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ゴブリンは意識のない公爵令嬢を抱えて走り出す

「最近マナーとかのお勉強ばっかりなの」


 今日もいつもの場所で、いつもの岩に腰を下ろし、人間の小娘と話をする。

 大体はニコニコ笑顔で「リラ様っ、リラ様っ」と弾んだ声で話をするのに今日は少しご機嫌斜めで、ぷくーっと不服だと言わんばかりに頬を膨らませていた。

 ゴブリンが悪役として描かれる絵本を見たときのような膨れっ面にリラは「へぇ」と、今日も適当に相槌を打つ。


「背筋とか歩き方とかお茶を飲むときとかお菓子を摘むときとか、いっぱいあるのよっ。お茶会までには全部覚えてって言われてるの」

「……お茶会?」


 なんだそれは。そう尋ねようと聞き返すリラにヴィーチェはパァッと明るい表情で説明を始めた。


「紅茶やお菓子を飲んだり食べたりしながら知らない人や知ってる人とお喋りするの!」

「知ってる奴ならまだいいが、知らない奴と話もするのか?」

「お父様が言うにはお友達作りなんだって」

「あー……」


 なるほど。そう小さく呟くリラは心の中で「こいつ友達いなさそうだもんな」と納得した。何せ毎日毎日自分に会いに来るので友人と過ごすなんてこともしてないだろうと思って。


「ヴィーはリラ様だけいればいいのにお茶会なんて参加したくないわっ」


 どうやらマナーの勉強だけでなく、お茶会の参加にも不満な様子。しかしこれはチャンスだとリラは気づいた。

 そのお茶会とやらに参加させ、ヴィーチェに友達ができればもう自分に会いに来る必要がなくなるだろうと考えたのだ。そうなれば晴れて自由の身。人間の子の面倒を見なくて済む。

 そうと決まればヴィーチェには何がなんでもお茶会に出てもらわねば。リラは内心燃えていた。


「ヴィーチェ。友人は作るべきだ」

「リラ様がいるからいらないっ」

「友人がいるのはお前のためにもなる。相談にも乗ってくれるし、話し相手にもなれるし、遊んだりもできる」

「それならリラ様で充分ね!」


 やめろ。全てを俺に押しつけるな。そう口にしたかったリラだが、今は必死にそれを飲み込んで説得することに集中する。


「俺以外にも作るべきだ。頼りになる友人は一人でも多い方がいい。そもそも人間の困りごとは人間に頼るのが一番だろう。俺に相談などされても答えは出ないんだからな」

「それでもいいのっ」

「良くないっ。……よく聞け。俺にだって友人はいる」

「アロン?」

「あぁ。他にもいる。友人でなくても仲間も大勢な。人間はどうかは知らんが、俺達はその繋がりを大事にしてるんだ。場合によってはかけがえのない存在になるだろう。俺はお前にもそんな奴と知り合ってもらいたい」


 そしてさっさと俺から卒業してくれ。その思いでリラはヴィーチェに切言する。しかしヴィーチェはなかなか頷かない。


「だって、お父様もお兄様もアグリーもみんなリラ様の話を信じてないし、会ったこともないのにゴブリンを悪者だって言うもの。きっと他の人も同じよ」

「……」


 ゴブリンに感情移入するヴィーチェの発言に思わず絆されそうになったリラは言葉を止めてしまうが、すぐにハッと我に返り頭を振る。


「……会ったこともないのに、と言うのならお前もそう決めつけるのは良くないだろ」

「!」


 ようやくリラの言葉がヴィーチェにも響いたのか、彼女は驚きの表情を見せたあと、すぐに何かを決心するような顔に変えてなぜか岩の上に立ち上がる。


「そうね! ヴィーったらつい後ろ向きなことを考えちゃった! お茶会でリラ様の話をしっかり聞いてくれるお友達を探せばいいのね!」

「いや、俺の話はするなっ! 他の話題にしろ!」


 むしろゴブリンの話なんてしたら友達作りどころではない。そう説明するものの、ヴィーチェの決意は変わらないようだった。


「大丈夫! 例え信じてもらえなくてもめげずに信じてくれる人を探すわ!」

「違う。俺の言いたいことはそうじゃない。頼むから真っ当な人間として友人作りに励んでくれ……俺のためにも」

「えぇ! リラ様のために本当のゴブリンの生態について広めなきゃいけないものね!」

「だからそうじゃないと何度言えば……」


 はぁぁぁぁ。と深い溜め息を吐いて顔に手を当てるリラは、会話が成立しないのは人間の子だからなのか、それともヴィーチェだからなのかと考えた。他の人間と関わりを持ったことがないので判断のしようがない。


「大丈夫! ヴィー頑張るわ! 未来の旦那様のためだも━━」


 ツルッ。岩の上に立つヴィーチェは足を滑らせた。二人して「あ」と口にしたのもつかの間、ヴィーチェはそのままゴチン! と、岩に後頭部が強く当たった。


「びっ!」

「!」


 一瞬だけ声を上げたあと、ヴィーチェは動かなくなった。あまりにも突然であり、あまりにも唐突な事故にリラは固まってしまう。


「……ハッ! オ、オイ! 大丈夫か!?」


 しん、と静まり返る中、少し遅れて状況を理解したリラは慌ててヴィーチェを揺さぶるが、こういうときは揺らさない方がいいのかもしれないと思ってすぐに手を離した。

 けれどリラの呼びかけにも反応を見せることなく意識を失った彼女にリラは「死んだのか……?」と呟く。


「ヴィーチェ……」


 いつもなら名前を呼べば嬉しそうにしている少女は何も答えない。サーッと青ざめたリラだったが、これは同時にチャンスなのではないかとも考える。

 このまま深く掘った穴にでも埋めておけば例えヴィーチェの家族が探しに来ようともそうそう見つかることはない。こちらもお守りをせずに済む。ようやく自由になれるし、万々歳だ。

 そのはずなのに、気が進まない。むしろ焦りなのか心臓の鼓動が増していく一方だ。命が散る瞬間なんて今まで何度も見てきたというのに。

 たかが人間の子供。金持ちの娘だからそれなりに希少価値はあるだろうが、ゴブリンにとってはやはり数多くいる人間の一人に過ぎない。

 とっととこの関係を終わらせるべきなのに、少女と関わった毎日が少しずつリラの考えを鈍らせる。


「あーくそっ!」


 髪を掻きむしるリラは苛立ちの声を上げると、ぐったりするヴィーチェを抱きかかえた。

 頭に振動を与えないようにしっかりと大きな手で後頭部を支えると、彼は全力で走り出す。

 小さな人間の子供は軽くて、力を入れ過ぎたら壊れてしまいそうだとヴィーチェを抱える力にも気を遣う。

 後頭部には瘤があったが、血の匂いはない。出血していないだけマシなのか、それとも中で出血しているのかリラにはわからなかった。

 だから彼は頼りになる者の協力を得ようと、急いで自身の村へと向かう。


 勝手知ったる森の中を颯爽と駆け抜けた巨体は深い森の奥にある切り開いた村へ辿り着いた。

 村のゴブリン達はみんな一際大きいボスの帰りに目を向けるが、鬼のような形相で走り抜けるリラに仲間達は驚きと恐怖の顔に染まっていく。

 そして彼に抱きかかえられる小さな人の子の存在に気づいたのだろう、困惑した様子で「あれって人間か?」「なんでリラが?」と、ざわつき始めた。

 リラはそんな声に反応や答える暇なく目的となる人物の元へ急いだ。






「大婆! こいつを助けてくれ!!」


 一軒の石造りである家の入口にかかった暖簾をくぐり、リラは村の長老である老女の前に立つ。

 大婆と呼ばれた彼女は寒さをやり過ごすために沢山の魔物の毛皮を覆い、着膨れした状態で椅子に座って、こくりこくりと頭を前後に揺らしていた。


「大婆っ!!」


 リラの叫び声に彼女は一拍置いたあと、細い目を開き、訪問者であるリラの顔を見上げた。


「なんじゃ、リラかい。お前さんが慌てるなんて珍しいねぇ」

「それはいいからとりあえずこいつを診てくれっ。岩に頭をぶつけてこの状態なんだ! 俺には手当てなんざできないっ……どうにかしてこいつを助けてくれ!」


 抱えていたヴィーチェを大婆の前に寝かせると、相手は「おやおや……」と物珍しいというような表情で椅子より下へと身を屈ませ、ヴィーチェの頭を全体的に撫で回した。


「ほむほむ……」

「大婆、どうなんだ? こいつはまだ生きてるよな?」


 こいつはそんな簡単には死ぬはずがない、と希望的観測でそう信じるリラだったが、彼女はゴブリンよりも弱く、人間の大人よりも弱い、ただの子供ということを思い出す。

 いつも「リラ様、リラ様」と、騒々しかったあの少女は今では人形のように何も言わないし、反応もしない。とても静かなヴィーチェはリラにとって違和感でしかなかった。

 もうあのピーピーと鳥のようにうるさい声が聞けないのか。あの輝くほどに眩しい笑顔も見られないのか。いや、元よりそれを望んでいたはず。けれど命を落としてほしいとはまでは願ってなかった。


「安心しんさい。ただ気を失っておるだけじゃよ。瘤ができてるくらいで死にゃあせん」


 その言葉を聞いてリラはホッと安堵の息をつく。良かった……と、思うがすぐにその考えを払拭しようと首を勢いよく振る。

 別に心配なんてしていない。ただ俺の目の前で勝手に死なれたら寝覚めが悪いだけだ。そうやって自分に言い訳をする。


「とにかくこのまま安静にさせとけばいいんじゃが、瘤を冷やさないかんね。リラ、水を含ませて絞った布切れを持って来んさい」

「あ、あぁ」


 大婆の指示に従って返事をすると、リラは急いで大婆の家から外へ出た……のだが、そこにはすでに他のゴブリン達が野次馬のように集まっていた。


「おーい、リラー!」


 そんな中からリラの友人の一人であるアロンが彼の元へ駆けつける。


「リラが人間の子を連れて大婆ん家に行ったってみんなが騒いでたから来てみたんだけどよ、あのおチビちゃんだよな? ぐったりしてたって聞いたけど魔物に襲われたのか?」

「……いや、岩に頭をぶつけたんだ」

「え? 岩?」


 リラの返答にきょとんとした後、アロンはぶふっと吹き出すように大笑いをする。


「あっひひひっ! なんだよお前っ! 鬼気迫る顔をしてたって聞いたからおチビちゃんが瀕死状態なのかと思って焦ったぜ!」


 バシバシとリラの腕を叩くアロンは涙を浮かべるほど爆笑している。リラはというとなぜそんなに笑われなければならないのか理解できずにムッとした。


「まぁ、それだけおチビちゃんが心配だったっつーわけだな!」

「違う! あいつの身に何かあったら両親や騎士団とかが動いて俺達の生活を脅かすかもしれないと思っただけだ! 俺が心配してるのは小娘ではなく村のことであって━━」

「はいはい、わかったわかった。大婆様に何か頼まれたんだろ? 言われたことをしてやれって」


 何もわかってないだろ。そう言いたかったが、アロンの言う通り大婆からの頼まれごとをしなければならないため、リラはジトッとアロンを睨みながら布切れを探しに走った。


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