公爵令嬢は科目を決め、教壇に立つ
「リラ様が恋しいわっ」
ジェディース学院に入学した翌朝のこと。休日ではあるが、新入生は履修科目の登録をしなければならない。
そのため制服へと着替え学院に行く準備をしたヴィーチェは、自室にて侍女アグリーが用意した朝食を食べる……前に突然心情を述べた。
「ヴィーチェ様、まだ学院に入学したばかりですよ」
そんな唐突でもあるヴィーチェの言葉には、長年仕えていることもあり慣れてしまった様子のアグリー。それでも困らないわけではないので眉を下げつつもヴィーチェと言葉を交わす。
「夏季休暇まで会えないと思うとリラ様不足が加速するのよ。これはリラ様シックだわ!」
「せめてホームシックになっていただきたいのですが……」
とはいえ元気そうなら何よりです……と続く侍女の言葉にヴィーチェは頷くべきかどうか悩む。確かに身体は元気だが、心はリラ様を求めて仕方ないのだから。
せめてリラ様の姿絵があれば良かったわ。夏季休暇で戻った際に絵師に頼んでみようかしら? とヴィーチェは考えるが、すぐにそれは実現しないと気づく。
なぜなら彼は人間を警戒してるから。絵師を連れてきても嫌がられるかもしれない。リラ様の嫌がることはしたくないもの。
考えを改めたヴィーチェだったが、自分だけは警戒されていない特別な存在ということを自覚すると満足そうに笑みを浮かべた。侍女が不思議そうに見ても気にすることなく。そんな中、ヴィーチェは気づいた。
「ハッ! そうだわ! 私がリラ様を描けばいいのよっ!」
まるで天啓に打たれたかのようにビビッときたのだ。他の人は駄目で私が大丈夫ならば愛する人の姿を描くのも自分でいいのではないか。そうすればリラ様も安心できるし、私もリラ様の姿絵を手にすることができると考えて。
しかしヴィーチェは絵を嗜むことはなく初心者である。ならばどうするか? 答えは決まっていた。
「私、美術を習うわ!」
「……話が読めるようで読めませんが、よろしいかと存じます」
ふんす、と気合いを入れる公爵令嬢。全ては愛するリラ様の姿絵をいつでもどこでも見たいがために。
そんな斜め上の目標を持って授業を選択するヴィーチェを見たアグリーは不安そうな表情で溜め息をこぼしたのだった。
朝食後、ヴィーチェはライラを引き連れ学院へと向かう。入学式が行われた講堂にて履修科目の登録用紙を提出するのだが、授業内容がイメージできない者のために教室や外で短い授業が開かれるので、それを見学をして決める新入生も多い。
中には見学をすることなく、予め決めておいた履修科目をささっと登録用紙に書き込んで帰寮する生徒もいる。エンドハイト第二王子もその一人だった。
すでに彼の周りには取り巻きのような生徒達が集っていて、挨拶をすべきかしばし考えたヴィーチェだったが、まぁ目も合ってないからいいかと決めてそのまま自分の時間割表を作ることにした。
ヴィーチェもライラも授業を見学することはなく、履修科目を決めているためすぐに提出する用紙に書き込んだ。
必修科目と選択科目を割り振り、確認をする。ヴィーチェは授業を沢山詰め込むことはせず、時間のゆとりを作っていた。空いた時間は学院図書館にてゴブリン関係の本を漁るため。
「ライラ、書き終えた?」
「はい、何とか」
ライラの登録用紙にはびっしりと全ての時間帯に履修科目が書かれていた。全ての時間を授業にあてる生徒もそうそういないため、ヴィーチェもこれには驚きを見せる。
「ライラってばこんなにも授業を受けるの?」
「むしろ足りないくらいです。せっかくの機会ですので得られるものは得たいので」
なんと勤勉なことか。悪いことではないが、これでは詰め込みすぎじゃないのか。友人が後悔しないためにもヴィーチェは彼女に確認をする。
「三年もあるのだから一年目は学院に慣れるためにも少しくらい減らしても問題ないわよ?」
「いえ、一時も時間は無駄にできませんから」
常に表情が一定のライラだが、その言葉からして本気度合いが伝わった。
「何か目的があるのね?」
「そうですね。将来に役立つ選択肢は多い方がいいと思いますので」
「……」
ヴィーチェは昔、兄からマルベリー家のことを少しだけ聞かされたことがある。マルベリー家当主は金遣いが荒く打算的。彼の代でマルベリー家の財産が底をつくのではないかと噂されていて、没落するのも時間の問題とまで言われていた。
兄ノーデルはヴィーチェの前では口にはしなかったが、おそらくライラのことを金銭援助目的で近づいていると睨んでいたのかもしれない。
ヴィーチェもそんな兄の雰囲気からして彼の考えていたことは何となく察してはいたが、ライラから一度も金銭援助を請われたことはなかったのでその線は絶対ないと言い切れる自信だけはあった。
けれどマルベリー家の財産問題は事実だろう。その証拠にライラは同じ衣服をよく着ているのだ。だからライラの誕生日にはよくドレスや衣類、装飾品をプレゼントをしていた。
おそらくライラの手持ちの服やドレスは数少ない。そのデザインも良く言えばシンプルで悪く言うなら質素である。
そして今のライラの様子からすると、将来が見えなくてとにかく生きるための知識を得ようと必死なのだろう。没落したときのことも考えているのかもしれない。
けれど仮にマルベリー家が没落してもライラを侍女として引き入れることをヴィーチェは画策していた。
「大丈夫よ、ライラ! もしものことがあれば私に任せてっ」
「……はい?」
ライラの両肩を掴んでヴィーチェは満足そうに宣言するが、ライラは何のことかわからないという返答をするものの深くは尋ねてこなかった。
「……それにしてもヴィーチェ様は礼儀作法も組み込まれたのですか? 必要はないかと思いますけど」
その代わりヴィーチェの提出用紙を見たライラが疑問をぶつける。
「立派な淑女になるためには欠かせないものでしょ?」
「いえ、すでに作法は完璧だと思うのですが」
「ほんとっ? でももっと極めたいのよ。リラ様に似合う女性になるためには完璧のさらに上を目指さなくっちゃ!」
「あの、相手はゴブリンなんですよね……?」
もちろんよ! そう伝えるとライラは「ですよね……」と困惑を含んだような声色で答える。
もしかして頑張りすぎだと思われたのかしら? それならライラにも言えることよ。と考えながらヴィーチェはライラとともに履修科目の登録用紙を提出した。
◆◆◆◆◆
日が変わり、いよいよジェディース学院の授業が始まる。初めての授業はヴィーチェが楽しみにしていたと言っても過言ではない魔物学。
ライラとは一緒ではないため、ヴィーチェは一人で魔物学が行われる教室へと向かい、席に着いた。
ざっと見たところ男子生徒が多い印象。それもそのはず、魔物学は魔物に関する習性や生態を学ぶため、騎士を目指す者が受けていることが多い。
もちろん魔物学を受ける女子生徒も少なからずいるものの、ヴィーチェが着席すると周りの生徒達は小さくざわつき始めた。
エンドハイトの婚約者という肩書きもあるが、ゴブリンオタクという肩書きもあるのでそれで反応したのかもしれない。
それこそ最初は「未来の王妃が受ける授業じゃないだろ?」という困惑の声も上がったが、すぐに別の生徒が「いや、ファムリアント令嬢は確かゴブリンオタクって話だろ」と説明する。
そんな周りのひそひそ話を気にすることなく、ヴィーチェは授業で使用する教本をすぐに開けて読もうか考えていた。
すると今度は大きなざわつきが室内に響き、ヴィーチェは何だろうと周りの生徒達の様子を窺う。どうやらみんなの視線は教室の入口へと注がれているようだ。
ヴィーチェも目を向けると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
「うわ、ゴブリン病のティミッドじゃん……」
「同じ授業とか最悪だな~」
ゴブリン病という言葉にヴィーチェはピクリと反応する。ゴブリンになる病気のことなのかとそわそわするが、周りの会話に耳を傾けるとどうやらそうではないことがわかった。
「ゴブリン色の鼻なんて俺なら恥ずかしくて外に出ねぇわ」
「違いねぇ」
ギャハハと隠すつもりのない品のない笑い声があちこちから聞こえる。緑肌病のことをゴブリン病と呼んでいるのかと理解したヴィーチェは「なるほどね」と頷いた。
「おーい、ゴブリンくーん! ここは人間様の居場所だからゴブリンくんの来るとこじゃねーぞ!」
「いや、ゴブリンだからこそお仲間である魔物学を学ぶんじゃねぇの?」
「っ!」
びくりと身体を震わせているティミッドと呼ばれる令息は顔を俯かせて入口から動かないままでいた。
その様子を見たヴィーチェはすぐに席を立ち、彼の元へ向かう。その足音に彼は気づいたようで危機感でも抱いたのかさらに身体を強ばらせていたが、ヴィーチェはただ一言声をかけた。
「大丈夫かしら?」
その言葉に反応するようにティミッドは勢いよく顔を上げた。そこでようやく目の前に立っているのがヴィーチェだと気づいたのか、驚きに目を丸くさせている。
「あっ……ヴィー……チェ、様……」
「震えていたけど風邪でもひいたの?」
「い、いえ……!」
ふるふると首を横に振るティミッド。今度は若干顔が赤い気がするが本当に風邪ではないのか不思議に思った。
「ヴィーチェ様ー。ゴブリンの相手をしてるとゴブリン病が移りますよー」
からかい気味に笑う男子生徒の声がヴィーチェにかけられる。ティミッドはそれに反応するかのようにヴィーチェから一歩距離をとった。
しかしヴィーチェはその言葉の意味がわからず首を傾げる。
「何を言ってるの? 彼はどう見てもゴブリンじゃないわよ?」
「いやいや、そいつの鼻の色を見てくださいよ。どう見てもゴブリンだし、ヴィーチェ様も同じようになるかもしれませんよ」
彼の言葉に「そうそう」と同意する声がちらほらと上がる。教室全体がティミッドをいびる空気となり、とても異質であった。
青ざめたティミッドは気分が悪くなったのか口元に手を当て、さらに一歩後ろに下がる。今にも逃げ出しそうなその足元は震えていた。
「彼はゴブリンじゃないわっ」
そんな中、ヴィーチェは強い一言を教室内に響かせた。大きい声で怒鳴ったわけでもないのに、せせら笑っていた声がピタリと止めてしまうほどの圧を彼らに与える。
「そもそも身体の一部が緑肌病というだけでゴブリンになれるわけないじゃない。それに感染病じゃないわ。間違えて覚えたのかしら? それとも誤った知識を植えつけられたの? 後者なら大問題だわ。間違った知識をひけらかすなんて人として恥ずかしいもの」
ヴィーチェの言葉は多くの生徒達の言葉を詰まらせた。まるでお里が知れるわと遠回しに言われているように聞こえたからだ。しかしヴィーチェにとっては嫌みではなく、純粋に心配しての発言であった。
「いや……別に本気でそいつをゴブリンって思ってるわけじゃなく比喩であって……」
誰も反論できないと思われた中、否定できるところは否定しようと考えた男子生徒の一人が口を開く。それを聞いたヴィーチェの目が光り、思わず男子生徒は「ひっ」と小さく声を上げた。
「それはつまり褒めていたってことね!?」
「「?」」
思いもよらない返しにその場にいた全員は疑問符を浮かべる。なぜそんな考えに至ったのかわからない。
「ティミッド、だったかしら? あなたゴブリンみたいって褒められてたのねっ」
「え、あのっ……褒め言葉じゃ……」
「どうして褒め言葉になるんだっての! ゴブリンみたいに醜いことだって理解しろよ!」
ヴィーチェのおかしな反応に痺れを切らしたのか、一人の男子生徒が無礼にも怒鳴りつける。隣にいた友人と思わしき男子生徒が「お、おい、相手はファムリアント公爵令嬢だぞっ」と注意をしていた。
しかしヴィーチェは相手の態度よりも「醜い」という言葉に反応し、初めて聞く言葉のように小さく復唱する。
少しばかり時間を置いたあと「なんてことなのっ!?」と、理解できないと言わんばかりのショックを受けた。
「ゴブリンが醜いなんて有り得ないわ! 私のお慕いするリラ様なんて格好良さの頂点に立っているというのに! ……よし、それじゃあ、私とリラ様のお話をよく聞いてっ。それを聞けばゴブリンが醜いだなんて思うはずがないんだから!」
由々しき事態だと考えたヴィーチェは生徒達の誤ったゴブリン像を払拭するために教壇の前へと立った。そして自分とゴブリンの頭リラ様との出会いから、いかにリラ様が格好いいのかスラスラと語り出す。
突然聞かされる有り得ない話に魔物学を受講する生徒達は困惑するしかなかった。そんなヴィーチェのゴブリン語りは担当の教師が来るまで止まることなく喋り倒す。
その場にいたほとんどの生徒達は「ゴブリンオタク怖ぇ……」と思ったそうだ。
ただ一人、ティミッドだけは頬を染めながらヴィーチェに違う感情を抱いた。




