ゴブリンは仕方なく公爵令嬢の面倒を見る
ヴィーチェと別れてから五日。リラはあえて彼女と初めて会ったあの場所へは近づかなかった。
また娘に捕まってあれこれ話を聞かされ、旦那だの夫婦だの言われたくはないからだ。そして何より人間と関わりたくない気持ちが強い。
五日も放っておけば娘も飽きて二度と森には来ないだろう。そろそろ諦めてくれたらいいが。そう思って本日の狩りに出かけようとリラは動き出した。
森の奥にあるゴブリンの村にてリラと同じく狩りに出ようと力ある者達が村の入口へ次々と集まる。
「よぉ、リラ。最近難しい顔ばっかしてんな」
リラに話しかけたのは友人のアロン。リラとは対照的で明るく笑みの絶えないお調子者。そんな彼は自分よりも倍以上に大きいリラの腕をバシッと叩く。
「いつもこうだ」
「そうか? 眉間の皺がいつもより二割増しじゃね? まぁ、いいけど。それより聞いたか? ブラッディベアが出たんだそうだ。お前なら楽勝だろうけどな」
ブラッディベア。獰猛な熊の魔物で鋭い爪を持ち、腕力も相当あるので下手に手を出すと命に関わるほど厄介な相手。しかしリラにとっては恐れるに足りない。
「久しぶりのご馳走か」
「西の方で暴れ回ってるんだってよ」
「西……」
西と言えばそれこそあの小娘と出会った場所の範囲でもあるな、とリラはぼんやりと思い出す。
まぁ、そんなピンポイントで顔を合わせるわけないだろうし、何より木に登って魔物をやり過ごしているらしいから身の危険はないだろう。……いや、何を気にしてるんだ俺は? 別に心配はしていない。それにもうあの場に来ていない可能性だってあるのだから気にする必要もない。
自分に言い聞かせるように言葉を並べ、ヴィーチェのことを考えないように頭を振るが、ふと気になったことを友人に尋ねた。
「……今回の大きさは聞いてるか?」
「ちらっと見た奴によると三メートルくらいって話だな」
三メートルか。三メートルなら木の上に隠れてる奴を見つけることもできなくはない……。
「……ブラッディベアは人間も食うのか?」
「食うんじゃね? 肉食だし」
「……」
「どうしたんだリラ?」
「西の方に向かう」
「おっ? 早速行ってくれんのか? 嬉しいぜー! 頼むな! ……って、もういねぇ。そんなに待ちきれねぇのかあいつ」
アロンが言い終える前にリラは先に西へと向かって駆け出していった。
いつもの狩りに出る時間より体感として少し早いが今はそんなことを気にする余裕は彼になかったのだ。
◆◆◆◆◆
リラは急いだ。娘、ヴィーチェと出会ったあの場所へとひたすら走る。何度も言うが別に心配ではない。ただ厄介事だけはごめんなのだ。
貴族の娘が死ぬ=行方不明になった娘の親が騎士団を雇い捜索する=森の中で娘が遺体となって発見される=魔物のせいにされ、とばっちりを受けるはめになる。
そう考えたリラは何としてでも娘を無事に家へと帰さなければならなかった。仮に手遅れであってもその遺体を人間に見つからないように隠せばいいだろう。見つかりさえしなければまだ何とでもなる。
一番安心なのはヴィーチェがリラに飽きて来なくなっていることだ。
「ひゃわわわわわわっ!!」
「!」
子供のものと思われる声が聞こえた。リラの嫌な予感は当たってしまい、思わず頭を抱えたくなったがそうやっている暇はない。
人間の小娘との出会いの場所へ辿り着けば、そこには大きなブラッディベアが木の上にしがみつくヴィーチェに手を出そうとしていた。
三メートルだと? 五メートルはあるだろ! そう叫びたくなるほど噂のブラッディベアは大きかった。あれだけの体長があれば木の上でいつも魔物をやり過ごすヴィーチェなんて簡単に見つかるどころか見下ろせるほどだ。
「ったく!」
舌打ちをしたリラはブラッディベアの元へ走り出す。近くにある木を踏み台にし、ブラッディベアの体長より高くジャンプした。
両手を組むように握りしめ、目標の頭上へと力強く振り落とす。その衝撃で足元を覚束せたが仕留めたとは言えない。リラはさらに頭を殴り続け、ブラッディベアを地面へと叩きつけた。
そしてがら空きとなった背中へと飛び乗ると、首に腕を回して力の限り絞める。相手ももちろん暴れようとするが背後を取ったリラを振り落とすことは出来ない。
しばらくして息の根を止めたのか、ふっと力がなくなった大きな体格の魔物は大きな音とともに倒れ込み、動かなくなっていた。
念のためにトドメを刺そうとブラッディベアの心臓へと己の腕を突き刺し、その巨体に穴を開ければすぐに抜き取る。知能ある魔物なら死んだフリも有り得るので油断はできない。
「……よりによってこんな所に出てきやがって」
ブラッディベアの血がべったりついた自分の腕を見て大きな溜め息を吐き捨てたリラは、叫び声を上げていたヴィーチェのいる木を見上げた……のだが。
「リラ様ぁぁぁぁ!!」
なんと小娘がリラ目掛けて飛び降りたのだ。木の高さはそれなりにある。むしろ人の子だというのによく登れたな? と思うほど。
しかし、人間の子供はあまりにもか弱い生き物ということを知っているリラはこのまま避けると地面にぶつかってそれこそ死んでしまうと瞬時に判断し、慌てて少女を汚れていない方の腕と自身の胸で抱き留めた。
その勢いのせいでバランスを崩し、尻もちをつくはめになってしまったが。
「……っ」
「リラ様ぁぁぁぁ!! リラ様ぁぁぁぁ!!」
「だから言っただろ……ここは人間の子供が来る所じゃないって……」
胸元でしがみつき叫ぶ少女。さすがに怖い思いをして泣き喚いているのだと思った。
慰めになるかわからないが頭を撫でてやるべきかと考える。しかし魔物の身体を突き刺して血のついた手では娘を汚してしまうと思い、すぐにその手を引っ込めた。
少女からふるふると震えているのを感じたリラは、やはり泣いているのだろうと確信する。
これに懲りてもう森に来ることはないだろうと思った。そう、思ったのだが……。
「とぉぉぉぉってもかっこよかった! さすがヴィーの王子様!!」
顔を上げた娘は泣いて震えているどころか、感動に打ち震えていた。
「……」
どうしてそんな反応になったんだ。そう思わずにはいられなかった。
どう考えても今のは恐怖に震えてもう森には行きたくないと喚いてもおかしくないトラウマレベルのものだっただろうが。
「……お前、どういう神経してるんだ?」
「? リラ様はかっこいいって思ってる! 大好き! リラ様っ!!」
「あーもうっ、抱きつくな! 血がついてもいいのかっ?」
「いいっ!」
「良くない!」
血で汚れたらそれこそヴィーチェの家族が大騒ぎになるし、魔物のせいだと言われかねない。リラは必死に血で汚れた腕をヴィーチェに触れないように上げたり後ろにやったりと避ける。
そもそも血で濡れたゴブリンを見て逃げ出さない子供の方がどうかしているのだ。
「リラー。騒ぎ声が聞こえたけど大丈夫━━か?」
そこへリラの声が聞こえて近くにいたらしいアロンが駆けつけに来たようで茂みから姿を現した。
しかし友人の目に映るのは人間の子供に抱きつかれるゴブリンのボスである自分だ。さすがに相手もどういう状況かわからず言葉を失っている様子。
「……」
リラもなんと説明をしたらいいのか言葉が思いつかず、難しい表情をするしかない。
「リラ……お前、隠れて人間の子を飼ってたのか?」
「違う!! お前もいい加減離れろっ」
「あーん!」
とんでもない勘違い発言に強く否定したリラは抱き留めた手でヴィーチェの首根っこを掴むように引き離すと、娘は短い手足を彼に向けながら残念そうな声を上げる。
そしてリラはこれまでのことを友人に話をした。
◆◆◆◆◆
「アッハハハッ! まさかお前が人間の子に気に入られるなんてなっ」
リラの傍から離れないヴィーチェを見ながらアロンは腹を抱えて笑った。
「笑いごとじゃないだろ」
「いやいや、だって人間も魔物も裸足で逃げ出すようなうちのボスがこんなチビッ子に好かれるなんておもしれぇだろ? だからブラッディベアが人間を食うのか気にしてたのか」
「言っておくが、こいつが心配だからじゃない。こっちの被害を心配して━━」
「よぉ、おチビちゃん。お前、俺らのこと怖くねぇの?」
話の途中でアロンがしゃがみ込んでヴィーチェに声をかける。リラは話を遮った彼に「オイ」と苛立ちのこもった声で呼ぶも、アロンは気にしなかった。
「おチビちゃんじゃないわ! ヴィーチェよっ」
「そうかそうか、おチヴィーチェな」
「ヴィーチェ!!」
ぷくっ、と頬を膨らませ、地団駄を踏むヴィーチェにアロンはさらに声を上げて笑った。
「アッハハハッ! 悪ぃ悪ぃ! で? ヴィーチェはゴブリンが怖くねぇの?」
「リラ様は怖くないわ! ヴィーの旦那様でヴィーを二回も助けてくれたんだものっ」
ふふんっ、と自慢するような顔で腰に手を当てるヴィーチェ。その発言にリラは顔に手をやり、深い溜め息を吐き捨てる。別にこっちは好きで助けたわけじゃないのだから。
「じゃあ、俺は怖いか? ほら、牙もあるし、リラほど大きくはねぇけどお前よりは大きいぜ?」
「あなた、リラ様のお友達?」
「ん? 友達だぜ」
「じゃあ、怖くない! リラ様のお友達だものっ」
堂々と言い切るヴィーチェにアロンは面食らったかのように瞬きをする。その後、ぶはっと吹き出すように笑った。
「あっひっひひっ! やべーな、リラ! こいつお前基準で判断してんぞ!」
「だから笑いごとじゃないって言ってるだろ……」
「いやぁ、なかなかおもしれーよ、このおチビちゃん。このくらいの子供なら俺らで飼ってもいいんじゃね?」
「やめろ。そいつは良いとこのお嬢様ってやつだ。誘拐されたと思われて人間共が森へと踏み込んで来たらたまったもんじゃない」
ヴィーチェの頭を乱暴にガシガシと撫でまくるアロンは嫌がる様子のヴィーチェの反応をさらに面白がっていた。
しかしリラの反対を聞くと残念そうに「ちぇー」と呟く。
「こんな森に一人で来るような子ならどうせこいつの両親もいらない扱いをされてんじゃねーの?」
「……」
まさか。そう思ったリラだが、確かに何度も森に入ってくる令嬢に対策どころか監視すらしていなさそうと思うと、その可能性もあるのか? と考えてしまう。
いやいや、でも世話人みたいな奴がこいつを捜しに来てたしな……。
ああだこうだ悩むリラだったが、答えがわからないので本人に聞くことにした。
「ヴィーチェ。お前、家族は好きなのか?」
「! えぇ、もちろんよ! お父様もお兄様も大好き!」
「んん? おかーさまは?」
「お母様はヴィーが赤ちゃんの頃にお星様になったの」
「……」
「……」
どうやら聞いてはいけない話だったようだ。リラとアロンはなんと口にしたらいいかわからず言葉に詰まってしまう。けれどもヴィーチェは特に気にする様子はなく話を続けた。
「でもね、お母様はずっとヴィーを見てくれるのよ。悲しむよりも悩むよりもヴィーの思うままに行動しなさいって教えてくれたわ」
いや、思うままに行動しないでくれ。そう口にしたかったリラは眉間に深い皺を作る。
「……おチビちゃんの親は放任主義なのか?」
「知らん。とにかくわかっただろ。こいつを連れて帰ることはできない」
「しゃーねぇや。じゃあ、リラがここで毎日面倒見るしかねーか」
「……は?」
突然こいつは何を言い出すのか。不可解な友人の言葉にリラは返事をするテンポが遅れた。
「だって村で飼えないけど、毎日ここにやって来る上に怪我すらさせるわけにはいかねぇっつーんだろ? じゃあ、リラが責任持っておチビちゃんの面倒見て帰らせるしかないじゃん」
「俺は子守りする趣味はないっ」
「そんなこと言ってもまた魔物に襲われる可能性もないわけじゃないし、おチビちゃんに何かあるほうが面倒って考えてるんだろお前は」
そう。そうだけど、なぜ俺が捨て猫を隠れて世話をするようなことになるんだ?
そんな目でアロンに訴えかけると、相手はリラの背中をバシバシ叩きながらいい笑顔を見せる。
「相談くらいなら乗ってやるからよ!」
こいつは絶対に面白がっている。リラは確信した。他人事だと思いやがって。そう悪態つこうとしたが、痛いくらいの視線が下から突き刺してくるのに気づき、そちらに目を向けると、そこにはキラキラした大きな目でリラを見つめるヴィーチェがいた。
「リラ様、毎日来てくれるのっ!?」
ヴィーチェにとって五日ぶりのリラとの再会。それが毎日会えると思うと興奮しないわけがない。
そんな彼女の勢いに飲まれながらリラは何度目かもわからない悩みの大息を零すのだった。