ゴブリンは悩みに悩んで公爵令嬢に交渉する
リラは悩んでいた。このままではヴィーチェのせいで仲間が危険にさらされるのではないかと。
いくら小娘に害はなくとも王子の婚約者となったからには令嬢の価値はさらに高まり、護衛や監視が増える可能性はあるだろう。
いいとこの令嬢が魔物の森に出向くなんて普通は有り得ない。ゴブリンが何かしら魔法を使ったのではないかと疑われることだってあるんじゃないのか。
そうなればゴブリン討伐を計画されてもおかしくはない。ゴブリンを束ねるボスとして決断を下さねばならないと。
寝るために存在する石造りの家から出て、藍色の空を見上げる。漂う薄雲に隠れるせいで星と月の光がほのめいていた。
夜の考え事は空を見上げるのに限る。この世で一番広大な存在である天空は頭を冷やすには十分であり、冷静にもなれる。
「なぁに難しいこと考えてんだお前は」
ほとんどのゴブリンが就寝しているであろうこんな時間に友人のアロンがやって来た。
「まだ起きてたのか」
「寝ようとしたけど、お前が気がかりだったもんでな」
話を聞けば、物々しい様子で村に帰って来たリラが気になっていたらしい。相変わらずよく見る奴だなと思わずにはいられない。
「お前いっつも考える時は空見るじゃん? 嵐対策とか、猛獣が村に侵入して荒らしたあとの立て直しとかさ。まぁ、最近はおチビちゃんのことだと思うけど」
にしし、と笑う友人の言葉に間違いは何もないので否定もできない。
ほら、話せよ。とどこか楽しんでる節さえ見えるアロンに観念してリラは今日の出来事を語った。
数日ぶりにお茶会を終えたヴィーチェと会った。その間に王子の婚約者になったらしく、それが嫌で家出をしたヴィーチェを捜索するため騎士団が動いて、この森の中までやって来たことを。
そして騎士団から見つかる前にヴィーチェを置いて帰ったことも。
「えっ、お前おチビちゃんを置いて逃げてきたの? そんなことしなくてもお前強いから蹴散らせるだろ? 引くわー」
軽蔑するような視線を向けられるが、納得いかないリラはムッとする。
「逃げたんじゃない。俺が騎士団を捻り潰したら討伐対象に認定されて退治するまで追われるはずだ。そうなるとこの村にも被害が及ぶだろ」
あの人数の騎士団なら簡単に倒せる自信はある。しかし人間はすぐに新たな騎士団を補充してくるはずだ。脅威だと思ったものはすぐに排除したがる人種だから。
互いの領土を踏み込まないように離れて暮らせばいいものの、人にとって魔物は害虫と一緒なのだろう。見つけたら殺す、ということだ。
「あの小娘の子守りはここまでだ。王子の婚約者なら警備の目も厳しくなるだろうし、そうなれば人間がこの村を発見し入り込む可能性も高くなる」
そもそもいつまでも人間の娘に構っているのが良くなかった。リラがそう決意すると、小さな拍手が彼に送られる。
「さすが、うちのボスはご立派だわ」
褒めているにしてはその声色に賞賛が感じられない。嫌みかと尋ねてみれば、いつもヘラヘラしている友人は陽気さの欠片もなく真面目な面持ちでリラを見つめた。
「リラはな、図体はでかいくせに変なとこで慎重なんだよ。いつも村のためにって言うけど、それでお前が我慢を強いてほしくないわけよ、こっちは」
「いや、別に我慢なんて━━」
してない。そうハッキリと告げようとするもアロンはリラの言葉を遮る。
「何だかんだ言ってもお前だっておチビちゃんと話すのは嫌いじゃねーだろ。じゃなきゃここまで付き合わないし」
「お前が面倒見ろって言ったの忘れてたのか」
まるで俺の意思で面倒を見てるみたいな言い方が若干腹立つ。
「お前なら見捨てようと思えば見捨てられるだろ。どっちにしろ人間に見つかるリスクなんてそう変わらないんだし」
それはそう。結局決めたのは自分である。やはり初手で見捨てておけば良かったのだ。毎日顔を合わせてしまったせいで少なからずヴィーチェに情が湧いてしまった。気づきたくはなかったが。
「そりゃあ俺らはお前程強くはねぇけどさ、何もできない子供でもないんだよ。多少なりとも自分の身くらいは守れるっつーの。いざとなりゃ村を引越しするくらいできるんだからお前の良さを信じるあの子を大事にしてやれよ」
ドン、と肘を突かれてしまう。そんなに推すなら俺よりもお前が大事に面倒を見てやれよと訴えるも、アロンは「俺はからかうの専門」とか言い出す始末。面白がってるだけだ。
「お前がどう言おうとあいつは人間生活での立場も変わってるんだ。今までのように会ってられるか」
「完全に切るわけじゃないならいいぜ」
「だからなんでお前が決めるんだよ」
「おいおい、俺らの賭けを忘れてねぇよな?」
賭け。確かヴィーチェが十年後もリラを想い続けていたらリラがアロンに全身マッサージをし、十年以内にヴィーチェがリラへの気持ちが冷めたのならば逆にアロンがリラに全身マッサージをするというもの。
「……まさかそのためだけに?」
「それもあるけど、単に俺がおチビちゃんに興味あるだけ」
「お前の興味本位で俺を巻き込むな」
「すでに巻き込まれてるくせに。あ~ぁ、おチビちゃんを飼うことができたらな~」
「ペット扱いするな。今でこそ子供だから可愛げがあるかもしれないが、成人になって手がつけられなくなったらどうするんだ」
おそらくアロンは今までにない刺激を求めてるのかもしれない。変わり映えしない生活につまらなさを感じて。だから人間とはいえ、まだ無力な子供であるヴィーチェに注目しているのだろう。
「そもそも人間なんて信用できるわけ━━」
「おチビちゃんのこと可愛いって思ってるんだ?」
にやついた顔をするものだからカチンときたリラはアロンの脳天に拳を落とした。
◆◆◆◆◆
翌日、リラは気を重くしながらもヴィーチェとの出会いの場にて待機する。もしかしたら昨日の一件でもうここへ訪れなくなることも期待した。
怒鳴ったし、手を強く振り払ったし、置いて行ったし……と、考えたところで「引くわー」と言っていた友人を顔を思い出してしまう。消えたと思っていた罪悪感がまた芽生え始めるが、払拭しようと頭を強めに振った。
「リラ様ーー!!」
聞き慣れた子供の声にリラは盛大な溜め息を吐き出した。なんでめげないんだ。メンタルが強すぎるんじゃないか? そう思わずにはいられない。
勢いよく駆けつける令嬢に飛びつかれると思って身構えていると、靴底が擦り切れるような音を立てて目の前の少女は立ち止まった。
「……?」
いつもならひっつき虫のように抱きついてきてもおかしくはなかった。だが、ヴィーチェの様子は違う。
何かを決心した強い瞳がリラを突き刺すのだ。思わずリラは尻込みをしてしまう。
ゴブリンを束ねるボスである彼が人間の、しかも子供相手に怖気付くなんてどうかしている。どこか他人事のように自分を嘲ると、ヴィーチェは突然力強いほどに深々と頭を下げた。
「リラ様ごめんなさい!!」
「……」
大きな声での謝罪にリラは目を丸くさせる。意を決した令嬢の口から何が出るのかと思えばまさかのごめんなさいだった。
「ヴィー、リラ様の気持ちも考えずにリラ様の嫌がることをしちゃった。今度はリラ様達が住む森に他の人が入らないように気をつけるね。だからごめんなさい」
「お、おう……」
戸惑っているゆえにそう答えるしかなかった。そもそも人間に謝罪されるなんて思ってもみなかったのだから。人が魔物に謝るなんて今まで聞いたことがない。命乞いならあるかもしれないが。
しかしこれは命乞いではなく、本当に申し訳ないと思っての言葉である。
そしてリラはヴィーチェの謝罪を受け入れた。顔を上げた彼女は満面の笑みを浮かべていたため、ひとまず安心する。
(……いや、なんで俺がこいつに気を遣わなきゃならないんだ)
このまま流されてはいけない。リラにも今日こそはと決心したことがあるのだ。
「反省してるならそれでいい。そのためにも同じことを繰り返さないように今後俺達が会う回数を減らすべきだ」
「二日に一回ってこと!?」
「四半期に一度だっ!」
二日に一回も多いだろうが! と怒鳴りつけたい気持ちをグッと堪える。
これでも譲歩してる方で本当ならばもう二度とこの地に足を踏み入れるなと言いたい。しかし相手がそれで納得するとは思えない。むしろ毎日会うからこそ断言できる。ヴィーチェはリラと会うことをやめない。……今のところは、だが。
「五日に一回!」
「ふた月に一度!」
「五日に一回!」
「っ、ひと月に一度! これ以上は無理だっ」
「五日に一回!」
「少しは折れろよお前っ!」
「じゃあ十日に一回っ」
確かに少しとは言ったが、それでも十日に一回も多い方だろ。子供相手にムキになるのも大人気ないが、そうも言ってられない。
「あーくそっ、それなら十五日に一度だ! 俺のこと思うならそれで妥協しろ!」
「うぅ~……十五日、長い……」
「お前は大きくなるにつれ色々と勉強しなきゃならないんだろ。お嬢様ならお嬢様らしく勉学に励め」
「むむむ……」
どうやら正論は言っているようでヴィーチェもそれを理解してるのか、反論はしない。納得しないだけであって。
あとひと押しだと思ったリラはそれならばと一度だけ咳払いをした。
「お、俺のことが好きなら十五日会わなくても好きだってことを証明しろ……」
恥ずかしい。恥ずかしすぎて自分を殴りたいくらいに。最後の方なんてもはやヴィーチェの顔すら見ることができずに目を逸らしてしまう。
こんなこと言いたくはなかったが、他に思いつかなかったのだから仕方がない。子供相手だろうと自分の口からこんな小っ恥ずかしいことを発言するなんて思いもしなかった。
とはいえ恥ずかしがってる場合ではない。相手は子供だ。赤面せずヴィーチェの反応を見なければ。
チラリ、と幼い令嬢に視線を戻せばあの輝かしい瞳でリラを見つめていた。まるで流れ星がそこから発生しているかのような煌めきがリラに向けられる。
「もちろんよ! ヴィーのリラ様への愛は誰にも負けないし、証明だってできるもの!」
「そ、そうか……」
「お勉強が大事なのももっともだわ。だってリラ様のお嫁さんになるのだからリラ様の隣に立っても恥ずかしくない立派なレディーにならないと」
「……その意気だ」
上手くいっているようなのでとりあえず話を合わせておこう。否定したい気持ちを抑えつつも、リラは力なく頷いた。
ようやく日を空けて会うという交渉に成功するものの、それでも十五日は短いよな!? と後々に気づくリラであった。




