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ゴブリンは言われるがまま枝という名の筆を執る

 次に目が覚めたとき、ヴィーチェの姿はなかった。少し靄がかかるような頭の中でそれだけはなぜか理解できる。

 もしかしてどこかにいるんじゃないのかと、寝落ちる前の最後に見た少女を思い浮かべた。無意識に探したところでようやく頭がはっきりしてきたリラは自分が家で療養していたことを思い出し、ハッとする。

 なぜ傍にいて当たり前みたいな気持ちでヴィーチェを探していたのかと自己嫌悪するリラの元に訪問客が現れた。


「おっ。起きてるじゃん。よく寝てたなぁお前」


 よいしょっと水桶を抱えて家に入ってくるアロン。どうやらその水はわざわざリラのために汲んで来たのだろう。軽口を叩く奴ではあるが、やはりこういう所はマメな男である。

 いや、それよりも、だ。リラはすぐに気になっていたことを彼に問いかけた。


「……ヴィーチェはいるのか?」

「ん? あー心配すんなよ、昨日のうちにちゃーんと帰ったって」

「昨日……?」

「なんだよ、お前。もしかしてどれだけ寝てたかわかってねーのか? おチビちゃんが看病に来たのはもう昨日のことだぜ。よく寝てたとはいえ、あれから一度も起きてなかったのかよ」


 そんなに寝ていた自覚はなかった。そう思うと寝すぎて身体が凝っているような感覚さえする。試しに首を横に傾けると軽く音が鳴った。それだけじゃなく、腹も減っているような気もする。自覚すればするほど腹の虫が盛大な音を奏でるくらいに。


「食欲ありそうじゃん。体調はどうよ?」

「戻ってるみたいだな。快調だ」

「だな。顔色も良さそうだし、安心したぜ。また今日からバリバリ働いてもらうから頼むな、ボス」

「言われなくてもそのつもりだ」


 責任感が強い性分もあり、休んだ分もしっかり働こうとリラはすぐに寝床から立ち上がる。立ち眩みもなく、気怠さもないので間違いなく完全に快復したと言えるだろう。身体は少し鈍っているが、全く問題はない。軽く身体を解せばいいだろうし。


「あ、そうそう。おチビちゃんから伝言があるんだけど」


 伝言だと? わざわざアロンに残すなんて何か重要なことなのか? そう思い一体何を言付けてきたのかと耳を傾けてみる。


「『また三日後に会いに行きますっ!』」


 ヴィーチェの声を真似しているのか、少しだけ甲高い声でその伝言を口にするアロン。全く似ていないが。


「……。……他には?」


 まさかそれだけじゃないだろう。早く続きを言えと催促するが、相手はあっけらかんに答えた。


「そんだけだぜ」


 本当にそれだけだった。一言。たったそれっぽちの伝言。何か色々と期待をしていたようなリラの気持ちが潰された気分だ。

 あいつならもっと長ったらしい伝言を残してもおかしくないのにとどこかモヤッとした。

 いや、もしかしたらこいつが適当に端折ってるんじゃないのか? という疑惑の目をアロンに向ける。

 そんな視線に気づいたのかアロンはやれやれと言わんばかりに上から目線の困り顔を見せる。にやけた口元が腹立たしい。


「言っとくけど、本当にこれだけだったぜ。もっと聞きたかっただろうけど残念だったなぁ?」


 その言葉にカチンときたリラは黙ったままアロンの頭へと拳を一発与える。いつもより強く。そのせいかアロンの痛みに悶える声も比例した。






 朝ご飯を食べるためにリラの家を出て、村の中心へと向かう。そこでは女性陣が村のみんなに作った食事を配っていて、彼らは朝食を受け取るための列に並んだ。匂いからしておそらくジャイアントボア肉とキノコのスープだろう。

 そんな中、頭上にできたたんこぶを涙目で撫でながらアロンが呟く。


「……ったくよぉ、元気にも程があるだろうが……」

「お前はいつも一言余計なんだよ」

「だからって図星なのに殴るのもどうなのよ?」

「……本当にうるさいなお前は」


 また殴られたいのかこいつは。そういう視線を向けても相手はお構いなしの様子だった。肝が据わっているのか、学習しないだけなのか。


「あ、そうだリラ。お前さ、おチヴィーチェに礼くらい言っとけよ」

「は? なんだよいきなり」

「心配して看病しに来たってのに、お前が早く帰らそうとするから約束を守るためにお前が寝たあとすぐに帰ってったんだぜ、あいつ。お前ともっといたかっただろうになぁ」

「……当たり前だろ。軟弱な小娘に風邪が移って森の中で野垂れ死にでもされたら人間共が大騒ぎするだろうが」

「あ~、はいはい」


 素直じゃねぇなぁ、と言いたげなアロンの表情はリラから見てもよく理解できるほど顔に出ていた。思わずまた拳が出そうになるが、相手は話を続ける。


「それでもあいつなりにお前の妻として約束を守ってやったんだぜ。労ってやってもいいだろ? あと甲斐甲斐しく世話した俺にもな」

「妻じゃないっ!」

「今はな?」

「……お前、マッサージしてもらいたいからってしつこいな」

「そりゃあ滅多にない賭けなもので」


 ヴィーチェが十年後もリラを想い続けていたらリラがアロンに全身マッサージを行わなければならない。逆にヴィーチェがリラへの想いがなくなればアロンがリラに全身マッサージを行うという賭け。

 リラの二十六歳の誕生日に始まったその賭けの期限も気づけば二年を切っていた。

 数年で終わると思い、勝利さえ確信していたリラだったが、あと一年と少しで賭けに負けてしまう。正直に言うとここまで長く付き合ってきたヴィーチェがあと一年と少しで諦めてくれる気がしなくてリラは内心焦った。ヴィーチェが自分を諦めてくれる未来が……全く見えないのだ。


「お前もそろそろわかってるだろうけど、早くマッサージの練習でもしとけよ」

「……そっちだろ」

「強がっちゃって。ま、今はおチビちゃんのことだ。お前の額も冷やしてくれたんだし、ありがとうくらい言っとけよ」


 滞在時間が短い奴に礼を言う必要があるのかと考えるが、早く帰るように言ったのは紛れもなく自分であり、ヴィーチェはその言葉に従っただけに過ぎない。それでも多少なりとも看病らしいことをしたなら礼儀は弁えるべきなのか……。

 アロンに説得されそうになりながら次に会った際に一言告げたらいいかとリラはそう決めた━━矢先のことだった。


「とはいえお前のことだから素直には言えないだろうし、文字で伝えてやればいいんじゃね? 手紙でも書いてさ」


 は……? と聞き返そうとするが、アロンは「いや、紙がないから書くなら葉だな。そうなると手葉みっつーのか? でも葉に書くなら葉書ってのも悪くない響きだけど」と、どうでもいいことを口にしていた。


「なんで俺がそんなことしなきゃならないんだ」

「お前が素直じゃないから」

「関係ないだろっ。それに文字なんて人間の使うものをなんで俺が━━」

「おチビちゃんが喜ぶじゃん」

「……っ!」


 思わず言葉に詰まってしまった。確かにヴィーチェなら喜ぶだろう。元々何をしても喜ぶ相手ではあるが、リラが手ずから手紙を書いて渡せば、嬉しさのレベルが跳ね上がること間違いなし。

 絶対に宝物にすると言うだろう。ヴィーチェとはそういう娘だ。リラから渡すどんな物でも大事にすると告げるのだから。

 そこら辺の花だろうと、ゴミ同然の葉に書いた文字だろうとヴィーチェは眩い笑みで受け取り、大層喜ぶ。そんな姿を思い浮かべるのは容易いことだ。

 ……それなら悪くないか。とアロンの案に傾き始めたが、すぐにリラはハッとする。ゴブリンとしてのプライドが邪魔をしたからだ。


「俺がそんな人間の真似事をするわけないだろっ。そもそも俺は文字なんて書けないから手紙以前の問題だ」


 こう言っとけばなあなあで終わるだろう。文字が書けなければ手紙なんざ書かなくてもいいのだから。


「それなら私が教えるわよ」


 はい。とリラの前にスープを差し出す女性がそう言った。まさかの第三者が会話に入ってきたがそれも仕方がない。いつの間にか食事を受け取る番が回ってきたため、食事担当の一人であるルナンが二人の話を聞いていたのだろう。

 リラは戸惑いつつもショートカットの彼女からスープの入った木の器を受け取った。


「……なんだって?」

「ヴィーチェにお礼の手紙を書くんでしょ? 私が文字を教えてあげるわ」

「いや、別に書くとは……」

「はいはい、次がつかえるから後でね」


 あっち行ってと言わんばかりに邪険にされてしまう。オイ、と声をかけたくなるものの、ルナンの言う通り後ろにはまだ食事を受け取っていない仲間がいるのでひとまず彼女の言葉に従うしかない。

 すぐに「良かったじゃん、リラ。ルナンは物覚えがいいから文字もマスターしてるし心強いぜ」とアロンが話しかけるが、リラは溜め息しか出てこなかった。

 しかし後でと言われたが、狩りもあるのでそんな時間はないだろう。そのうち相手も忘れるはず。






 病み上がりとはいえ身体は問題なく動けた。むしろ休んでいた分まで取り戻そうとするくらいに快調である。絶好調だからなのか、狩りの成果も良好だったリラは機嫌良く村に戻った。


「待ってたわよ、リラ。早速始めましょ」

「……え?」


 帰って早々リラを待ち構えていたのはルナンだった。そしてリラは思い出す。彼女は物覚えがいいということに。

 そういえば少ししか関わっていないヴィーチェだってそう口にした。そのうち相手も忘れるはず、なんて思っていたことがすでに間違いだったのだ。


「待て、ルナン。俺は別に手紙を書くつもりはない」

「人間の真似事はしたくないって?」

「あぁ、わかってるなら……」

「頭固いわねっ。そんなのを気にしてるのはアンタくらいだし、うちのボスなら柔軟な生き方しなさいよっ」


 ……俺、怒られてるのか? そう思わざるを得ない言い方にリラは返答に窮する。


「……別に文字を覚えたところで意味ないだろ」

「本が読めるわ」


 自慢げに答えるルナンにそれがなんなんだと呆れてしまう。そんな表情を読み取られたのか、ルナンがムッと眉を寄せた。


「本が読めるってことは知らなかったものを知ったり、子供に本を読み聞かせることだってできるわ。生活に役立つ知識だって増えるのよ」

「人間の文明を取り入れてゴブリンとしてのプライドはないのかよ……」

「何よ? アンタがそれを言うの? 人の子と会って、色んなプレゼントされて、その人間の文明を持ち込んで来たのは誰なのよ?」


 思い切り睨まれてしまった。全くもってその通りなため、そう言われたらリラも言葉に詰まってしまう。


「魔族や知識のある魔物だって文字を読めたりするんだから、別に人間だけのものじゃないでしょうに。人間だのゴブリンだのって線引きして良い所を受け入れないなんて頭の固い年寄りみたいだわ!」

「ぐっ……」


 年寄りという言葉がリラの胸に突き刺さる。これ以上何も反論できないし、故意でないとはいえ人間の文明を仲間達に広めたきっかけを作ったのが己なのだとリラは改めて思い知らされた。


「別に難しいことを書けって言ってるんじゃないのよ。ヴィーチェに一言『ありがとう』って書くだけなんだから」

「……書けばいいんだろ、書けば」


 アロンはまだしも、なぜ村の奴らはヴィーチェの肩を持つのかリラにはわからない。

 もしここで「なんで俺より人間の娘の味方なんだよ、俺はお前らの頭なんだぞ」と言っても、ルナンにまた言い負かされるのかもしれないので口を噤むことにした。


「ただでさえアンタは村の女達にモテないんだから他所から嫁を貰うしか手がないもの。もういい歳なんだし、好意を持ってくれる子くらい大事にしなさい」

「……歳の話をするならお前だって俺と二つしか変わらな━━」


 言い終える前に年下の伴侶なしであるルナンがギロリと眼を飛ばしてきた。凄みはあるが、それを恐れてはゴブリンのボスには立てない……けれど、獰猛な魔物と対峙してきたような雰囲気は確かに感じた。

 これ以上余計なことを言ってルナンの神経を逆撫でにするのも良くないと判断したリラは口を閉じる。


 その後、ルナンが用意した大きく厚めの葉と切っ先を細く加工した枝を使った文字書きの練習が始まったのだった。



 ◆◆◆◆◆



「リラ様っ! 身体はもう大丈夫なのかしらっ?」


 ヴィーチェと会う日。長年待ち合わせ場所として利用している木々の開けたいつもの場所。憩いの場と言ってもいいそこへヴィーチェは姿を現した。リラを見るなり駆け寄ってくる。


「お前が三日後って伝言を残したんだろ」

「えぇ。でも治っていなかったら寝かせてもらうようにアロンにはお願いしてたわ。そのときはまたリラ様のお家にお邪魔して今度は薬を飲んでもらうつもりだったのよ」


 ほら。と念の為に持ってきたであろう薬を見せられるもすでにそれは必要ないもの。それよりもリラはヴィーチェに渡さなければならないものがある。


「……なんか、気を遣わせたな」

「ふふっ。そんなことないわ。リラ様が元気になってもらうことが一番なんだもの」

「あー……それで、だ。これをやる」


 どう言って渡すのが正解かはわからないが、ずっと持っていても仕方ないのでリラは手にしていた葉をヴィーチェに差し出した。


「こちらは……」

「礼、と言うには大したもんじゃないが、アロンやルナンに言われて書いた」


 平たい石机の前に胡座をかいてルナンの指導のもと、何度も書いた手紙という名の葉書。面倒くさかったがルナンが書いた手本を真似てみるも、初めての作業なので力加減がわからず枝を折ったり、葉が破れたりと何度も失敗した。

 ルナンから「枝の持ち方が悪い」とか「そんなに力を入れたら一生書けないわよ」と色々言われながらもどうにか仕上げた手紙。


 ヴィーチェ ありがとう


 たったそれだけの文字。手本で見たルナンの文字よりも雑で大きくて、おそらく汚い部類だろう。ルナンも「こっちのほうがマシね……」と妥協したのだから。

 それにしても時間だけが無駄にかかってしまって割に合わない作業だと感じた。言葉にするほうがずっと楽なくらいに。


「リ、リラ様の直筆……!?」


 葉を受け取ったヴィーチェの手は震えていた。もちろん恐怖によるものではないことくらいリラも理解している。間違いなく喜びによるものだ。


「こんなっ、こんな素晴らしいものをいただけるなんて! リラ様が私のために! 保存魔法をかけて一生の宝物にして大事にするわ! リラ様からのラブレター!」

「ラブじゃないっ!」


 ただの感謝を綴った文字であって決してラブのレターではないが、まさか書いた文字が読めないとかじゃないよな? という心配が芽生える。


「だってリラ様がわざわざ私のためにお礼の手紙を書いてくださったのよ! これはもう恋文と言っても過言ではないわ!」

「過言だっ」


 相変わらず良いように捉えるヴィーチェの言葉を否定するも、相手の視線は葉っぱへと向けられている。輝かしい小さな星が目から溢れているようだ。

 よほど嬉しいのか頬を染めたヴィーチェは手書きの葉を胸に当てた。


「ありがとう、リラ様っ!」

「いや、礼を言ってるのはこっちだろ」


 なぜ向こうがまた礼を返してくるのか。たかが丈夫な葉で書いただけのものなのに。

 だけどわかっていたとはいえ、こうして喜んでくれる姿を見ると時間をかけて書いたかいはあったなとリラも嬉しくなり、胸が僅かに熱くなった。


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