ゴブリンは公爵令嬢の扱いをはっきりさせる
突然身体中に痛みが走って飛び起きた。矢が刺さった箇所から何かが染み渡り、体内で暴れているのかという激痛。
起き上がったことにより、ようやく自分が意識を失っていたことを理解した。
すぐさまヴィーチェに飛びつかれ、目覚めて早々娘に騒がしくされるリラは大婆とアロンの姿も視界に入る。今自分がいる場所も大婆宅だということにもすぐに気づいた。
それからだ。すぐに空気が変わったのは。アロンがヴィーチェに鋭い眼差しを向けたのだ。……お調子者でヴィーチェをからかいながらもいつもその娘の肩を持つあのアロンが。
そんないつもと様子の違うアロンにヴィーチェも気づいたのだろうか、真面目な顔で授与式の最中何が起こったのか説明を始めた。
話が終わるとアロンは「なるほどね」と答え、言葉を続ける。
「俺はおチヴィーチェのことは信用してるぜ。だから俺らの大事な親分であるリラを預けたんだ。けど毒を食らって生死の境を彷徨う状態になるなんて聞いてねぇし、そうなるってわかってたら人間の多くいる場所へ送り出すこともしなかったよ。リラを守るって言葉は嘘だったのか?」
アロンが、ヴィーチェを責めている。友人があのような態度を向けるなんて珍しい。リラは傷口が痛む中、重くなる空気に戸惑った。
「嘘ではないわ。リラ様を守る意志は常にあるもの。でも結果的にリラ様を危ない目に遭わせたのだから責任はもちろん私にあるし、言い訳もしないわ」
「ふーん? 潔く非を認めるのは構わないけどさ、ウチのボスに酷い怪我させて許されると思うか? やっぱ人間は信用できないし、出禁にするべきかもな」
「!」
「オイ、アロン! お前にそんな権限はないだろっ!?」
さすがに言い過ぎなのではないか。驚きに目を丸くさせたヴィーチェを見ると黙っているわけにはいかないリラが声を上げた。
「そう。俺にそんなことは決められない。お前か大婆くらいなもんだ。だからここはリラがビシッと発言すべきだな。元々お前もおチビちゃんが村に足を踏み入れるのは反対だったんだしよ。危険因子は取り除く方が安心だろ?」
一体どうしたというのか。やはり先ほどからアロンらしくない発言が目立つ。大婆は静かに見ているだけでアロンを止めるつもりはないらしい。
「……そもそも今回は俺が人間を甘くみていた結果だった。全て弾き飛ばせば良かったものの、受け止めた方が手っ取り早いと考えて、やじりの毒に気づかずに刺さっただけだ。ヴィーチェもその身を盾にして俺を守っていたし、俺はそれを必要ないと判断して前に出たんだよ」
「それはおチビちゃんが怪我でもしたら公爵家との関係が拗れる恐れがあるからお前が前に出ざるを得なかっただけだろ? おチビちゃんがステージから早く逃げてたらお前もそうしなくて良かったはずだし」
確かにそれはそうだ。最初は貴族の令嬢に怪我をさせたら原因となる森の中に人間達が侵攻して、仲間に危険が及ぶと思っていた。それを避けたかっただけ。
しかし今もそうかと言われると少し意味が変わってくる。ヴィーチェの身体や心を傷つけられると思うと、それを見過ごせなくなった。
「いい加減にしろアロンっ。過ぎたことをごちゃごちゃ言っても仕方ないだろ! どちらにせよ俺はもう大丈夫なんだからこいつを責めてどうするっ?」
「余所者の足手まといによって、うちのボスが傷つけられるのを黙認するほど俺は優しくねーけど」
「……」
いつもならああだこうだと自分の主張を自信満々に言うヴィーチェは今回ばかりは言葉を失っているのか黙ったままだ。俯き気味に眉まで下げて、騒々しさも皆無である。
「……余所者って言うのならそれは間違いだ。俺は仲間を守ったんだからな」
「!」
仲間、という言葉に反応したのだろう。ヴィーチェが勢いよく顔を上げてリラへと目を向けた。その瞳は少しばかり輝きを取り戻しつつある。
「仲間なら身体を張って守っても問題ないだろ。それが俺の、お前達を束ねる頭としての考えだ」
「けどよ、仲間って言っても結局はお嬢様じゃん。そのうちこっちの情報を漏らすようなスパイ紛いなことをする心配とか、住む世界が違うとか、俺達の仲間にしては不安要素や格差があるだろ?」
まるで昔の自分と対話しているような気分だった。人間を敵視して懸念ばかりしていた言葉である。
「こいつは将来的に村に住む気満々だから俺が責任を持って面倒を見る。それでもまだ納得いかないか?」
仲間の不安を払拭させるのも自分の役目だ。これでまだアロンがゴネるようなら相手が納得する条件を問うしかないだろう。
そう身構えていたのもつかの間、厳しい表情だったアロンはすぐにニッと笑顔に変わった。
「いーや、お前の覚悟を聞いて安心したわ」
「お、おう……?」
安心してくれたのなら何より、と思うものの何か引っかかる。するとアロンの笑顔は悪巧みを秘めるものへと変貌した。リラはハッとする。これは友人がからかう時の顔だということを理解したから。
「じゃあ俺はこの辺で。……みんなーー!! リラがおチヴィーチェを嫁に貰うって宣言したぞーーーー!!」
「なっ! 待てアロン! そんな宣言してないだろっ!!」
声を高らかにして大婆宅を飛び出したアロン。引き止めようとするもまだ身体は万全じゃないし、立ち上がる力もなければ追いかける気力もない。
……してやられた。リラは友人の思惑に気づいたのだ。
何かとヴィーチェに味方していた奴が急にあれこれ文句を言うから何かと思えば。あいつ、ヴィーチェとの関係をはっきりと俺から言わせたかっただけだったんだ。
そう察したリラは今になって羞恥心が込み上げてきた。
もしかして結構恥ずかしいことを口にしていたのか? とか、面倒を見ると言っても深い意味は……とか、一人で言い聞かせる。
「リラ様っ! 私を妻にしてくださる決心をしてくれたのね! それだけじゃなく仲間と認めていただけてとても嬉しいわ!」
「まだ妻にするなんていってないだろ! 仲間として受け入れただけだ!」
「まだってことは近いうちに、よねっ」
「~~っ!?」
墓穴を掘るとはこのことか。声にならない声が出る。
ついさっきまでは珍しく眉を下げて大人しかった娘がいつものキラキラとした太陽の笑みを向けてくるのだから気持ちの切り替えがあまりにも激しい。
「でもアロンの言う通り、リラ様に怪我を負わせてしまったのは間違いなく私だわ。本当に申し訳ございません、リラ様」
「いや、違━━」
「次からはリラ様を気絶させてからお守りするか逃げることに専念するわね!」
「おい、コラ。気絶させるな」
しおらしく謝罪をするから気にするなと口にしようとしたリラだったが、実力行使に出ようとするヴィーチェにすかさず却下を入れる。
誰だ、こいつを脳筋みたいな思考回路にさせたのは……と、考えたところでリラはすぐに気づく。もしかして、俺のせいか……? と。
長年、腕力を武器に生きてきたリラと共に過ごすうちにヴィーチェもそちらよりの思考になってきたのだろう。
確かにそんじょそこらの騎士と並ぶか、それ以上かの実力はありそうだが、少なからず自分の影響を受けていることは間違いないとリラは認める他なかった。
「けど、もう二度とこんなことにならないためには一番の方法だと思うの」
「さっきも言ったが、仲間を守るのが俺の役目だ。守られるのは性に合わない」
「じゃあ、協力ということにしましょう」
「なんでお前は折れないんだよ」
「だって仲間を守るリラ様の妻になるなら私も同じ信念を持ちたいわ。それにリラ様の後ろじゃなく隣に立ちたいんだもの」
まるで胸に刺さる殺し文句のようだった。ゴブリンを束ねるボスの隣に相応しいのはおそらくこんな奴かもしれない……と、リラは他人事のように考える。
「イチャつくのもそのくらいにして、そろそろえぇかね?」
そこへ大婆が二人の間に割って入ってきたのでリラはギョッとした。そしてすかさず彼は訂正の声を上げる。
「って、イチャついてないっ!」
「ふふっ、リラ様の照れ屋さん」
何度目だこのやり取り。そう思うと照れ屋じゃないと否定するのも疲れてくるので溜め息をこぼすしかなかった。
「気になったんじゃがね。王子が命令し、弓兵部隊が撃ち込んだ矢に塗られたドラコニア・ヴェネヌムはどこから手に入れたもんだい? 自生はあまりしないから普通は栽培で入手するもんでねぇ」
「そういえばお医者様も毒が強力だから手続きを経て栽培農家から譲ってもらわないと手に入らないって言ってたわ。学院生活以外は謹慎中だったエンドハイト様が手続きして手に入れようとしても、監視の目があるからそう簡単に危険な毒花を渡すとは思えないし……さすがに偶然自生するドラコニア・ヴェネヌムを見つけたわけじゃないでしょうし」
ゴブリンは村で育てているから誰にでも手に入れることはできるが、ヴィーチェの話によれば人間が手にするには色々とルールがあるようだ。
だから偶然見つけるくらいしか楽に手に入る方法がないのだろう。あの何様王族様のエンドハイトがそう簡単に野生のドラコニア・ヴェネヌムを見つけるとは思えない。……まぁ、王子がこっそりと育てていたとしたら話は別だが。
「考えてもわからないけれど、エンドハイト様は罪を沢山犯したのだから聴取されるはずよ。どこで手に入れたかそのうち明らかになるわ」
「……はたしてそれが吉と出るか凶と出るか」
「どういうことだ?」
意味深に呟く大婆は悩ましい表情をしていた。その意味がわからず大婆に尋ねるリラだったが、彼女はヴィーチェを気にしているのか少し躊躇っているようにも見える。
けれど間を置いた後、大婆は口を開いた。
「……我々の同胞が何かしらの理由で王子とやらに手渡していたら?」
心臓が止まるかと思った。突拍子もなくそんなことを言うのは場を和ますためなのか、しかしそれはあまり笑えない。
「大婆……さすがにその冗談は良くないだろ」
「可能性を示しただけじゃ。成人のゴブリンならドラコニア・ヴェネヌムの取り扱いもよぉーくわかっておるしの。それに手に入りやすい」
「いや、さすがに無理があるだろ。俺はまだしも仲間達が森を出て、さらに王子と顔を合わせるなんてできっこないんだからよ。そもそもあの王子はゴブリンを敵視してるってのに」
「魔力に目覚めたら簡単なことよ。幻覚、姿を隠すような魔法が扱えるならゴブリンとバレることはないさね」
そんな馬鹿なことがあるわけない。さすがに考えすぎというか、もはや妄想の域に達している。もしかして老いているからか? と、リラは大婆の頭を心配してしまう。
「言わずもがな、王子はヴィーチェを憎んどる。そして同胞の誰かもヴィーチェを憎んでいたとしたら利害が一致するとは思わんか?」
「オイ、大婆っ。本人を前にして言う話かっ?」
さすがにヴィーチェも聞いていていい気はしない。エンドハイトがヴィーチェに殺意を向けていたことは事実なのだから。……そう、あんな危ない目に遭って、殺意を持たれていたのだ。いくらヴィーチェとて、ショックを受けるに違いない。
「そもそもそんな話がまかり通るなら魔力に目覚めたとかより、魔力持ちの大婆の方が十分に━━」
「お二人とも落ち着いて」
怪しい。そう言いかけると、すぐにヴィーチェが言葉を遮った。
「リラ様とラブラブな私に行き過ぎた嫉妬をしたエンドハイト様に協力者がいるかどうかなんてどうでも……いえ、可能性の話をしても答えは出ないのだから、今は結果を待ちましょ」
「……」
本当にどういう神経をしたら命を狙った相手に関することをどうでもいいと言いかけるくらい無頓着になるんだ? そう感じるほどリラはヴィーチェの頭の構造が気になった。
「証拠もなく、可能性の段階で仲間を疑うのは良くないと思うの。それに私はリラ様のお仲間の皆さんがそのようなことをするとは到底思えないわ」
「ほっほっほ。気を遣わせてしもうたねぇ。歳を取るといらん不安ばかり考えてしまうんじゃ。すまないねぇ」
「お気になさらないで。大婆様は私のことを心配してくださっただけですもの。それに私は決めつけは良くないと仰ってくださったリラ様の教えに従っただけだわ」
まだそんな昔の言葉を持ってくるのか。確かお茶会に行きたくないと駄々を捏ねてた時のことだろ? しかし、俺がヴィーチェと添い遂げるものだと決めつけてる点はどうなんだ……? それは教えに従っているのか?
リラは遠い目でそう思うなどしたが、それをあえてわざわざ口にしても都合のいいように返ってくるのはわかりきっているので何も言わないことにした。




