ゴブリンは公爵令嬢のために治療法を探す
ヴィーチェと別れたあと、村に帰ったリラは殺風景で狭い石造りの明かりのない家の中で一人考えていた。もちろんヴィーチェが患ったであろう病のことである。
痣と思っていた緑化した患部。触れば石のように硬い。しかも病が進行すれば動かなくなると言うではないか。
特効薬もない未知の病であろう緑肌病。別名ゴブリン病らしいが、肌が緑になること以外全くゴブリンに関係ないのが腹立たしいが、それは一旦置いておく。
ヴィーチェは大丈夫なのか、今はそれが気にかかる。おそらくもっと重大に考えなければならないはず。
『でも大丈夫よ! 今は元気だものっ。それにリラ様への愛の力さえあればどんな病もへっちゃらなんだから!』
相手はあっけらかんと物を言うが、自分の身に起きていることなのにあまりに危機意識が薄い。どうしてこうもポジティブなのか。むしろそれが病気なんじゃないかとも思ってしまう。それに愛の力でどうにかなるなら薬なんかいらないだろうが。
まだ症状が軽いから深く考えていない可能性もあるが、楽観的にもほどがある。
「はぁぁ……」
深い溜め息。ヴィーチェに関わってからどれだけの溜め息を吐き出したことだろう。そもそも治療法がない病について人間よりも文化が劣るゴブリンではどうしようもないのだから考えるだけ無駄である。
小娘のことで頭を悩ますのも馬鹿らしい。今日は早めに寝ようと敷き布の上に寝転がって寝る体勢に入るリラだったが、寝に入ろうと何度も寝返りを打ったりするだけで全く眠れなかった。
「……あ~~っ! クソっ!」
しばらく粘ってみるもののモヤモヤするのが消えず、リラはヤケクソになるような気持ちで勢いよく起き上がっては頭を掻き乱した。
ヴィーチェの皮膚病が気になって仕方がない。あいつがどうなろうと知ったことではないと考えているはずなのに、もし命に関わるほど悪化でもしたらと思うと夢見が悪いし、何か手はないかと思ってしまう始末。
こうなれば諦めがつくような結果を出さないことにはこのモヤモヤも消えそうにないのかもしれない。
リラはゆっくりと腰を上げ、夕日が沈んだばかりの外へと出ては長寿で物知りの長老である大婆の元へと向かった。
◆◆◆◆◆
「日も暮れた時間にお前さんがやって来るなんてねぇ……緊急事態かい?」
「いや、緊急事態っつーか、聞きたいことがあるっつーか……」
長老の自宅へ訪問してみれば、真っ暗の空間で今から床に入ろうとする老女が藁の上に座った状態でリラに尋ねる。
リラとしてはそこまで緊急を要するものではないため、翌朝に足を運んでも良かったのだが、気になって眠れないから行動に移すしかなかった。
「勿体ぶらずにはよ言ってみんさい」
「あー……その、人間の肌が緑色になって、その部分が石みたいに固くなる病気について知ってるか? 緑肌病っつーらしい」
「奇っ怪な病だねぇ。人間の症状についてまではあたしゃ知らんよ」
「……だよな」
長生きしていてその年齢は不詳。経験や知識が豊富な大婆でも知らないと言うのならリラは諦めるしかない。人間で治せないのならゴブリンが治せるわけもないのだ。
わかってはいた。そうだと理解していた。でも心のどこかでもしかしたらという希望が僅かにあったのだ。だから縋りつく気持ちで大婆の元へ訪れたが、結果はこれである。
「人の子、ヴィーチェがその病を患ったのかい?」
そう問われたら素直に答えるしかない。なぜなら彼女に嘘は通じないからだ。これが長く生きているゆえ、勘が働いているのかもしれない。だから違うと言っても相手はすぐに見抜いてくる。
そのため、リラは躊躇いながらも頷いた。
「あぁ……進行すると動けなくなるらしい。どうやら治療法もないみたいでよ」
「そうかい、そうかい。それは大変だねぇ」
大変、なのは確かなんだが当の本人がそこまで危険視してないのが問題である。
「しかし、そうさねぇ……肌の色が緑になるのはわからんが、身体が石のように硬化する症状については知っとるよ」
「! 本当かっ?」
「そんな珍しいもんでもないからねぇ。鉄石症とあたしらは呼んどるよ」
「鉄石症……」
大婆の口から発するその病名はリラにとっても知っている名前だった。
鉄石症━━。ゴブリンの村の中では稀に発症する症状である。身体の一部が硬化し、動きづらくなるもの。
発症の原因は植物に宿る魔力の接触である。植物の中にはごくたまに強い魔力が備わっているものがあり、長時間の接触、または花粉により発症するという。
しかし誰もが発症するわけではなく、日常生活ではそうそう患うことはない。免疫低下や魔力のない者ほどかかりやすいとされているのだ。
そういえば、とリラは思い出す。確かヴィーチェは魔法の適性がないと言っていた。つまりそれは魔力がない者ということだろう。
仮に鉄石症だとするならヴィーチェは常人より発症しやすいのかもしれない。……鉄石症なら、だが。
症状としては似ているが、唯一違う点がある。
「しかしあいつの話では肌の色が変わる症状もあるからやはり別物なのか……」
色白とまでは言わないが少し黄色がかった肌にぽつりと現れる緑の患部は目が引くほどに目立つ。
「……リラや。あたしらの肌の色は理解しておるんか?」
「あ? そりゃあもちろん。みど……っ!」
大婆の呆れるような問いかけ。それを聞いたリラは不思議そうな表情をするも、返答途中でようやく気づいた。
「あたしらの肌の色と重なるから目に見える変化がなかったんじゃないかねぇ」
「つまり、ヴィーチェの緑肌病と鉄石症は同じっつー可能性があるわけか……!」
潰えたと思っていた希望が蘇る。リラは知っているのだ。鉄石症ならば治療法があるということを。
「大婆っ、鉄石症の治療はどうやってたんだっ?」
食いつくようにリラが大婆に尋ねる。長老である大婆は仲間以外の、ましてや人間の子のためにここまで必死になるリラを見てどこか微笑ましげに笑う。
「今から言うものを準備してきんさい」
そう告げる彼女にリラは力強く頷いた。
◆◆◆◆◆
「リラ様~~!!」
翌日、リラが待ついつもの場所へとヴィーチェが姿を現した。不治の病にかかったとは思えないほどの明るさである。
「……今日も元気だな、お前は」
「リラ様に会えるのに元気じゃないことなんてないわっ」
理解し難い理屈ではあるが、落ち込まれるよりかはマシであった。
ちらりとヴィーチェの腕へと目を向ける。昨日と変わりなく緑の痣らしきものが存在していた。大きさも特に変わりはない様子。
「……腕の調子はどうだ?」
「問題ないわっ。昨日と同じよ」
元気アピールなのかヴィーチェは肩を大きく回して見せる。症状が出ているのは腕なのに肩を回しても意味はないんじゃないかと思ったリラだが、あえてそのことには触れなかった。
「っつーか、それについて家の奴らは何て言ってたんだ? 治療法がなくても医者に見せるのか?」
「何も言ってないわ。侍女にも痣だと言っておいたもの」
「は?」
いや、なんで報告しないんだよ。今は軽症とはいえ危ない病気として認識してるんじゃないのか? それともこう見えて自暴自棄になっているのか?
あれこれとリラが理由を考えるもヴィーチェはさも当然と言わんばかりに口を開いた。
「だって言ったらすぐにお医者様に診てもらわなきゃいけなくなるもの。そうなったら貴重なリラ様との会う時間がなくなってしまうわ」
「俺よりも自分の身の心配をしろよお前」
「リラ様お優しいわ! 私を気にかけてくれて嬉しいっ!」
「そうじゃない! 大事になるのを避けたいだけだっ」
それで迷惑をかけられたらたまったものではない。リラにとっては心配してるつもりはないと己に言い聞かせているので、気にかけていると認めたくはなかった。
「安心してリラ様っ。学院に戻ってからちゃんと話すつもりよ。明日の夏季休暇最終日までは秘密ね」
リラのこと以外は二の次三の次であるヴィーチェ。もちろん自分も含めて後回しにするのは貴族の娘としてどうなのかと思わざるを得なかった。
そう考えるリラの心情がすでにヴィーチェのことを心配しているということに彼は気づかない。
それよりもリラは本題に入ろうと口を開いた。
「ヴィーチェ。その緑肌病とやらはもしかしたら鉄石症かもしれない」
「鉄石症?」
「俺達ゴブリンはそう呼んでる。身体が硬化する症状については同じだが、肌の色が緑に変わるっつーのは何とも言えねぇな。元より同色だからよ」
緑肌病に侵されるヴィーチェの腕を見て、改めてゴブリンの肌と変わらぬ色合いだと知る。ゴブリンが緑肌病というのにかかればおそらく肌の色だけは変わらないままだろう。……ゴブリン病とも呼ばれるだけはある。当人からすれば不愉快ではあるが。
「人間は治療法がないと言っていたが、鉄石症ならゴブリン流の治療法がある。試してみるか?」
念のために確認する。まぁ、答えはわかりきっていた。ヴィーチェならすぐに頷くだろう……そう思っていたのだが。
「うーん……」
なんと、あのヴィーチェが悩む素振りを見せたのだ。てっきり『リラ様の仰る治療法なら喜んで!』みたいな返しが来るものだと思っていたのに。
まさかゴブリンの治療法が信用ならないって言うのか? あんなに俺やゴブリンを神格化しやがったのに、ここにきて拒むのかよ、こいつは! そう考えたのもつかの間。
「リラ様と同じ肌の色になったのに、それがなくなるのがあまりにも惜しいわ……」
「病気にかかっている自覚はあるのか?」
ふぅ、と頬に手を当てて悩ましい表情をするヴィーチェ。病を治すことより変色した患部の色が消えることを惜しむ奴がどこにいるのか。そう口に出かかったリラだが、今はそれどころではない。
「……まぁ、いい。ちなみに治療法ってのはこいつを患部に乗せるだけだ」
そう伝えてからリラは腰から下げてる麻袋へと手を突っ込み、ヴィーチェの前に取り出したものを見せた。
それは一瞬楕円形の白い石のように思えるが、よく見てみればゆっくりではあるが動いていた。
「これは……虫かしら?」
「ストネンバグっつー幼虫だ」
ジッとしていることが多い白い芋虫のような見た目のストネンバグ。生息地は主に森の中である。植物の根や花弁にくっついてることが多い。
「そもそも鉄石症は病弱な奴や魔力なしの奴が魔力のある植物の過度な接触によって起こるものらしい」
「それじゃあ私の場合は魔力なしだったからかかっちゃったのかしら?」
「だろうな。何せこの森にも高い魔力を秘めてる植物もあるし、村の薬草として保管してるしよ」
「……ハッ!」
「心当たりありそうな反応だな」
ヴィーチェの表情からして原因が思いのほか早く解明しそうである。
「リラ様の村にお邪魔したとき、村の方々に珍しい植物を見せていただいたの。貼ればほんのり温かくなって腰痛に効くという大きな葉や、噛み続けば口臭を消してくれるハーブとか色々っ」
「あぁ、そこら辺は少なからず魔力が宿ってるから運悪く発症したんだろうな」
「なるほどねっ。リラ様の素晴らしい考察力によって原因がはっきりしたわ」
「これくらいのことで俺の考察力を上げるな」
「でもそのストネンバグを乗せるだけでどうして治っちゃうのかしら?」
当然の疑問だろう。もちろんその理由もリラは大婆から聞いていた。正直、口にしていいものか悩むが、虫を見せても平然なヴィーチェの様子を見ると大丈夫だろうと判断する。
「こいつの主食は主に魔力が備わっている植物だ。鉄石症はその植物の魔力が皮膚に染みついているからストネンバグを置くと勝手に魔力を啜って取り除いてくれる。それで硬化した肌も元通りになるわけだ」
鉄石症にかかった仲間を何人か見たことがあったが、治療後はほとんどの者……とは言っても大半が女性ではあるが嫌そうな顔をしていたことを思い出した。
あの頃は治療法を知らなかったので、知った今では仲間の不快と言わんばかりの表情の意味が理解できる。
虫を乗せること自体リラは抵抗がないのだが、みんながみんなそうではないだろう。
おそらく貴族の娘も抵抗があるのかもしれないが、相手はヴィーチェである。普通の令嬢とはまるで違う。
そのためリラはヴィーチェの反応がどうなるのかと彼女の出方を窺った。




