子爵令嬢は負債により終わりを迎えるも、第一王子に提案される
学院側で手配してくれた馬車に飛び乗り、急いでマルベリー家へと帰宅する。何かの間違いであってほしいと願うも、母が学院に連絡を入れるというのならそれはもう決定的な事態になったと言える。
「ライラお嬢様……大丈夫ですか?」
使用人アルフィーも共に馬車へ乗ってくれたが、さすがに彼もその日が来たのだと理解しているのだろう。何とも言えない表情で気遣う言葉をかけてくれた。
「……えぇ、大丈夫。大丈夫よ」
全く大丈夫なわけではないが、そう言う他なかった。不安で胸が張り裂けそうなほど鼓動が増す。それを落ち着かせる方法なんてなくて、ただ早く屋敷に着くことを願った。
「ライラ……!」
マルベリー家へと到着すると屋敷前には今にも倒れるのではと言わんばかりに顔面蒼白の母が立っていた。
ライラは慌てて母の元へと駆け寄ると、脱力したのか彼女は膝から崩れ落ちるので「お母様っ」と驚きながらも母の肩に手を添える。
「一体どうされたのですかっ?」
「うぅっ……あの人が、あの男が……っ、家を……!」
泣きながら指を差す母。その先を目で追えば、玄関扉に売約済みと張り紙が貼られていることに気づき、ライラは青ざめて息を飲んだ。
「あの人……多額の借金をして、とうとう返せなくなったからって……か、勝手に家を! 家財も全て売り払ったわ……! 私とライラの衣服や貴金属は残らず全てあの人が奪っていった!」
悲痛に叫ぶ母の手には無意識に力が入ったのか、一枚の紙がぐしゃりと音を立てる。ライラはその紙へと手を伸ばし、しわくちゃになった用紙を広げた。
家を売ってもまだ残る借金の契約書に書かれた金額。それを見て思わず手が震えた。屋敷をもう一邸か二邸売らなければ完済しない額である。
まさかここまで借金が膨らんでいたなんて。家族にも言わずに……! しかしあの父親ならそれもまた有り得ると思ってしまう。借金があるとは思っていなかった、なんて考えが甘い自分の落ち度でもある。
「……お父様は……?」
「使用人全て解雇して逃げたわ……私達を置いて……追いかけたけど、馬車に乗ってしまって……」
最悪だった。グスグス泣く母は無理やり解雇された使用人達にも詰め寄られ、給与の支払いまで要求され、責められたそうだ。
払えないのならと、母が必要最低限に身につけていたネックレスや指輪まで強奪され、使用人達がそれを奪い合うという醜い争いまで発展してしまったのだと。
悪いのは全て父だというのにあまりにも母が不憫だった。
「で、でも、これだけは……これだけは肌身離さず持っていたから……これを売って、少しでも足しに……」
涙を指の背で拭いながら隠しポケットからロケットペンダントを出してきた。中にはライラの写真が入っている。
しかし宝石の類いがない古びたロケットペンダントでは買取額も微々たるものだろう。
マルベリー子爵は妻と娘に借金を押しつけて蒸発した。想像よりも最悪な未来が起きてしまったのだ。
いや、悲観している場合ではない。財産が底をつくことは想定していたのだから。それを理解して何もしてこなかったわけじゃない。
最近は全く与えられなかったが、父から貰った微々たる額の小遣いという名の自己管理費をやり繰りして、貯めていたお金がある。そして学院で得た知識もある……けど、卒業まで勉強できなかったのはやはり悔しいものだ。
子爵家として機能できないし爵位も剥奪。これからは平民として慎ましく暮らせる基盤を固めないと。
「……アルフィー。この通り、マルベリー家は終わりを迎えたわ。急で申し訳ないのだけどあなたを雇い続けるお金もないから新たな職場を探しなさい。もちろん今日まで働いてくれた分は少しずつでも払うようにするわ」
アルフィーの技量ならば新しく仕える主にもすぐに認めてもらえるだろう。新人の頃が今では懐かしく思うほど彼は立派な使用人へと成長した。
何ならファムリアント公爵家でもその力を存分に発揮できるだろう。一度ヴィーチェに頼んでみようかしら……と、考えたライラだったが、アルフィーは首を横に振って片膝をついた。
「私はどこまでもライラお嬢様について行くと決めております」
「……」
とても驚いた。しかし表情はいつも通り硬く張り付いているので相手はそう受け止めないだろう。顔で伝えられない分、言葉にしないといけない。
「凄く、驚いたわ」
「だと思いました」
「表情に出ていたかしら?」
「いえ。ライラお嬢様ならそう感じると思っただけです」
もしかしたら、と期待したのにやはりいつも通りだった。長年仕えてくれるアルフィーだから理解してくれたのだろう。
「でも、さすがに甘えられないわ。給料を出せないのよ? あなたを養うこともできないもの」
「私のことはお気になさらず。ずっとそばに置いていただいたライラお嬢様には感謝しています。そしてその恩を返すための私の我儘でもありますのでどうかお供させてください」
「アルフィー……」
彼がそばにいることはとても頼もしいことである。しかし高い能力があるにも関わらず無給でアルフィーを置いておくことの方が申し訳ない。
駄目よ、と言ったら引いてくれるのか。しかし真剣な眼差しの彼を見ると簡単には言えない。それだけアルフィーの忠誠心が強くて、蔑ろにはできなかった。
ならば答えはひとつしかない。そう決心し、ライラがアルフィーの前に手を差し出そうとしたその瞬間だった。
「マルベリー家の負債は私が肩代わりするよ」
「!?」
ライラの伸ばした手をなぜか横から割り込むようにアリアスの手によって受け止められる。どうしてここに第一王子がいるのか。そんな王族の突然の登場はライラだけでなくアルフィーも母も驚きに目を丸くさせていた。
しばし言葉を失っていたライラは相手の発した言葉を思い出し、一気に引き戻されたかのように我に返る。
「な、にを仰ってるんですかっ? というよりなぜこちらに!?」
「君が慌ただしく授業を投げ出してまで学院から出て行ったからね。予想はできたよ」
「それは……ご心配をおかけしました。ですがこれはマルベリー家の問題です。アリアス様に負担させるなんてもってのほかです」
「金額のことは気にしなくていいよ。何せずっと寝込んでいたこともあって個人的なお金はたんまりあるんだ」
だから心配しないでと笑いながら話すアリアスだが、ライラからしてみればそういうことを言ってるわけではない。
「アリアス様、善意とはいえそのような申し出は私にとってあまりにも心の負担が大きいです」
「確かに善意もあるが……下心がないわけじゃないよ」
「……と、言いますと?」
「もちろん、私の婚約者になっていただきたい。条件はそれだけさ」
まだ諦めていないのかこの人は。そう思い、ライラは溜め息混じりで彼の手を軽く振り払った。
「そのような戯れはおやめくださいと申したはずです。それにあなたはすでに王位継承者として認められた方、子爵家の娘ではあまりにも釣り合いが取れません」
前もそう伝えたはずなのにもう覚えていないのだろうか。そこまで物覚えの悪い人とは思わなかったが、いい加減にしてほしかった。
「父にはちゃんと説得した。あなたでなければ国を治めるつもりはない。反対するなら彼女と駆け落ちすると」
「なんて無責任な……!」
「えぇ、そうでしょうね。ですからそのように叱っていただけるライラ嬢が私には必要です」
「お待ちください、アリアス第一王子。一介の使用人が口を挟んでもよろしいでしょうか?」
ゆっくりと立ち上がったアルフィーが口を開いた。少し警戒している表情である。
「もちろん。ライラ嬢の使用人ならば色々と思うところもあるでしょう。遠慮せずにどうぞ」
「では僭越ながらお言葉を。説得したと仰いますが、長年守られてきた伝統を国王陛下がそう簡単に許可を出すとは思えません」
確かにそうだ。我儘みたいな理由で王妃となる相手の爵位を落としていいとは考えられない。
だとしたらアリアスの嘘、という可能性が浮上する。また彼は騙そうとしているのか? そう考えるとライラは不愉快な気持ちでいっぱいになる。
「ちゃんと父から了承を得た証拠として誓約書にサインも貰ってきたよ」
ほら、と彼は誓約書を見せる。国王フードゥルトの署名も確かにあった。さすがにこれが偽造だとしたら王子とはいえ大変なことになるだろう。だから信用していい、はず。ではなぜ国王は了承したのか。当然の疑問を抱く。
「病を理由に私の王位継承権は剥奪され、エンドハイトは王命に背き、傍若無人な態度で事件を起こしたことから王位継承権を剥奪。そして完治した私に王位継承権を復活させた……が、ここで私が駄々を捏ねてまた王位を取り上げるなんて国民の信頼にも関わるからね。まだ飲める条件だと思って目を瞑ったんだ」
確かに何度も王位継承権を剥奪、付与を続けてたら民達が王族に対して不安を抱くだろう。ただでさえエンドハイトの件で、貴族や平民は動揺と怒りを抱えている。
国民が近くにいるにも関わらず兵達に弓を構えさせるという危険な行動を起こしたのだから、現場を見た人間がそう思うのも無理はない。あれが少し前までは次期国王という肩書きを持っていたのだから。
そして今度は第一王子が没落した貴族の娘と駆け落ちなんてされたら、立て続けのスキャンダルに国中がまた大騒ぎになるだろう。……少しだけ国王に同情してしまう。
「どうかなライラ嬢? これで君が気にする問題は解消したと思うんだ」
「……そうですね。ですが私に王妃は務まりません。お忘れですか? 私が周りからなんと呼ばれているのかを」
長い黒髪と愛嬌のない無表情な顔立ちもあって魔女と呼ばれていることはアリアスもご存知のはず。そんな人間が王妃だなんて無理があるだろうし、民衆から反対の嵐だ。
「魔女と呼んでいるのは主に貴族だけであって、貴族よりも数が多い平民達にはそう呼ばれていないじゃないか」
「それは貴族として生活をしているから貴族の方達に悪い意味で有名なだけです。平民になれば誰であろうと同じことを言うと思いますが……。それに王妃はもっと民を大事にするべき人柄が望ましいです。私には持ち合わせていません」
魔女だと揶揄されてばかりの自分が国や民のことを考えられるわけがない。こう言えば相手も失望するだろうと考えていたが、アリアスは幻滅するどころかにっこりと笑みを浮かべるだけだった。
「奇遇だね。私も愛国心は薄い方だよ。何せ病に伏せていた時は多くの人が私から離れたものだから色々と思うことはあるからね?」
「次代の王がそのようなことを口にするのはいかがかと思いますが」
「うん。そうだね。そうやって叱責してくれる人が私の隣にいてくれたら安心なんだ。これでも一応は王子としての責務は全うしたいと思っているけど、少しくらいの我儘は言わせてほしい」
なぜこうも諦めが悪いのか。全く引く気のない第一王子にライラは困り果てる。
「君が他人に借金の肩代わりをさせるようなことは苦手だということも理解してる。だから私もそれを避けるような提案を考えたりしたんだ。せめてエンドハイトがまともだったらライラ嬢とともに平民として生きようと覚悟を決めていたのに……」
はぁ、とわざとらしい困り笑いの溜め息。本気で王族を捨てる覚悟があったのかはわからないが、それが実現していたらまた違う未来があるのだろう。とはいえそんなことを言われてもライラはなんて返せばいいかわからなかった。
しばらく黙っていたら、アリアスは仕方ないと言わんばかりに口を開いた。その表情は少し残念そうに。
「本当はこんなことを言いたくはなかったんだけど、貴族の娘なら政略結婚として受け入れてほしい。そうすれば金銭問題も解決し、学院も辞めなくて済むし、友人達と離れることもなくなる……が、どうしてもというのなら別の方法もなくはない」
「別の方法……ですか?」
「そう。これはヴィーチェ嬢の提案だ。彼女の元へ侍女として奉公する道だね」
「えっ……?」
思いもよらぬ発言であった。まさかここでヴィーチェの名前が出てくるとは思わず、ライラは驚きに瞬きをする。
「ヴィーチェ嬢が言っていたんだ。君に何かあった時の選択肢のひとつとして、と考えていたみたいでね。平民として働くのもいいけど、親しい友人の彼女の元で働くのが一番やりがいがあるんじゃないかな。私としてもそちらの方が安全で安心できるしね」
「ヴィーチェ様が……」
自分のためにそこまで考えてくれていたのかと思うとライラは胸がジンッと熱くなった。
爵位がなくなってもヴィーチェのそばにいられるのは願ってもないことだ。侍女になればきっと毎日が騒がしくて振り回されたりもしつつ楽しいと思うのかもしれない。
そしてライラは決心した。
「わかりました」
「やはり決断が早いね。それじゃあ今からヴィーチェ嬢の元へ向かおうか。彼女も察しているだろうし、向こうから侍女として雇用しようと話してくれるはずだよ」
私としては残念だけど、と小さく笑いながら呟くアリアス。そんな彼の言葉を否定するためライラは首を横に振った。
「いいえ、ヴィーチェ様ではなく政略結婚の方を選びます」
そう答えた瞬間、アリアスだけではなくアルフィーや母も驚きの表情を見せていた。今のは流れ的にヴィーチェの侍女になる決意を示したように思ったのだろう。
「確かにヴィーチェ様の侍女として奉公する方が一番やりがいがありますし、楽しいと思います。でも、彼女の友人だからこそ思うのです。私の家の問題のせいでヴィーチェ様に迷惑や負担をかけたくないと。いくらあの方がそう思わなくても私が気にします。ヴィーチェ様を利用しているみたいで嫌です」
「……それはつまり私なら迷惑をかけたり利用してもいいってことかな?」
「政略結婚ですよ?」
「ふふっ。そうだね。確かにそうだ。うん、利用してくれて構わないよ。私としては望んでいた選択だ。ただ、気持ちの面ではヴィーチェ嬢に負けてしまったけれど、そこは諦めるよ」
「……ライラお嬢様、本当にそのような決断でよろしいのですか?」
コソッとアルフィーが尋ねる。アリアスが身分や名前を偽って文通していた事実について彼も思うところがあったゆえに確認しているのだろう。その問いにライラは躊躇うことなく頷いた。
「貴族の娘ならば政略結婚は通るべき道だもの。……まぁ、嫁ぎ先があまりにも釣り合わないけど、せめて王妃になってヴィーチェ様に今まで良くしてもらった分を返したいと思うわ」
「そう、ですか。ライラ様がそう決断するのなら私もそれに従うまでです」
少し言葉に元気がなくなったアルフィーだが、それ以上の意見は口にしなかった。半端な気持ちで第一王子の隣に立つと決めたわけではないと察したのだろう。
自分が次期王妃になるなんて現実的ではないし、今よりももっと大変な未来しか見えないだろうけど、いつしか王妃という立場でヴィーチェに恩返しができるのならそれも頑張れそうな気がした。




