第一王子は公爵令嬢の考えが読めなかった
アリアスは理解できなかった。ヴィーチェとライラはとても親しい間柄だと下調べした時から知っていたのに、なぜ自分の提案を断るのかわからない。
ライラの幸せを願っていないのか? もしかして仲のいいフリをしているのか? ちゃんと調べたつもりだが、もしかしてずっと隠していたのか?
次々と湧き上がる疑問。ひとまずヴィーチェから理由を聞かねばならないとアリアスは口を開いた。
「……なぜ、断ると?」
「ライラがそんな条件を飲むわけないもの」
「?」
まだ何かが足りないのだろうかと、アリアスは思考を巡らせる。するとひとつの可能性に気づき、彼は「あ」と呟く。
「もしかしてライラ嬢の母親のことかな? 母娘関係は良好だと知っているよ。もちろん、ライラ嬢の大切な彼女への援助は惜しむつもりはないから安心してほしい」
ライラのことだけじゃなく、彼女の母親の心配までして断ると言ったのかもしれない。それについてはアリアスも抜かりはない。ライラの大切に思う人を蔑ろにするつもりはないのだ。
「そういうことじゃないのよ。アリアス様はまだライラのことを理解してらっしゃらないのね?」
顔には出さないがその言葉に少しばかりカチンときた。まさか公爵令嬢にマウンティングをされているとは思わなかったから余計に。
「私はこれでも長年ライラ嬢と手紙をやり取りしてきたんだ。それなりに彼女のことは理解しているし、寄り添える男だと自負しているんだけど、何が理解できないと?」
「ライラはとても真面目な子よ。見返りもなく与えられてばかりなのは苦手なの。施しが大きければ大きいほどね?」
施しも何も、これはライラの窮地を救うための提案である。
没落寸前の友人を助けるつもりはないのか? ヴィーチェ・ファムリアントは薄情な娘なのか?
そう問いかける前にヴィーチェはさらに話を続ける。
「そもそも、ライラのことを私達が勝手に決めるべきじゃないわ。もちろんライラが望むのなら私はライラと義姉妹になるのは構わないわよ? でもライラは頷かないわ」
「それを説得しようとは思わないのかい?」
「ライラが納得しないもの。それに私はライラを養子にするより侍女にするつもりでいるわ」
「侍女……だって?」
ライラを侍女にさせて働かせるつもりと言うのか? しかしそれでは困る。
「君だってライラ嬢のことを勝手に決めているじゃないか。それに爵位の問題も解決しない」
「私はライラにどう生きるかの道としてひとつの提案をしているだけよ。彼女が他にやりたいことがあるなら断っても構わないもの。だってそのために沢山勉強をしているのだから」
普通に考えれば平民として働くより公爵家の侍女として働く方が給金もいいだろう。よほどのことがない限り侍女の道を選ぶと言える。
しかしそこへさらに第一王子の妻という座があるのなら、友人の幸せを考えればそこを勧めるものではないのか? なぜヴィーチェはこうもアリアスとライラの婚姻について非協力的なのか不思議で仕方ない。
もしかして望んでいないエンドハイトとの婚約を結んでいるため家族である自分にその怨恨をぶつけられているのだろうか。
「それにアリアス様、勘違いをしないでいただきたいのだけど、私はあなたの手助けをするんじゃなくてあくまでライラの手助けをするのよ。ライラを妻にしたいのなら私に頼るのは格好がつかないのでは?」
そのように言われて何も感じないと言えば嘘になる。少しばかり癪に障るが、ヴィーチェの言葉も否定できない。
座席から立ち上がり、向かいに座るヴィーチェを見下ろす。表情はあくまでも柔らかく。けれどアリアスにもプライドというものもあり、公爵令嬢に言われっ放しなのも悔しいところだ。
そんな彼女の顔の横、クッション性の背もたれへと両手を突いて腕で囲うように逃げ場をなくした。
「君が傷物になってもいいのかな?」
脅しのつもりだった。別に本気で行うつもりはこれっぽっちもない。マウンティングをされた仕返しのつもりだ。もし脅しが利いてライラを養子にする案を飲んでくれたらありがたいことではあるが━━。
と、思ったのもつかの間だった。小さく笑みを浮かべたヴィーチェはアリアスの右肘と右手首に両手を当て、手早く関節を逆に回した。
痛みに顔を歪めて腕を離した瞬間、ヴィーチェの手がアリアスの首を勢いよく掴んだ。表情は始終変わらないまま。
「っ……随分と手荒いご令嬢だ」
「あら、私は自分の身を守っただけだわ。そもそも先に仕掛けたのはそちらではなくて?」
「しかしこれは少々過剰ではないかい? 王族に手を上げるのは不敬だろう?」
「まぁ。私はただ学院で習った護身術を使っただけよ。それに体格差があるのだから、また同じ目に遭わないために抑止させることはいけないことなの?」
常識で考えれば自分の身を考え、このような行動に出るはずがない。それだけヴィーチェの怒りを買ってしまったのかと普通は思うところだ。
しかしヴィーチェに怒りは見えない。上手く隠していると思いたいのだが、どうも声の抑揚にそれらしいものを感じられなかった。
怒りというものは例え小さなものでも抑えようとすれば少しばかり声が低くなったり、素っ気ない言葉になったり、張り付くような笑みを作ったりと多少なりとも変化がある。王族の人間だからこそ、特にアリアスは心の機微に敏感であった。
そんなアリアスの目から見ても今のヴィーチェはただ自己防衛しただけであり、言葉通りに問いかけていただけであると判断できた。
彼女はもう少し後先を考える人間だと思ったが、どこか野性味を感じる。本能なのか。それともその“野性”の手本となる存在が彼女の近くにいたのか。自分の身に危険が迫った時の対処法に慣れている。
細腕で手だって小さいはずの令嬢に掴まれた首は、こちらが少しでも抵抗すると圧迫してくるのが目に見えた。どう考えても自分の方が簡単に払い除けることができる自信があるのに、それすらも簡単に押さえつけられる未来が頭をよぎる。
アリアスは目の前の令嬢を見て末恐ろしく感じ、冷や汗を流した。何かが秘められているような得体の知れない恐怖を抱くほどに。しかしそれはただの勘としか言えない。
将来的には王妃になるのだから護身術を身につけるくらいは有り得るだろうが、しかしヴィーチェの様子を見る限り守備よりも攻撃に特化した力を感じる。
ヴィーチェ・ファムリアントは一部を除けば優秀だと聞いていた。護身術学の講師として派遣された王家所属の銀狼騎士団団長のオルドリエも絶賛していたと聞き及んでいるが、どう見ても護身術学を習っただけで得られる気迫と力ではない。
ヴィーチェは魔法を使えないという情報もある。だから身体強化魔法も使っていないだろうし、学院生は基本的に魔道具の所持も認められていないため身体強化の魔道具だってあるはずがない。
……もしかして彼女は人知れずその身を鍛えているというのか? 公爵家の令嬢がなぜ?
「もしかしてアリアス様は王族なら何をしても許されるというエンドハイト様同様のお考えの持ち主なのかしら?」
「いや、そのつもりはないんだ。申し訳ない、全面的に私が悪かったと謝罪するよ。ヴィーチェ嬢に手を出すつもりは毛頭ないし、ちょっとした冗談のつもりだ」
潔く非を認め、アリアスは両手を上げる。軽い脅しのつもりだったのにまさか立場が逆転するとは思っていなかった。
すると首を掴んでいたヴィーチェの手が離れる。思いの外素直に解放してくれたのでアリアスも胸の内で安堵する。
「そのような冗談は度が過ぎているわ」
「そうだね、いい勉強になったよ。元病人の引きこもりだったから大目に見てくれるとありがたいかな」
誰だ、ヴィーチェ・ファムリアントは優秀ではあるがお花畑思考の持ち主と言った奴は。これはもう令嬢の皮を被った魔物みたいなものだ。悪意がないのがまた厄介なところである。
「そのようなことはご自分で言うものではないわ」
「うーん、何を言ってもヴィーチェ嬢の不服を買ってしまいそうだ」
「そうね、ライラのことを思い必死になったってことで一度は目を瞑るけど、これ以上アリアス様の印象を悪くなるようなことをすればライラに相応しくないと判断するわ」
「それはそれは……肝に銘じておくよ」
きっと彼女を怒らせてはいけない。敵だと判断された瞬間に隠された牙を向けられる可能性がある。
王族の前であろうと恐れるものが何もないと言わんばかりのヴィーチェの姿勢は高潔さも感じるべきなのだけど、やはり言葉にできない恐ろしさを秘めているような気がしてならなかった。
ライラはとんでもない相手を友人に持っているようだ。
「それにしてもアリアス様はエンドハイト様と同じく意気地なしなのね」
「……理由を聞いても?」
「だって本当にお好きで一緒になりたいのなら全てを投げ捨てる覚悟は必要でしょ? ライラは平民として生きる覚悟はあるのにアリアス様は王位継承権は捨てても王族の地位は捨てないんだもの」
「つまり私に平民になれと?」
「ひとつの可能性として提示しただけよ。私だって好きな人のために身分も種族も捨てる覚悟は持っているわ」
いくら何でも暴論である。簡単に王族を捨てられるのなら苦労はしない。これでも自分はそれなりに国や民を重んじているのだから、病のせいで今までできなかった王族としての役割は果たしたいのだ。
「それはダメ、あれはしたくない、他人に頼るばかりでは何も得られないのだから最終的にアリアス様がどうするのかを考えてご自分で解決できることを探さなくちゃ。もちろん意中の相手であるライラの望みが一番なことを忘れずに」
「ははっ。ヴィーチェ嬢の言う通りだよ。……確かに自分でどうにかしないと格好つかないだろうし、よく考えるなり腹を括るなりするよ」
「えぇ、期待してるわ」
お世辞、というわけではなさそうだ。良くも悪くも素直なのか、それとも彼女なりに考えた上での発言なのか。
巷では妄想ゴブリン令嬢なんて呼ばれているが、侮っていたらどうなるかわかったものではない。
「さて、約束の時間はとっくに過ぎてると思うので帰らせてもらうわ」
「あぁ、すまないね。足止めさせてしまって」
体感からして約束の十分はとうに過ぎているだろう。元々ヴィーチェがすんなりと要求を飲んでくれると思っていたための時間設定だった。まさかこうも予想が外れるとは思っていなかったが。
アリアスは馬車の扉を開けて先に外へ出ると、ヴィーチェの前に手を差し出した。彼女はその手を取り、優雅に地面へと降り立った。
「ありがとう」
「どういたしまして。今日の非礼に対するお詫びはまた後日に」
「全然気にしてないわ。そんなことよりもエンドハイト様に後押ししていただけるとありがたいのだけど」
「後押しとは?」
「エンドハイト様とその想い人のキャンルーズ様との仲についてよ」
うふふ、と笑いながらさも当然のように語る。エンドハイトが婚約者のヴィーチェではなく男爵令嬢に首ったけなのはアリアスの耳にも届いていた。
リリエル・キャンルーズに王妃の座を譲るのか、それとも彼女を側室として許すのか、どちらにせよ寛大だと思わずにはいられない。
いや、ライラの手紙によれば『友人は円満な婚約解消を望んでいる』という話だったな。名を伏せられていたがヴィーチェのことでまず間違いない。
「それでいいと言うのなら一度だけそれとなく言ってみるよ」
「えぇ、お願いね」
それくらいなら、という軽い気持ちで引き受けた。それに弟エンドハイトがどのように動くのかも見ものである。
できれば次期国王となるべく相応しい言動を期待したいが、はたしてどうなるか。アリアスは心の中で小さく笑った。




