ゴブリンは公爵令嬢の人生を憂う
「嬉しいわっ、リラ様が本当に来てくれて!」
自然にできたとは言えない穴。動物か魔物を狙った落とし穴だろうか。しかしその陥穽に嵌ったのがあのお騒がせ娘である。
リラは心の中で溜め息を吐き捨て、詳しい話を聞こうとしたが、少しばかり息切れをする令嬢を見て疲弊してることに気づく。
穴の上からでは見えなかったが、指先も赤く擦り切れて土の汚れもこびりつきボロボロである。最初は自分一人でどうにかしようと足掻いていたのだろう。
けれど服装の状態といい、貴族の娘にさせていい姿ではない。よく見れば鼻の頭も赤くなっているではないか。
一体いつからこの穴に嵌っていたのか。いや、そんなことより少しでも温めてやるほうがいいだろう。
そう考えた結果、リラは自身が羽織っている魔物毛皮でできた上着をヴィーチェの肩へとかけてやった。
「!」
「寒いなら着てろ。獣臭いのは我慢しておけ」
普通の貴族の娘なら魔物の毛皮なんて突っぱねるだろうが相手はヴィーチェである。そんなことする姿すら想像できない。
「リラ様の温もり!!」
そう叫ぶとヴィーチェは興奮する勢いでその毛皮に自ら包まった。ほらな。と、リラの思った通りである。疲弊してるだろうに元気な奴だ。
……さて、次は穴から出るだけだ。そう考えてリラは見上げる。
「じゃあ、出るぞ」
「えぇ! お願いいたします!」
キラキラした目でこちらを見てくる。おそらくヴィーチェは理解してるのだろう。どうやってこの穴を脱出するのか。その期待に満ちた瞳が嫌というほど突き刺さるのだ。
……本当に困ってるんだよな? そう思わずにはいられないが、このままにするわけにもいかないのでリラは仕方ないと言わんばかりに、不本意ではあるがヴィーチェの背中と膝裏へ両腕を回して相手を引き寄せれば、軽々と抱き上げた。
本当ならば肩の上に担ぐか、脇の下に抱えていきたいが、森の中を抱えて走るのとは訳が違う。脱出する際に頭や腕などをぶつけてしまう恐れがあるためこの抱き方になってしまうのだ。
「リラ様のお姫様抱っこ!!」
「っ、舌噛むから黙ってろ!」
「はいっ」
てか、そんな恥ずかしい名称なのかこれは……と、どことなく羞恥を感じてしまうリラだったがここは我慢するしかない。
ぎゅっと口を固く閉じるヴィーチェを確認すると、リラは少し屈んで強く地面を踏み、高くジャンプした。
ゴブリンの中でも一際体格が良く、力も筋肉もついているリラにとっては何てことのない穴の底。
とはいえ一度のジャンプでは地上まで届かないので土壁をさらに踏み台として蹴り上げる。
そんな跳躍力の活躍により、無事落とし穴から脱することに成功すると、リラはヴィーチェを下ろした。
「凄いわリラ様っ! あんな深い穴を一瞬で抜け出すなんて素晴らしい身のこなしよ! 格好いい! さすが私の王子様ね!」
「王子じゃない。それにこれくらいでいちいち褒めるな。人間が軟弱過ぎるだけだ」
相変わらず称賛ばかりのヴィーチェ。しかし王子と呼ばれるのはあまりにも似合わないから心底やめてほしいと思う。
「えぇ! みんなリラ様には適わないわ!」
人間を貶してもヴィーチェは相変わらずこうである。確かに腕力には自信があるけど、娘の言葉を鵜呑みにするほど愚かではない。
しかしヴィーチェは本気でそう思っているのだから厄介である。いつかそんなベタ褒めを真に受けてしまいそうになるのをリラは心配になった。
「……そんなことより、一体何があってそうなったんだ?」
ついついヴィーチェのペースに乗せられてしまいそうになるが、今はそれどころではない。気になることが沢山あるのだ。
「ちょっとした事故なのよ」
そう言って語るヴィーチェの話をリラは黙って聞くことにした……のだが。
「今日は王都にいたのだけど、エンドハイト様の想い人のキャンルーズ様にお会いしたの」
「は? いや、待てお前。そのエンドハイトってのはお前の婚約者の王子とやらじゃなかったか?」
確かに聞き覚えのある名前であった。婚約者になったばかりの当時のヴィーチェは何度も嫌だ嫌だと言っていたが、ここ最近はあまり耳にしていなかったので忘れかけていた存在の名前を聞いて思い出す。
いや、それよりもだ。婚約者の想い人ってのはなんだ? リラはそう思わずにはいられない。
ヴィーチェと婚約しているのに別の人物の存在があることに理解できなかった。
「えぇ、今はお互い婚約者という肩書きだけど、エンドハイト様はキャンルーズ様というお慕いしてる方がいらっしゃるの。周りは結構噂になっているのだろうけど、まだお付き合いはされてないみたいね」
まるで他人事のように話すヴィーチェ。彼女からしたら他人と言えば他人なのだが、将来的に結婚する相手が別の相手に想いを寄せても何も感じないのだろうか……と考えたものの、ヴィーチェにとってはそれは正常であると気づき、リラは今さら驚くことはないかと結論づけた。
何せヴィーチェの興味は自分しかない。そう思ったのもつかの間、リラは何を考えているんだと恥ずかしくなり思い切り首を横に振った。
「それでキャンルーズ様とお話したの。ゴブリンの美醜について語り合ったわ!」
「……」
またゴブリンの話をしてるのかこいつは。そう心の中で溜め息を吐きながら、詳細を聞かなくてもどのような話をしていたのか容易に想像できるためリラは詳しいことを尋ねはしなかった。
「そうしていたらキャンルーズ様がゴブリンに会わせてあげるって仰って転移魔法を使ってこの森に来たの。するとキャンルーズ様は私と価値観が合わなくてむしゃくしゃしたのか、つい手が出てしまったのね。私も油断していたせいで運悪く落とし穴に落ちてしまったわ」
「……事故じゃなく事件だろうがそれは」
「キャンルーズ様は私にゴブリンを見せようとしただけよ。声をかけてみたのだけど、気が動転して助けを呼びに行ったのだと思うわ」
そう告げたあと「あ、入れ違いになっちゃうわね。お手紙をしたためなきゃ」と呟くが、そんなのはどうだっていい。
どう聞いても事故じゃないし、運が悪いで済ます話ではないだろう。これは計画的だ。
獲物を捕えるにしてもこんな深い落とし穴は掘らない。引っ張り上げるのに苦労するからだ。大物なら別だが、大物を狙った陥穽にしては幅が狭いので無意味。
さらに突き落とされた先がその落とし穴となれば故意でしかない。
そのキャン何とかの何をどう判断してヴィーチェは事故と決めつけたのか。普通に考えて嵌められたと理解するのに。もしかしてヴィーチェは正真正銘の馬鹿なのか?
「助けを呼ぶわけないだろ。お前を突き落とすのが目的でしかない」
「リラ様、疑うことは簡単だけど詳しいお話を聞かないうちに決めつけるのは良くないわ」
「……お前、よくそんなこと言えるな。被害に遭ったくせに」
「だってリラ様が決めつけるのは良くないって仰ってたじゃない」
ふふっ、と笑いながら答えるヴィーチェを見てリラは固まった。……そんなこと言ったか? と記憶を掘り起こす。
「小さい頃、ゴブリンの話を誰も信じてくれないだろうと私がお茶会に出るのを渋っていたら、リラ様がそう決めつけるのは良くないって諭してくださったこと今でも忘れられないわ」
言われてみればそんなことを言った気がするなと、ぼんやりと当時の状況を思い出す。
さっさと外部で友人を作って森に通うのをやめてほしいと願っていたので何が何でもそのお茶会とやらに出席させたかったのだ。
とはいえ、それを今この状況でも当てはまるとはとてもではないが思えない。
「お前な……ただでさえここはいつも落ち合う場所よりも奥になるんだぞ。大型の魔物も少なくないし、運が悪けりゃ襲われていた可能性だってある。それだけ危険な状態だってことくらい理解しろ」
もしも自分が気づかなかったらと思うとリラは少しばかりゾッとしてしまう。獰猛な魔物に見つかれば、逃げ場のない落とし穴の中で食われることは間違いない。
いくら腕力が人並み以上のヴィーチェだとしても抗うことはできないだろう。これは悪戯では済まされない。明確な殺意があったと言っても過言ではないのだ。
そう思うと無性に腹立たしく思う。こっちは自分の生活、仲間を守るため、人間が魔物討伐等で足を踏み入れないよう令嬢を傷つけずに配慮しているというのに。
人間が人間を陥れて魔物に処理させようという魂胆が癪に障る。……そう、これは危険を脅かすゆえの怒りだとリラは自分に言い聞かせた。
「リラ様、心配してくださるのね!」
「っ! そうじゃない! 面倒ごとに巻き込まれたくないだけだっ」
「もちろん、リラ様の生活を脅かすようなことはしないわ。安心して!」
「なんの自信だよ……」
「それに私はキャンルーズ様に感謝してるのよ。だって彼女の言葉通りゴブリンに会うことができたんだもの。それも私の一番大好きなお方に」
「━━っ!」
とても眩しかった。常日頃から眩しく感じるが一際輝いているように見える。
まるで煌めく星明かりの瞳。まるで燦々と降り注ぐ日輪の破顔。そして一途ゆえに純粋に、恥ずかしげもなく胸の内を告げる言葉。
リラの心臓はそれらに反応するように小さく跳ね上がる。
その後、リラは珍しくヴィーチェを森の出入口付近まで送ってあげた。深い意味はない。ただの気まぐれだ。
ヴィーチェは始終喜んでいた。まぁ、いつものことではあるが。しかし危ない目に遭ったのだからまた似たような目に遭わないか少し気がかりではある。
……そもそも王子の本命とかいう令嬢が婚約者という立場のヴィーチェに嫉妬したゆえの事件かもしれない。ヴィーチェは王子に関心がないのにそんなことをする意味があるのか? そもそも王子も本命がいるなら婚約を切ればいいだろうに。
ああだこうだと考えるリラにとっては人間のことはもちろん、王族や貴族の考えなんてわかるわけがなかった。
「そりゃあ、あれさね。高貴なる者はその血を大事にするんじゃ。その本命よりヴィーチェの方が上だったんじゃないかねぇ。家柄とか、優秀さとか」
村に帰ったリラは長老である大婆に貴族の婚約事情について尋ねてみた。いや、尋ねてみたというより今日の出来事を報告ついでに、なぜ本命とやらの婚約をヴィーチェから乗り換えないのかと愚痴っていた。
まさかそれに対する返事があるとは思わなかったが。さすが長生きしてるだけあって大婆は人間のことにもそれなりに詳しい様子。
伊達に百年以上生きてると言われてない年齢不詳の長老。一体何歳なんだ。
「たかが血だけで伴侶を決めるのか? よくわからん」
「闘争心の高い魔物でも強者の伴侶となり子を宿すことは誉れとされているからの。場合によっては本人達の感情なんぞ汲み取らんし、それと似たようなもんじゃな」
確かに魔物によっては強ければ強いほど異性にモテると聞いたことがある。それは強い子孫を残すための本能で、そういうところは大体一夫多妻だ。
リラの住む村のゴブリン達は恋愛結婚が普通なので一夫多妻制については理解できない者が多いだろう。しかしリラにとっては元より興味がないのでどうでも良かったため「ふーん……」としか答えようがない。
どちらにせよヴィーチェは簡単に婚約から解放されない状態なのだと思うと、それはそれで貴族達が用意されたレールに歩かされて可哀想にも感じる。
裕福と言えど、自由に生きられないならやはり貴族には生まれたくないものだ。
「それにしてもお前さんは我々の中でも飛び抜けて強い割にはモテんのぉ」
「余計なお世話だっつーの!」
ホッホッホ、と笑う年長者の言葉にリラは声を上げる。別にモテなくても気にしないし、そもそもモテてるだろ。と、思ったところで人間の小娘の顔を思い浮かべたリラは何かを認めたようで悔しい気持ちになって頭を掻き毟った。
「そういえばリラや。お前さんそれで寒くないんかい?」
「……あ」
大婆の言葉でリラは思い出した。自身の毛皮をヴィーチェに渡したままだったということを。




