子爵令嬢は第一王子と二人きりになってしまう
ライラ・マルベリーは張り付いたお面のように表情が変わらない。驚いていても喜んでいても悲しんでいても無を貫く表情。
内心焦っている今でさえも彼女の顔色に変化はなかった。
なぜライラが焦っているのかというと、アリアスと二人きりになってしまったからである。
時を遡ること十分ほど前、パンケーキを堪能してお店に出た四人の次の行き先は特に決まっていなかったため、近くのお店を色々覗いてみようということで話が纏まった。
しかし向かった場所が運悪く新店舗オープンのお店が近くにあったらしく、タイムセールの呼び込みをしていたせいでお客が殺到していた。
人の雪崩に巻き込まれて、行きたい場所に行けないままライラはようやく人混みから脱出するも辺りには同行者の姿はなく、はぐれたことに気づく。
来た道を戻りたいところだが、また人混みに入るのは危険と判断し、遠回りしてからはぐれた場所に戻ろうかと考えたところ、彼が姿を見せたのだ。
「あぁ、ここにいたんだねライラ嬢。良かった。怪我はないかい?」
ニコニコととても嬉しげな表情に少し胡散臭さを抱いてしまう。よりにもよって最初に出会うのがアリアス第一王子だなんて……と、思うも顔を合わせてしまったのでどうすることもできない。
「……大丈夫です。それよりもヴィーチェ様達が心配ですので探しに行きましょう」
「そう急がずとも大丈夫だよ。こんなこともあろうかと彼女達にははぐれた際の集合場所を伝えていたからね」
「集合場所?」
「アスティエト図書館だよ」
アスティエト図書館は街にある大きな図書館でライラもその存在を知っているし、何度も足を運んだことがある。
大きくてわかりやすいこともあり、確かに待ち合わせ場所の定番とも言えるだろう。しかし……。
「……随分とここから遠い場所を指定したんですね」
本日の行動範囲で考えるともっとわかりやすい待ち合わせ場所はいくらでもあった。それなのに徒歩十五分から二十分はかかるアスティエト図書館を待ち合わせ場所にするだなんて不便にもほどがある。
「それにそのはぐれた時の集合場所について私は聞かされていませんが、ここまで回りくどいことをしなければならないのですか?」
これは偶然ではなく仕組まれたことは容易に想像できた。首謀者はアリアス。協力者にティミッドが加わっている可能性があるだろう。
そしておそらくヴィーチェは知らされていない。ヴィーチェから離れることはなかったため、そんな話を彼から聞かされていたのならライラの耳にも入ってきているからだ。
「回りくどいだなんて。こうでもしないとライラ嬢は私と話をしてくれないだろう?」
しらを切るつもりはないらしい。だからと言って今さら正直に話されても……と思わなくもない。
ヴィーチェにも話をした方がいいと言われたけど、そう気軽に会うような相手ではないため手紙のやり取りさえなくなれば自然と彼との関わりもなくなると思っていたのに……まさか学院の生徒になるだなんて思いもしなかった。
そして今回のようにアリアスから接触されると逃げ場がなくなる。そうなると遅かれ早かれアリアスとはしっかり話し合わなければならない。
仕方なく、ライラは「ひとまず図書館に向かいながら話をしましょう」と答えるしかなかった。
「アリアス様は私に同情して文通されていたのですか?」
図書館に向かい始めてすぐのこと。先に会話を始めたのはライラだった。早く胸にあるモヤついたものを解消したいということもあってなのだが、アリアスにしてみたら予想してなかったのだろう。彼は少し驚く表情を見せていた。
「……なぜそのようなことを?」
「質問の答えにはなっていませんが……」
質問に質問を返すのはどうかと思うけど。とはいえ王子相手にそこまでは言えないため、仕方ないと妥協したライラはアリアスの疑問に答えることにする。
「いくらペンフレンドを募る手紙に興味があったとはいえ、見ず知らずの相手と文をやり取りするわけにもいかないでしょう。王子の身分なら尚のこと。だから私のことを調べましたよね? どのような身分で、どんな評価を受けているのか。それで不憫にでも思って返事をしたのでは?」
闇のような長い髪と何をしても表情の変わらぬ不気味な魔女だと呼ばれている貧乏子爵令嬢。そんな娘が手紙のやり取りがしたいと風船に託すのだから哀れにでも思ったのか。そんな情けをかけられた状態で便箋に言葉を交わしていたのかもしれないと考えると酷く惨めに感じてしまう。
「……君のことは確かに調べたよ。率直な感想としては君も私と同じで一人なのかと思ったから同情というより、同類と思ったんだ」
「同類、ですか?」
「何せ治療法のない緑肌病を患っていたから、ずっと部屋に閉じこもっていたんだ。友人はいたけど、すぐに疎遠になってしまってね。とても退屈だったよ。そんな中、君の手紙が私の目の届く所まで飛んできたから繋がってみたくなってね。下調べをして私と同じ一人なんだと思ってペンを取ったんだ」
「……でも同類ではないとすぐに知ったはずでは?」
初めてアイン……いや、アリアスへ手紙を出す際にちゃんと友人へ書く手紙の練習も兼ねて文通相手を探したと伝えたはずだ。
「そうなんだよね。最初は残念だったけど、そこからは純粋に君と仲良くなりたくて手紙をやり取りしていたんだ。誰かと話をするのに飢えていたからね」
同情ではなかった。哀れんでいたわけでもなかった。王子にそんな上から目線の感情を向けられたら余計なお世話だと怒鳴っていたかもしれない。そうではないのなら少しだけ安心した。心から私との手紙のやり取りを楽しんでくれたと思っていいのかもしれない。
「ライラ嬢、身分を偽って君と交流したことは申し訳ないと思っている。でも君に綴った手紙にはそれ以外の嘘はついていないんだ。私は手紙の時のように互いの好きな本を語ったり、感想を共有したり、なんてことのない話もしたい。……できればだけど、行く行くは私の隣にライラ嬢がいてほしい」
恥ずかしそうにはにかむアリアスが告げるその言葉はどこかはっきりとはしないが、誰かに聞かれたら勘違いをされてしまうような発言ではある。
「そのようなお言葉は周りに勘違いされかねません」
「勘違いしてもいいんだけどね。本気だから」
慈愛に満ちた瞳が向けられると、嘘じゃないと錯覚してしまう。しかしライラにはわからなかった。
「尚のこと理解できません。お戯れなら他のご令嬢へ」
「そんなつもりはないのだけど、君は手紙を通しても私がそのような悪い冗談を口にする男だと思っているのかい?」
そんなことはない。アインはとても誠実だった。軽薄な人物とはとてもではないが思えない。しかし顔を合わせたのはこの間の勲章授与式の時が初めてなのだ。
愛嬌のある素敵な女性ならまだしも、魔女と囁かれる愛想のない顔を持つ相手に何をどう間違えたら好意を抱くようになるのかライラには理解できない。
「私は手紙を送りあってライラ嬢と交流が深くなる度に愛しさが芽生えていったんだ。感想を綴る熱量や労る言葉、美しい文字など一字一句大切読み込んで目に焼きつけるくらいに。そして実物の君を目の当たりにしたら手紙の印象通りの人で胸が高鳴ったよ。優しく、真面目で、美しい人だと」
……この人は、恥ずかしくないのだろうか。そんな言葉を当たり前のように述べて。それを聞かされたこちらは少し恥ずかしいというのに。
しかしここは流されてはいけない。いくらなんでも現実的ではない……というかどう足掻いても彼の想いは実現できないのだ。
「アリアス様、いくら王族のあなたが望んだとしても私では釣り合いません」
「爵位のことを気にしているのかい? 王妃になるなら多少の反発はあるかもしれないが、私は王位継承権を辞退しているんだ。そこまでやいやい言われることはないよ」
「いいえ。いつの日かアリアス様が王座に座ってほしいと懇願される日が絶対にきます。エンドハイト様は遅かれ早かれ、問題を起こしますので」
何せあのエンドハイトだ。男爵令嬢にお熱のようだし、あの状態なら王妃にするのも彼女だろう。爵位も能力も高いヴィーチェではなく。
王妃として相応しいのなら例え爵位が低くともカバーできるだろうが、男爵令嬢には期待できない。そもそもあの男に国を任せたら感情のままに好き勝手やる未来しか見えないのだ。
それならば一時は次期国王に相応しいと誰もが認めたアリアスを贔屓する人が沢山出てくるのも時間の問題だ。不治の病が治った今なら尚更である。
そう説明するとアリアスはなぜか照れくさそうに笑った。
「ははっ。何だかライラ嬢にも国王に相応しいと認められているみたいで少し照れてしまうね」
「エンドハイト様の本性を知っていれば誰だってそう判断しますが……。どちらにせよ、エンドハイト様がダメになった場合彼以外に国を統べる人はアリアス様しかいらっしゃらないのです」
「それは困るね。エンドハイトには頑張ってもらわないと」
どこか他人事である。自分のことだというのに。
「アリアス様、あなたならご存知かと思いますが近い将来、私は子爵ですらなくなるかもしれません。あなたが国王になってもならなくて貴族ですらなくなる者を妃に置くことは許されるものではありませんので」
「……」
驚く様子がないところを見るとやはり彼も理解はしていたのだろう。マルベリー家が没落する可能性があるということを。
「……没落したら、平民になったら、アインと同じになれるのでそれはそれで悪いことではないと考えていました」
その時はアインに会いに行こうと思っていたこともあったが、平民のアインなんて存在しないため爵位剥奪後の楽しみもなくなってしまった。
……手紙でやり取りした平民のアインが存在していたら、身分も関係なくなったことにより多少の自信を持って彼にもう一歩近づこうと思っていたのに。この淡い感情をもう少しだけ育ててみようと思っていたのに。
「それに王族とは関わりたくないのです。父の目が眩んでご迷惑をかけると思いますので、接触は控えてください」
第一王子がライラに気があるなんて噂が父の耳にでも入ったりしたら「何がなんでも落としてこい」と言いかねない。
そうこうしているうちに目的のアスティエト図書館が見えてきた。よく見ればヴィーチェとティミッドの姿もある。ヴィーチェがいち早くこちらに気づいて手を振っていた。
「お話は以上で━━」
「もちろん、解決するよ」
相手が急に立ち止まる。ライラもつられて歩みを止め、アリアスへと目を向けた。その瞳と言葉はとても真剣味を帯びていて、一体どういうことなの? と問いかけたかったが「ライラーー!!」と呼ぶ友人の声が聞こえてきたため、アリアスはくすりと笑う。
「時間切れだね。行こうか」
再び歩き出す相手に少し躊躇いながら短い返事をするとライラも後を追う。意味深な言葉ではあったが、ライラは特に期待はしなかった。そもそも何を解決する気なのかもわからないのだから。




