公爵家は夏季休暇終わり間際の報告をし、ゴブリンは公爵令嬢の痣を見つける
ジェディース学院が夏季休暇のためファムリアント領へと一時帰省したヴィーチェは、毎日のように魔物の森へと向かいリラと会っていた。
学院に入学する前は月に二度しか会っていなかったが、帰省してからは毎日である。
ヴィーチェとしては夏季休暇が終わったらまたしばらくリラに会えないので、今のうちにリラ様成分を補給しなくちゃいけないのっ! という本人らしい理由があるが、リラは特に毎日来ることについて何も言ってくることはなかった。
てっきり会う頻度を減らせと言われるかと思っていたけれど、何も言われないことを良しとしてヴィーチェは足繁く通う。
あと数日しかない貴重な夏季休暇を有効活用するために。
そんな彼女がいない屋敷にて、ヴィーチェの侍女アグリーは公爵のフレクの執務部屋へと足を運んだ。部屋の主人に呼ばれたからだ。
数日後には学院へと戻るため、アグリーは学院のスケジュール確認や帰省してからのヴィーチェの様子などの報告をする。
「━━健康面も特に問題はなく、いつも通りのお変わりないご様子ですので予定通りに学院へ戻れます」
「そうか。それで……ヴィーチェは今日も、か?」
訝しげにアグリーへと問いかけるフレクに、彼女は詳細を聞くまでもなくその質問の意味を理解し、苦い表情でゆっくりと頷いた。
「はい……本日もヴィーチェ様の姿が見当たりませんのでおそらくいつものようにイマジナリーフレンドを追ってどこかへ出ているのかと……」
幼い頃から続くヴィーチェの脱走である。いつもならば令嬢の姿がないと使用人総出で大捜索が始まるが、今ではもうそのようなことはしなくなった。
使用人の目を掻い潜って屋敷から抜け出すとはいえ、ヴィーチェはつい先日十六歳になったばかりだ。子供とも言い難い年齢となったこともあり、行き先は不明ではあるが無事に帰ってくるので脱走については目を瞑って彼女の好きにさせることにした。
「動き回れるほど元気だと思えばいいのかどうか……」
やはりヴィーチェの父としていまだにイマジナリーフレンド離れできないヴィーチェを心配しているのか、悩ましい溜め息を吐き出した。
一部を除き、学院での成績がいいだけに空想の世界に入り浸っているヴィーチェがずっとこのままなのは良しとは思えないのだろう。
何度も医師にヴィーチェを診てもらうも結局そのままにさせるしか方法がないのがまた歯痒い。彼女のイマジナリーフレンドへの空想癖さえなければ素晴らしい令嬢となれるのに、その欠点があるばかりに今ではゴブリンオタクだのゴブリン令嬢だのと呼ばれるばかり。
そんな呼び名に傷つくどころか、誇りに思っているようなのがまた悩みの種でもある。それでも傷心するよりかは遥かにいいのだが。
「最近のエンドハイト王子の動向はわかるか?」
「学院生活と変わらず現在もエンドハイト様はヴィーチェ様に対して無視をしていらっしゃいます。ヴィーチェ様はそのような態度をされても相変わらず『リラ様のファンとしてリラ様に近い私が許せないのかもしれないわね』と、なぜかそう強く豪語しておりました」
「……ヴィーチェが特に気にしてないのならそれでいいが」
第二王子のエンドハイトとの婚約破棄を狙うためにゴブリンの話をしてもいいという許可を出したフレクだが、いまだに相手からの婚約撤回に関する話はない。
おそらく父王であるフードゥルトが釘を差しているに違いないだろう。
とはいえ表面上だけでも婚約者として取り繕う様子もないエンドハイトに思うことは多々ある。フレクだけでなくアグリーも同様に。
「あ、そういえば旦那様。先日、王都にて少し気になる噂を耳にしました」
「噂?」
それはアグリーがヴィーチェに頼まれて書物を買いに出ていたときの話。もちろんその本とはゴブリンの出る内容である。
彼女は王都コエクフィスにて本を購入し、屋敷に帰ろうとしたところでたまたま街の人達の話し声が聞こえてきたのだ。
『さっきのは紛れもなくエンドハイト第二王子様だったよな?』
『カフェにいた二人組よね? 私もそう思っていたわ』
『ってことはエンドハイト様と一緒にいた子が婚約者のファムリアント家のご令嬢か?』
『公爵令嬢は金糸雀色の髪よ。あの子のような緑色じゃなかったわ』
盛り上がる二人組の話が耳に入り、アグリーは一瞬自分の聞き間違いかと思っていたが、エンドハイト王子という言葉ははっきりと聞こえた。
夏季休暇だからエンドハイトも王城にいてもおかしくなければ、王都に足を運ぶこともあるだろう。しかしそんな王子にヴィーチェ以外の女性の影が出てくるとは思わなかった。
幼少の頃、エンドハイトはヴィーチェ以外の令嬢に興味を抱くことはなく、ヴィーチェを蔑ろにしている今もそれは続いていたため。
しかしアグリーは己の目で見たわけではないので、真実がどうかはわからない。もし事実ならばヴィーチェへの興味がなくなったとはいえ、婚約状態というのに婚約者以外の女性と二人で会うのはいかがなものか。
「……なるほど。その噂が事実なら、ようやくと言うべきか」
「このまま上手くいけば婚約を撤回するのも近いかもしれません」
「しかし国王が許さんだろうな。どちらにせよ噂の時点ではまだどうすることもできないため泳がせるしかないが、情を通じたという確信があり次第、証拠を叩きつけよう」
フレクの言う通り、まだエンドハイトが別の女性と関係を持ったわけでもなく噂話でしかないためヴィーチェの望む展開まではまだまだ先になりそうである。
仮にアグリーの聞いた話が事実だとしても、友人と言われたらそれまで。婚約者がいるのに男女二人きりで会ったとしても確固たる証拠がなければ何とでも言えるだろう。
しかし一番の問題は国王であるフードゥルトの入れ知恵により、ヴィーチェとの婚約を維持したまま将来的に件の女性を妾として迎えること。
……さすがに体裁に関わることなのでそのことがないと信じたいと漏らすフレクだったが、必ずしもないとも言えない現状である。
妄想癖があることを差し引いても貴族の血筋、優秀さ、領地の名品などを欲していることには変わりない。だからこそ国王としてはヴィーチェを簡単に手放してはくれない可能性もある。
「とにかく学院に戻ってからもエンドハイト王子の行動には注視してくれ。私からは以上だ」
「かしこまりました。こちらも他の報告はございません」
「わかった。ご苦労だったな、下がっていいぞ」
「はい。失礼いたします」
フレクの言葉に頷くと、アグリーは挨拶をして執務室から出ていった。
◆◆◆◆◆
「三日後には学院へと戻らなきゃいけなくなるの。ってことはもうリラ様と会えなくなっちゃう! とても悲しいわ!」
夏季休暇中、毎日顔を合わせてくるヴィーチェの口からようやく学院に戻る日が告げられる。その勢いが強すぎて悲しいというより悔しいというほうが合っているような気もしなくはない。
「そりゃ仕方ないな」
「そうよね。これもリラ様のために立派な淑女になる試練だもの。頑張らなきゃっ!」
少なくともリラから見るとヴィーチェはすでに立派な淑女だと思われた。しかしそれでも彼女は上を目指すのだからヴィーチェの世界は厳しいのかもしれない。
人間の生活は便利なもので溢れているが、貴族の常識などを考えるとつくづく面倒とも思ってしまう。
まぁ、嫌だと駄々を捏ねられずにすんで良かったが。
「あ、でも私ね、ゴブリン令嬢と呼ばれているのよ」
「はあ!? ゴブリン令嬢!?」
唐突に報告される内容にリラは驚きの声を上げた。いくらなんでもゴブリンに似ても似つかない容姿をしてるだろうがと思いながら。
「リラ様のことを沢山広めていったらいつの間にか素晴らしい呼び名をいただけたのよっ」
凄いでしょ! と言わんばかりに誇らしげな表情を見せるヴィーチェ。何度も話すなと言ってもこればかりは聞きやしない娘にリラは半ば諦めていた。どうせ他の人間はヴィーチェの話を信じていないしなと思って。
「違う種族の名を呼ばれて喜ぶな。馬鹿にされてるだけだろ」
「私にとっては嬉しい二つ名よ!」
「……お前はそういう奴だったな」
おそらく周りはゴブリン令嬢と呼んでヴィーチェを嘲笑っているのだろう。それなのにヴィーチェは馬鹿みたいに喜んでいる。
リラにとっては何がそんなに嬉しいのかわからない。どう考えても侮辱されたと怒るところだというのに。
「だってリラ様と同じ種族で呼ばれて嬉しくないわけがないもの」
人間にとってはゴブリンは醜い魔物という認識なのは昔から変わっていないはずだ。その証拠に絵本などにはそう描かれている。
人間ごときにそのように思われるのは腹立たしいが、ヴィーチェの喜ぶ顔を見ればどこかむず痒く、小っ恥ずかしくなったリラは「めでたい奴だ……」と呟く。
その時だった。ふとヴィーチェの腕へと目をやれば不自然な緑色の痣のようなものを見つける。
「お前、腕に怪我でもしたのか?」
「? あら、本当だわ。いつの間にできたのかしら」
どうやらヴィーチェも初めて知ったらしく、その痣は最近できたものなのだろう。
まぁ、こいつは大人しくないし、忙しない奴だからな。知らないままどこかに身体をぶつけることくらいするだろう。そう思ったの矢先、ヴィーチェは目を輝かせた。
「リラ様と同じ色だわっ」
「痣ごときで喜ぶな」
本当にこいつはブレねぇな、とリラは溜め息を吐き捨てる。しかしヴィーチェは患部に触れながら首を傾げた。
「でもおかしいわね」
「あ? 何がだ?」
「痛くないの。痛くはないのだけど、硬い感じね」
指で強く押し込んだり、指の背で叩いたりしては不思議そうな表情をするヴィーチェ。リラは痣が硬いという表現にいまいちピンときていなかった。
「ね、リラ様。ここだけが硬いのよ」
そういって腕を差し出されたのでリラは躊躇いつつも緑の痣に触れてみた。力加減を誤らないようにと思ったが、触れた瞬間から肌とは思えない質感にリラは驚いた。
痣の範囲としては僅かだというのに石のようなザラつき。そして弾力がない。
「痣、じゃないのか?」
「うーん……。あっ」
心当たりがあるような反応。何かわかるのかと問えばヴィーチェは活き活きとした表情で口を開いた。
「ゴブリン病!」
「はあ?」
「あ、正式名称は緑肌病だったわ」
「どういう意味だ」
ゴブリン病だなんて不愉快な病名だ。そう思ったが正式名称を聞くも、ゴブリンの名が使われたことに間違いはないのでリラは不機嫌になる。
「身体が緑色になる病とのことでゴブリン病とも呼ばれているらしいわ」
「あー……。そういうことか。肌の色で安直に種族名を使いやがって」
「とても素敵な別名よね! それにリラ様と同じ色が僅かでも浸透されるんだものっ。病でも嬉しいわ!」
苛立ちに髪を掻き乱していたリラとは対照的にヴィーチェは喜びにはしゃいでいた。
何だこの温度差は。そう思ったリラの負けなのだろう。湧き上がった怒りが霧散して気勢が削がれた彼は大息をつく。
「はぁ……。その病ってのは肌の色が変わって硬くなるだけか? 伝染しないだろうな?」
「緑肌病はまだ解明されてないことも多いけど、伝染病ではないからリラ様は安心してっ」
「解明されてない……?」
「人によって病の進行度合いが違うみたいで、確か身体の半分以上までこの色に染まったら動けなくなるらしいの。リラ様と同じ色なのは素敵なのだけど、動けなくなるのは困るから軽症だと嬉しいわ」
「さっさと治せばいいだろ」
貴族の娘なんだから腕のいい医者くらい簡単に見つかるだろう。病気だの怪我だの、それを治す知識はゴブリンよりも遥かに多いはず━━そう思っていた。
「薬もないから今のところ治す術がないのよ」
「……は?」
思いもよらぬ返事にリラは固まってしまう。つまりそれは不治の病というやつか? と、そう気づいたゴブリンの頭は言葉を失った。




