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公爵家使用人は子爵家使用人の情報収集の方法に溜め息をつく

「はぁ……」


 ヴィーチェがジェディース学院二年生に進級し早一ヶ月。いつものように学院へと向かったヴィーチェを見送り、授業を受けているであろうその間に侍女アグリーは少し早い昼食をとるため、朝食の片付けが終わった食堂の厨房を借りてサンドイッチを作っていた。

 彼女の口から溢れる溜め息はサンドイッチを作る過程においてのものではない。彼女が仕える相手であるヴィーチェのことである。

 なぜならここ最近『エンドハイト様の生誕祭にようやく婚約破棄を言い渡されることになったのよ!』と嬉々として語るため。

 とうとうゴブリン以外の妄想癖まで口にするようになってしまったのかという絶望を受けたのだ。


 ヴィーチェに対するエンドハイトの態度はよく知っている。邪険に扱っているし、確かに向こうもヴィーチェと手を切りたいと思っているだろう。

 しかし個人の気持ちでどうこうできるような軽いものではない。次代の国王の体裁もあるし、家柄もファムリアント家以上の相手はいない。

 だから利益があると今の国王が判断したため許された婚約。その王が許さない限り婚約破棄だろうと解消だろうとできないし、そもそも政治的な意味合いがある婚約なのだから、現国王がその繋がりを切ることは決してないのだ。

 エンドハイトが幼い頃の好奇心ゆえに結んだ婚約が今では楔のように離さないのである。

 それなのにヴィーチェは婚約破棄されると語った。つまりこれはエンドハイトと婚姻するのが嫌なゆえに生み出した彼女の妄想なのだとアグリーは判断する。

 それに婚約破棄だなんてヴィーチェにとっては分が悪い対応なのにそれを喜ぶのもいかがなものだろうか。


「随分と悩ましい溜め息ですね」


 すると見知った使用人仲間が姿を現した。ライラ・マルベリーの使用人、アルフィーである。


「アルフィー……そうですね、悩み事は常に尽きませんが今回は頭が痛い問題です」

「その様子ですとヴィーチェ様のことですか?」

「えぇ、その通りです。この先が心配なことばかりですね」


 さすがにエンドハイトから婚約破棄の宣言をされたという妄言を口にしたとは言えず、アグリーは詳細を伏せた。


「私もライラお嬢様のことを思うと気苦労が絶えません。ライラ様に問題はないのに彼女の取り巻く環境が何とも……」


 アグリーが触れてほしくない内容だと察したのか、相手は深く尋ねることはしなかった……が、マルベリー家のことでわざとらしい溜め息を吐き捨てるアルフィーの悩み事の方が深刻かもしれない。


「ライラ様、厄介なお相手に目をつけられたようで……」


 その言葉にアグリーは心当たりがひとつあった。第一王子が再入学制度を利用し、ジェディース学院に入学したのだが、何かとヴィーチェ、ライラ、ティミッドの三人組について回っているそうだ。

 さらにヴィーチェの話によると、アリアス王子はライラに気があるとか。詳しいことはわからないアグリーだが、アルフィーの話を聞く限り事実のようだ。

 しかし気になるワードがひとつ……。


「厄介なお相手、ですか? アリアス様はエンドハイト様より心配りの良いお方かと……」

「それはあくまでも昔、幼少期の頃のお話です。今も同じとは思えませんし、少し狡賢いと思います」


 どうやらアルフィーにとってアリアスは気に入らないらしい。とても不服そうにしている。……正直なところ、エンドハイトに比べると良物件ではあるが、さすがにそれを彼の前で口にするのは憚られた。

 それにアリアスがライラへ懇意にしてくれるのなら傾きかけたマルベリー家も何とか首の皮一枚繋がるのではないだろうか?


「アグリーさんの仰りたいことはよく理解できます。ですがライラお嬢様はアリアス様を後の国王として支持しているようですので、家柄からして王妃になる身分ではないですし、無償で王子から支援を受けたいと思わない方です」


 確かに財政難のマルベリー家に利益もないのにお金をポンッと出すような相手はいないだろう。一人娘のライラを欲する者ならば話は別だが、王族はさすがに身分が高すぎる。

 家柄の釣り合いの問題があるが、それならばと無償で支援しようとするだけでも周りからの注目を浴びるだろう。ライラはそれを避けたいのもあるのかもしれないし、ただ王子に負担をかけさせたくない可能性もある。


「ライラ様は結局アリアス様のことについてどうお考えで?」

「……どうでしょう。満更でもないような気もします……が、何分色々あったもので……」


 今度はアルフィーが言葉を濁す。アリアスとライラが出会ってまだ間もないのに何やら事情があるそうだ。それならば深く聞かないのが礼儀なので今度はアグリーが察して話を広げることはせずに軽く相槌を打った。


「そういえばアグリーさん、リリエル・キャンルーズ男爵令嬢について何かご存知ですか?」


 その名を聞いてアグリーは何とも言えない表情をする。もちろん存在は知っていた。エンドハイトのお気に入りの少女なのだから。

 そのため婚約者であるヴィーチェをそっちのけで二人が一緒になる姿がよく見られる。あまりにも仲睦まじいため、リリエルが婚約者のヴィーチェなのかと思われるくらいだ。


 一国の王子に関することゆえに色んな噂が絶えないのもまた事実。

 エンドハイト様は王家の古いしきたりを取っ払い、ファムリアント家のご令嬢からキャンルーズ男爵家のご令嬢に婚約を結び直すのではないかとか、ヴィーチェ様が二人の仲を妬んでリリエル様を侮辱したとか、色々である。

 そのせいで学院生に仕える使用人達に事の真相を聞かれるばかりだった。

 もちろん、アグリーはヴィーチェの名誉を守るため、エンドハイトのことはわからないけどヴィーチェがリリエルに手を上げることもなければ、侮辱をするなんてもってのほかと答えるが、信じてくれない使用人も半数はいただろう。

 ひそひそと仲間同士で小声で話をしたり、中には「ヴィーチェ様に仕えるからそうとしか言えませんもんね」などと抜かす侍女もいた。

 さすがにカチンときたので、ならばなぜ尋ねてきたのかと問うより先に「それはファムリアント家に対する侮辱と受け取ります。リカルットロ伯爵令嬢に仕えるあなたがそのように仰っていたとこちらも報告をせざるを得ませんね」と告げたら相手は慌てながら否定と謝罪をし、逃げるようにそそくさと去っていった出来事も記憶に新しい。

 ファムリアント家の侍女たるもの爵位の低い使用人であろうと舐められてはいけないのである。

 実際にリリエルと対面することはないので知らないことの方が多いが、ヴィーチェの存在を知っていながらエンドハイトの傍にいるなんてよほど面の皮が厚いとみた。


 それにしてもアルフィーの問いかけはどこか漠然としている。


「何か、とは?」

「彼女の過去とか、ですかね」

「残念ながら詳しくはありませんね。ヴィーチェ様が一度彼女に手紙を送ったくらいしか接触もなかったようですし」


 そう、一度だけヴィーチェはリリエルに手紙をしたためていた。感謝を示さなきゃ! とか言っていた気がする。しかし相手からの返事は特になかったので、公爵家の娘に対して随分な態度だと思ったこともある。


「そうでしたか……ここの使用人仲間に伺ってみてもリリエル様の存在を知ったご令嬢は学院に入ってからという人がほとんどです」

「ということは学院内ではエンドハイト様以外に親しいご友人はいらっしゃらないということですか?」

「友人と言えるかはわかりませんが、リリエル様と会話をする人達は何人かいらっしゃるようです」


 やはりエンドハイトといい雰囲気なので将来的なことを考えてお近づきになりたい令息令嬢や、リリエルを出し抜いてエンドハイトに近づこうと画策する令嬢もいるだろう。


「彼女達伝いで使用人から耳にした話は似たようなものばかりでした」


 いわく、リリエル・キャンルーズはキャンルーズ男爵の一人娘。しかし血は繋がっていない。彼女は男爵の遠い親戚の娘らしく、数年以上前にリリエルの両親が亡くなった際に男爵が親代わりになろうと引き取った。

 何不自由ない暮らしをし、両親がいなくても平凡ではあるが、リリエルはひたむきに令嬢として生きている。そんな中、ジェディース学院にてエンドハイトと出会った━━というのが一般的に知られている話とのこと。


「しかし遠い親戚の娘、というのがまた曖昧なんですよね。このように養女として引き取る場合、貴族ならば身元はしっかりと調べて公表するのがほとんどですが、男爵はそのようなことはしなかった。そのため彼の隠し子なのではないかという話も出ています」

「キャンルーズ男爵は誠実な方だとお耳にしたことがありますが……」

「何が事実かは私にもわかりません。所詮は噂程度のことですので。ですが、どことなく気になる存在だと思いませんか? もちろん悪い意味で。ライラ様も彼女には良い感情を持ち合わせていないようですし」


 確かに気にならないわけではない。ぽっと出の、特に突出したものがない男爵令嬢がなぜエンドハイトに見初められたのか不思議なのだ。……まぁ、そんなことを考えるのは野暮なのかもしれないが。

 せいぜいリリエルは側室におさまるのが妥当ではないだろうか。


「どちらにせよキャンルーズ家のご令嬢は少々礼儀に欠けているかと。貴族ならば爵位が上の者への態度を改めるべきです。一度彼女の使用人と話をつけるべきかもしれませんね」

「リリエル様の使用人……実はいらっしゃらないようです」

「……本当ですか? では身支度などはリリエル様がお一人でなされていると?」

「そのようになりますね。リリエル様の使用人同行書類は無記入でしたし、理由欄には『一人で全てをこなしたいため』と書かれていました。使用人を同行しない令息令嬢なんてほぼいないというか、まずありえないことです」


 ジェディース学院に通う学院生の寮は使用人を一人置いておくことが許可されている。使用人の質が高ければ高いほど、家柄の評価にも繋がるので使用人をつけないわけにはいかない。

 しかしリリエルは……いや、キャンルーズ男爵家は使用人をつけなくてもいいと判断した。なぜなのかはわからない。

 ……しかし、それよりも気になることがある。


「なぜ、アルフィーがリリエル様の使用人同行書の内容をご存知なのですか?」


 書類は学院に提出しているものであり、余所者が閲覧することはできない。なのになぜ彼がその内容を把握しているのか。


「リリエル様の使用人の方とお話したいと思い、名前だけでも知りたいがため少しばかり拝見させていただきました」


 えへ、と悪戯げに笑うアルフィーにアグリーは絶句する。それはあまりにも大胆であり、犯罪と言ってもいい行為だ。


「……なぜそれを堂々と私に話すのですか?」

「情報共有です。それにアグリーさんなら信用できますので」


 やめてほしい。そんな共犯者にするようなことは。そう言いたいが、目の前の男はあくまでもライラのために動いたのだろう。


「バレたら容赦なく突き出しますよ」

「はい。ご迷惑をかけるようなことはしませんので」


 ひとまずその言葉を信用するしかない。アルフィーはヴィーチェとはまた違った意味で手を焼く存在だとアグリーはまた一つ溜め息をこぼした。


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