侯爵令息は第一王子の提案に乗る
ティミッド・スティルトンはここ一週間頭を悩ませていた。それは次代の国王に一番近い王位継承権第一位のエンドハイトについてだ。
一週間前、エンドハイトが男爵令嬢のリリエルに愛を囁き、手の甲へと唇を落とした現場に運悪く出くわしてしまったのが全ての始まり。
婚約者のヴィーチェという者がいながら何という裏切り行為なのか。……いや、やっぱりかという納得の気持ちの方が大きいので意外性は全くなかった。
エンドハイトはリリエルと親密な仲だということは万人の知るところ。遅かれ早かれヴィーチェとエンドハイトが破局するのは目に見えていた。
しかし一国の王子が政治的にも絡んだ令嬢との婚約をこうも簡単に切っていいのだろうか? 正直なところ信じられない。
ファムリアント家の領地は宝石採掘とその加工業、そして衣類産業は国で一番発展していると言っても過言ではないので、エンドハイトが婚約者にしなければヴィーチェは数多の令息から婚約者として声をかけられただろう。
婚約解消なら世間の風当たりはまだ強くない。しかし一方的な婚約破棄となるとそれを受けたヴィーチェのこの先の未来はどう考えても明るくはないだろう。ティミッドはそれを憂いてしまう。
あんなにも眩しく慈愛に満ちた女神に出会えるなんてこの先ないに等しい。それだけ彼女は素敵な女性だ。
そんなヴィーチェの婚約破棄される未来を知ったティミッドは授業にも集中できなくて、落ち込むばかり。
「ティミッド様、最近元気がなさそうに見えるけど何かあったのかしら?」
「ヴィッ!?」
はぁ、と溜め息を吐いた瞬間だった。魔物学の授業中だというのにヴィーチェが顔を覗き込んできたのだ。それに驚きの声を上げるも、すぐさまティミッドは自分の口に手を当てて周りを見回す。……どうやら授業は終わっていて、教室で受講した生徒は疎らになっていた。
ホッと安心したが、やはり授業に集中できていないことを思い知る。せっかく二学年目に入って魔物学IIを受講しているのに勿体ないことを。
しかも魔物学IIはヴィーチェも取っている。また一緒の授業を受けられる嬉しさはあるが、今のティミッドにとっては何とも言えない心境でもある。
「す、すみません、ヴィーチェ様……少し考えごとをしていまして……」
「まぁ、そうだったのね。私で力になれるなら何でも言ってちょうだいねっ」
眩しい。何とも眩しい笑顔だった。どんな宝石よりも輝かしい彼女の存在はもはや国の宝である。しかも最近はさらにその笑顔が眩しかった。何か良いことでもあったのだろうか。
しかし彼女が笑顔でいればいるほど、後に起こる婚約破棄という現実が待っていると思うとティミッドは胸が痛い思いだ。
エンドハイトの生誕祭にてヴィーチェは婚約破棄を受ける。きっと彼女は悲しむだろう。悔しい気持ちになるかもしれない。この笑顔が曇るだなんて考えたくないけれど、もはや避けられない事実。
どうすれば彼女が傷つかずに済むのかわからない。わからないけど、どうにかしたい気持ちでいっぱいだった。
「は、はい……その時は、是非……お願いします……」
本人に相談するわけにもいかないのでティミッドは言葉を濁すことしかできなかった。
エンドハイト王子が生誕パーティーにて婚約破棄をするという情報も彼女に告げるべきか悩んでしまう。
エンドハイトのことだ。パーティーの参加者の前で堂々と婚約破棄を突きつけるかもしれない。何せ主役は彼なのだ。みんな彼から目を離すことはないだろう。
周りから色んな感情が入り交じった視線を向けられることは間違いない。
そんな場所へと彼女を向かわせたくはないし、知らせてあげれば当日は欠席するという手もあるだろう。
しかし、伝えるにしても「エンドハイト様が生誕パーティーの日にヴィーチェ様に婚約破棄をすると仰っていました」なんて正直に言えば絶望するだろ。傷つく表情は見たくない。
それどころか嘘を言っているなんて思われたら自分が嫌われてしまう。そう考えると言うに言えなくなってしまった。ヴィーチェに嫌われてしまったらティミッドは生きてはいけないのだ。だから彼女にとってマイナスになるような言動は避けたかった。
「何か悩んでるんだって?」
「!!」
その日の授業が終わり、男子寮へと帰ろうとしたティミッドの前に第一王子アリアス・オーブモルゲが現れた。突然王族に声をかけられ、さらに自分の前を立ち塞がるアリアスにティミッドは驚くものの声が出なかった。
とはいえ問いかけられてしまったので返事をしないわけにはいかなくて、口をはくはくさせながら彼がなんと言ったのか必死に思い出してからティミッドは言葉にする。
「なっ、なっ……なぜ、そ、そんなことを……!?」
「ヴィーチェ嬢に頼まれてね。『ティミッド様が何か悩んでらっしゃるみたいなの。同性なら相談してくれるかもしれないからアリアス様よろしければお話してくださらないかしら?』って」
にこやかに話してくれるアリアス。ヴィーチェがそこまで自分のことを気にしてくれていたのかと思うと胸が高鳴った。彼女の優しさは女神以上である。
しかし、しかしだ。同じ学院生で後輩とはいえ相手は王族である。しかも年上。いくら何でも畏れ多いというか、そんな相手にお願いができるヴィーチェは相変わらず度肝を抜かれるほど度胸がある。
周りにいた学院生達の注目の的となってしまうだけでなく、ヴィーチェの頼みで第一王子が動いたという情報まで公となったので周囲はざわつき始めていた。
「ヴィーチェ嬢もティミッドくんも私の友人だからね。せっかくだから話してくれないかな?」
「え、えっと……そんな……アリアス様に聞いてもらうほどではないので……」
というかこの場で話せるわけがない。ちらりと周りを見ても何かあったのかと言わんばかりに野次馬が集まってくるのだ。仕方がない。目の前にいるのはアリアスなのだから。
ただでさえキラキラした王族オーラは隠しても隠しきれないだろう。背も高くて白銀の髪はとても美しい。同じ人間とは思えないし、ヴィーチェと違った眩しさだ。というかむしろ苦手な部類である。
だから彼には早く諦めてもらうためやんわりと断ろうとするも、アリアスは小さく笑いながらティミッドにひそひそ話するように口元に手を立てて小声で話しかけた。
「大丈夫だよ。大体察しはついている。ヴィーチェ嬢とエンドハイトのことだろう?」
「!?」
なぜそれを? なぜわかったのか? そう瞳で訴える。アリアスもティミッドの言いたいことがわかったのだろう。「場所を移そう。相談は人に聞かれたくないものだからね」と優しい声色で告げた。
(……結局ついて来てしまった)
アリアスに言われるがまま彼について行き、向かった先は男子寮のアリアスの部屋。寮の部屋にはそれぞれ花の名前が掲示されていて、アリアスの部屋には『ヒペリカム』と書かれていた。
ヒペリカムとは黄色の花を咲かせ、すぐに実がなる花。その実は赤だったり白だったりピンクだったりと色とりどりである。
花言葉は悲しみは続かない、きらめき、という意味を持つ。同じ緑肌病を患い復活を成し遂げた王族の彼にはぴったりの花言葉に思えた。
ちなみにティミッドの部屋の花の名前は『シクラメン』である。花の色によって花言葉は違ったりするが、シクラメン全般の花言葉には遠慮、内気、はにかみ、など。
自分に当てはまらなくもない花だけあって親近感を持ったのはここだけの話。
「さぁ、座ってよ。お茶を用意するから」
「……え?」
まさかの言葉にティミッドは耳を疑った。第一王子がティミッドのためにわざわざ椅子を引いたのだ。それだけじゃなくお茶まで用意をすると言い出すのだからティミッドは混乱する。
「え、あ、なんでっ? ア、アリアス様がそんなことする必要なんて全くないじゃないですか?」
「そんなことはないよ。ティミッドくんは友人だけどお客様でもあるからね。もてなしは必要だからさ」
だから座ってよ、ともう一度座るように促されてしまったらティミッドは断れず、おずおずとアリアスの引いた椅子に腰を落とした。……ほんの少しだけ椅子を引いて転ばせる、という悪戯だったらどうしようと考えたが、そんな心配は杞憂に終わる。
しかし王子に椅子を引かせるなんて無礼にも程があるのでは? 下手をすれば不敬罪になってしまう。そう思うとティミッドの心臓は緊張で鼓動が増した。胸元をぎゅっと掴みながら大量の冷や汗を流す。
「じゃあ、待っててくれ。すぐに用意するよ」
張り詰めたティミッドとは違い、アリアスは爽やかな表情で部屋の外に出て行った。彼の言葉通りお茶を用意すると言うのならわざわざ厨房に向かい、湯を沸かしに行っているのだろう。
……もしかしてここは自分が湯を用意すると言った方が良かったのだろうか。今さら気づいたところで部屋を出たアリアスを追いかけるには遅すぎた。
……なぜ、自分は第一王子に椅子を引かせたりお茶を用意させているのか。いや、進んで行っているのはアリアスなのだが。
そもそもそういうのは使用人の仕事では? そう気づくもアリアスの部屋に使用人の姿はない。王子が使用人を寮に連れてこないわけはないのに。
念のために座ったまま辺りを見回すが、やはり使用人の気配はない。
不思議に思いつつも未だ緊張は解れないまま、しばらくしてからアリアスは戻ってきた。
「待たせたねティミッドくん。お茶の準備が整ったよ」
彼の手にはティーポットとティーカップ。そして軽く摘めるようにと用意したのか、クッキーも乗っていた。それらをティミッドの目の前へ並べ、空のカップに紅茶まで注いでくれる。気づけばお茶会みたいな状態になっていた。
「あ、あの、使用人の方はいらっしゃらないのですか?」
「ティミッドくんの相談に乗るために今出てもらっているんだ。その方が話しやすいだろう?」
そう、なのかはわからないが、王子が使用人の代わりに動くくらいに気を遣ってもらうほどだろうか?
疑問に思いながら用意してもらった紅茶を一口含む。王子が手ずから用意したとはいえ、味は期待していなかった。しかしなぜか美味しいのだ。まさか紅茶の準備に慣れているというのか? 王子だというのに!? と、本日何度目かの驚きをする。
……というか、ヴィーチェに頼まれたとはいえ、いつ使用人に出てもらうように頼んだのだろうか?
ヴィーチェからお願いを受けてすぐに使用人に伝えようとしても一度寮に戻らなければならない。授業を終えたばかりであろうアリアスにそんな時間はないはず。もしかして最終の授業がなかった可能性もあるのだろうか?
結局どれだけ考えてもティミッドには理解できないので考えることをやめた。
「さて、早速本題だけど、弟とヴィーチェ嬢の婚約について君は悩んでいるんだろう? エンドハイトがヴィーチェ嬢との関係に何やら決意したようだからね」
「……はい、エンドハイト様が自分の生誕パーティーにてヴィーチェ様との婚約を破棄すると……」
そこまで知っているのなら……と、ティミッドはポツポツとアリアスに悩みを吐露した。
婚約破棄を突きつけられたヴィーチェのことが心配で仕方ないと。そう全て語った後、アリアスは絶やすことのない笑みのままあっけらかんと答えた。
「そんなに心配ならティミッドくんがヴィーチェ嬢を助けたらいいんだよ」
「え?」
「前もってヴィーチェ嬢に話すのもありだけど、彼女の出欠席に関わらず婚約破棄は避けられないのだから、どうせなら何も知らない状態で婚約破棄を突きつけられ、傷ついた令嬢の前に君が出るんだ。そして婚約を申し込むといい」
「え、えっ!? ぼ、僕がっ!?」
「捨てられた彼女が他に良縁を結べるとは思えない。それなら親しい相手との婚約の方がヴィーチェ嬢の負担も軽いだろうし、後ろ指を差されることも多少は減るだろう。それにティミッドくんも彼女のことが好きだよね? 悪い話じゃないと思うけど」
一体何を言い出すのかと思った。しかし彼の言う通り、悪い話どころか嬉しい話であり、チャンスとも取れる。
歳の離れた貴族の後妻になるよりも、どこの馬の骨とも知れない相手よりも、一番納得できる。
そもそも彼女を愛することや大事にする保証がない人間なんかに任せられないのだ。それならば自分がヴィーチェの隣に立ちたい。
「エンドハイトにキツい言葉を言われるかもしれない。そして落ち込む彼女の前に現れたティミッドくんが婚約を申し込めばもはやヴィーチェ嬢の中では英雄のような存在になるだろう」
「英雄……僕が……ヴィーチェ様の……」
彼女の助けになれるのなら、そして彼女の隣に立てるのなら。婚約破棄される最悪な場を己の手で最高なものに変えることができる可能性を想像し、ティミッドは強い瞳をアリアスに向けた。
「僕、やりますっ! ヴィーチェ様を助けたいですっ」
「うん、いい目だ。私もヴィーチェ嬢に恩はあるから幸せになってもらいたいんだ。その後のことは私もバックアップするから安心してほしい」
その言葉がさらにティミッドを後押しする。絶対にヴィーチェを助けよう。絶対に彼女を幸せにしようと固く心に誓った。




