公爵は娘の意思を尊重させる
ヴィーチェが家出した日、彼女と思わしき子供の歪んだ文字で残された書き置きを目にした父フレクは立ち眩みを起こした。
『ヴィーはリラ様以外とは結婚しません! 出て行きます!』
そう書かれた手紙の通り、ヴィーチェは部屋にも屋敷にも姿はなかった。失踪の常習犯なので、もはやそれが通常とも言えるが、夜が更けても娘は帰ってこない。
いつもならばみんなの気づかないうちに戻ってくるはずなのに。幼いながらも出て行くという言葉は本気なのだと気づかされ、夜通しヴィーチェを探すが、失踪二日目の朝になっても娘の手がかりは見つからなかった。
公爵家から近い街や、王都にも足を伸ばしてみるがヴィーチェを見かけたという話も聞かなかったため、フレクは娘が事件に巻き込まれたのではと思い始める。
もっと人手が欲しい。娘を発見するためならばとファムリアント公爵は焦るあまり王城へと向かい、国王フードゥルトに直接娘の捜索を要請する。
次期国王であるエンドハイト王子の婚約者に収まったからなのか、フードゥルトはあっさりとフレクの要求を飲み、王国に勤める騎士団を招集してヴィーチェ捜索を命じた。
おかげで魔物が出現する場所も捜索範囲として広げることができたため、ヴィーチェが家出をして三日目に白銀の甲冑を身に纏う王家の近衛騎士団がヴィーチェを発見する。
その日は途中から酷い雨が降り始めたこともあり、ずぶ濡れで帰ってきたヴィーチェは屋敷に戻ってきた早々に倒れてしまった。
医師の診断によればただの風邪とのこと。話し合いをする間もなく娘は部屋にて療養することになってしまった。
「はあ……」
ヴィーチェの捜索のために手付かずになった山のような書類を捌きながらフレクは溜め息を漏らす。
元はと言えば自分がしっかり婚約無効を進められなかったため起こった騒動。
家を出ると決意させるほどヴィーチェにとってエンドハイトとの婚約を嫌がっているのだろう。それだけでなく頼りない父がいる家にもいたくないと思っているのかもしれない。
(やはり子育ては難しい。助けてくれアンティ……)
同性である息子ならともかく、娘となればまた扱いが違うのだろう。亡き妻ならばどうしてやればいいのかわかるのかもしれない。
祈るような気持ちでフレクはアンティに助けを求めるも、しばらくしてから「亡くなった人間に縋るだなんて現実逃避もいいとこだ」と自嘲しながら夜遅くまで仕事に取り掛かった。
その後、全ての仕事を片付けるつもりだったが、老齢の執事長に何度も休むように言われてしまった。
ヴィーチェの家出騒動もあったため、これ以上家臣に迷惑をかけてはいられないと判断したフレクは自室へと戻り、疲れきった身体は気絶するかのようにすぐに意識が途切れる。
そして彼は夢を見た。過去の記憶を再現する夢だ。その中では生まれたばかりのヴィーチェを抱くアンティの幸せそうな姿があった。
『この子には自由に生きてほしいの。言いたいことを言えない子にはならないように。ヴィーチェの意思を尊重させたいわ』
そう語っていた妻の姿を最後にフレクは夢からゆっくりと目覚める。記憶で模した夢の中とはいえ、アンティの姿を見ることができたフレクは実に穏やかな気持ちであった。
そして今一度アンティの思いを改めて認識したフレクは彼女の気持ちを受け継がねばと決意する。
◆◆◆◆◆
少し遅めの朝の身支度中に執事長からヴィーチェの風邪は一晩で治り、今は朝食を取っているとの報告を受けたフレクは急いでダイニングへと向かった。
「ヴィーチェ!」
「! おひょうひゃま!」
駆けつけると報告通りヴィーチェは朝食を取っていた。兄であるノーデルと共に。
まだ幼い子供なので完治に時間がかかると思っていたし、治ったとしてもまだ本調子ではないだろうと考えていたが、病人だったのか疑わしいくらいにヴィーチェは口いっぱいにパンを頬張っている。
公爵令嬢としてのマナーについて注意をしたくなるが、今は無事元気を取り戻したことを喜ぼう。それに家を出た期間はまともな食事も口にしていないはずなので空腹だったに違いない。
「おはようございます、お父様。どうやらヴィーチェは相当お腹を空かせていたようで今回ばかりは目を瞑ってください」
ヴィーチェの食事する様を今だけは見逃してほしいと頼む息子ノーデルにフレクは一度頷いた。自分も同じことを考えていたと返しながら。
ただでさえ病み上がりで家出したばかりの彼女に口うるさく言ってしまえばまた飛び出しかねない。まずはしっかりと話し合いをしなければ。
「ヴィーチェ、体調はどうだ?」
椅子に座り、娘の体調を気遣う。尋ねなくとも見てわかるのだが、それでも気になるのが親心。どこか悪い所がないとも言いきれない。
「えぇ、大丈夫よっ」
ヴィーチェは元気そうに答える。思えば「お父様なんか大っ嫌い!!」と言われたばかりなので、もしかしたら口を聞いてくれない可能性もあった。
もう怒ってないのか、それとも何か別の良いことでもあったのか、どちらにせよそっぽ向かれなくて良かったとフレクは安堵する。
「……エンドハイト王子との件については本当に申し訳ない。お前の望み通りにしてやれなくて私も歯痒い思いだ」
「……」
婚約無効ができなかったことについて切り出せば、ヴィーチェの食事をする手が止まり、不服そうに唇を尖らせた。
「ヴィーはあんな奴と結婚したくない……」
「あぁ、そうだな。私もあの者にお前をやりたいとは思わない。だが、私の力ではどうにもならないんだ」
いくら公爵とはいえ国王の権力を前にしては無力。素直に認めるとヴィーチェは俯き始めた。
「しかし、第二王子の興味が引けば向こうから婚約破棄を申してくる可能性もあるだろう」
「! ほんとっ!? 顔面にお茶をかけたらいいのっ?」
可能性を示すとヴィーチェは嬉々として顔を上げて案を出すが、フレクは厳しい表情で首を横に振る。
「……不敬罪になりかねないからやめるように」
「じゃあどうすればいいの?」
「沢山ゴブリンの話をしてやるといい。元より彼はそれが目的なのだろう? ならば王子の根を上げさせるまで続けなさい。そのうち飽きるはずだ」
「! それなら任せてっ!」
普段ならゴブリンの話はするなと釘を刺すところだが、エンドハイトとの交流に関しては許可を出した。所詮は子供の気紛れ。すぐに飽きてくるだろう。
「しかし問題はすぐに飽きがこない場合だ。幼少のうちならばまだ幼いゆえの甘い判断で済むが、五年以上経ったら年齢的にもそうはいかなくなる。例えどんな理由であれ、婚約破棄をしてしまえばお前は傷物と呼ばれるはずだ。それに悪意ある言葉を投げかけられるかもしれない……」
正当な理由でこちらから婚約破棄をするならまだいい。悪意より同情を集められるから。けれど王族側から破棄をするとなると、ヴィーチェに欠陥があったと言われるようなもの。大事な娘に嫌な思いはさせたくない。
「お前にはそれがどれほどのものかはまだわからないだろうが、後悔だけはしてほしくない。その心構えは━━」
「問題ないわっ! ヴィーはリラ様がいれば十分だもの!」
本当に大丈夫なのか。そんな不安が過ぎる。まだ七歳の子に自分の人生を簡単に決めさせていいものか。やはりここは王子の支えになるように言うべきだったか。
フレクは悶々としながらも結局は亡き妻の言葉通り、ヴィーチェの意思を尊重させることにした。
ただ、リラ様とやらの件だけは聞き流して。
「お前が本気ならば構わない。何かあればすぐに言ってくれ。父として手助けはするからな」
「えぇ!」
「それと、昨日お前が魔物の森にいた件についてだが」
フレクは溜め息混じりに昨日の話を切り出す。行方不明だったヴィーチェが魔物の森で発見された経緯を尋ねることにした。
「リラ様と駆け落ちしようとしたのよ」
返ってくる言葉に頭痛を起こしてしまう。イマジナリーフレンドと駆け落ちしようとする公爵令嬢なんて世間が知れば大笑いものである。
王子との婚約破棄よりも一刻も早くイマジナリーフレンドから卒業する方が先ではないのか? と思うなどした。
魔物の森は危険だと何度も告げていたものの、ヴィーチェは「リラ様がいるから平気よっ」と返事をするだけ。
注意を聞き入れる様子はないように見えるが、それでもフレクは娘が心配なため二度と魔物の森に行かないようにと言い聞かせた。
その日のうちにヴィーチェが魔物の森へと向かったとも知らずに。
◆◆◆◆◆
夕刻、すでに侍女アグリーから本日も脱走を図ったという報告を受けて盛大な溜め息を吐き出したフレク。いつものようにヴィーチェの部屋にて発見したが、本当にいつもどこに隠れているのかわからないままである。
何度問いただしても「リラ様に会いに行った」と一点張り。魔物の森に行ったのではないかとヒヤヒヤするが、さすがにそれはないだろう。そもそも子供が森に入って無事に戻ってくる方が珍しいのだ。
ひとまず無事ならそれでいい。無理に問いただすのも良くないだろう。ヴィーチェが嫌がるかもしれない。
「お父様っ! ヴィー、沢山お勉強するわ!」
そんな夕飯時、ダイニングにて突然の宣言を娘から受けたフレク瞬きをした。娘が唐突に何かを言い出すことは珍しくないが、あまりにも勢いがあったので自失してしまう。
フレクだけでなく、ノーデルや傍に控えている他の侍女達も同様の反応のようであった。
しばらくしてようやくハッとしたフレクは詳しいことを娘に尋ねる。
「勉強、とは具体的にどういうことを学びたいんだ?」
「立派なレディーになるためなら何でも頑張るっ」
なんと。まさか。問題ばかり起こす娘の口から立派なレディーになるため、という言葉が出てくるとは。急な成長である。思わず目頭が熱くなってきた。
「そうかそうか。それならば満足できるような教師をつけよう」
「ありがとう、お父様!」
にぱっと笑うヴィーチェにフレクは自分の育て方に間違いはなかったと自信を持ち始めた……のもつかの間。
「リラ様の隣に立っても恥ずかしくならないような素敵なレディーになるわ!」
続くヴィーチェの言葉に緩く笑みを見せていたフレクの口角は引き攣ることになってしまい、やはり育て方が間違っていたのかと肩を落とした。
「……それにしてもどうしてヴィーチェはそんなことを思ったの?」
兄、ノーデルの問いかけにヴィーチェは誇らしげな表情を見せた。
「リラ様に勉学も大事だと言われたの。リラ様に合う女性になれってことだと思って!」
イマジナリーフレンドに言われて、か。どちらにせよヴィーチェが公爵令嬢としての教養を求めるのならば存在しないとはいえ、娘の語るリラ様とやらに感謝をしよう。
お茶会に参加を決意したのも確かリラ様が関わっていた。思えばイマジナリーフレンドとはいえ、ヴィーチェの意思を変えさせるのだからある意味いい傾向なのだろうか。
お転婆娘とはいえ、内心は本人なりに真面目に考えているのかもしれない。そう思ったフレクはイマジナリーフレンドの存在もそう悪くないのかと思い改めることにした。




