子爵令嬢は公爵令嬢とともに寮へ向かう
「春の陽気に相応しいこの良き日。我々第147期生は伝統的なジェディース学院に無事入学を迎えることができました」
入学式が行われる講堂にて、新入生代表として壇上に上がったのは次期国王となるエンドハイト第二王子。
王族の入学というのもあり、講堂内は緊張で張り詰めていた。
新入生、在学生、教師達の視線を一身に浴びながら彼は堂々とした佇まいで挨拶を述べる。
「学院の生徒として、そして将来的には国のために我々は学び、能力を高めていくために与えられたこの三年間を有意義に過ごします」
貴族学院とはいえ、王族も加わるとなるとやはり空気が違う気がする。ライラ・マルベリーはそう思いながら静かに周りの様子を窺う。
女子生徒は憧れの王子を見て頬を染めていたり、男子生徒は羨望の視線を向けていたり、それなりに好印象な様子。
幼少期の横柄な態度もなくなり、次期国王としての器ができたのだろう……なんて、周りが口にしていたがそんなわけないとライラは断言する。
アレは変わらない。ただ貴族達の支持と人気を得るために隠したに過ぎないのだから。
それにライラは知っている。ここ数年ほど婚約者であるヴィーチェをほったらかしにしていることを。……まぁ、それはヴィーチェが「リラ様のお話ができないのは残念だわっ」と別の意味で悲しんでいることで知ったわけだが。
将来はともに国を支える王妃となる人物を軽んずるような人物が国王になるだなんて。ライラはこの国の未来を心配した。
そんな彼女にとってはつまらない新入生代表の挨拶を聞き流しつつ、入学式は終了する。
◆◆◆◆◆
式を終えると、三年間お世話になる女子寮へと向かった。やはり貴族学院の寮というべきか、とにかく立派だ。ライラの実家よりも豪華で広大だと思われる。
寮の前にはそう簡単に乗り越えられない大きな鉄製の門扉。それだけではなく門番も立っていて、セキュリティも万全だった。
門を潜り、女子寮へと足を踏み入れる。エントランスホールも広くて、三階建ての吹き抜けとなっていた。
あらかじめ伝えられた寮部屋へと向かうためヴィーチェと別れる━━はずだったのだが、途中まで同じだったようで彼女とともに階段を上る。
部屋の地図を頼りに廊下を歩き、自分の部屋の前へ辿り着いたライラは扉に目を向けた。
寮の部屋には一部屋ずつ花の名前が掲示されていて、ライラの部屋の名前は『ブラックキャット』
(ブラックキャット……またの名をバットフラワー、もしくはデビルフラワー)
黒い花でヒゲのように垂れ下がる糸状のものがいくつもあり、コウモリの羽を広げているようにも見えるもの。
別名にしろあまりいいイメージがされない花で黒髪で魔女と呼ばれる自分にはある意味ピッタリと言わざるを得ない。いや、もしかしてピッタリすぎるからこそここにあてがわれたのかも。
(……まぁ、いいけど。花に罪はないもの)
無表情でその名を見つめ、そういえばとヴィーチェの姿を確認する。おそらく近くの部屋なのかもしれない。
「あら、ライラとお隣なのね!」
「……そのようですね」
どうやら隣の部屋の前にヴィーチェは立っていた。寮の中でも彼女と近い部屋になるとは。この三年の間、ヴィーチェと顔を合わせる時間が長くなりそうだ。
「それじゃあ、ライラ。お部屋を確認したら色々散策するわよっ」
「はい」
そういう約束だったのでライラは頷き、一旦ヴィーチェと別れ、各々の部屋に入った。
寮の部屋はライラが思っていたよりも広いように思える。それもそうだ。隣人とはいえ、ヴィーチェの部屋からライラの部屋までそれなりに距離があったのだから。
奥行きもあるだろうし、もしかしたら実家の部屋よりも過ごしやすいのかもしれない。
そんな部屋には一人見慣れた人物がライラを出迎える。
「お帰りなさいませ、ライラお嬢様」
寮内では一人だけ任意の使用人を連れて行くことが認められているため、ライラは幼少期から側にいたアルフィーを連れてきた。
見習い執事だった彼も今では一人前の使用人となり、ライラ専属の執事として日々職務に励んでいる。
見習い時代は一生懸命でまるで子犬のように走り回ったり、緊張ばかりしていたが、見習いを卒業した頃には落ち着きが備わるようになった。
初々しさがなくなったのは少し寂しくはあるが、人懐っこい笑みは昔から変わらない。そんな表情で出迎えられたライラは無意識に張り詰めていた神経が和らいだ。
「そろそろお戻りになると思い、紅茶のご用意ができています」
「ありがとう。でもこのあとヴィーチェ様と寮内や学院を散策するから一杯だけいただくわ。だからあなたも一緒に飲んでちょうだい」
「ライラ様、使用人とお茶を飲むなんてよろしくありませんよ」
見習い時代からライラの面倒を全て任されていたアルフィーとはよく紅茶をともにしていた。
仕える令嬢と一緒に使用人がお茶をするのはあってならないことではあるが、他の使用人には見向きもされないライラにとって数少ない心を開ける人物なのである。
しかしベテラン枠に入ったアルフィーは使用人の心構えも強くなり、ライラを諌めることも増えてきた。だからといってライラの意見は変わらない。
「いつものことでしょ? それに誰にも見られないのだから心配ないわ」
「仕方ありませんね」
言葉はそう言いつつも、嬉しげな笑みである。アルフィーも嫌なわけではないことくらいライラも理解しているのだ。
すぐさま執事が用意してくれたお茶を一口含む。アルフィーの淹れる紅茶は今日も満点だ。向かい合って座る彼も自分の出来に満足している様子。
「いくら私の専属使用人とはいえ、女子寮では肩身が狭いわよね? その点は申し訳ないと思っているわ」
「いえ、そんなことはありません。確かに多くはないですが男性使用人は何も私だけではないですし」
そう? と確認すると、アルフィーは笑顔で返事をし「むしろ雑務が多いマルベリー家より過ごしやすいですよ」と語るのでなるほどと納得する。
いくら一人前になったからといっても先輩である使用人や侍女長には逆らえないので、あれこれ雑用をさせられているのだろう。
「まぁ、そのおかげで仕事のレベルが上がりましたので感謝はしていますが」
軽く嫌みが含まれていると思われるその言葉。初々しく頼りなさげだった見習い時代では考えられないが、逞しくなって良かったとも思う。
「それよりもお茶菓子のクッキーも用意していましたが、帰ってきてからにいたしますか?」
「えぇ、それでお願い。あとあなたから見て部屋に問題はなかったかしら?」
「隅々まで点検をいたしました。ネズミの穴もなく清潔で、備え付けの家具も素材がいいものです。この状態を維持し、ライラお嬢様の寮生活を快適にできるよう尽力させていただきます」
ライラがあれこれ言わなくてもアルフィーは臨機応変に対応できるし、仕事もできる。もはやマルベリー家に務めるのが勿体ないくらいの成長ぶりだ。
彼レベルならもっといい給金を出してくれる貴族もいるだろう。そのうち引き抜かれてしまいそうだなと思いながらもライラはせめて学院生活の間だけでも職務を全うしてほしいと願うのだった。
◆◆◆◆◆
そろそろ頃合だろうと、ライラは動いた。アルフィーを部屋に待機させ、ライラはヴィーチェの部屋へと向かう。
友人の部屋の前に立つと、そこには『ローレル』と書かれていた。
黄色の花と香味料として使われる葉、ローレル。花言葉は栄光や勝利という王妃となる彼女に相応しいものである。
しかしローレルは花と葉にもそれぞれ花言葉があり、花は裏切りや不信。葉には私は死ぬまで変わりませんといった意味がある。
特に私は死ぬまで変わりませんという言葉も彼女らしく思うと同時に不吉にも感じてしまう。
どういう意味を込めてヴィーチェをこの部屋にあてたのか。それとも深い意味はないのか。どちらにせよライラにわかるわけもなく、彼女は部屋の扉をノックした。
返事がくるかと思ったがドアの方が勢いよく開き、ヴィーチェが姿を現す。その彼女の後ろには侍女が「ヴィーチェ様っ、客人の対応をするのは私の役目です!」と困惑させていた。
「お待たせしました」
「待っていたわライラ! 早速行きましょうっ。それじゃあ、アグリー行ってくるわね」
「……遅くならないでくださいね」
すでに疲れ切っているような彼女の侍女を見て、ライラは心の中でお疲れ様ですと労った。
まずは学院から見て回るわよ。と告げるヴィーチェに頷き、学院散策から始める。
明日から毎日通うので別に今散策しなくてもいいのではとは思うが、学院の規模を考えるといきなり迷子になる可能性もなくはないので下見と思えばいいのかもしれない。
ジェディース学院は世界の創造神である女神イストワール教神学も学ぶ。礼拝堂もあってやはりそこだけは荘厳たる雰囲気があり、空気も一際重いように感じた。
食堂も広々としていて、大きな窓ガラスもあるため日当たりも良さげである。
それにしても今日は入学式だけとはいえ、学院内にはちらほら生徒の姿が見受けられた。そのほとんどがライラ達と同じく、院内を散策する新入生ばかりのようだ。
「次は図書館なんてどう?」
「はい、ヴィーチェ様」
次の目的地として図書館に向かう二人は階段を上がる。その途中だった。ばったり出会ってしまったのだ。あの第二王子に。
(あ……)
「あら、エンドハイト様。ご機嫌よう」
ヴィーチェが完璧なカーテシーを披露する。ライラも彼女に続いて同じレベルとまではいかないが挨拶をした。
「……」
しかしあろうことかエンドハイトは不愉快と言わんばかりに顔を顰めては二人を無視し、そのまま通り過ぎていったのだ。
気づかないというものではない。完全に視界へ入れていたにも関わらずあえて知らぬ顔で返事することなく去った。
嘘でしょ? そう思わずにはいられない。自分だけならまだいい。元よりあの王子はライラを無視していたから。
しかしヴィーチェは違う。いくら最近は放っておいているとはいえ彼女は婚約者なのだ。あからさまに無視をするその神経を疑う。ライラは静かな憤りを感じた。
「ヴィーチェ様……」
さすがのヴィーチェも気を悪くするだろう。友人の様子を窺うと、彼女はきょとんとした表情を見せていた。
「ここ最近リラ様のお話が聞けないせいでご機嫌斜めなのかしら?」
なぜ。なぜそうなるのか。どうしてそこでリラ様が出てくるのか。
……そういえば前に本人から聞いたことがある気がする。彼女にとってエンドハイトは婚約者という名のリラ様のファン仲間ということに。
王子がヴィーチェの作り話に耳を傾けているのはただの暇潰しと思われるから絶対にそうじゃないと断言できるが彼女の前で言うわけにもいかない。なぜならライラはヴィーチェの話すイマジナリーフレンド、ゴブリンのリラ様の話を信用しているフリをしているのだから。
とはいえ傷つくことも、気を悪くすることもしないヴィーチェはある意味羨ましい思考回路なのかもしれない。
ライラは色々と思うことがありつつも「……そうかもしれませんね」と答えるしかなかった。




