ゴブリンは公爵令嬢が気になりパーティー会場へ忍び込む
夏の日差しはまだ低く、気持ちの良い早朝の空気。他の仲間達はまだ寝静まっている中、リラは住居から姿を見せた。
いつもより起きるのが一時間以上早いが、二度寝するつもりはない。なぜなら少し遠出するためだ。みんなの起床時間に合わせると、どこ行くんだと尋ねられることは間違いないのでそれを避けるためでもある……とはいえ、帰りが夜遅くなるのでどちらにせよ今日一日何をしていたんだと質問責めにされるだろう。
村の外は当たり前のように静かだったが、リラの他にも朝早く起きている人物がいた。大婆である。
彼女は早起きで、冬場以外の天気の良い早朝は太陽を浴びるという日課があった。たまたま目が冴えて初めてその現場を見た時はゴーストかと思ってビックリしたものだ。
リラは大婆の元へと歩み寄り、小さな岩を椅子代わりにして腰掛ける彼女の前に立った。
「行ってくる」
たったそれだけの言葉を大婆に残すと、眠っているのか起きているのかわからない細い目をしていた彼女は瞼を開き、リラへとその視線を上げた。
「ほむほむ。今日が例の日かい」
「あぁ。……ヴィーチェが言っていたことが本当かどうか確かめてくる」
九月五日。ヴィーチェは夏季休暇が終わってすでに学院生活へと戻り、しばらく経つ。そんな今日はエンドハイトの生誕祭が行われるという日だ。そしてその主役であるエンドハイトがヴィーチェに婚約破棄を突きつける決行日でもある。
予めヴィーチェから日程を尋ねようとしたらヴィーチェ本人が夏季休暇最終日に「九月五日には晴れて自由の身よ!」と満面の笑みで自ら情報を漏らしていたため手間は省けた。
せいぜい尋ねたことと言えば「そのパーティーとやらは城でやるのか?」くらいである。その返事も間を置くことなく肯定して返ってきた。
……今さらではあるが、簡単にお貴族様のスケジュール情報を漏らしすぎじゃないのか? この奇妙な関係が人間に知られたら裏切り者だと騒がれることは間違いないというのにヴィーチェは命知らずなのか、ただの考えなしなのかよくわからない。
だが、今はその情報を信じてリラは大婆から借りていたシャドウローブを身に纏った。大柄のリラにとっては丈が短く、フードも少し窮屈である。それでも脱げないように首元の紐をしっかりと結んだ。これで姿は見えなくなり、リラの足元の影しか目視できないだろう。
「行ってきなさいな」
上手く姿が消えたのか、大婆はそれ以上何も話すことは無く見送りの言葉を告げた。あぁ、と一言返せばリラは大婆から借りた大まかな地図を片手に出発した。
広大な森の中はリラにとっては庭のようなものだった。しかし森の外は未知数。なぜなら魔物を討伐する人間が多く生息するのだから。無駄な争いは仲間を失う可能性が非常に高いのだ。
森の外に出たことがないわけではない。森を出た景色は眺めたことがあるし、初めてヴィーチェと出会ったときも森の外まで連れて行ったことだってあるが、森から離れることはいまだかつてなかった。
森を抜けると真っ先に見えるのはヴィーチェの家。距離は離れているが存在感はあるので、それだけでかい屋敷とも言える。……本当になんであいつはあそこから通ってるんだとぼんやり考えながらリラは目的地へと向かって走った。
本当に自分の姿が見えていないか心配になることは多々あったが、途中すれ違う大型の馬車の様子は何も変わらなかったし、たまに徒歩移動する人間に近づいても全く反応はない。
試しに街中へと歩いてみても誰もゴブリンがいるということに気づいていないようだった。
それにしても街は人間が多い。想像していたよりもだ。騒々しくて、密集している。いくら姿が見えないからといって存在しないわけではないので人の集まりに向かえばぶつかるし、人間からしたら謎の空間が目に見えるため、何かがそこにいると気づかれるだろう。密集場所には近づかない方がいい。
しかし人間の数が多いのは知っていたが、まさかこんなにも人間がいたのか。そう思うとやはり面倒なことや無駄な争いは避けたいものだ。
正直なことを言えば見たことのない物や食材を売買していたり、石造りの住居とは違う建物が建ち並んでいたりと気になることが沢山あったが、城へと向かわなければいけないのでそんな街を通過する。
しばらく地図を見ながら目的地へと目指すリラだったが、ようやく城が目視できる距離まで近づいた。とはいえそれは小さく映るため、まだまだ遠いだろう。
早朝に森を出てそれなりの時間は経過したはずだが、なかなかの長距離である。
しかしリラは体力には自信がある。目標となる建物が視野に入るのならあとは一直線に向かうだけなのだから。
「……やっと着いた」
思ったよりも長かった。一直線だと思われたが途中で大きな湖に阻まれて「くそっ!」と悪態つきながらも大きく迂回したこともあり、時間がかかってしまったのだ。けれど日が沈む前には何とか目的地へと到着できた。
目の前には馬鹿でかい建造物。これが国のお偉いさんが住んでる城かと思うと納得もできる。隠れる場所も保管する場所も何から何までありそうだ。
詳しい時間はわからないが、おそらく生誕パーティーとやらはまだ続いているはず。ヴィーチェがよく夜までパーティーが行われていることを愚痴っていたのだから。
城の入口と思わしき大きな扉の前には厳重な警備が敷かれているので、正々堂々と扉を開けて入るわけにはいかないし、見えない何かによる不法侵入と騒ぎになるだろう。
そうなると別の侵入口がないか調べるしかない。
ざっと辺りを調べてみるが入口という入口には騎士団のような連中が建っていて入れそうにない。それならばとリラは上を見上げた。二階のバルコニー部分である。
人の姿もないため侵入経路としては申し分ないため、リラは脚力を使って軽々とバルコニーの手すりへとジャンプした。
よっ、と。バルコニーへと降り立ち、大きな窓扉へと近づく。そこから覗く景色にリラはビンゴだと思った。
煌びやかな衣装を纏う貴族と思わしき人間がうじゃうじゃいたのだ。間違いなくここが王子の誕生日を祝う会場なのだろう。
ゆっくり扉を開けて中に侵入しよう……とドアノブに手をかけたが、ガチャガチャと何かが引っかかっているようで開かなかった。
どうやら中から施錠されていて外からは開けられない様子。リラの力があればこの程度簡単に壊せるのに姿を隠している今、そんな大きな音を立ててはいけないので舌打ちをするしかできない。
どうするかと悩んだが、中の人間達の声自体は窓の向こうからでも聞こえてくる。まだ落ち着いた雰囲気から察するにヴィーチェが言っていた婚約破棄とやらはまだされていないように思えた。
(ヴィーチェの奴は……)
バルコニーの窓越しからではホールの全体までは見えないため、探しづらかったがすぐにその姿を捉えることができた。
金糸雀色の髪と深い緑色のドレスが目を引く。ドレスの色がヴィーチェらしいと感じた。なぜならヴィーチェはリラが好き=同じ肌色の緑が好きなのである。何なら「これはリラ様色のドレスよ!」と言ってくるイメージすら簡単に思い浮かんでくるのだ。ヴィーチェの性格を考えれば恐ろしいほどの確信すらある。
しかし、だ。確かにゴブリンの肌の色と似ているが、ドレスに仕立てられたその色はなぜか綺麗に見えた。生地のせいなのか、ドレスのデザインのせいなのか、ゴブリンをイメージしているどころかまるで森の精に見える。
森に通うときにはあのような動きづらそうなドレスを着てくることがないため、初めて見る姿だ。そしてよく似合っている。やはり貴族らしくしていれば、お嬢様と呼ばれるに相応しいのだ。
そんなヴィーチェの側には同じ年頃の男女一人ずつがいた。おそらくヴィーチェがよく話していた友人だろう。
豪勢な料理も並んでいて、貴族達は立ちながら食事や酒を口にし、談笑している。
ヴィーチェも表情からしてパーティーを楽しんでいる様子であった。
(それなりに楽しんでるな……)
どこか残念に思う気持ちがなくもなかった。なぜならヴィーチェは王子絡みのことは大抵嫌そうにしていたのだ。いや、その王子との関係が切れるから心の底から楽しんでいる可能性もあるが。
しかし本当にヴィーチェは王族との婚約が切れるのだろうか? 大婆の言葉からして今さら個人的な感情で断ち切れるような問題ではないと思えるが。
……それにしても貴族の生活を間近で見れば見るほどヴィーチェは別世界の人間としか思えない。
美味そうな料理だってあるし、華やかな衣装だって着ることができるし、冬は暖かく、夏は涼しい住まいもあるし、世話人だっている。どう考えたって誰もが羨む生活としか思えない。
本当にそれを捨てて村に住むと言うのか? やはり信じられないし、どうかしているんじゃないのか?
ヴィーチェの思考はわかりやすいが、理解できないことの方が圧倒的に多い、と溜め息をついたその時だった。
「お集まりの皆さん、本日は私の生誕パーティーにお集まりいただきありがとうございます」
ホールの中心へと立つ男の声が聞こえてきた。どうやらあの金髪の男が次代の国王であり、ヴィーチェの婚約者様なのだろう。
ひょろそう。それが第一印象であった。
しかしよく見てみれば王子の隣には葉っぱ色のような髪の令嬢が一人立っていた。隣に立つのを許されるくらい近しい関係なのだろう。ヴィーチェがこれまで話していた人物情報によれば一人思い当たる人物がいた。
おそらくあれが王子の想い人とやらで間違いなさそうだ。そしてヴィーチェを危険とも言える森の奥の落とし穴へと突き落とした小娘でもある。
「……」
ヴィーチェに良からぬ感情を抱いていることは間違いない二人が仲睦まじく並んでいる。
婚約者のヴィーチェを隣に置かない王子が堂々と別の女性を側に置いているからだろうか、会場内は少しざわつき始めていた。
「実は私、エンドハイト・オーブモルゲはあることを決心したため、この場を借りて皆に報告したいと思います。私と、婚約者ヴィーチェ・ファムリアントについてです」
婚約者の名を出した瞬間、王子の目付きが鋭くヴィーチェへと向けられていた。ヴィーチェはというと友人達を後ろに下がらせ、名指ししてきたエンドハイトへと顔を向ける。リラから見れば後ろ姿だったのでその表情は見えない。
「ヴィーチェ・ファムリアント! 貴様のほら吹き話及び妄想癖にはもううんざりだ! 今宵貴様との婚約は解消し、私は新たにリリエル・キャンルーズを婚約者とする!」
エンドハイトはヴィーチェへと指を差しながら大きな声ではっきりと告げる。その瞬間、どよめきの声が上がり、騒々しさが増した。
(本当に言いやがった……!)
しかもこの大衆の前で。ヴィーチェが周りからどんな視線を向けられるのかわかってて言ってのけたのかもしれないが、どう見ても恥辱を与えている。
現に周りの貴族どもはいっせいにヴィーチェへと目を向けていた。自分には関係ないと言わんばかりの同情の視線、口元を手や扇子などで覆いながらも隠しきれず歪む唇から発する冷笑の声。それらが全てたった一人の娘に向けられている。
ホールの真ん中でぽつんと立つヴィーチェの表情はやはり見えない。
いくら馬鹿がつくほど前向きなヴィーチェであってもこの空気にはさすがに耐えられないのかもしれない。リラから見ても悪意の塊でしかない現場は居心地が悪いのだ。
そのままヴィーチェを観察するが、彼女の顔が俯き気味なことに気づいた。それどころか少しだけ震えているようにも見える。
「!」
もしかして泣いているのか? その可能性に気づいた時、リラの中で何かが切れた。




