ゴブリンは公爵令嬢の成長に驚きを隠せない
その日はあいにくの雨であった。雨の日は魔物も動物も外に出ることはあまりない。そして視界も悪くなるので獲物を狙う条件に適さないため、狩りそのものができなくなる。
そうなると食事は木の実や干し肉といった味気のないものになるが、数年前からリラの住むゴブリンの村は食事事情が変わった。
ヴィーチェがリラの誕生日プレゼントとしてアイテムバッグをプレゼントしたからである。
中に入れた物の時間が止まり鮮度が保つ魔法と無限に収納ができる容量拡張の魔法が付与されたそれは腰に掛けられる程の大きさの麻袋。
重さも感じないそのアイテムバッグは便利なだけあってそれなりの費用がかけられているとリラは確信した。
おそらくヴィーチェに雨の日の過ごし方やその際の食事の話をしたからプレゼントしたのだろう。
訝しげに受け取りながらも結局リラは干し肉よりも新鮮な肉を保存する手段を取ったのだ。
獲物を多く手に入れても干し肉にすることなく、予め焼いた肉をアイテムバッグへと入れれば雨の日にでも美味しい肉にありつけるし、仲間からも喜んでもらえる。だから雨でもご飯の心配はあまりしなくなったリラは仲間達の食料庫を担ってしまった。
他のゴブリン達は大人しく家で休んでいるか、以前ヴィーチェから貰ったプレイング・カードを使って仲間達で盛り上がっているのかもしれない。
あのカードはアロンに貸したはずだが、いつしか別のゴブリンに又貸しているので一体誰の手に渡っているかはわからないが、楽しんでいるのなら別にいいかとそのままにしていた。
しかしリラは雨の中、村の外へと出ていく。そしてこれもいつぞやの誕生日のときにヴィーチェから受け取った雨合羽を身に纏い。
ゴブリンに雨具なんてものはないし、リラも雨の中で動くときは普通に濡れていた。しかし雨の日に会う度ヴィーチェは『リラ様が風邪をひいちゃうわ!』と騒ぐのである。
そのせいというのか、おかげというのか、ヴィーチェによる二回目のリラの誕生日プレゼントが雨合羽だった。
使わないとうるさいため、雨の日にヴィーチェと会う際には渋々と着用している。
つまり今日がヴィーチェと会う日だ。
「リーラーさーまー!」
雨足が強いとは言えないがそれでも憂鬱さを感じずにはいられない雨の魔物の森。そんな中でも聞こえる明るい少女の声は実に不似合いである。
「……雨の中でも元気だな、お前は」
「リラ様に会えるんだものっ。元気と楽しみと幸せとドキドキでいっぱいよ!」
頼むからひとつくらい置いていけ。そう告げてもヴィーチェは「リラ様がいる限りできない相談だわっ」と自信満々に返してくる。
……自滅しない限り無理なのかよ。そう思ってリラはまた今日も溜め息をひとつこぼす。
「それに雨の日はリラ様とお揃いの雨合羽だから嬉しいもの」
両頬に手を当ててうっとりする姿を見せながらお揃いを強調する。リラはうげっ、と呟いたと同時に今すぐ雨合羽を脱ぎ捨てたくなった。
確かにヴィーチェと同じ雨合羽ではあるが、お揃いと言われると反発したくなる。しかし本当に脱ぎ捨てるとまたうるさく騒ぎ立て面倒なことになりかねない。
リラは思う。ヴィーチェと知り合ってから我慢することが多くなったな、と。
「あ、そうだわリラ様聞いてっ。この間、本を買ったのだけどまたゴブリンが悪者として書かれてるのよ!」
「あー……そうかよ」
別に今に始まったことではないし、この話自体もヴィーチェが本を購入する度によく聞いている。だから慣れてしまったというのもあるので、いちいちキレるのも馬鹿らしい。
それに自分のことのように怒るヴィーチェを見るとなんかどうでも良くなってきた。代わりに怒る相手を見ると逆に怒りが冷めるというやつだろうか。
「いつもいつも同じような内容ばっかりなのよっ。ゴブリンが悪さして倒される話!」
「人間にとっちゃ悪者だからな」
「リラ様達は違うもの! アロンは意地悪だけど、悪いことはしてないし、一回しかあってない大婆様だって優しかったわ!」
「面倒事を起こさないためだ。別に正義の味方になりたいわけでもないしな」
「でもリラ様の素晴らしさは歴史に残すべきだと思うの。格好良さも生き様も魅力も全て込めたリラ様の生体を記した本は絶対に生み出すべきだわ! だって私が欲しいもの! ハッ! そうだわ、出せばいいのよ! 私がリラ様のことを綴って本にするの! そうすれば全ての人達にリラ様の素晴らしさを知ってもらうことができるわっ」
……変なスイッチが入りやがった。リラがそう思うのも仕方ない。なぜならヴィーチェの会話のテンションやテンポが上がっていくのだ。若干燃えているように見えるのも気のせいではない。
「リラ様のこと沢山の人に伝わればみんなゴブリンについて考えを改めるわ! 見てて、リラ様! あなたを絶対にゴブリンの中のゴブリンとして君臨する姿を後世まで残るようにするわね!」
「やめろっ! そんな上手くいくと思うな!」
このままでは本当にやりかねない。そう思ったリラはようやく言葉が挟めると判断して止めに入る。
ゴブリンの生体しか書かれない本なんて誰が読むんだよと怒鳴りたいところではあるが、目の前の少女が「私よ!」と返ってくるのは目に見えた。
「リラ様、なんでもチャレンジよっ」
なんでそんな前向きなんだよ! 頼むから落ち着け! そう願わずにはいられない。
そもそも本の価値はわからないリラでも、沢山の本を作り上げるにはそれだけの費用がかかることくらいは想像できた。
つまり今のヴィーチェは金を無駄にドブに流そうとする行為なのだ。あと純粋に恥ずかしい。誰にも読まれないとはいえ、自分のことが書かれた書物が流通するなんていくらリラでも羞恥に耐えられなかった。
「俺が嫌だって言ってるだろ!」
「リラ様の素晴らしさをみんなに知らしめるチャンスなのにっ!?」
「別に人間に知ってほしいわけじゃないんだよ」
「私だけが知ってるからいいってことね……?」
「……おめでたい奴だなお前は」
ひとまずヴィーチェの暴走を抑え込んだと思っていいだろう。そう安堵したのもつかの間、リラは背後から気配を感じた。
「!」
慌てて振り返れば獣の唸り声とともにそれは姿を見せる。霧がかって視界の悪い中、出てきたのはジャイアントボアであった。気性が荒いのか、リラ達を視界に捉えると威嚇するように大きく鳴いた。獲物として判断したのだろう。
雨のせいで気づくのが遅かったが、リラにとっては取るに足らない相手である。しかし、すぐそばにはヴィーチェがいる。守りながら戦うのが一番やりにくいのだ。だからといって無視できるわけでもない。それができれば最初からこうして一緒にいることすらしてないのだから。
貴族の娘に何かあってはいけない。そんな少女の存在に小さく舌打ちしたリラは声を上げる。
「ヴィーチェ! 邪魔だから逃げ━━」
リラの声が途切れた。なぜならヴィーチェは慌てる素振りを見せる様子もなく、地面に落ちている石と呼ぶには少し大きめの塊を手にしてそれを投げたのだ。
少女の腕力なんてたかが知れてる。ただの抵抗だろうと誰もが思う状況。けれど片手には収まりきれないその石は驚くべき威力と速度を見せた。
そして風を切る勢いで投げた凶器とも呼べるそれは魔猪の額へとめり込んだのだ。呻き声を上げてバランスを崩すその様子を見たリラは何が起こったのかわからず、言葉を失う。
しかしジャイアントボアは倒れることはなく、頭にきたのか大きく鳴き声を上げるのでリラはハッとして、魔物の元へと駆け出した。
拳を振り上げて横っ面に一発、下顎に一発、と魔猪を殴打する。三発目を振り上げたところでジャイアントボアは戦闘不能となり倒れ込んだ。
ゆっくりと息を吐いて、ジャイアントボアを仕留めたかをよく確認する。思いもよらぬ獲物が手に入ったことに喜ぶべきだが、それよりも気になることがあり、ヴィーチェへと目を向けた。
「……お前、何をした?」
「石を投げたわっ」
「それはわかってる。魔法か?」
でなければあんな威力の石を投げ飛ばすことなんてできやしない。
しかし魔法を発動した様子が見受けられなかったので武器でも仕込んでいたのかとも考え、ヴィーチェをよく観察するがそのような物を所持しているようには見えなかった。
「魔法の適性はないって言われたから魔法は使えないわ」
「じゃあただ投げただけでジャイアントボアをよろめかせたってのか?」
「そういうことねっ。鍛えたかいがあったわ!」
「……鍛えた?」
鍛えてどうにかなるような威力には見えなかったが。そう思っていたら、ヴィーチェはもう一度石を拾い、先程と同じ構えで思い切り投げた。
速度は変わらず。火力でもあるのかという勢いで石は鈍い音とともに木の幹へとめり込んだ。
(……飛び道具を使ったわけじゃなく腕力だけだと? これを? 人間の子供が?)
信じられないという表情でヴィーチェへと視線を戻せば少女は誇らしげに笑っていた。
「もうあの頃のときの私とは大違いよっ」
あの頃、というのは初めてヴィーチェと出会った日のことだろう。あの日もジャイアントボアが出てきて、当時幼いヴィーチェを震え上がらせたのだ。
今では恐れるどころか、攻撃を放つことができるようになるとは。しかしこの歳で、十三……だったか? 人間の子供が行うにはあまりにも強力すぎる。……やはりスパイか何かか? とリラは疑いの目を向けた。
「リラ様との子供が沢山できるように体力作りをしたもの!」
「やめろっ!」
そうだ。そうだった。こいつはゴブリンが子供を沢山作るものだと思って体力作りをしてると昔から言っていた。いや、まだ続けていたのかよと突っ込みたい気持ちだが、それが実ってあんな成長を遂げるものか普通?
そもそもその習性はもうないものだって否定したはずだ。それなのになんでこいつは……。
「俺は子供が沢山欲しいわけじゃない……」
「! 少人数派なのねっ? 一人か二人ってことかしら!?」
「頼むから子供から離れてくれ」
「そうよね。こういうのはもっと大人になってからよね。つい先走っちゃったわ」
てへっ、と笑われても困る。本当に誰かこいつを何とかしてくれ。
顔に手を当てて深い溜め息を吐き捨てたリラは切実に願うしかなかった。




