったときの同じような焦りだった。
ペルシダは驚いた眼で流河を見る。
その胸元は濡れていた。
うっすらと別の着用物が見えそうで流河は目をそらす。
「流河。大丈夫なの?」
「おお…」
「喋れる? どこか痛いところない?」
「ああ。大丈夫だけど……」
一体どういう状況なのだ。全く展開が読めない。
まずペルシダの顔が見れない。見たら絶対視線が下に行く。
顔のべとべと感。間違えない。流河はペルシダの胸の中で寝ていたのだ。
何をどうしたら流河がそんな天国ポジションを手に入れたというのか。
記憶にない。
というよりペルシダも何かあるだろう。
「よかった……」
恥ずかしいとか、気持ち悪いだとか。何か感情表現をしてくれないとこっちも対応できない。
何で安心したかのような顔をしてため息をつくのだ。
ペルシダは下を見ている。
体に意識を回して流河は慌てて布団で隠した。
分からない。意識が混濁していて体に意識が向いていなかった。
もしかして元気になってしまったのだろうか。
自分の棒が。
これは生理現象なのか、顔にあった感触のせいなのか。
そんなに下を考えている余裕などなかったから分からない。
「流河? 本当に大丈夫なの?」
大丈夫じゃない。
何が理由がともあれペルシダにばれてしまえばどうなる。
多分、意識を錯乱していたのだろう。それをペルシダが抱きしめてくれたのだ。
そんな優しさに流河は甘えて、落ち着いたと思ったら今度は元気になって。
絶対に勘違いを起こす。嫌われるかもしれない。
だが証拠があっても確信には至っていない様子だ。
とにかくペルシダにばれないようにしないといけない。
それが不透明な状況の中で流河がやるべき一つだ。
大翔はどうなっている。車花は、皆は。
色々知りたい、皆の安否が気になるのに何を自分の体はそれに反応をしてしまった。
とにかく会話を重ねて時間を稼がないと。
違和感に気づいた。
下着が違う。布の感覚がなく別のものがある。
流河は下を見た。ズボンからはみ出ている物がある。
それはゴムではなくテープだった。
下を見て、そしてペルシダを見て
「ぎゃああああああああああああああああ!!!!」
流河は叫んだ。
「良かったじゃない。ペルシダさん怒ってないっぽいよ」
「何にも良くねえよ!!?」
大翔とペルシダの話を聞いて状況は理解していた。
点滴の痛みに恐怖がよみがえって、錯乱していたという。
恐怖におびえて、ベットの上で縮こまって過呼吸を起こして。
記憶のないことだ。
それをみかねたペルシダが流河をあやしてくれた。
胸を辺りはよだれと涙と鼻水で汚す。
これならまだ普通の人だろう。漫画でもあるかもしれない。
人間誰しも恐怖で怯えてしまう。
それでも誰かに抱きしめられて、よだれをたらしてしまうのは誰にとっても恥辱の極みなのだが。
そして流河はおむつを履いていた。
意識不明の状態なら確かに垂れ流すことはあるかもしれない。
いつ起きるか分からない以上、それをつけるのは仕方のないことかもしれない。
ペルシダの胸の中で漏らしていたということがあればもっと最悪だ。そう考えるとまだ下があるとはいえ。
おむつを履いて好きな人の胸の中で泣きわめく。
そんな高校生が現実の中でも、創作物の中でもどれくらいいるのだろうか。
考えれば考えるほど、羞恥心で死にたくなる。
それが最後、反応してしまったことがセットで最悪を超えた最悪となってしまった。
分からない。胸の感触なのか、生理現象なのか。
ごまかそうとして、恥じることも相手に感謝することも、生きて再会を喜ぶことをしなかった。
現象だけを見れば世界中の女性、嫌誰からもドン引きの行為だ。
おむつをはいて赤子のようにあやしてもらい、そして最後には大人のように反応のしてしまう。
笑われ、蔑まれ、軽蔑される。
せめてペルシダにばれていなければ。
この世界のおむつについて知らなければばれてはいないかもしれない。
確かに粗相に対して何か対策されているとは分かっているかもしれないが赤ちゃんと同じものをつけているとは思わないはずだ。
でもペルシダは一瞬下を見た気がする。
それにペルシダが赤ちゃんと遊んでいるのはよく見る。
もしかしたらその存在も認知しているのかもしれない。
もしかして分かっていたのだろうか。
せめて、その厚みで気づいていないことを願うしかない。
大翔が下着を替えることなど羞恥心を感じないほどにだ。
「それで何か変な部分はない? 動かそうとすると痛みが生まれるとか、今まで出来ていたことができていないとか」
「お腹すいたみたいに力が入らねえ」
「じゃあ、後でご飯持ってくるよ」
出来ていないというのなら、尊厳を取り戻すことが出来ていない。
大翔が体を拭いてあげることになった。
流河はやはり何度も怪我をしたのもあって、免疫力が落ちる。
流河は治療を最優先されたので、まだ戦いから体の汚れが取っていない
自分でやるといったが大翔が動かないでといっててきぱきと流河の服を脱がし、
テープをはがす。タオルを桶から出し水を絞る。
その音一つ一つすべて恥ずかしい。
体を拭くといわれ、自分でやるといったのに体を重くて体を起こすことさえ気合が必要だった。
何とか起こしたものも大翔が無理をしなくていいからと体を倒され再び体を起こすことは出来なかった。
「兄貴、手邪魔」
そう言って無意識に隠したいところを手でどかされ、汚れがないように丁寧に拭いていく。
こんなことあっていいのだろうか。
ぼこぼこにされて、好きな人の服を鼻水とよだれで汚して、弟に下の世話をされて。
確実に嫌われた。尊厳も威厳ももう何もない。子供たちの確認もしないがもしかして全て見られたのだろうか。
自分がやってきたことは恥を受けるためのものだったのか。
涙があふれてくる。
でも同時に心がすっきりした。
あの恐怖はまだ心の中である。あるが、心は平常心を保たれている。
そう胸だ。
正直来るものがある。好きな人にそうやって慰められるのは。
ペルシダ自身も気持ち悪かったはずだ。
びちょびちょになって、ペルシダも本当は嫌だったはずだ。
恥ずかしい気持ちもあるが、好きな人の優しさを与えてくれたことに嬉しさを感じる。
本当だったら、流河の服は患者衣から囚人服に変わるというのに胸を貸してくるその優しさに感謝でしかない。
そしてその感触は、悪魔の恐怖がどうでもよくなった。
頭と心は正直胸の感触と音しかを思い出すことしかできない。
本当に胸は偉大だなとそう思ってしまうくらい今流河は平常心を保っている。
思い出してはいけないと思うほど、思い出してしまう。
その柔らかな感触も、その肩に置かれた腕も、頭を撫でてくれた手も、その一定のリズムになる音も。
全て体に刻み込まれた。
今にも恐怖が体によぎるが、そのことを思い出しさえすれば恐怖心が薄れていく。
流河がこうやって平静を立てれるのはそうペルシダの胸があるからだ。
二カ月の恋。
実ることはもうないが、最後にいいものを見させてもらった。
正直まともにペルシダを見ることなどできない。
目線が絶対に下に向く。あんなことをされてしまったら、頭は悶々としてしまう。
ペルシダは気持ち悪いと思ってしまうだろう。好感度が下がった状態で更に下がる行為をしてしまう。
だが、ペルシダにはお礼に言わなければ。
「皆くるって」
「それいいながら新しい奴履かせるのか?」
普通の下着を履かせてもらって尊厳の欠片の欠片は取り戻した所で、他の人の話を聞く。
「大和や紫花菜は? 皆無事??」
「……大和さんや紫花菜達は無事だよ。兄貴のおかげで」
「そっか。良かった……」
あの時怖い目にあったおかげで皆を守れた。
あんな思いをさせてしまうことになるのなら流河が受けてよかった。
これで紫花菜に何かあればきっと大翔は壊れてしまう。
「兄貴が分断してくれなかったら、正直分からなかったよ」
「でも守れなかったな…」
確かに紫花菜達は助けられた。
でも流河は素直に喜んでいいのだろうか。
大勢の人が流河達の為に戦ってくれたのに死んでしまった。
ボテナ。ナマン。バルナ。ベオデ。チェリア。
名も知らない騎士や戦士。
その人たちはどうなったのだろうか。
紫花菜達はただ流河の傍にいたから助かっていただけで。
「ごめんね。辛い思いをさせて」
大翔は謝った。
それに対して返事をすることが出来なかった。
いいよというのも違うし、かといってお前が悪いわけではないとも今この状況でいえなかった。大勢の人が死んで間もない状況で、まだ戦いが続く状況で大翔の心を乱したくなかった。
子どもも泣いている人も皆助けることが出来なかった。
流河は生きていることに喜んでもいいのだろうか。
大翔達との再会を喜んでもいいのだろうか。
部屋が静寂に包まれる。
そういえば車花とは会っていない。
車花がいなければ流河は確実に捕まっていた。
そのお礼をしておきたいのだが、何処にいるのだろうか。
「車花は?」
「車花さん…」
「あれ?」
その目で辺りを見回す。
それは習性なのだろう。辺りを見回さなくてもいいのに、左右に首を振らせる。
「いない」
その言葉に弛緩しきっていた体が一気に固まった。




