侯爵令息は公爵令嬢と出会い、学院生活に光を見る
ジェディース学院とは貴族の子供達が通う学びの場。三年間寮で生活をし、勉学に励む期間である。
制服は男女ともに白のブラウス。女性は黒のチェック柄ワンピースでリボンを着用。男性は黒のチェック柄ボトムスとネイビーのベストでネクタイを着用。
リボンとネクタイはワインレッド。冬場では女性はケープ、男性はジャケットを羽織り、ともにグレーで合わせている。
そんな伝統的な貴族の学院に、第147期生達が華々しく入学した。
新入生達は学院生活を楽しみにしていたのか、喜びに満ちあふれている顔ばかり。
皆、入学式が行われる講堂へと向かっている中、一人だけ足の重い生徒がいた。周りの生徒達は彼を見るや否や、ある者はおぞましいものを見る目で、ある者は汚らわしいものを見る目で、誰もが避けるように距離を取る。
やや俯き気味で重たげな黒い髪は目元がわずかに隠れていた。しかしそれだけで彼が避けられているわけではない。普通の者と大きく違うのはその鼻にあった。
彼の鼻の頭は深い緑色に変色していたのだ。緑肌病を患う少年の名はティミッド・スティルトン。侯爵家の長男である。
ティミッドが緑肌病を患ったのは数年前。もちろんその病となる条件がわからないため、原因も不明。
しかし彼は鼻の頭に症状が出てからの進行はないため軽症である。問題があるとするなら緑肌病にかかってから嗅覚が鈍くなったくらいで生活そのものには支障がない。
だが、貴族は彼を見ると嫌悪の眼差しを向けた。その色からして一部ではゴブリン病とも呼ばれているため、病原菌が伝染らないように彼を避ける。感染病ではないというのに。
平民の間ではそのような差別はなく、緑肌病の者であろうと平等に接する。汚いものを見たくはないという貴族の間だけがこのような態度として表れるのだ。
何人も避け続ける者が増えれば、それに同調する生徒が増えていく。怯えるようなひそひそ話が聞こえれば、軽侮する声も聞こえてきた。
ティミッドは緑肌病に侵されてからずっとこのような目に遭い続け、次第に他人が恐ろしくなり、臆病にもなってしまう。そのため数年もの間、引きこもっていた彼だったが、ジェディース学院での生活はどうしても避けることができなかった。
(ああ、もう無理。やだ。人前に出たくない。いっそのこと死んでしまいたい……)
今日のことで昨夜は眠れなかったのか、ティミッドの目の下には隈が残る。
「見て。みんな彼を避けてるわ」
「あれが噂のゴブリン病のティミッドなのね」
貴族で緑肌病を患っていることが公となっているのはティミッドのみ。そのせいで有名になってしまったこともあり、どれだけ顔を隠そうと俯いたとしても生徒達の彼に対する言動のせいで“ゴブリン病のティミッド”というのが嫌でも周りに知られてしまう。
「あいつ、あんなに俯いてるぜ。よっぽど醜いんだろうな」
「あれと同じ空気吸いたくねぇよなぁ」
恐怖、嘲笑、悪意しか感じられない言葉ばかりが胸を刺す。足は止まり、震える手で口元を押さえる。ストレスなのか吐き気が込み上げてくる━━その時だった。
「ここは広くて歩きやすいわね、ライラ」
「ヴィーチェ様……それには理由が……」
二人の女子生徒がティミッドの真横を追い越した。それだけで彼はびくりと肩を跳ねさせ息が止まるかと思い、ヒュッと喉から音を鳴らす。
他の生徒があんなに避けて通っているこの現状に二人は気づいていないのかと思われたが、ライラと呼ばれる女子生徒はティミッドのことに気づいているのだろう。言いづらそうに言葉を紡いでいた。
「あら?」
ヴィーチェと呼ばれる女子生徒が不思議そうな声を上げる。足音がなくなったので足を止めたのだろう。俯くティミッドの視界には見えないが、気配は感じる。まだ彼女達との距離が近い。
早く離れてほしいと願う。ゴブリン病だと気づかないのならそのまま立ち去ってほしいため、ティミッドはその場で立ち尽くした。
「あなた、気分でも優れないのかしら?」
「!?」
すると顔を覗き見る女性と目が合い、あまりの近さにティミッドは「う、わぁ!?」と驚愕の声とともにひっくり返るように尻もちをついた。
「ヴィ、ヴィーチェ様っ」
「驚かせてしまったのね? 大丈夫かしら?」
金糸雀色の髪の令嬢がスッと手を差し出してきた……が、途中でピタリと手の動きが止まる。どうやら彼女はティミッドの鼻の色に気づいたのだろう。目を丸くさせていた。
慌てて鼻の頭を隠すももう遅い。せっかく気づかないままだったのに「気味の悪いものを見てしまったわ」と反感を買う恐れがある。
それにヴィーチェという名前を知らないわけではない。爵位も上であり、エンドハイト王子の婚約者として有名な公爵令嬢である。
そんな人物に目をつけられたくない。入学早々ツイてない。小刻みに震えるティミッドはこの先の学院生活はさらなる地獄になると確信した。
とにかく早く謝らないと。礼儀だけでも弁えておかなければ。そう考えるも声は震える。
「あ、ああ、あの、も、うしわけ━━」
「あなた、素敵な鼻の色をしてるのねっ!」
へ? 間抜けな声が出た。今、鼻の色を褒められたのか?
一体何が起こっているのかわからず混乱するティミッドだったが、もしかしてこれは嫌みを言われてるのかもしれないと勘繰る。
しかしあまりにもヴィーチェ・ファムリアントの目の輝きが強くなったため、嫌みにしては不快感を抱かなかった。
そんなヴィーチェの後ろに立つ長い黒髪の女子生徒はこの状況に思い当たることがあるのか、真顔のまま小さな嘆息を吐き出していた。
「ヴィーチェ様、彼が驚いております」
「あら、そうなの? ふふっ、ごめんなさいね。私の好きな色だったからつい」
さぁ、お手をどうぞ。と鼻の色を直視したというのになおも手を差し伸べ続けるヴィーチェ。ティミッドは夢を見ているような気がした。
「まぁ、あんな汚らわしい者に手を差し出すだなんて……」
「でもあれってファムリアント家の公爵令嬢じゃ……」
信じられないというのは他の生徒達も同様だったようで、ティミッドを避けつつもざわついている。だからこそティミッドは己の周辺だけは世界が違うように思えた。
手を取っていいものなのか……ティミッドは考える。ここは「僕は卑しい姿なのでお気持ちだけで十分です」と断るのが一番かもしれない。
「ぼ、僕は、卑し━━」
「ほら、綺麗な制服が汚れてしまうわっ」
「えっ、ちょっ……!?」
断ろうとした矢先、痺れを切らしたのかヴィーチェによって手を掴まれたティミッドはそのまま引っ張られ、立ち上がらされた。……思っていたよりも力がある令嬢に驚きつつ。
「これでよし。早く行かないと入学式に遅れちゃうわね。それじゃあ、お先に失礼するわ」
「失礼いたしました」
ティミッドが立ち上がったことに満足したのか、ヴィーチェは笑みを浮かべながら彼の前から立ち去った。彼女に続き、ライラと呼ばれる女子生徒は頭を軽く下げてヴィーチェの後を追う。
残されたティミッドは呆然とした様子で彼女達の後ろ姿を見続ける。
避けていた他の生徒達は「ゴブリン病に触れるなんて正気じゃない」と口々に囃し立てた。ティミッドも自分のことながらそう思う。
緑肌病を患ってからずっと避けられたり蔑視されたりが日常になっていた。そんな彼が人と触れたことや普通に会話をしたことが久々すぎて戸惑いを隠せない。
(これ、も……素敵な色だって……)
忌々しいと思っていた鼻に触れる。嫌われ続けたこの色を褒めてくれた。例えお世辞だとしても、ビクビクばかりしていたティミッドの心はこの時ばかりだけ喜ばしさに鼓動が増す。
対面した時間は一瞬だったのに。まるで春の嵐のように去っていった公爵令嬢。自身に向けられた輝かしい瞳が印象に残る。
「そういえば確か彼女はゴブリンオタクじゃなかったかしら」
ふと耳に入る他の生徒の言葉。そういえばファムリアント家の令嬢は大層ゴブリンがお気に入りのようでゴブリンの話になるとかなり饒舌になるとティミッドは聞いたことがある。
それなら彼女の言動も納得だ。だからこそこの鼻の色も受け入れてくれるのだろう。
「ヴィーチェ、様……」
可憐な人だった。優しく手を差し伸べ、花が咲くように微笑む姿は未来の王妃に相応しい。あんな人が学院にいるのなら苦痛と思われた学院生活もほんの少しだけ悪くないかもしれない、そんな気持ちになった。
◆◆◆◆◆
「ヴィーチェ様……リラ様と同じ色という理由で殿方にあまり詰め寄るのはよろしくないかと……」
ティミッドの前から立ち去り、講堂へと向かう中、ライラは友人として溜め息混じりでヴィーチェに諫言をした。
「ハッ! そうね、リラ様が嫉妬してしまうわ!」
「いえ、エンドハイト様の婚約者としての立ち振る舞いとしてです」
真顔できっぱりと物申す。長年ヴィーチェの友人の枠に納まっていることもあり、聞き手役ばかりに徹していたライラは少しずつヴィーチェに言いたいことを口にできるようになっていた。
将来的に次期国王の座に着くエンドハイトの妻となるヴィーチェのために、そしてそんな彼女からおこぼれをもらう自分のために。
「そうね、婚約者の立ち振る舞いを良くすればまた一歩リラ様の隣に相応しくなるものね」
「そういう意味ではなく……」
「大丈夫よ、ライラ! 私はリラ様のために自分磨きを怠らないわ!」
何も大丈夫じゃない。そう思いつつ、ゴールは違えど目指す方向性は間違いではないのでライラは「まぁ、感情はどうしようもないわよね」と諦めた。
笑顔を絶やさないヴィーチェの斜め上の前向きさには、ハラハラすることもあるけど、どこか微笑ましさもあるので見ていて悪い気はしなかったから。
しかし片や次期国王の婚約者であり、ゴブリンオタクの妄想癖公爵令嬢と、片や黒髪の愛想のない魔女の子爵令嬢と噂される二人。
そんな彼女達の存在は学院の生徒達の好奇な視線を集めるには十分であった。
けれど一人は気づいていない様子で、もう一人はいつものことだと受け入れているので、ヴィーチェとライラは気にすることはなく入学式を始める荘厳な講堂の中へ足を踏み入れた。




