公爵令嬢が優秀なほど第二王子は妬み、男爵令嬢と出会う
護身術の授業にてヴィーチェは王族の近衛騎士団数名に囲まれていた。彼らの手には模造剣。対するヴィーチェは素手である。
武器を手にした相手への対応という演習を兼ねた今回の授業に、講師である銀狼騎士団団長、オルドリエは部下を数名呼び出した。
貴族の令息令嬢達が上手く身を守れるかの訓練。大体の生徒はお手本通りに身をかわしたり、怯ませた隙に逃げることが可能となった。
そんな中で団長が注目するヴィーチェの番となると、彼は部下達にこう声をかける。
「ファムリアント令嬢には少し本気を出してこい」
静かに語りかけるように告げられた部下達はその言葉の意味がわからなかった。
なぜファムリアント令嬢だけなのか。それに彼女は次期国王の座を控えているエンドハイトの婚約者である。老齢である団長もそんなヴィーチェの存在を知らないわけではない。
もし怪我でもさせたらどうするのか。まさか冗談なのか? そう疑いもしたが、オルドリエのその目は真剣そのものである。
もしかしてファムリアント公爵令嬢に個人的な恨みでもあるのか? あれこれと考えるも部下達はただ頷くしかできなかった。
まずヴィーチェの目の前に立つ騎士が剣を振り上げた。少し本気を出せと言われても相手はやはりか弱い令嬢。敵意もなく、本気になるのは大人気ないと考えた。そのためヴィーチェを襲う暴漢役としてそれらしい動きを見せるだけ。
わざと外すように剣を振り下ろしたそのとき、ヴィーチェが先に動いた。パンツスタイルの訓練着を纏った彼女は思い切り蹴り上げたのだ。模造剣を持つ手に向けて。
思わぬ反撃に剣は弾けるように飛び、騎士が目を丸くさせたその瞬間、ヴィーチェは間合いを詰めて頬へと強くはたく。いや、はたいたというにはまるで拳で殴られたような勢いで騎士は吹き飛ばされた。
ビンタ一発で突き飛ばされるような衝撃を受けた騎士もそうだが、他の騎士や受講生達も何が起こったのかと困惑の色を見せる。オルドリエだけはその様子を満足気に眺めていた。
一瞬、時間が止まったような空気が流れるも、まだ攻撃をしていない騎士達がすぐに演習の最中だと我に返り、残った彼らは同時にヴィーチェへと向けて剣を向ける。
そして本能で察したのだろう。手を抜いてはいけない相手なのだと。彼らはまるで実戦するような気迫の声を上げて、敵……ではなくヴィーチェへと襲いかかるが、一人は彼女の手によって剣を叩き落とされ、そのまま回し蹴りを食らう。
そしてもう一人はヴィーチェに手首を掴まれ、そのまま背負い投げを受けてしまった。
あっという間に騎士達を制圧した公爵令嬢に見学者の何人かは息を飲んだ。
「さすがファムリアント公爵令嬢。無事に逃げ出すための授業だというのに相手を倒してしまうとは。護身術学ではなくもっと実技のある剣術や槍術の方が合っているのではありませんか?」
ほっほっほ。と笑いながら手を叩くオルドリエにはこの結果が見えていたのだろう。護身術学では勿体ないと言わんばかりに実技のある授業へと勧めた。
オルドリエはその昔、家出をしたヴィーチェを捜索し発見して連れ戻した男である。あの頃では考えられない彼女の身体能力に、オルドリエはヴィーチェが公爵令嬢だということが惜しく思うくらいに見込んでいた。
「ありがとうございます。そのように仰っていただけるのなら来年受講を考えてみます。大切な方を守れるようにっ」
「素敵な心意気ですな。ファムリアント令嬢のような方ならばこの国も安泰と言えますでしょう」
ヴィーチェの言う大切な方とは言わずもがなリラのことを指すのだが、どうやらオルドリエは婚約者のエンドハイトのことと受け取ったのだろう。大層嬉しげな様子であった。
◆◆◆◆◆
「ヴィーチェ・ファムリアント様の話はご存知ですか? あの方、柔術に長けているとのことですわ。オルドリエ講師が絶賛していたそうよ」
「公爵家の令嬢ですのに? やはり未来の王妃となるにはそこまでできなければならないのかしら?」
「でも担当講師が銀狼騎士団の団長の方でしょう? 公爵家のご令嬢ということもあり贔屓したのでは?」
学院のサロンにて耳に入る噂話。流行や領地の話を簡単に入手できる場ではあるが、その分信憑性に欠ける。
生徒達の関心事を得るためにサロンへと赴いたエンドハイトはよく噂の中心人物となるヴィーチェの名を聞いて眉間に皺を寄せながらサロン内を通過した。
彼の存在に気づき敬愛する者もいれば、話に夢中になって気づかない者もいる。情報を得るためなら後者の方がありがたいのに、エンドハイトにとっては自分よりもヴィーチェが目立っているように思えて不愉快であった。
妄想癖のあるゴブリンオタクのくせに。何度胸の中で悪態づいたことか。
最初はただの好奇心と興味本位で近づいただけ。他の令嬢では味わえない妄言話は暇潰しにちょうど良かった。
婚約者として縛りつけていればいつでも玩具と戯れることができると思ったが、すでに飽きてしまった彼にとってはもはや今のヴィーチェは邪魔で仕方ない存在である。
父である国王にもヴィーチェとの婚約解消を願い出たこともあったが「お前が言い出した婚約だろう。それを自分勝手に解消できるほど簡単なことではない。そんな我儘を通せる者が将来的に玉座に座れると思うのか?」と冷たい視線と言葉で却下されてしまう。
ゴブリン狂いの愚かな妄言者なのに? と問えば「それ以上に得るものが大きい」と返された。幼い頃の玩具への執着がいつの間にか政略結婚へと組み込まれてしまったのだろう。
縁が切れないせいでヴィーチェへの嫌悪感がさらに募っていく。
ただの哀れな妄想女ならば婚約者に相応しくないのに。ファムリアント公爵の娘という立場でさえなければ婚約破棄だってできたのに。ゴブリンに関する妄言さえ除けば思いのほか出来がいいのも気に食わない。中には自分よりも成績がいい科目もあると思われるが、それすら許せない。
エンドハイトはただでさえ自分よりも下に見てるヴィーチェに優秀な部分があることに耐えられない怒りを抱く。
どうにも苛立ってしまう。王位継承者に相応しい良き王子としての仮面が外れそうになる。
エンドハイトは椅子を蹴り上げたい気持ちを抑えながら苛立ちの種になるサロンを退出した。
学院内の庭園へと足を運ぶ。サロンより人通りが少なくて一人になるにはうってつけだった。
広い庭園には庭師により季節に沿った花が植えられ、過ごしやすい空間を与えてくれる。とはいえ王城の庭園に比べると劣るのでエンドハイトにとっては低レベルという印象であった。
「……?」
そんな中、ふと彼の耳にどこからともなく鼻歌が聞こえてきた。ご機嫌なその声に惹かれるように出処へ向かって歩んでいく。
「ふん、ふふふ~ん」
音を頼りに辿り着いたのは鼻歌を歌う女生徒が一人ベンチに座っている現場だった。軽くリズムに乗っていて自分の世界に入り込んでいるように思える。
アイビーの葉のような長い髪が風になびかれ、なぜか目が離せない。ずっと耳につく鼻歌もどうしてかずっと聞いていたくなるような中毒性すら感じる。
そのせいなのか、エンドハイトはその場で彼女の歌を黙って聞いていた。
オペラのような迫力もないし、子供のような程度の知れる音程。プロでもない歌なんて聞いても耳が腐るだけだと思っていた。
それなのになぜこうも聞き心地がいいのかエンドハイトにはわからない。だからなのか歌を止めるつもりもなく、彼は静かに目を閉じた。
しばらくして歌が止まる。歌い終わったというよりも途中で停止したような中途半端さ。エンドハイトが目を開けば、先程まで気持ち良さげに鼻歌を歌っていた少女がエンドハイトを見て驚きに目を丸くさせ、口元に手を当てていた。
「も、申し訳ございませんっ。エンドハイト様がいらっしゃるとは思わず、お耳汚し失礼いたしました……」
ベンチから立ち上がると彼女は焦りながらも頭を下げた。それだけで怒られると思っているのか、緊張気味な様子が窺える。
しかし見たことのない令嬢だ。おそらく爵位は低い娘だろう。そう考えながらもエンドハイトは国王に相応しい微笑みの仮面をはめた。
「気にしなくていい。むしろ聞き入ってたくらいだ」
「あ、りがとうございます……では私は失礼します」
まるで逃げるようにそそくさと離れようとする少女にエンドハイトは「待て」と呼び止める。このまま帰してしまうのは惜しいと思ったから。
「私は君を追い出そうとしているわけじゃないんだ。そのまま続きを歌ってくれ」
「そんな、歌というほどのものではありませんよ……?」
「構わない。私が気に入ったのだからな」
エンドハイトがベンチへと腰を下ろし、立ち上がった少女に向けて再び着座するように促した。相手は戸惑うように眉を八の字にさせながらも、恐る恐るエンドハイトの隣へと座る。
「失礼だが、君の名前は?」
「リリエル・キャンルーズと申します」
リリエル・キャンルーズ。キャンルーズ男爵家の令嬢ということか。正直なところ令嬢がいたことも知らなかったな。
そう思うほどエンドハイトはキャンルーズ男爵家についての印象が薄いせいでリリエルの存在も認知していなかった。
「では、リリエル。歌ってくれ」
「はい……」
躊躇いの表情をするも、リリエルは目を伏せて静かに鼻歌を歌った。聞いたことのない曲。ハミングなので歌詞があるのかもわからない。
それからしばらく彼女の歌へと耳を傾け、どこか心穏やかな時が過ぎていった。そして鼻歌を終えたリリエルは少し恥ずかしげにお礼を口にする。
「最後まで聞いていただきありがとうございます」
「私が頼んだことだから礼など不要だ」
「そう、ですか? あ、でもエンドハイト様には婚約者の方がいらっしゃるのに私と二人でいても良かったのでしょうか?」
婚約者。それは紛れもなくヴィーチェ・ファムリアントのこと。ここでも彼女の話題になるとは思わなかったエンドハイトは盛大な溜め息とともに額へと手を当てる。
「……正直、彼女のことは考えたくないし、婚約者とも思いたくもない」
「えっ?」
なぜ? と問いかけるような視線を向けられたエンドハイトは自然と口が開いた。こんなことを周りに話すつもりはなかったが、なぜかリリエルの前では素直になってしまいそうになる。
「ゴブリンの妄想に浸っている頭のおかしい奴だ」
「あ……噂は存じております。ですが、ヴィーチェ様は優秀な方とも伺ってますので……」
だから頭のおかしい奴という言葉には頷けないとでも言いそうな雰囲気だったが、第二王子の前で堂々と否定するわけにもいかないのだろう。
普段なら言葉を濁す様子を目の当たりにすると、はっきりと物を言えと思うところだが、リリエルに対してはそのようには感じなかった。むしろ心根の優しい女性という印象を抱く。
「優秀……か。しかしありもしないゴブリンの話を聞かされるほうはたまったものではないがな。やれゴブリンは強いだ、やれゴブリンは格好いいだと誇張ばかり。美的センスが壊滅的過ぎるだろ」
ヴィーチェへの悪態が止まらない。しかし事実なのだから仕方ないと言わんばかりにエンドハイトは婚約者を貶していく。リリエルはただ静かに話を聞いていた。
「よほどゴブリンがお好きなのですね」
「異常なくらいにな。妄想に取り憑かれた哀れな女だ。ゴブリンなんて醜いものをどの角度から見たら格好いいと言えるのだか」
「……そう、ですね。ゴブリンは……醜い、と」
困り気味に笑いながらも同様の意見を口にするリリエル。まともな人間ならば当然の感情だろう。
そんなことよりゴブリンやヴィーチェの話ではなく、もっと違う話をしたいとエンドハイトは思った。ただでさえ彼にとっては楽しくない話題なので。むしろリリエル自身の話が聞きたい。
そう、もっとリリエルのことが知りたくなったのだ。
しかし思ったよりも時間が経っている。エンドハイトも暇ではないのでそろそろ次の授業へ出るため行かねばならない。
「リリエル。私はそろそろ行く」
「かしこまりました。エンドハイト様の貴重なお時間を割いてくださってありがとうございます」
「それは私の台詞だ」
別れが惜しい。そう思うのはいつぶりだろうか。同じ学院で過ごすのだからいつかまた巡り合うこともあるだろうが、このまま彼女と離れるのには後悔が残る気がした。
「……また、ここに来たら君に会えるか?」
「え、それは……?」
「歌が聞きたい」
「!」
驚いた表情を見せるリリエルはしばらく慌てふためいていた。緊張なのか、羞恥なのか、頬を染める様子はどこか可愛く見えてしまう。
「……私でよろしければ」
はにかむように返事をするリリエルにエンドハイトは安堵の胸を撫で下ろす。
また彼女と会うことができるという約束。それに満足したエンドハイトは機嫌良くその場をあとにした。
リリエルが闇に堕ちたような瞳でエンドハイトの背を見ながら、異様な薄ら笑いを浮かべていることにも気づかないで。




