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子爵令嬢は友人の正体を知り動揺する

 ……結局、授与式は途中で取りやめとなった。アリアス第一王子が「これでは埒が明かない。発見者が表舞台へと出て来られない以上、勲章を渡すこともできませんね。勲章は保留といたします。よって授与式も中止です。せっかく集まっていただいた皆様には大変申し訳ございませんが、ご理解願います」と語ったのち、買収して偽りの証言をさせたリュゼートを罪人として拘束した。

 リュゼートの企み通りにならなかったから喜ぶべきなのだろうけど、ライラにとっては不完全燃焼である。

 ヴィーチェに与えられるべき勲章なのに、それをヴィーチェが拒むのだ。彼女が受け取らないと言うのなら納得するしかないのだけど、どういう経緯で知り得たかはわからなくともヴィーチェが緑肌病の治療を広めさせた功労者なのは間違いないというのに。






(どっと疲れたわ……)


 式典は中止、そして学院の講師であるリュゼートがお縄になったことで教師達が今後のことを話し合う会議を開くことになり、午前中の授業もなくなってしまった。

 貴重な勉学の時間が奪われるのは残念だけど、リュゼートが捕まったことは喜ばしいことである。

 しかし精神的な疲労が溜まっていたライラは午後の授業が始まるまで人気のない中庭のベンチへと腰掛けた。

 小さな溜め息を吐き捨てて、ベンチから見える人工的に整えられた庭の風景を眺める。緑は目が安らぐ。もちろんゴブリンのようなおぞましい緑のことではなく、自然の緑である。

 まだ少し肌寒いとはいえ暖かい日差しが気持ちいいくらいの気温。気づけば動植物が活き活きと活発になる季節であり、もうすぐで学院生活も一年が経とうとしていた。

 あとどのくらい貴族として学院に居続けられるのだろうか。いつこの生活が破綻するかわからない綱渡りの現状、ライラは一日でも長く勉強で得られる知識を蓄えておきたい。没落後も生き残れるように。

 ……どうせなら魔女と呼ばれる原因の黒い髪と愛想のない硬い表情に相応しく、森の中で小屋を建てるのもいいのかもしれない。薬学で得た知識をフル活用して魔女の薬屋という名前で店を開くのもなかなか様になるのでは? お客が来るかは別として。

 そのうちやってくる未来のために、ライラはあれこれと没落後の生活を考えてみた。夢中になるほどに。そのため気づかなかったのだ。近くに人がいたことに。


「兄上っ!」


 その声を聞いて現実に引き戻されたライラは驚きに瞬いたのち、声のするほうへと視線を動かした。


「一体何の真似であのように姿を見せたんですかっ」


 なんとそこにはアリアスに詰め寄るエンドハイトの姿があった。

 何やら一悶着がありそうな雰囲気なので、こちらの存在に気づかれないうちに立ち去りたかったのだが、どちらにせよあの兄弟のいる道を通らなければ校舎に戻ることもできない。

 ここが行き止まりなばかりに……運が悪かった。王族の揉め事なんて見たくないし、自分がいることを知られて睨まれたくもない。

 それならばとライラは空気になろうと必死に存在感を消すことに努めた。とはいえ黙っていることしかできないのだけど。


「言ったじゃないか。治療法を見つけた人物に勲章を渡したいだけだと。私にとっても恩人なのだから」

「だからと言って兄上が民に聴取する必要はありますかっ? 王族の仕事ではないのに……まさか、あえてやらなくてもいい仕事をすることで周りからの人気を得ようとしてるわけではありませんよね?」


 聞きたくもないのに聞こえてくる会話。元患者に聞き取りをした件についてのことだろう。エンドハイトの話によると、王族がわざわざ行う仕事ではないらしい。……まぁ、確かにそうなのかもしれない。別に一国の王子が担うような業務とは思えなかった。


「エンドハイト、何をそんなに焦っているんだい? もしかして私が王位を狙っていると勘違いしてるのか? そんなに噛みつかなくとも、私は王位継承権を剥奪となった身だ。お前に問題がない限り私に回ってくることはないのだから不安になることはないよ」


 私は空気……私は空気……。両耳を手で塞ぎながらそう念じても彼らの声は遮断されない。ライラの良すぎる耳のせいで聞きたくもない会話が随時流れてくるのだ。


「つまり私に問題があればすかさず割って入ってくると!?」

「そんなことは言ってないよ。そもそも王位に興味はないし、エンドハイトが務めてくれるのなら願ったり叶ったりなんだ」

「ハッ……よく言う。悔しいなら悔しいと言えばいいものの……! 王位剥奪された身なら大人しく引きこもっていればいいだろっ!」


 そう怒鳴るとエンドハイトは舌打ちをしてアリアスの前から立ち去った。ずっと苛立っていたようだが、どうやら兄弟仲はあまり思わしくない様子。

 しかし兄アリアスはエンドハイトの言葉をにこやかな表情で聞き流していたように見えたので相手にしていないのだろう。そう思うとエンドハイトが一人で癇癪を起こしているだけなので随分と子供っぽいというか、次期国王の器量に乏しすぎる。

 まぁ、どうだっていい。どうせ近い将来平民落ちとなる身。エンドハイトが国王になろうがなるまいが結局日々の生活にいっぱいいっぱいになっているだろう。

 ひとまず彼らに自分の存在が気づかれることなく終わった━━と、思っていたそのときだった。


「こんにちは、ライラ・マルベリー嬢」

「━━は?」


 目を細めて微笑む銀髪の青年……いや、王子が声をかけてきたのだ。

 唐突のことで思考停止するものの、すぐにハッとしたライラは慌てて立ち上がり、ぎこちない動きでスカートの裾を指で摘んでは挨拶をした。


「お、お初にお目にかかります。アリアス第一王子殿下……」


 そこで言葉が詰まる。今、彼は私の名前を口にした……? と気づいたから。名乗った覚えもなければ顔を合わせたことなんてあるはずもなく、なぜ相手は自分のことを知っているのかライラにはわからなかった。

 いや、アリアスは緑肌病の治療を発見した者を探していたのだからその過程で関わりのある自分の存在を知ったのだろう。または魔女と呼ばれ、悪い意味での有名人だという自覚もあるのでその線の可能性もある。


「そう固くならなくていいよ。王子とは言っても肩書きだけのようなものだから」

「いえ、そのようなわけには……」

「二人でいるときは対等に話して構わないよ。手紙でやり取りをした仲なんだしね」

「……? あの、どなたと勘違いされているのですか……?」


 第一王子と手紙でやり取りするなんて恐れ多いことを自分のような爵位の低い娘ができるはずがない。覚えのないことを口にする目の前の青年がどこかおぞましくも思う。


「勘違いなんてしないよ。お互いに沢山オススメの本を教え合ったり、感想を語り合ったりしたじゃないか。そして緑肌病の治療法も君が伝えてくれた」


 心当たりはあった。というか心当たりしかない。確かに彼の言う内容を手紙にてしたためたことがある。しかしその相手は王子ではなくアインたった一人だ。

 ……いや、まさか、そんなはずはない。ライラは思い浮かんだ可能性が当たらないことを祈った。


「……私が手紙を書いていた相手はアインだけです……」

「それじゃあ改めて自己紹介を。ある時は子爵令嬢と文を交わした平民の青年アイン。しかしその実態は……この私、アリアス・オーブモルゲだよ」


 にこやかに、そして嬉しそうに語る第一王子の言葉はとてもではないが信じられなかった。けれど大まかとはいえ手紙の内容が一致しなくもない。当たってほしくなかった……とライラは真っ青になる思いだったが、やはり顔の硬さはいつもと変わらない。


「……やっぱり嘘をついたから怒っているのかな? けれど私の立場ではこの方法が君と上手く文通できると思ったんだ」


 彼の話によるとこうだった。ある日、ずっと寝込んでいた部屋の窓から見える木に風船が引っかかっていたそうだ。とはいえ、ほとんど空気がない状態だったので力尽きて地面に落ちる前に引っかかったのだろう。

 使用人に取ってもらって報告を聞くと、風船に手紙が括り付けられおり、ペンフレンドを探している内容だったためアリアスは強い興味が湧いたのだと。

 しかし自分が第一王子だと名乗って文通しても相手がそれを信じてくれるかわからないし、むしろ畏まられてしまっては楽しくやり取りができないかもしれない。

 それならばと平民の青年を装い、手紙の住所を第一王子専用の別荘にしておけば王族とはバレないだろうと考えた。

 ……そして今に至る、と。


「なぜ、正体を明かしたんですか……?」


 こんなの知らない方が良かった。アインは平民だったけど、それでも対等にと手紙で書いた自分がとても愚かに思える。実際は相手の方が地位が上、というより王族だ。もう今までのように手紙が書けるわけがない。


「私がこうして表に出られるようになったのはライラ嬢が手紙に治療する術を教えてくれたおかげなんだ。だから直接お礼を言いたくてね」

「治療法を発見したのはヴィーチェ様です。私ではなく彼女に」

「もちろん発見者だからそれはそうなんだけど、君が手紙に書いてた通り本人は認めてくれないから勲章も渡せないのが現実だよ。それに治療法を私に伝えてくれたのはライラ嬢だからね。だからお礼が言いたいし、そのためには正体も明かしておかなければならなかった。……まぁ、私の自己満足でもあるにはあるのだが」


 照れくさそうに笑う姿は人の目を惹くだろう。しかしライラにとってはアインという友人が存在しないという真実によるショックが大きい。


「ありがとう、ライラ嬢。君のおかげで退屈だった時間が充実しただけじゃなく、部屋に出られなかった私の病を治す手助けまでしてくれて」


 眩く思えるほど煌めいた微笑みを浮かべたのち「まさか魔虫を使うとは思っていなかったけれど」とクスクス笑うも、ライラは彼の言葉は話半分で聞いていた。

 アインがいない代わりに関わり合いになりたくない王族と繋がっていたなんて。面倒なことこの上ない。


「お気になさらずに。こちらが勝手に友人と思い上がってお助けしたかっただけですので。では失礼いたします」


 早く離れようと会話を切り上げて頭を下げる。第一王子と魔女と呼ばれる自分が二人で会話をしてるところなんて誰かに見られでもしたらまた周りがやいやい騒ぐだろう。何ならアリアスが魔女と呼ばれる私のことを知らない世間知らずだと笑われる可能性もある。


「ライラ嬢、もう少しだけ……」

「アリアス第一王子殿下、私は次の授業の準備をしなければなりませんので」


 それらしい理由を語ればアリアスも「そうか……邪魔をして申し訳ない」と諦めてくれたようなのでライラはもう一度一礼をし、彼に背を向けた。






 足早に校舎内へと踏み入れ、授業までは少しばかり時間はあったが、他に時間を潰すには微妙だったこともあり、ライラは先に教室に向かおうとしていた。


「あら、ライラ」


 すると同じように教材を持って教室に向かう途中と思われるヴィーチェとばったり会った。


「ヴィーチェ様……」

「? もしかしてあまり元気がないのかしら?」


 顔を合わせただけで彼女は自分の様子に気づいた。思わず顔に出たのだろうかと思い、鉄壁の顔に触れてみる。


「……わかりますか?」

「えぇ、声色がそんな感じだわ」


 残念。表情で判断したわけではなかった。気分が沈んでいてもなぜ顔の筋肉が上手く動かないのかわからない。しかし声色で感情を表せるのは盲点だったのかも。

 確かに話し方は抑揚がないと言われて気味悪さに拍車をかけていた……が、ヴィーチェはその変化に気づいたというのだろうか?


「そんなにわかりやすいものでしたか?」

「そうね、学院に入ってからライラと過ごす時間が増えたからかしら。何となくそんな気がしたのよ」


 なるほど。言われてみればそうなのかも。寮生活でもあるし、ヴィーチェと関わることは良くも悪くもグッと上がったのだ。

 そんな中、感情を表に出すことが難しい自分の僅かな変化を察してくれたヴィーチェ。ライラにとっては嬉しくないわけがなかった。


「相談ならいくらでも聞くから遠慮なく言ってちょうだい」

「……ありがとうございます。なんてことはないのですが、友人と思っていた人に大きな隠し事をされて少しショックを受けただけなんです」


 つい、ポロッと気持ちを吐露する。ヴィーチェがなんと答えるかはわからないが、言葉にしただけで少しだけ気が楽になった。例え頓珍漢な返答であろうと気に止めないくらいに━━。


「ライラ! なんてことないなんて言っちゃダメよっ! ショックを受けたのならそれを軽く扱うのは良くないものっ」

「えっ?」


 思いもよらないほど真剣に答えてくれた。驚きに瞬きを繰り返す。


「隠し事、つまり嘘をつかれたってことよね? 詳しくはわからないけれど、ライラを傷つけるのならとんでもない嘘だわっ」


 普段妄言を口にする人が言う台詞なのだろうか。自覚しない嘘を告げるヴィーチェも相当とんでもないのだが。


「相手は誰なのかしら? 私が物申してくるから!」

「あ、いや、お気持ちだけで結構ですからっ。そ、それに相手の方も事情があってのことだろうし……」


 さすがに相手が第一王子だなんて言えないし、ヴィーチェが物申せる相手でもない……いや、彼女なら普通に突撃しそうでそれはそれで恐ろしいのだけど、また新たな問題になりかねないのでライラはヴィーチェのためにも相手の情報を伏せた。


「ライラがそこまで理解してるのに納得いかないということは……話し合いが足りないってことかしら?」

「話し合い……?」

「そうよ、ライラ。何でも解決するにはまず話し合いよ。あなたの気持ちをしっかり伝えて、吐き出して、わからせるのよ」


 わからせるというのは良くないのでは? 少々不安な物言いではあるが彼女の言いたいこともわからないわけではない。しかし、それができるなら苦労はしないが……。


「そう、ですね。機会があれば、挑戦してみようと思います」


 ヴィーチェの提案を無下にはできないが、実行しようとも思えなかった。仕方ない、彼女は相手がアリアスだと知らないのだから。王族相手に軽々しく言葉を交わすわけにもいかないし。……エンドハイトと婚約関係にあたるヴィーチェは別かもしれないが。

 しかしヴィーチェが親身になって話を聞いてくれたということがライラにとっては何よりも嬉しかった。


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