ゴブリンは公爵令嬢に治療を試し、再度別れる
「さすがリラ様! 博識だわっ! そのような治療法があるだなんて!」
治療法を聞いて気持ち悪がるどころか尊敬の眼差しを向けられる。しかしリラは自分のことを博識だとは思っていない。
「俺は大婆から聞いただけだ。勘違いするな」
「しっかりと覚えていらっしゃるのだから知識として培われているのよ。博識で間違いないわ」
「そうかよ、そりゃどうも」
何がどうあっても持ち上げてくるヴィーチェ。本当に都合のいい娘である。
まぁ、いい。今さらだと思いつつリラはヴィーチェの腕を引っ張り、患部にストネンバグを乗せた。
緩慢な動きで白い幼虫は緑に変色したヴィーチェの肌に染み付く魔力を吸い取っているのか、患部に密着しているようだ。
痛みはないと聞いていたので心配はなかったが、念のためにヴィーチェの様子を窺えば、どこか擽ったそうな表情を見せていた。
「ふふっ。この子可愛いわね」
可愛いという感覚はわからない。格好いい虫ならまだしも。ただでさえストネンバグは動きもあまりない虫なので地味な部類である。村にいる子供の人気も高くない。
数分ほどそのままにしているとストネンバグはコロンとヴィーチェの腕から落ちた。慌ててヴィーチェが幼虫を拾う。
「リラ様、この子何だか硬くなっちゃったわ! どうしたらいいのかしらっ?」
ヴィーチェの両手によって掬われたストネンバグは先ほどとは違って丸くなり、石のように硬くなっていた。
「栄養を取って蛹状態に入っただけだ。そこら辺の木の枝に乗せておけ」
「随分と蛹化になるのが早いのね」
「植物の魔力が食料源だから普通の虫とは違うからな」
ヴィーチェはリラの指示通りに近くにあった木の枝へと蛹化したストネンバグを乗せた。安全な場所と判断したのか、蛹から糸が出てきて枝に定着する。
「ところで痣はどうなった?」
「痣……あ! なくなってるわ! 硬くもないっ!」
ストネンバグが食事として患部を覆っている時点で結果はわかっていたが、リラはヴィーチェに確認を取る。
すぐに彼女は緑色の肌があった箇所を目視し、さらに感触を確かめた。どうやら元に戻ったようである。
「これではっきりしたな。お前らの言う緑肌病とやらは鉄石症で間違いないだろ」
「凄いわリラ様っ! ありがとう! でも、せっかくリラ様とお揃いの色になれたのに消えてしまったのは残念だけど」
「肌の色くらいで残念がるなよ……」
まだ患部の色について未練があるのかよこいつは。肌の色にこだわりやがって。ゴブリンになりたいつもりなのか。
……まぁ、ゴブリンとして生まれていたら無駄な心配もしがらみも大幅になくなっていただろうな……と、そこでリラはハッとする。
もしも、なんて夢物語みたいなことを考えるなんてどうかしていると考えを払拭するように頭を横に振った。
「それにしてもこんなにも簡単に治ってしまうなんて驚いたわ。緑肌病は治療法がないから重症化して苦しんでいる人達もいると聞くのに。人間は誰もこの治療法を知らなかったのかしら?」
「それがどうかは知らないが原因さえわかれば治療法としては簡単なもんだがな。大婆は若い頃に鉄石症で動けなくなった仲間を見つけたが、ちょうど近くにストネンバグがいたみたいで、群がっていたところだったんだとよ。それがきっかけで治療を知ったらしい」
大婆の若い頃ってどのくらい昔かはわからないがな。何にせよその現場に居合わせたおかげで植物の魔力を啜るストネンバグが病変部を吸っていることから原因も解明したので凄い発見ではある。
「……ねぇ、リラ様。この治療法を私達人間にも広めても大丈夫かしら? 学院の生徒にも同じ病を抱えてる子もいるし、辛い思いをしてる方もいるの」
これはどうしようか。リラは考えた。人間がどうなろうと知ったことではないし、教えてやる義理もない。むしろ人間が知らないことを知っているという愉悦感もある。 ……なのに、易々と小娘に治療を試したという矛盾がリラにのしかかる。
「……別に俺の許可はいらないだろ。そもそも俺だって大婆から聞いたやり方だからな」
そう答えるしかなかった。もし駄目だと言ったらヴィーチェが「私だけのために……!?」と言い出す可能性がある。調子を乗らせてたまるものか。
「リラ様お優しい……! 好意的じゃない人間にも治療法を教えてくださるなんて!」
「人間のためじゃないからな! 隠すほどでもないだけだ!」
それだけは履き違えるなよ! と強く言うがヴィーチェは嬉しげに笑うだけ。なんでこいつはいつも笑ってばかりなんだか。少しは怯めよ。
そう思いながらまたリラは溜め息を吐き捨てたのだった。
ゴブリンの頭としての威厳が失われてるんじゃないかと思い始めるリラがヴィーチェの皮膚病を治した翌日、ヴィーチェと会う最後の日を迎えた。
明日、ヴィーチェは学院へと戻る。リラにとってようやく夏季休暇中の子守りから解放されることになるのだ。
何年かぶりの毎日の顔合わせ。別に毎日会う必要はないのに、ヴィーチェが当たり前のように通うからリラもそれに合わせた。
頻度を減らすように言っても良かったが、なぜか口が動かなかった。日が空いたせいで毎日会っても飽きが来ないほど充実していたからかもしれない。
……別にヴィーチェと会うのを楽しみにしてるわけじゃない。これはただの暇潰しだと言い聞かせながら。
「今日でリラ様と最後の逢瀬だなんて……時の流れは残酷だわ」
「逢瀬じゃない」
「もうっ、リラ様ったら」
いや、なんでいつもこいつは「また照れちゃって」という微笑ましげな顔を向けるんだよ。脳の構造はどうなってるんだ?
「でもまだまだ話し足りないわ」
「昔から思ってたが、なんで毎日話して尽きないんだよ」
「色んな話をリラ様としたいし、リラ様からのお話も聞きたいと思っていたら次々と話題が出てくるわ」
……俺から情報を聞き出しているみたいに聞こえるな。やっぱり人間側の密偵か何かじゃないのか? 身体能力向上に加えて、話術にも長けているとなると……危険な存在じゃない方が不思議だ。
警戒するに越したことはない……が、長年の付き合いもあってかそうは見えない。それが作戦なのか? 思えば村の連中とも簡単に打ち解けていたからな。
危険な芽は早く摘むのがいいが……。
「それでこちらをリラ様に差し上げます」
突然押し付けられる深緑の本。絵本よりは分厚く、人語の教本よりは豪華に見える表紙。
「なんだこれは?」
「日記帳よ」
「日記……?」
「学院で起こったことを綴った記録ね。話せなかったことも沢山書いてるわ」
「いらん。文字が読めないのを知ってるだろうが」
「ルナンに読んでもらって。彼女が一番文字を理解しているはずだから」
もう仲間の名前まで把握してるのか。たった数時間ほどしか村に滞在していなかったはずなのに。
「一体村のことをどこまで理解してるつもりだ? まさか何か企んでるつもりか?」
口にするつもりはなかった言葉が出た。疑心が募るせいか、口調も強めになる。
「さすがリラ様だわ! 私の行動はお見通しなのね!」
簡単に認めやがった。それを一体どういう意味で言ってるつもりだこいつは。
「……何を企んでた?」
答えようによっては腹を括らなきゃいけない。……いや、腹を括る必要はないだろうけど。こんな娘、いつでも捻り潰すことくらいできるのに。
そう、俺はゴブリンの仲間を束ね、守る頭だ。村の奴らに手を出すなら容赦しない。この手で消すまで。
「ご近所付き合いっ」
「……」
染まる頬に手を当てて答えた内容に言葉を失う。いつでも息の根を止める覚悟ができていたのに抱いていた疑心は霧散していく。その代わりに呆れを抱かずにはいられなかった。
「リラ様と結婚したとき、色々教えていただけるように仲良くしたいもの。村の掟とか何も知らないと大変だから」
「村に住もうとするな」
ダメだ。こいつはいつもこんな調子だった。裏があるとか思うのが馬鹿らしい。
「わかってるわ。もう少し大人になるまでよね?」
「全然わかってないだろ」
「大丈夫よ、リラ様っ。学院を卒業するまではちゃんと我慢するものっ」
「そうじゃない。住むなって言ってるんだよ俺は。貴族が住むような場所じゃない」
「あら、リラ様ってば心配性なのね」
ふふっ。と笑うヴィーチェを見ると反論する気がなくなり、流されてしまう。いや、何を言おうが都合良く前向きに受け止められるので諦めるしかない。ああだこうだと続けるだけで体力が持っていかれる。
「……もしかしてリラ様ってば、私が他のゴブリンに心変わりするんじゃないかって不安なのねっ! 大丈夫よ! 私はリラ様にしか一生を捧げるつもりはないものっ。安心して!」
「そんな不安は何一つ感じてないが?」
「ということは私の一途な想いを信じてくれるのね!」
「……」
確かにそうではあるが、俺が言いたいのはそういうことではない。
「そもそも人間が村に住むなんて誰も認めてくれるわけないだろ」
「問題ないわ、リラ様。ちゃんと大婆様にも許可を貰ったもの!」
「大婆にだと!?」
村の長老である大婆が人間である小娘の転住を許すのか? 同種族じゃないんだぞ。ボケてきやがったのか、それとも戯言だと思って適当に合わせたのか。
どちらにせよヴィーチェが調子に乗るようなことは言わないでほしい。
……さすがに大婆も本気じゃないよな?
「あ! そろそろ帰らなきゃっ」
ハッとするように帰宅宣言をするヴィーチェにもうそんな時間が経ったのかと空を見上げるが、まだ夕刻には程遠い色合いだった。
「今日は早いな?」
そう尋ねたあとですぐに気づいたが、これでは俺がヴィーチェと離れ難いように聞こえやしないか?
「明日寮に戻るからその準備をしなきゃいけないの。明日に回してもいいのにアグリーが『準備は前もって!』って言うのよ」
やれやれ。と言わんばかりに溜め息をつくヴィーチェ。今まで何度も聞いたアグリーという侍女の名。いつもヴィーチェに振り回されているようなので、おそらく侍女の方が溜め息をつきたいはずだ。
「リラ様。名残惜しいけれど、立派な淑女となってリラ様のお隣に相応しい女性になるために学院へ戻るわね。次はちょうど四ヶ月後の冬季休暇にお会いしましょうっ」
「……おう」
思ったよりも駄々を捏ねなかったな。それに次は四ヶ月後。今回よりひと月長い割にはあまりにもあっさりとした別れの言葉だ。
どこかモヤッとする。なんだこれ。やっと娘の休暇が終わって平穏が訪れるというのに。
自分の感情の変化に戸惑いながらも、一言返事をするとヴィーチェは「約束よ、リラ様っ!」と輝かしい笑顔とともに勢いよく森の中を駆け抜けていった。
腕力だけじゃなく脚力もパワーアップしている。嵐のようだとは思っていたが、本当に嵐のような威力になりかねない。
「……あー、くそっ」
明日もやって来そうな軽い別れだけがどこか引っ掛かりを覚えてしまう。しかしそう感じてしまった己にも苛立ちながらリラは頭を掻き乱した。




