第二王子は公爵令嬢に宣言する
「リリエル!」
庭園のいつもよく会うベンチに彼女の姿があった。運が悪いと思っていたが、最後の最後の運を取り戻した気分である。
「エンドハイト様……?」
驚いた双眸がエンドハイトへと向けられる。その表情さえも愛しい。そんな気持ちを押し殺しながらも彼はリリエルの目の前に立ち、今まで口にできなかった言葉をようやく彼女に伝えようと決心した。
「リリエルっ……私はそなたのことを誰よりも愛している……!」
「!」
ずっと婚約者という枷によって彼女に想いを告げることは憚られていた。婚約者のいる男の告白なんてリリエルに失礼だし、信用してくれるかもわからない。
ヴィーチェとの関係さえ切れたらリリエルに求婚できるのに。何度もそう考えていたエンドハイトはアリアスの後押しもあり、今こそ自身を成長させる時だと考えた。
「お、お気持ちはとても嬉しいですが……エンドハイト様にはファムリアント家のご令嬢という素晴らしい婚約者がいらっしゃいます……」
エンドハイトの告白にリリエルは不安げな表情を露わにした。もちろん、彼女がそう答えるのも予想している。
「私の生誕パーティーにてあいつとの婚約を破棄させてもらう。そして新たな婚約者として……リリエル、君を皆に紹介したい」
エンドハイトは膝をついて、リリエルの手を握った。その瞳は真剣そのもの。誰にも負けない彼女への想いの強さは熱となり、握るリリエルの手にもその熱が移っているだろう。
「いけません、エンドハイト様っ……それは国王様の怒りに触れてしまいます……!」
「父上に従ってばかりでは国のトップには立てない。父を説き伏せてこそ私は次期国王として認められるだろう」
もしかしたらこれは父上による試練かもしれない。そんな気さえした。
父の意見を素直に聞くだけでは王に相応しくない。自分の意見を、望みを訴え、通さなければ本気として受け取ってもらえないだろう。
「私を信じてくれ、リリエル。妄言を口にする異常な女よりもそなたの方が私の隣に、そして未来の王妃に相応しい。リリエルのそのひたむきさや愛嬌は周りの者達も支持してくれるだろう。どうか私と国を治めてはくれないか?」
今までにないほどエンドハイトの心臓は緊張で鼓動が増した。断られたらどうしたらいいだろうか。そんな不安も抱いてしまう。
エンドハイト・オーブモルゲは初恋なんてこれまでしたことがなかった。
幼少期から出来の良い兄へ皆が注目するのを嫌というほど見てきたからだ。どの令嬢もアリアスを狙っているのがよくわかる。
たまに自分へと寄ってくる女がいると思ってもみんなアリアスに近づきたいがためにエンドハイトを利用しているだけだった。
しかし兄が不治の病を患って王位継承権を剥奪された瞬間、みんながみんな目の色を変えてエンドハイトに媚びを売り始める。反吐が出る思いだったが、悪い気はしなかった。とはいえ王妃の座が欲しい女ばかりで心を動かされることはない。
だからこそ初めてヴィーチェ・ファムリアントとお茶会で出会った時は初めて見るタイプの奴だと興味を抱いた。
最初はゴブリンの話をする変な令嬢がいるという噂が茶会に流れたのが始まりだったので、どんな奴か対話を試みてみれば想像よりも愉快な女だった。
他の令嬢とは違うから、そして作り話が面白かったから。それだけの理由で婚約を結んだが、それ以上の感情を抱くことはなかったし、むしろ未だに妄想を振り撒くため印象は悪くなるばかり。
ヴィーチェ・ファムリアントは口を開く度にゴブリンの話しかしなかった。もっと他に面白い話はないのかと苛つくくらいに。確かにそれを強要したのはエンドハイトではあるが、本当にゴブリンの話が尽きなかった。だからエンドハイトの方が先に飽きてしまったのだ。自分の気を引くための作り話はもう沢山だった。
そもそも好きになるという感情が湧かないため、どんなものか理解できないでいたからヴィーチェならもしかして、と思ったことがあったけど、それもつかの間である。
結局どんな女性にも芽生えることのなかった感情が初めてリリエルにだけ発芽したのだ。
初めて高鳴る胸、もっと話したいという欲、毎日思い浮かぶ存在、全ての時間を彼女に捧げたくなり、名前を耳にするだけで反応してしまう。
初めて、愛しいという気持ちを理解した相手がリリエルだった。
少し控えめに発する唇すら愛らしい。自分を映すその瞳も永遠に己だけに向けてほしい。自分と同じ欲をリリエルにも抱いてほしい。
リリエルに対する想いは日に日に膨れ上がった。それが今爆発したのだ。
「……本当に、私でよろしいのですか……? 後悔をなさったりは……」
「私は本気だ。リリエル以外考えられない。だからどうか頷いてほしい」
懇願に近いものだった。真剣な気持ちをリリエルに伝えたくて仕方ないエンドハイトは握ったままの彼女の手に無意識の力が入る。
そして彼の想いが届いたのか、リリエルははにかみながらゆっくりと頷いた。それを見るや否や、エンドハイトの表情は喜びを隠せないでいた。
「ありがとう……! この先一生リリエルを幸せにすることを誓おう」
嬉しさのあまりエンドハイトはリリエルの手の甲へと口付けた。本当は彼女の唇に触れたかったが、今はまだ婚約者のいる身、大胆なことはできない。
その時だった。ドサドサッと物の落ちる音が聞こえたため、エンドハイトは瞬時に立ち上がりリリエルを守るように背を向けては音のする方へと睨んだ。
「ぁ……あ……」
「貴様は……」
どうやら学院の生徒がエンドハイトとリリエルの密会に驚き、数冊の本を落としたのだろう。しかし見覚えのある顔だった。どこで見たのかと思考を巡らせるとエンドハイトはすぐに思い出す。
(確か奴はヴィーチェの取り巻きである元ゴブリン病を患ったティミッド・スティルトン……)
ヴィーチェと関わりがあるというだけで、こんな時もヴィーチェに邪魔をされたという筋違いの苛立ちがエンドハイトの中で湧き上がる。
「覗き見とはいい趣味だな。スティルトン家というのはよほど品がないらしい」
「ぼっ、僕はたまたまた通りかかっただけで……邪魔にならないように、引き返そうとしたら……あのっ、その、殿下がヴィーチェ様という婚約者がいながら先ほどのような行為をなさって……!」
おどおどしながら話す態度だけでも不快だというのに、生意気にも批判する言葉を向けられ、エンドハイトは眉の皺を深めた。
「私にとっては邪魔な存在だ。あいつとも私の生誕パーティーで婚約を破棄するので問題はない」
「ヴィ、ヴィーチェ様の名誉を傷つけるおつもりですかっ?」
「名誉に傷つける行為をしているのは本人だろう。愛想を尽かして当然だとは思わないのか?」
王家の婚約は簡単に破棄するものではない。しかし相手側に落ち度があれば別だろう。妄想妄言を口にするような精神的にも異常と言えるヴィーチェはどう考えても王妃に相応しくない。それを許容することがおかしいのだと、エンドハイトはそう思った。
「ですがっ、婚約破棄ではなく、えっと、せめて解消にしていただかないと……。それではヴィーチェ様の再婚約が難しくなり、ます……」
婚約破棄と婚約解消では世間に与える影響が全く違う。婚約解消は互いに合意したものであり、納得ゆえにできるもの。周りも二人の新しく進む道を歓迎することが多い。
しかし婚約破棄は一方的に告げるもので、告げられた側は相手に捨てられるほど非があると言っても過言ではない。そうなると醜聞のある令嬢の再婚約も難しく、できたとしても父親ほど歳の離れた貴族の側室が妥当だろう。
「何を言ってるんだ? あいつはゴブリンが好きなのだからゴブリンと添い遂げたらいいだろう? 常日頃からそのような妄言を発してるのだからな」
エンドハイトは鼻で笑った。青ざめる様子のティミッドに時間を取られたくはないため、彼はリリエルへと目を向け「そろそろ行こうか。寮まで送ろう」と声をかけてリリエルの手を取り、ティミッドの前から立ち去った。
「エ、エンドハイト様っ、いくら何でもファムリアント家のご令嬢にそのような仕打ちはよろしくないのでは……」
リリエルの手を引き、学院を出たエンドハイト。しばらくして申し訳なさそうに口にしたリリエルの言葉を聞いて、彼は歩みを止めた。
「相変わらず優しいな。そのような寛大な心を持てるのは素晴らしいことだが、そればかりでは付け上がる奴もいるだろう。偽りばかり口にする者など情けをかける必要はないのだ」
「エンドハイト様がそう仰るのなら……」
リリエルは心根が美しいが物分りもいい。理由を話せば首を縦に振ってくれるのだから。けれどやはり彼女のことだ。婚約者から自分を奪ってしまったと心を痛めているのかもしれない。
「リリエル、その優しい心を痛める必要は全くないんだ。全て私が判断しただけなのだからな。そなたは唯一私の心を奪った存在なのだからむしろ堂々としている方が望ましい」
「善処します……!」
ポッと紅潮させるリリエルの表情にくすりと笑う。彼女と二人でいるとこうも心穏やかになれるのだな……そう思った瞬間だった。
「まぁ! 仲睦まじい様子で何よりだわっ」
「……」
面倒なことというのは次々と起こるらしく、エンドハイトは訝しげに聞き覚えのある声の主へと目を向けた。なぜかヴィーチェ・ファムリアントが二人の前に現れたのだ。
しかも仲睦まじい様子が何よりという言葉まで発してきた。嫌みなのか? と思わずにはいられない。
「貴様が何用でここにいる?」
「私、手紙で婚約について話がしたいと書いたはずなのに、あなたの使用人からの伝言が『時間がないので会えない』という返事だったのでおかしいと思って、使用人の方にエンドハイト様のいそうな場所を教えていただき、こうして探しに来たのよ」
何がおかしいというのか。婚約についての話というのは、婚約期間はいつまでなのか、いつ挙式を上げるのかという意味だろう。そんな話を誰がするというのか。
「学院卒業までに婚約状態についてはっきりさせたいのよ。このままだと私だって困るもの」
ふぅ、とわざとらしい溜め息を吐き出される。その態度が癪に障ったエンドハイトはキツくヴィーチェを睨みつけた。
「そんなにはっきりさせたいのなら決めてやろう! 貴様は私の生誕パーティーにて婚約を破棄してやる!」
「!」
その表明にヴィーチェは驚いたようで口元に手を当てた。事の重大さに気づいてももう遅い。
「エンドハイト様、それは本当なのですねっ?」
「当然だ! 今さら泣いて謝ったところでこの決定は覆さないからな!」
突き放すように告げると、エンドハイトはリリエルにだけ優しい声色で「行こう、リリエル」と声をかける。戸惑う表情の彼女に再度手を引いてヴィーチェの横を通り過ぎた。
一度だけヴィーチェの様子を確認しようと後ろを振り返ると、僅かに身体を震わす背中が見える。
泣いたところでもうどうにもならないのに。愚かな女だと馬鹿にするように胸の内で笑ったエンドハイトはすぐさま彼女から視線を外したのだった。




