ゴブリンは公爵令嬢に振り回される
その魔物は村でボスを担うゴブリンだった。一際身体が大きくて強い彼はゴブリンの住む村で頼りにされるほどの実力者。その名はリラと言う。見た目に合わない名前を少しだけ気にしているのはここだけの話。
毎日のように仲間と共に狩りへと出て、途中で一人行動をして大物を狩るのが彼の日常の一部であった。
そんなある日のこと。木の上から猪型の魔物、ジャイアントボアを狙っていたリラだったが、獲物が何かに狙いを定めたことに気づく。
魔猪の視線の先には人間の子供。なぜこんな所に人間の、しかも幼子がいるのかはリラには理解できなかった。
この森は魔物が住み着く森として人間には恐れられ、距離を置かれている場所。
もしかして捨て子か? ここ何十年はそんな事案はなかったと聞いているがよく見れば身なりは綺麗。口減らしというようにも見えない。
ならば迷子か? こんな奥まで進んできたというのか。なぜ引き返さない?
疑問はいくつかあったが、このままでは確実にジャイアントボアの餌食になるだろう。
しかし人間とは関わりたくなかったが、相手はまだ幼い子供。成人の人間ならば無視をしたが、あまりにもか弱い子供が目の前で命を散らすのは見たくはないし、夢見が悪くなりそうだ。
仕方ない。そう思ってリラは突進するジャイアントボアの脳天へと攻撃を与えた。
◆◆◆◆◆
リラは混乱した。たまたま居合わせただけで、たまたま気が向いて助けただけだったのに娘に気に入られてしまい、お礼として接吻まで受けてしまった。
石のように固まったリラはまるで生気を奪われた気分になる。あの娘、実は生気を奪う魔物なのか? と疑ってしまいそうなくらいに。
小娘の口付けにそこまでの価値があると思っているのかと問いかけたかったが、何せ相手は子供。そんなことわかるわけがなかった。
いや、そもそもゴブリンを見て逃げ出さないということがすでにおかしいのだ。いくらジャイアントボアを退治したからと言ってその相手も魔物、しかもゴブリンと知ると老若男女問わず逃げ出していくはず。それこそ騎士団など戦える術のある人間じゃない限り。
旦那様だの夫婦だの色々と言われてしまったが、リラはすでに疲労困憊していた。子守りなんて柄じゃないのだ。
子供の言葉を適当に聞き流しながら少女を森の出口まで抱えたリラは念を押すようにもう二度と森へ足を踏み入れることがないよう強く言うも、子供はまた会いたいと爛々とした瞳を向けるばかり。リラは心の中で深い溜め息をついた。
そこへ少女と思わしき名を呼ぶ声が聞こえ、娘がそちらに視線をやった隙にリラはすぐさま森の中へと身を潜めた。
しばらく使用人と思わしき女と会話したあと、忽然といなくなるリラに気づいたのか、きょろきょろしながら探していたヴィーチェと呼ばれる子供。
使用人に連れられる様子を見届け、その姿が見えなくなると他の人間に見つからずに済んで良かったことや、娘から離れることができて良かったという安堵の息を吐く。
リラは人間とのいざこざほど面倒なことはないと考えていた。いや、彼だけではない。彼の住む村のゴブリンは皆そうであった。
人間のいる前で悪さをしてみろ。一般人なら恐怖に震えるだろうが、腕の立つ者や騎士団なんかが来てしまえばリラならともかく他の仲間は手も足も出ないだろう。
無駄な争いは無駄な死を招く。平穏に平和的に暮らすには互いの領土を踏まなければいい。それだけで長生きができるならいいことだ。だからこそリラは人間と関わりを持ちたくはなかった。
とはいえ今回は子供だ。カウントに入らないだろうと思っていたが、自分の姿を恐れて逃げ出すどころか、二度と足を踏み入れないように脅してもその効果はなかった。
娘と離れたというのに嫌な予感がするのは気のせいじゃない。
「……いや、さすがにもう会うことはないだろ」
そうだ。いくらなんでも二度はない。娘が会いたいと思っても家族はそれを許さないだろう。それにあの子供はお嬢様と呼ばれていた。
あの身なりからもしかして、と思ったがやはりいいとこのお嬢様というやつだろう。貴族、そうだ貴族ってやつだ。金を沢山蓄えている人間の上流階級。もしあの子供が行方不明になってしまえば、金をはたいて森の中にまで騎士団が捜索に来るかもしれない。
それこそ見つかれば否応なしに剣を向けられる。仲間の命が脅かされると思うと娘を無事に帰せて良かったのだろう。
リラは色んな不安が残るものの、自分が行ったことは最善だったに違いない。そう思っていた。
それから数日後のこと。
「ゴブリン様ーーっ!!」
「!?」
またあの娘と出会ってしまったのだ。初めてあの子供と出会ったあの場所にて。
「な、なぜお前がまたここにいる!?」
「ゴブリン様に会いに来ましたっ! だってヴィーはあなたの妻ですもの!」
「俺は同意してない! 一体いつからここに来てた!?」
「毎日来たわ! ゴブリン様にお会いするために!」
「ま、いにち、だと? ここは魔物が出ると説明しただろう! 前みたいにジャイアントボアのような奴が彷徨いているのがわからなかったのか!?」
「ヴィー、がくしゅーしたもん。木の上に登れば見つからないってことに!」
ふふん、と得意げな顔でヴィーチェは言った。つまり別れたあの日以降、毎日森に入って木の上に身を潜めながらリラが現れるのを待っていたということだ。
子供なのにこの行動力は何なんだとリラは絶句する。いや、そもそもこの娘の両親はどのような教育をしている? というかなぜ娘から目を離している?
思うことは色々あった。色々あったのだが今はこの子供をどうすれば森の外へ出すことができるのか、だ。こんなことがこれからも続いてみろ。大事なお嬢様を脅かす魔物として騎士団が討伐しに森を荒らすかもしれない。そんなのはごめんだ。
「何度も言わせるな。人間の子供が来る所じゃない」
「だいじょーぶよ! この三日でヴィーは何度もカイブツから見つからずにすんだもの!」
「こっちが大丈夫じゃないんだよ……お前の親に知られると森が荒らされるんだ。だからとっとと帰れ」
「それもだいじょーぶ! ちゃんとゴブリン様はヴィーの旦那様ってお父様達に説明してるの!」
「話したのか!?」
そういえば二度と来るとなとは言ったが口止めまではしていなかった。同時に何がどう大丈夫なのかと問いただしたくなるが、それよりもゴブリンと会ったなんて話を聞いたら絶対に討伐に来るだろう。彼の中に焦燥感が現れる。
くそっ、とリラは頭を掻き乱し、一度村に戻って守りに徹するべきか考えた。
「でも、誰もヴィーの話を信じてくれなかったのよ。本当なのに失礼しちゃうわ!」
なるほど。作り話だと思われたのか、それならまだ一安心だとリラは胸を撫で下ろす。
確かにヴィーチェの周りの人間の反応が正しいのかもしれない。ゴブリンと会ったらまず生きては帰れないだろう。それがゴブリンに対する人間の考え方だし、大昔ならば間違いなくそうであった。
とはいえ、娘がこのまま森へ通われても困る。子供のお守りなどしていられないのだ。
「娘、帰れ」
「ムスメじゃないわ。ヴィーチェよ。ヴィーチェ・ファムリアント!」
「……わかったから早く帰れヴィーチェ」
「!」
名前を呼んだだけだというのに娘は花が咲くような笑みで感動していた。それがいけなかったのかヴィーチェは興奮してリラに詰め寄る。
「ヴィー、ゴブリン様とお話したいの! お名前はっ? いつも何してるのっ? ご趣味はっ? ご飯は何が好きっ? お家はどんな感じっ? いつヴィーを妻にしてくれるっ?」
「っ!」
質問、質問の嵐だった。どれだけ帰れと言っても言うことを聞かないヴィーチェにリラはお手上げ状態である。
こうなったら娘が飽きるまで話を続けたら次第に飽きて帰るだろう。そんな諦めにも似た妥協により、リラは近くにある岩に腰掛け、ヴィーチェと会話することにした。
「一度に大量の質問をするな」
「!」
話をしてくれる体勢に入ったリラにヴィーチェも喜んで彼の隣に座る。
大量の質問をするなと言ったからなのか「えーと、えーと」と悩む様子の少女はすぐに最初の質問を口にした。
「ゴブリン様のお名前! おしえてっ!」
「……リラ」
「ゴブリンのリラ……やっぱりゴリラ様?」
「略すな! なんだその略し方は!」
「リラ様っ」
「なんだっ!?」
「ふふっ、リラ様! リラ様っ! リラ様!」
名前を知れて嬉しかったのか、何度もリラの名を口にするヴィーチェにリラは大息をつく。ふざけているわけではないとわかってしまったから怒るに怒れない。
「リラ様、いつも何してるの?」
「村の手伝いと狩りだ」
「ご飯は何が好き?」
「肉」
「いつヴィーを妻にしてくれるっ?」
「しない」
「!」
矢継ぎ早に質問をするヴィーチェに対し、簡潔に答えていくと、彼女の中では大本命とも言えるような質問でさえもばっさりと切り捨てた。
その瞬間、ヴィーチェは酷くショックを受けた顔を見せる。泣くか落ち込むか、また面倒なことになりそうだと思ったが、ヴィーチェはハッとした表情をし、何かに気づいた様子だった。
「そっか。好みのタイプじゃなかったのね! リラ様の好みの人はどんなのっ? ヴィー、リラ様好みの女になるわ!」
「……」
なんだこの前向きさは。まだショックを受けてくれた方が静かだったのかもしれないと思うくらい挫ける様子がない。最近の人間の子供はみんなこんなものなのかと疑ってしまうほどである。
「ねぇ、リラ様っ! 好みの人はっ!?」
急かすように期待のこもった目を向けられる。あの星のようにキラキラした目が嫌になりそうだ。
「……子供に興味はない」
「! 大きくなればいいのね! すぐに大人になるからリラ様の妻の座を他の人にあげちゃダメだからね!」
こう言えば少しは大人しくなるかと思ったがそんなことはなかった。むしろ燃え上がっているように見えるのは気のせいではない。
どうせ今をやり過ごすだけの言葉だ。大人になるどころかそのうち飽きがくる。子供はそういうものだ。一時の玩具に過ぎない。
「それじゃあ明日も来るね!」
怒涛の質問が終わり、やっと帰るかと思えばもう次の約束まで取りつける始末。
「もう来るな」
「行く! ずっと来る!」
「……勝手にしろ。俺は毎日ここに来るわけじゃないからな。毎日は相手してやれん」
「わかった!」
こくこくと頷くが本当にわかってるのだろうか? 話が通じないときもあるから信用できないが、わかったと言うのならもうこれ以上何も言うことはない。
そのままヴィーチェと別れるリラは出口に向かう彼女を見送り、今回は一人で帰れそうだなと無駄な体力を消費せずに済んで良かったと安心した。
毎日相手をしないと言ったばかりなのだから明日会わなくてもいいだろう。そう思ったリラは明日来るであろうヴィーチェを無視することに決めた。