公爵家使用人は子爵家使用人と雑談する
ジェディース学院に入学し、約一ヶ月。ヴィーチェ・ファムリアントの専属侍女、アグリーは寮内にある使用人用の個室にて、業務最後の締めくくりを行っていた。それはその日のヴィーチェの行動を手紙に記すというもの。
ヴィーチェが学院で問題を起こしていないかという心配をする公爵家へ報告のために。
今のところ大きな問題は……ない、はず。小さなことならあるのだが、脱走や家出をすることに比べたら些細なことと思ってしまうため、アグリーは自身の感覚が麻痺をしてきたのではないかと気がかりである。
相変わらずイマジナリーフレンド、ゴブリンのリラ様による妄言は続いており、学院内でも吹聴しているとのこと。
授業については一部を除いて優秀である。そう、一部を除いて。主に魔物学のこと。
魔物学の教師は特にヴィーチェを問題児として見ているようで目を光らせているのだと。魔物学の授業の度に教師とヴィーチェはゴブリンの生態について言い争っているらしい。
護身術学については意外に才能があるようで、体力作りもしっかりできていて、どのような角度からの攻撃にも対応できる様子。受講生の中では間違いなくトップに立つ実力者とのこと。
気になることと言えば護身術学の講師が初日で辞めてしまったことくらいだろうか。その理由は不明。王族の近衛騎士団の副団長だというのに。
けれど新しい講師はその騎士団の初老団長。どうやら彼はヴィーチェを高く評価してくれているので護身術学は特に問題はなさそうである。
「ふぅ……」
報告書を作成したアグリーは疲労の溜め息を漏らした。小さなテーブルに置いてあるランプの光を見つめながら、そろそろシャワーを浴びようかと立ち上がる。
しかし近くに置いていた水差しの残りが少なかったことを思い出し、中身を入れようと彼女は個室を出て厨房へと向かった。
寮では朝食と夕食は学院が雇っている料理人達が食事を用意するのでその時間帯に利用することはない。そもそも彼らがいるときは慌ただしく調理しているので入っていこうとは思わないのだが。
早朝と夕方の厨房は戦場である。逆を言えばそれ以外の昼や夜は生徒の使用人が厨房を借りていることがほとんど。食事以外のお茶や焼き菓子、または夜食などを準備するために。
水差しを持って厨房に向かえば明かりがついていたので先客がいる様子。よく見ればそこには見知った顔がいた。
「こんばんは、アルフィー」
「こんばんは、アグリーさん」
子爵令嬢ライラ・マルベリーの使用人、アルフィーだった。ヴィーチェの唯一の友人ということで使用人の彼ともよく顔を合わせているのですっかり顔馴染みである。
ヴィーチェが初めて王家主催のお茶会に出席したときに初めてアルフィーを見たが、その頃はまだ使用人としてはひよっ子であった。
しかし年を重ねると彼は急速に成長していったので、アグリーも驚いたものだ。
そんな彼は小鍋の前に立って何かを温めている様子。白色と鼻に掠める匂いからホットミルクだと理解する。
「ライラ様のですか?」
「はい。今、自習中なのですが、そろそろ就寝していただくため用意しているところです」
「こんな時間まで……。ライラ様は勤勉家ですね」
貴族の令嬢令息ならほとんどが寝入っているであろう時間だというのにライラは自学に励んでいると聞き、アグリーは感心する。
しかし彼女の使用人ならば睡眠時間が減ると思うと気が気ではないのかもしれない。安眠効果があるホットミルクを飲めば遅かれ早かれリラックスするだろうし、入眠も早いはず。就寝を促すにはいい飲み物である。
「お嬢様にとってはここで吸収できるものは何がなんでも取り込みたいそうです。将来的にその知識が生きるために必要になるとのことで」
「将来的に……」
いつか没落すると言っているようなもの。だが、彼の言葉は否定できない。マルベリー家は少しずつその未来へと近づいていることで有名なのだ。
「アルフィーは最後までライラ様のおそばに?」
「もちろんです。ライラ様は新米時代から私をそばに置いていただいておりますので。もしものことがあっても彼女とともに行動するつもりです」
恩があるということなのだろう。今のアルフィーなら他の貴族に仕えることも可能だというのに、どこまでもライラに着いていくようだ。
使用人に慕われる主人のライラは幸せものなのかもしれない。そんな忠誠心を目の当たりにしたアグリーはふと考えた。
……自分ははたしてそこまでヴィーチェに尽くせるのだろうか。
「アルフィーは使用人の鏡ですね……私は仕事でなければそこまでできそうにありません」
何せヴィーチェは幼い頃から問題児で幾度も手を焼いてきた。特に幼少時代からの脱走癖は酷いもの。
学院に入ってからも脱走をするのではないかと冷や冷やしたが、それはなくなったようで安心はするものの、イマジナリーフレンド離れはできていないため専らの悩みである。
とはいえ悪い人間ではないのが救いとも言えるだろう。だから使用人としてはまだ恵まれた環境かもしれない……多分、おそらく。
「いいじゃないですか。人それぞれですし、仕事と割り切らないとやっていけないこともありますからね」
まさか肯定されるとは。同情されたのかどうかはわからないが、否定されないだけありがたかった。
「そちらも色々大変だとは思いますが、それでもヴィーチェ様は本当に優秀なお方です。噂はかねがね耳に入ってきますよ」
「そ、そうですか? とはいえ一部については少々問題ではありますが。それに相変わらず妄想癖もお強く夢見がちな所もありまして……」
ヴィーチェに関する噂、と聞いてもあまり良いイメージはない。妄言さえなければ完璧なのだろうけど、現実はそう上手くはいかないものだ。
「害がないだけまだよろしいのではありませんか? 害のある夢を持つお方に比べれば可愛いものです」
「害のある夢とは?」
「例えば……自分の娘が王子に見初められると夢を見て、金遣いがさらに荒くなるような」
溜め息を吐き捨てながら語るその例えは誰のことを指しているのかすぐに理解した。ライラの父であるマルベリー子爵のことだろう。
「ヴィーチェ様という婚約者がいらっしゃるというのに二人の関係は冷えきっていると聞いて、ならば自分の娘が次にその座へ着くと信じているのですからね。せめて湯水の如く使うそのお金をライラ様に当てればいいものの……見初められるような費用も学びも与えすらしないのに夢ばかり見て、嘆かわしいばかりです」
ここぞとばかりに愚痴られているような気がした。おそらくライラの前ではここまで吐き出せないのかもしれない。いや、仮に言ったとしても言い足りない可能性もある。
けれどアルフィーの言う通り、ヴィーチェと婚約者であるエンドハイト王子の仲は良くないという話題は結構有名だった。
元より仲が良いというわけではなかったのでアグリーや公爵家にとっては今さらではあったが、何も知らない周りは違ったのだろう。
確か学院生活が始まってから二人で一緒にいる現場を見たことがないと噂が出たのが始まりである。あとは挨拶をするヴィーチェをエンドハイトが無視をしたという話もあった。……まぁ、どちらもヴィーチェから聞いていたので事実なのだけど。
だから最近はヴィーチェが婚約者でいられるのも時間の問題だと思い、令嬢達がその座を狙っているという噂もある。
ヴィーチェがこの噂を知っているかはわからないが、本人はエンドハイトの態度は特段気にしている様子はなかった。むしろそんなことよりも、とイマジナリーフレンドのリラ様の話をするばかり。
「ですが、エンドハイト様はライラお嬢様も無視するようなお方なのでどう足掻いても婚約者にはなれないでしょうし、なってほしくないですね。あのような勝手な方にライラ様を任せられません」
その意見にアグリーも同意である。いくら手のかかるご令嬢とはいえ、ヴィーチェを見下す態度はやはり気分のいいものではない……のだが、当の本人であるヴィーチェが悲劇的ではないというか、相手にさえしてないようにも思えるので、エンドハイトのことで怒ることすら無駄だと感じた。
ヴィーチェも望んでいるし、無下に扱うのなら早く婚約破棄すればいいのにと思わなくもない。
どちらにせよ、ほぼ優秀とはいえ、性格的にヴィーチェが次期国王の妃という座は務まらないので国のためにも早くヴィーチェを解放してほしいとアグリーは願う。
このままではヴィーチェ付きの侍女として王城勤めになるのは目に見えているし、ヴィーチェがまた何かをしでかさないかというストレス過多で胃に穴があく恐れがあるため。
アグリーは遠い目をしながら水差しに水を汲んだ。
「アグリーさん、ヴィーチェ様にはちゃんとエンドハイト様の手綱を握るようお伝えください」
「え……?」
突然の伝言。しかしその内容の意味がわからず、アグリーは汲み終えた水差しを持ちながらアルフィーへと目を向ける。
「エンドハイト様がもしもヴィーチェ様と婚約破棄することになれば、彼女の友人であるライラお嬢様も不憫な目に遭わないとも言いきれませんので」
彼の目は真剣である。その言葉はライラを想ってのことだろうけど、ヴィーチェについては何もない。むしろ婚約破棄をさせるなと釘を刺している。
これには公爵家に仕える侍女として無視をするわけにはいかない。
「アルフィー。その物言いはファムリアント公爵家のご令嬢であるヴィーチェ様に指図していると受け止めかねません」
チリッ、と瞳に小さく火が灯る。アグリーのその眼差しは子爵令嬢の使用人へ鋭さとともに向けられた。
爵位の低い貴族へ仕える使用人にヴィーチェを見下されたのだ。聞き流すことはできない。
「今回は鬱憤が溜まっていたと思い、私の胸に留めておきますが、今度からはこのようなことがないようにお願いします」
「……申し訳ありませんでした」
「謝罪を受け入れます」
言い訳も不満も漏らすことなく素直に頭を下げて謝罪をするアルフィーを見て、小さく嘆息を吐いたアグリーはこれで水に流すことにした。優秀な使用人である彼ならもう同じ過ちは二度とないと信じて。
「アグリーさんも十分に使用人の鏡だと思いますよ」
「……え?」
謝罪を受け入れると聞いて頭を上げたアルフィーの表情は微笑ましいものだった。そんな彼の言葉にアグリーは目を丸くさせる。
「アルフィー、あなたもしかしてわざと……?」
なぜ、と思ったが、それならば納得だという気持ちでもあった。立派な使用人となった彼が爵位の上の者に喧嘩を売るようなことをするのがおかしいのだ。
「今のあなたは仕事として厨房に現れたわけではなく、プライベートモードだと思ったのでどう反応するか気になりまして。いくら仕事ではなくても仕える主を悪く言われて腹立たしく思うのならそれだけ大事に思われてるのですね」
「……そうやって試すようなことをするのも今後はないようにお願いします」
「承知いたしました」
無意識だったのに言葉にされるとどこか照れくさくて、アグリーは咳払いをひとつすると、アルフィーにもうひとつ忠告した。




