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ゴブリンは公爵令嬢のために自分の存在を証明する

 最初は沸々としたものが身体の奥からゆっくりと溢れてくるような感じだった。胸くそが悪い。そんな気分。

 しかし小さく震えるヴィーチェの後ろ姿を見た時、一気にその沸々が頂点へと達する。それが怒りだと気づいた頃にはリラはその身を震わせていた。


「ほら吹きと妄想癖だって言うのなら証明してやる……」


 それを承知で婚約を結んだのは誰だったのか、婚約者以外の異性と情を交わしておきながら自分には一切の非がないと言わんばかりの態度は我慢ならなかった。

 リラはフードをその場で脱ぎ落とし、窓扉から距離をとると、そのまま助走をつけてバルコニーの床を蹴り上げた。身体は窓を突き破り、ヴィーチェと王子の間を割って入るようにドスンッと大きな音を立てて着地をする。

 逃げ惑い、あちこち響く貴族の悲鳴がうるさいが、そんなことはいちいち気にしていられない。

 リラはヴィーチェを庇うように背中で隠してエンドハイトを睨んだ。相手は混乱と畏怖が混ざった表情を見せながらも顔色を悪くする新しい婚約者を後ろへと下がらせた。

 目の前で見れば見るほど一発殴ればすぐに事切れそうなほどちっぽけな男にしか思えない。

 拳を振り上げたい気持ちはあったが、守るべき仲間のためにも、そしてヴィーチェの将来のためにもそれだけは避けようとぐっと堪えた。


「お前、この娘を捨てるなら俺が貰おう」

「!」


 王子にそう告げると目の前の男は素っ頓狂な声を上げた。これだけ大勢の人間の前に姿を見せたらヴィーチェの言葉が嘘じゃないと嫌でも信じるだろう。

 少しだけスッとしたリラはヴィーチェの手を取り、自分の元へと引き寄せるとすぐに彼女を抱きかかえた。ヴィーチェ曰くお姫様抱っこという名称の抱え方で。


「リラさ━━」

「行くぞ」


 今までにないくらいに驚く娘の言葉を遮り、リラは再び侵入したバルコニーへと高くジャンプした。


「きゃああああーーっ!!」


 ヴィーチェが興奮の悲鳴を上げた。思ったよりも元気そうだな……? と感じたが今は呑気に会話をしている場合ではない。

 バルコニーの前で落としたシャドウローブと地図を忘れずに拾い上げ、そこからまた地面へと飛び降りる。会場内の騒ぎに気づいたと思われる城門を守る兵士達が戸惑いながらも剣を抜き、リラへと向かって駆け出すが、そんなものに構ってる暇はないため、そのまま相手にせずに無傷でヴィーチェを連れ去った。

 リラの脚力なら追いつかれることもないと踏んではいたが、日が沈んだこともあってか、騎士達はすぐにリラを見失ったらしく追っ手の気配はあっという間に消えた。

 しかし止まっている時間はない。あくまでも不意をついただけなので、数を揃えて追っ手こられたらかなり面倒である。


「きゃああああっ!! リラ様素敵っ!! かっこいい!! 好きっ!! 愛してます!!」

「……頼むから耳元で騒ぐな」


 ヴィーチェを抱えて走りながらリラはどうしてこんなことをしたのかと自身に問いかけた。いつもならばこんなことはしなかったのに。

 しかしヴィーチェとの出会いが自分を変えたのだとあれこれ思い出しながらもこれまでの行動に後悔はしていなかった。ヴィーチェが笑いものにされるような惨めな思いをさせたくなかったのだから……と、考えたところでリラはふと気づいた。

 こいつ、泣いてなくないか……?


「……お前、震えてなかったか?」

「まぁ、見てらしたのねっ。うふふ、お恥ずかしいのだけど、実は嬉しさのあまり笑い堪えていたの」

「……」


 まさかの勘違いだった。いや、ヴィーチェなら有り得る。有り得ることだったのに、てっきり傷ついたのだと思い、つい頭に血が上ってしまったのだ。そのせいで大胆な行動だってしてしまったというのに……何とも言えない羞恥心に苛まれる。


「鋼の心臓かよ……」

「アダマンタイトの心臓よっ」

「硬度ある心臓だな」


 ダイヤモンドよりも硬度がある鉱石を出してくるのだからどれだけ心臓の硬さに自信があるのか。傷つかないわけではないのに。

 まぁ、おそらくヴィーチェにとっては周りにどう見られようと今さらなのだろう。思えば幼い頃からゴブリンの話をし続けていたらしいので好奇な目を向けられるのは慣れているかもしれない。……あんな雰囲気を度々味わっていながら嘘偽りだと長年思われるゴブリンの話をするのだから、ヴィーチェの言う通りアダマンタイト級の心臓と言っても過言ではないのだろう。


「それよりもリラ様はどうしてお城に?」

「……お前が本当に婚約破棄されるかどうか見に来ただけだ」

「まぁっ、私の婚約関係が真っ白になる記念すべき瞬間をわざわざ見に来ていらしたのね!」

「そんな大層に受け取るなっ」

「ふふっ。でもこれで私がエンドハイト様の婚約者ではなくなったのだからすぐにでもリラ様の村に住めるようになるわねっ」

「……あー……そうだな。卒業後の話だが」


 村に住む条件として王族との婚約を切れと言ったのは紛れもなくリラ自身。そして自分の目でその現場も確かめたのでもちろん虚言でもない。ヴィーチェは一番難しいとされていたその条件をクリアしたのだ。

 まさかの早期解決である。そして全て解決したと言わんばかりにヴィーチェが卒業すると、村に移住という名の押しかけ女房になる。

 ……いや、さすがにそんなとんとん拍子にいくとは思えない。そもそもヴィーチェの家族はそんなこと許さないだろう。奴らにヴィーチェのストッパー役になってもらわないと……ヴィーチェが押しかけた日には令嬢を誘拐した魔物として徹底的に排除しようと動くのは間違いない。

 いくら考えても小娘のために村を危険に晒すわけにはいかないのだ。


 リラの中の天秤はいつだって守るべき仲間達の存在へと傾く。ヴィーチェ一人のためにひっくり返すことなんて考えられない。

 だからこそ全てを投げ打ってでもリラへ絶大な愛を向けるヴィーチェとは想いの強さが違う。だからこそ自分には勿体なく、応えられない罪悪感も少なからずあった。


「えっ? このままリラ様の村に連れ帰ってくれるのではないの?」

「するか。人間どもに目をつけられるだろうが。騒ぎにはしたが、お前を家に送るだけだ」


 誘拐したのではなく、あくまで家に送るだけ。どうせ人間にしてみればどこかに置き去りにして、ヴィーチェが自力で帰宅したと解釈するかもしれないが。とにかく令嬢に傷をつかなければまだ大事にはならないだろう……おそらく。

 そこでリラは段々と不安になってきた。何せ城に侵入した挙句、令嬢を誘拐したように見せてしまったのだから。あの場にいさせたくなかった、なんて通じるわけない。


「残念だわ、愛の逃避行だと思ったのに。でもうちまで送っていただけるなんてリラ様ってばとても紳士ね!」

「……ほんとに都合のいい解釈だな。とにかくここからだとお前の家まで時間がかかるし、あまり喋ると舌を噛むから黙ってろ」

「それでしたら転移門ゲートに通りましょうっ。そうするとすぐに着くわ」

「ゲート?」


 ヴィーチェの話によると転移魔法がかかった門があるという。そこを通れば簡単に目的地へと到着できるのだそうだ。……なんて便利なもんがあるんだよ、と思ったが短時間ですむのなら使わない手はない。

 ヴィーチェの案内により転移門ゲートがある場所へと向かったのだが……。


「……おい、人間がいるぞ」


 転移門とやらの前には人間が二人立っている。これでは通りたいのに通れないじゃないか。そんな視線をヴィーチェに向けると、彼女は活き活きとした様子で語る。


「大丈夫よっ! だってリラ様は私の旦那様になるお方だもの! 私が説明すれば理解していただけるわっ」

「不安しかないだろうがっ!」


 そもそもゴブリンが人前に姿を現すだけで相手も動揺するだろうし、新たな騒ぎになる。騎士団がまた追いかけてくるのも面倒なので、仕方ないと言わんばかりにリラは大婆から借りたシャドウローブを纏った。


「リラ様、もしかして寒いのかしら? 私の抱擁で暖める必要があるわねっ」

「違うし、いらん」


 腕を広げて期待の眼差しを向けられるリラだったが、すぐに拒否する。


「リラ様ってば本当に恥ずかしがり屋さんなんだから」

「いい加減俺を恥ずかしがり屋キャラから解放してくれ……」


 相変わらずめげないヴィーチェ。もはや才能なのかとも思ってしまう。

 嘆息をこぼしながら、リラはシャドウローブの説明をヴィーチェに伝えた。証明するようにフードを被って姿を消してみればヴィーチェは驚きの声を上げる。


「まぁっ、本当にリラ様のお姿が見えないわ! でも目の前にいらっしゃるのよね?」

「あぁ、こうやって俺は姿を消してお前について行く」

「旦那様だってご紹介できないのが残念だけど、わかったわ」


 紹介しなくていい。そう強く訴えたいが、ずっとここで立ち止まっているわけにもいかないため、リラは言葉を飲み込む。

 行きましょう、と告げるヴィーチェの後を続き、転移門ゲートへと近づいた。

 アーチ状の石でできた門は人が通るにしては随分と大きい。人以外にも馬車などが通ったりするのだろう。しかし門の向こう側は周りと同じ風景で本当に転移できるのか勘繰ってしまう。


「こんばんは、転移門ゲートを通らせてもらえるかしら? ファムリアント公爵家前までお願いしたいのだけど」

「えっ……? ファムリアント家のご令嬢、ですか?」

「その姿でわざわざこちらまで……!?」


 門番のように立つ二人は驚いていた。それもそうか、城からここまではかなり距離が離れているし、ドレス姿という歩きづらい格好なのだから馬車を使っていないのは困惑しても不思議じゃない。


「諸事情があったのよ」

「そ、そうですか。ではファムリアント家屋敷の前まで道を繋げます」


 諸事情と言われても腑に落ちない様子ではあったが、深く突っ込むことはなく、二人は門の左右へと分かれた。

 それぞれ石柱に手を当てると、おそらく魔力を流しているのか、薄暗い中でもぼんやりと浮かぶように手から淡い光を発していた。

 流した魔力が石造りの門全体に行き渡ったようで、転移門ゲートそのものが光る。そして門の先に見えていた風景もガラリと変わった。見事な屋敷と思われる建物が見えたため、おそらくヴィーチェの要望通り自宅の前へと繋がったのだろう。


「ありがとう。えっと代金は……良かったわ、少ないけれど持っていて」


 ドレスの腰部分に何やら手を突っ込んで小さな袋を取り出した。ポケットかよ、そこは。

 そして袋から硬貨を出すとヴィーチェは男にそれを手渡した。


「どうぞ、お願いします」

「あ、はい……って、待ってください。これでは多いですよ。二人分の料金になっています」

「いいえ、二人分で問題ないわ」

「?」


 にっこりと笑いながらさも当然と言わんばかりに答えるヴィーチェだったが、職員達はさらに困惑の表情を浮かべる。リラは盛大に溜め息を吐き出したい気分になった。

 確かに自分も通るのだから二人分の料金を払うのは間違ってはいないが、わざわざ姿を隠しているのだからそれは意味のないことでもある。変なところで真面目だ。


「さぁ、行きましょうリラ様っ」


 リラの姿が見えないのになぜわざわざ声をかけるのか。バレたらどうするつもりだ。ジトッと睨んでもヴィーチェの目にも見えないため効果はない。もとより目に見えたとしても効果はないのだが。


「誰もいないのに何が見えてるんだ……?」

「あれが噂の見えないゴブリンってやつじゃないのか?」


 そんなヴィーチェを不審に思ったのか、二人の男は互いにひそひそと小声で話し始めた。

 一瞬バレるのではないかと身構えていたが、そんなことはなかったようだ。むしろヴィーチェの言動は噂になるレベルで広まっていることを嫌でも実感する。

 見えていないからいいものの、頭痛を覚えてしまったリラはヴィーチェと共に転移門ゲートを潜った。


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