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ゴブリンと公爵令嬢は絵本の間違いを訂正する

「リラ様、絵本持って来たわ! これが一番ゴブリンが悪者っぽく描かれてるみたいなの」

「悪だと記載されている本を本人に見せるその精神は何なんだ……」


 昨日の今日。ヴィーチェは本当に絵本の間違いを正してもらいたいようでリラに絵本を差し出した。


「みんなのゴブリンに対する考え方を改めるためなのっ。リラ様にとってはお辛いことかもしれないけど、ヴィーと一緒に乗り越えるのよ!」

「……お前は関係ないだろ」


 いや、そもそも幼児向けに作られた娯楽本如きで辛いも何もないが。そう思いながらもリラはずっと差し出される絵本を受け取った。

 固い表紙には女のような細い王子と思わしき姿とゴブリンらしき緑の怪物の手の中に捕らわれる姫のような姿のイラストが描かれている。

 すでにこの表紙からゴブリンが悪の象徴だと訴えかけているのがよくわかったリラは軽く鼻で息を吐いた。

 ペラ、と表紙を捲るとイラストと文字でその物語が紡がれていて、目に入ってくる情報だけを頼りに本をパラパラと読み進める。

 子供が読むものなので本の厚さは薄い。とはいえリラは絵だけしか見なかったのですぐに読み終え、ヴィーチェに絵本を返した。


「もう読んだの? 早いのねっ」

「絵しか見てないから当然だろ。魔物なんだから文字なんて読めるか」


 そもそも本を読むなんて文化すらない。本という紙の束の存在は知ってはいるが、文字を読めなければそれはただの紙切れ同然。

 森の村に住むゴブリンにとっては紙ですら珍しいものではあったが、読み書きできないのでゴミでしかなかった。

 絵を描きたいのなら枝を使って地面に描けばいいし、文字がなくとも言語で伝わるのだから必要もないのだ。


「魔物は人間様とは違うんだよ。育ちも文化も考え方も」


 だからこそ人間と魔物は相容れない存在だし、互いに互いを嫌悪しているし、恐怖もある。

 改めて自分の口でそう説明するリラは「それなのになぜ魔物と人間が並んで座り、話をしてるんだ?」と思わずにはいられなかった。


「じゃあ、なおのことお互いを知るためにも間違いは正さないといけないわねっ」

「……」


 種族の違いを理解しているのかしていないのか。ヴィーチェはなぜか気合いをいれるようにふんすっと鼻息を鳴らして絵本を開いた。


「それじゃあ、ヴィーが絵本を読むからリラ様は聞いててね。いくよー。むかしむかし、あるところに王子様とお姫様がいました」


 頼んでもいないのに音読を始めるヴィーチェは絵本に書かれている文字をリラに聞かせた。

 まぁ、時間が潰せるならいいけど……と、無理に止める必要もないと考えたリラはそのままヴィーチェの朗読に耳を傾ける。

 話の内容は恋に落ちた王子と姫の前に突然現れたゴブリンにより姫が連れ攫われるといったもの。

 姫を取り戻すため王子は数々の困難を乗り越え、ゴブリンを打ち倒す。姫を救い出して最後は結婚を迎えるといった話としては王道中の王道もの。

 文字を理解しなくとも絵だけで十分に伝わる内容だったので読み聞かせさせられたリラの感想としては「やっぱりな」である。

 ゴブリンが悪事を働き、討伐される。たったそれだけのことだ。幼児向けの本に載っているくらい、人間にとってゴブリンとは倒すべき悪の存在なのだろう。

 わかりきってはいたがやはり苛立つ気持ちもなくはない。


「━━こうして王子様とお姫様は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


 ようやく胸くその悪い都合のいい創作話は終わったようでヴィーチェはパタンと絵本を閉じる。

 ふぅ、と溜め息をついたリラが少女へと目を向けると、彼女は不服そうに唇を尖らせていた。なぜそんな表情をするのかわからないリラはその原因が自分なのかと考える。もしかして適当に聞いていたのがバレたのか、と。


「全然めでたしじゃない! ゴブリンの話も聞かずに倒したんだもん!」

「……」


 どうやら物語の内容が原因だったらしい。


「ヴィー、この話元々好きじゃなかったけど、もっと嫌いになった!」

「そういう話だから仕方ないだろ」

「だって王子様は心優しい人って書いてあるのにゴブリンの事情も聞かずにすぐに倒しちゃうのよっ? 全然優しくない! おーぼーよ!」

「……作り話にムキになってどうするんだ」


 子供だから仕方ないか。とはいえ絵本を作った人間もまさかゴブリンの扱いで怒りを買うなんて思ってなかっただろう。


「それにお姫様を攫ったって言っても友達が欲しかっただけかもしれないわ。もしかしたら一目惚れして会話をしたかったのかもしれない。話は聞くべきなのよっ」

「魔物に話が通じるとは思ってないんだろ。お前だってジャイアントボアを前にしたとき、話が通じるとは思わなかったんじゃないのか?」


 リラとヴィーチェが出会うきっかけにもなった魔物ジャイアントボア。あの魔物を前にした日、確かにヴィーチェは恐怖に震えていた。話を聞こうなんて考えすら浮かばなかったはずだ。


「えぇ! でもリラ様とはお話できたわ! ゴブリンの話は聞くべきねっ!」

「……」


 ヴィーチェは魔物ではなくゴブリンに強い感情移入をしているようだ。なぜ人間じゃなくゴブリンなんだと思ったが、どうしてかはわからないが悪い気もしなかった。

 そこで彼はハッとする。もうすぐで小娘に絆されてしまうところだった、と。人間に心許そうとしていたことに自己嫌悪した。


「それじゃあ早速始めましょ、リラ様っ」


 ゴソゴソとポシェットから取り出したのは赤いクレヨン。ヴィーチェは再び絵本を開くと、輝かしい瞳をリラへと向けた。


「教えて、リラ様っ! 間違ってるとこ全部っ」


 本気でやるのか。その意味のない作業。そう喉まで出かかったリラだったが、勝手にしろと言わんばかりに溜め息を吐き捨てて付き合うことにした。


「まず、こんな馬鹿でかいゴブリンはいない」


 表紙を指差し一番最初に思ったことを口にする。人間の娘を人形の如く手の中で握るほどに巨体として描かれていたその怪物へのダメ出し。

 もはやこれはゴブリンではなく巨人の域である。緑色の体色をした巨人だ。こんな個体は生まれてこの方約二十五年、見たことも聞いたこともない。

 そもそもリラ自身がゴブリン種族の中でも体格が良く大きいのだ。だから自分より大きなゴブリンの存在だって知らない。


「ゴブリンはここまで大きくない、と」


 それを聞いたヴィーチェは持っているクレヨンで表紙のゴブリンに大きなバツをつけた。そしてその横におそらくではあるが、口にした言葉をそのまま文字として書き残したと思われる。子供らしく少し歪んだ形ではあるが。

 それを見たリラはぎょっとする。本の価値などわからないが、そう簡単に汚していいものとは思えなかったから。


「リラ様っ、他にはどこが間違ってる?」

「え? あ、あぁ……ゴブリンのほとんどは仲間と共に暮らしているからこの話に出てくるゴブリンのように一人で行動する奴は滅多にいないな……」


 一人で生きるには厳しい種族でもあるゴブリンは群れで行動することが多い。もちろん、絶対にそうだとも言いきれないし、もしかしたら一人で生きる物好きもいるだろう。

 けれど一般的なゴブリンは仲間と共に生活しているのがほとんどであった。


「リラ様は一人で行動してるんじゃないの?」

「……俺は狩りなどは一人だが、村に戻れば仲間がいる。一人じゃない」


 ヴィーチェの言葉はあながち間違いではなくてリラは少し言葉に詰まった。

 確かにリラは他のゴブリンに比べたら一人でいる時間は長いほうではあるが、それは一人で狩りを任せられるほど強いからである。……しかし今やそのゴブリンのボスにあたる彼が人間の子のお守りまでするなんて誰も想像できないだろう。


「アロンもいる村?」

「ああ」

「ヴィーもリラ様の村に行きたい!」

「やめろ。理由がない」


 面倒なことこの上ない。人間をゴブリンの住む村に連れて行けば大騒ぎになること間違いなしだ。

 そもそもなぜ村に行きたいなんて言うのか。リラはヴィーチェを不審に思った。

 もしかして子供を使ったスパイとか……? その可能性もなくはないのかと思った瞬間、ヴィーチェは自信満々な様子で口を開いた。


「リラ様の妻だって挨拶しなきゃ!」

「やめろ! というか妻と認定してないからな!」


 まだ妻になりたがるのかこの小娘は。いい加減諦めてくれ。そう思うリラは頭痛を覚えた。


「ハッ! そうだった。リラ様は大人にならないと妻とは認めてくれないのよねっ」

「頼むから都合のいい解釈をしないでくれ」


 ヴィーったらうっかり。と笑うが、そんなことを言った覚えは何一つないリラは娘の暴走に頭を悩ます。


「それより間違いを訂正するんじゃないのか……」


 ひとまず話を戻そうとリラが本来の目的をヴィーチェに思い出させると、彼女は「あ!」と口にして慌ててページを捲り、ゴブリンの生態についてクレヨンで書き込んだ。

 また妻になりたいなんて話をされたくないため、リラは続けて気になる箇所を指摘する。


「今の時代のゴブリンはむやみやたらに人間を襲わない。特に王族や貴族なんて相手にしたら身を滅ぼすからな」

「やっぱりゴブリンはいい人! リラ様はもっといい人!ね」

「仲間を守るためだ。人間のためじゃない」


 きっぱりとそう伝えるもヴィーチェは「照れなくていいのよっ」と嬉しそうに絵本に載っているゴブリンの絵にことごとく大きなバツをつけていった。そして「悪者ゴブリンは存在しない!」と口にしながら大きく文字を書く。

 文字の読めないリラは彼女が何を書き込んだか正確にはわからなかったが、声に出した言葉をそのまま書いたのだろうと察した。

 都合良く解釈する奴だなと思いながらも自分が言ったことを全て訂正し、赤いバツだらけのその本を一瞥すると、少し腹立たしかった気持ちが薄れていくのを感じた。

 娘の手によってとはいえ、ゴブリンの認識を少しでも変えられたと思うとそれは気分のいいものだったから。



 ◆◆◆◆◆



 ヴィーチェが公爵家に戻ると、落書きされた絵本を見た侍女のアグリーが「こ、これはなんですか、お嬢様ぁ~~!!」という悲痛な叫びが屋敷中に響き渡った。


「ゴブリンの生体を書き込んだだけよっ」


 アグリーに事情の説明をお願いされたので、事実を告げたのだがどうやら侍女は乾いた笑いを見せるだけ。

 まだ信じてもらえないなんて、と頬を膨らませるヴィーチェだったが、その日の夜はリラから指摘してもらい書き直した絵本を胸に抱えて眠りについた。


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