公爵令嬢は男爵令嬢に突き落とされる
その日、ヴィーチェは昨日と同様に緑肌病患者を探して治療する活動をしていた。
とはいえ治療法を聞いて拒絶する人も多い。それでもライラとティミッドのフォローや、昨日治療して元気になったイオナの話が広まりつつあったため、ヴィーチェが提供する治療を受ける人も少なくはなかった。
断られた数が多くても受ける人が少しずつ増えていけば治療を断った人達も考え直してくれるかもしれない。
「想像よりも治療法を受け入れてくださる方が多かったですね」
「えぇ、ライラやスティルトン様、それにイオナのおかげだわ。ありがとう」
「いっ、いえ! 全てはヴィーチェ様の、その、おかげですっ! ヴィーチェ様が緑肌病患者に寄り添っていただいたことはとても素晴らしいことですし、希望を与えていただいた女神様です!」
自分一人ではここまで成し遂げられなかっただろう。友人達に感謝をすると真っ赤になったティミッドに過剰なほど褒められた。さすがにそれは言い過ぎよと笑えば相手は「そんなことはありませんっ」と力強く首を横に振る。
「ヴィーチェ様、明日の活動はお休みですが、明後日もまた王都に集合でしょうか?」
「いいえ、治療法は難しいものではないし、あとは完治したみんなが広めてくれるはずよ。だから次は違う場所で普及していきましょ」
王都での活動は今日で打ち止めにして、次はまだ治療方法を知らない地域へ伝えることに決めたヴィーチェはライラとティミッドに次に向かう場所を話し合い、少し早めに解散した。
せっかく王都へと足を運んだので新しいゴブリンに関する本探しをしようと、ヴィーチェが昼下がりの街中を歩いていたときのこと。
「あの、ファムリアント様……」
誰かに声をかけられ、ヴィーチェは振り返る。相手は見覚えのあるアイビー色の髪をした令嬢。
「あら? あなたは確か、エンドハイト様の……お、友達の方かしら?」
想い人、と口にしてしまいそうになったがヴィーチェはすぐに友達と言い換えた。エンドハイトがまだ彼女に想いを告げていないのならそれを自分の口から言うのは野暮なことと考えて。
「あ、はい……」
「そういえばお名前を聞きそびれていたわ。あなたのお名前は?」
以前会った際に相手からの自己紹介がなかったため、名前を知らないままだった。
本来ならば彼女は名乗るべきなのだが、そのことに関しては「もしかしたら彼女は世間に疎いのかもしれないわ」とヴィーチェは思ったため不快には感じていない。
「えっと、リリエル・キャンルーズと、申します」
「キャンルーズ男爵家のご令嬢でしたのね。一体どうしたのかしら?」
淡い桃色のコートを着込み、まだどこかあどけない愛らしさが残るリリエルはおどおどする様子を見せつつも、その瞳は何かを狙っているかのように強い信念のようなものを感じた。
だからこそヴィーチェは彼女が自分に特別な用件があるのだと察する。
「ファムリアント様は……なぜ、ゴブリンに執着をなさっているのでしょうか?」
「まぁ! キャンルーズ様はゴブリンのお話に興味があるのね!?」
思いもよらぬ話題にヴィーチェは喜びを露わにした。今までも何度かこの手の話題を受けたことがあり、その度にヴィーチェはリラの話を延々と語るもほとんどの者は途中で離脱してしまう。
なぜなのか。もっと興味を引く話を先にするべきなのかしら? といつも考えるばかり。
そして今回、リリエルからゴブリンに関する話題を振られたヴィーチェは今度こそ逃がさないようにと意気込んだ。
あわよくばゴブリンファンが増えるように、と。
「それでしたらどこかお茶ができるお店にでも移動してゆっくり話を━━」
「ゴブリンは醜いのよ」
ヴィーチェの言葉を遮る強い口調。先ほどの落ち着かない様子はどこへいったのか、嬉しそうに舞い上がるヴィーチェとは対照的にリリエルは冷徹な眸子で睨みつけてくる。
がらりと雰囲気が変わったリリエルに不思議そうに目弾くヴィーチェだったが、すぐに相手の発言にハッとして異を唱えた。
「そんなことないわっ。私がお慕いするゴブリンのリラ様なんてまるで生きた彫刻のように素晴らしい肉体を持ち、仲間思いだけじゃなく私達人間にも優しくしてくださるお心の綺麗な方よ。醜いところなんて全くないし、むしろ格好良くて世の女性達がみんなリラ様を狙わないか心配だもの。それに他のゴブリンもみんな素敵な方達よ。きっとあなたはゴブリンを見たことがないからそんなことを口にしてしまうかもしれないけど━━」
「見たことあるわ」
またも話してる最中にリリエルの言葉が割って入る。思いもよらぬ話題の次は思いもよらぬ返答。さすがのヴィーチェもこれには驚いた。ゴブリンを見たことがあるという人の話はこれまで聞いたことがなかったから。
「醜くて、卑劣で、とにかく気味が悪い。殺されても仕方ない種族……」
まるで恨み言のようにその言葉は気迫に凄みがあった。そしてぶつぶつと何かを呟き始める。言葉はあまり聞き取れなかったが「気持ち悪い……」や「低俗……」という侮蔑したような発言がいくつか耳に入った。
「……キャンルーズ様、なぜそのようなことを仰るの?」
ゴブリンの話をして不快そうな表情をする人を何度も見てきた。しかしヴィーチェはめげないし、その認識をひっくり返すという強い意志がある。
リリエルに対しても怯むことはなかったが、今までの人達とは違って強い憎悪のようなものを感じたため、直球で尋ねた。すると独り言のように呟いていたリリエルの言葉がピタリと止まる。
「なぜ? それはこちらの台詞よ。どうして当たり前の感覚があなたにはないのか意味がわからないもの。妄想だから美化してるだけなのかもしれないけど」
「あら、キャンルーズ様も妄想だと思われてるのね。どうしたら信じてくれるのかしら」
「知らないわよ。でもそんなにゴブリンが好きなら会わせてあげる。まぁ、運が良ければ、だけど」
どういうことかしら? そう問いかけようとしたらリリエルが急にパチンと指を鳴らした。
瞬間、王都の景色が変わり、木々に囲まれた森の中と思わしき場所へヴィーチェとリリエルは立っていた。
賑やかな街中を行き交う人達の姿もお店や家などの建物もなく、活気ある声も馬車を走る音も聞こえない。
おそらく転移か幻覚の魔法を使用したと思われる。指を弾いたところを見る限り、それが上手く魔力を練り上げられる所作なのだろう。
魔法を扱う人は魔力を練り上げて発動するのだが、上手い人は棒立ちだけで簡単に魔法を使用できる。
しかしほとんどの人は上手く扱えないものらしく、それを解決するひとつの方法として魔法動作を加えるのだという。そうすることで魔力を練り上げるイメージがしやすいのだそうだ。
例えば手のひらを対象物や相手に向けたり、パンッと手を叩いたり、指で描くように動かしたり、と人によって様々である。
リリエルにとっての魔法動作が指を鳴らすことなのだろう。
けれど転移魔法にしても幻覚魔法にしても使用する人はなかなかに少ない上級もの。それを扱えるのは凄いのだろうけど、彼女がそのような上級魔法を扱えるとは聞いたことがない。
むしろ聞いたことがあればもっとリリエルの知名度は上がって、ヴィーチェも顔を見ただけで相手が誰なのか理解できたはず。
けれどヴィーチェの記憶の中では魔法が秀でた生徒の中にリリエルはいない。ということは魔法を使用する力を隠しているのだろうか。
なぜなのか? そんな疑問を浮かべるもヴィーチェは深く考えなかった。何か事情があるのだろうと察したため。
そして何より樹木の生い茂ったその光景と樹皮や草花の香りはとても慣れ親しんだものだったため、ヴィーチェはそちらに気が向いた。
「ここってもしかして……!」
「魔物の森。ファムリアント領地に一番近い森の奥よ。会えるといいね、本物のゴブリンに。他の魔物の餌になるかもしれないけれど」
リリエルがそう口にした瞬間、ドンと強い衝撃がヴィーチェの身体に響いた。返事をする間もないほど急な攻撃に驚いてしまう。どうやらリリエルの両手によってヴィーチェは強く押されてしまったようだ。
せっかく習った護身術も興奮気味だったせいで咄嗟に反応できなかったが、せめて受け身だけでも取らなければ。
そう思ったのだが、突き飛ばされた先は深い穴だった。
「!?」
声を出す暇もなくヴィーチェはその穴の底へ落下してしまう。それでも致命傷はしっかりと避けたため、頭を打つようなことはなかった。
過去に頭を打って気絶したときはリラに心配をかけさせてしまったので、もう二度と起こさないようにと何度も頭を守るイメージトレーニングをしていたので完璧である。
「いたた……」
とはいえ無傷ではない。膝などに多少擦り傷を負ってしまった。
しかしそんなことを気にしている場合ではないのでヴィーチェはゆっくりと立ち上がって上を見上げる。
「キャンルーズ様ーー! いらっしゃるかしらー!?」
穴の中で叫んでみるも反響するだけでリリエルの返事はない。近くにいないのだろうか。
まさか突き飛ばした先に穴があるなんて思ってもなくて彼女も気が動転したのかもしれない。そのまま助けを呼びに行ってくれたらいいのだけど。
「うーん……登れるかしら?」
穴と地上の距離はおおよそ三メートルくらいと思われる。傾斜もなく垂直に掘られたであろう穴。木登りなら問題はないのだが、足や手を引っ掛けるような窪みも突出したものもないのでなかなかに厳しい。
それでもひとまずチャレンジだとヴィーチェはよじ登ろうとしてみた。
指の力で硬い土壁を何とか掴もうとするも脆く崩れるか、つるっと滑るだけで登り始めることすらままならない。
それでも何度も試してみること一時間。成果は全くなかった。
「これは困ったわ」
手はボロボロになり、衣服も土で汚れてしまったがそれよりも冬の寒さに身が染みてしまう。いくら防寒しているとはいえ、寒くないわけではない。
けれど穴から出たほうがもっと寒いはず。穴の中だからこそまだ寒さはしのげているのだろう。
ここは無理に体力を消耗するより少し休憩を挟みながら脱出方法を考えるべきかもしれない。
最悪、日が暮れたとしてもここで夜を明かすくらいはできるだろう。幼い頃は家出してこの森にこもったこともあるし。
ただ食料や飲料などの調達ができないので脱出をするなら早いに越したことはない。
でもリラ様の住む森の中なら、と。ヴィーチェは一番頼りになる相手を思い出す。
息を吸って、遠くまで聞こえるようにと大きな声でヴィーチェは愛しの人の名を叫んだ。
「リーーラーーさーーまーー!!」
それから何回も何十回も。もしかしたら百をも超えたのかもしれない。それだけヴィーチェはリラの名を叫んだ。
「リラ様ーー!!」
時間の経過はわからないけれど、そろそろ喉が枯れかけていると気づく。
喉を休めるべきか悩み始めるヴィーチェだったが、ちょうどそのとき穴の上からこちらを見下ろす大きな影ができた。
「は……? お前、何やってんだ……!?」
ずっと呼びかけていた相手がその姿を見せると、疲弊し始めていたヴィーチェはテンションを大きく上げた。
驚きと戸惑いの様子を見せるリラとは違い、嬉しさマックスである。
「リラ様っ! 良かったわ! 助けてほしいのっ!」
やはり私達は運命なのね! そう思いながらヴィーチェは大きく手を振って助けを求める。
リラは拒絶することも渋ることもなく、すぐさま落とし穴へと飛び込んでくれた。
高い所から飛び降りても強靭な肉体を持つ彼にとってはへっちゃらなのだろう。何ともない顔をしているところを見ると、リラにとっては軽くジャンプしただけに過ぎない。脚力も相当強いと思われる。
なんて勇ましいのか。いくら彼の名を叫んだとはいえ、こうして困っているところに現れるとまるで英雄のようだ。そんなリラの登場にヴィーチェはさらにメロメロになってしまった。




