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公爵令嬢は星となった母と対話する

「リラ様ぁ……」


 強く降りしきる雨の中、愛しのゴブリンの名を小さく呟くヴィーチェの言葉は雨音によって簡単にかき消される。

 追いかけたかったが、またリラに手を振り払われると思うと足が動かなかった。迷惑になると言われてしまったら余計に。


「! ヴィーチェ様っ!」


 そんな中ずっと公爵令嬢の名を呼び捜索していた十数人の騎士団に発見されてしまった。

 王族の警護を務める白銀の甲冑を纏った王族の近衛騎士団である。すでに次期国王とされるエンドハイトの婚約者として認められてしまったヴィーチェは王家の騎士団を動かすほどの存在となってしまった。本人は全く望んでないのだが。


「まさか本当にこのような場所にいらしていたとは……」

「……」


 初老と思われる男が俯くヴィーチェの前に膝をついた。無事発見したことに安堵したのか僅かな笑みを浮かべながら。


「はぁ~……やっと見つけたぜ」

「ったく、手間をかけさせやがって」

「ほんと問題児だよな」


 初老の騎士以外の年若い者達はヴィーチェに対する態度は良くなかった。せせら笑う彼らに初老の騎士が強く睨みつける。


「貴様ら、エンドハイト様の姫君になんて態度だ! 未来の王妃様に無礼ではないかっ!」


 怒鳴りつける初老の男の言葉に他の騎士達が肩を震わせ、大きな声を上げて謝罪をする。一瞬だけピリつく空気を作る初老の彼はおそらくこの騎士団の中では偉い人物だと思われた。

 まったく、と溜め息混じりで再びヴィーチェへと目を向ける初老の男は心配そうな声色で話しかける。


「ヴィーチェ様このままではお風邪を召されます。歩けますかな?」

「……」


 ヴィーチェは何も答えなかった。騎士団の言葉よりもリラのことで頭がいっぱいだったから。そんな彼女に何を思ったのか、騎士団の偉い人であろう男は「では、失礼いたします」と告げてヴィーチェを抱きかかえた。

 小さな令嬢は大人しくされるがまま、王族の近衛騎士団によって連れ戻される。暴れて抜け出したい気持ちもあったが、野宿を続けたせいで気力も体力もなかったのだ。



 ◆◆◆◆◆



 白銀の甲冑による騎士団によってファムリアント家へと帰されたヴィーチェは父や兄、そして侍女を前にしてもリラのことが頭から離れなかった。


「ヴィーチェ……! 無事で良かった。アグリー、早くタオルを」

「はいっ、ただいま!」


 ヴィーチェが無事に戻ってきたことに安堵する様子の兄ノーデルが侍女にタオルを持ってくるように命じると、すでに準備をしていたアグリーがタオルを持ってずぶ濡れの令嬢の頭に被せて優しく拭った。


「ヴィーチェ! お前の気持ちはわからんでもないが、いくらなんでもあの森に入るなんて! 何かあったらどうするんだ!」


 いつも甘やかしていた父フレクはこの時ばかりは心配のあまり叱りつける。それでもヴィーチェは動じなかった。むしろ心ここに在らずな状態である。


 人間嫌いのリラ様のテリトリーに他の人間が入ってきてしまったから彼は怒ってしまった。しかも自分のせいで。そう思うと申し訳なさで頭がいっぱいいっぱいになってしまう。

 沸騰しそうなほど頭が熱い。いや、全身そうなのかもしれない。思考も上手く働かなくて視界もぼんやりしてきた。

 力の入らない身体がぐらりと傾く。ヴィーチェの名前を叫ぶ家族や侍女達の声がなぜだか遠くから聞こえるような気がしたその瞬間、令嬢の意識は途切れてしまった。



 ◆◆◆◆◆



 小さく扉の閉まるような音が聞こえ、ヴィーチェの意識は浮上した。ゆっくり目を開けば真っ暗な室内と数日ぶりに見る自室の天井が目に入る。

 どうやらベッドの上にいると理解した彼女は、額に置かれたひんやりした物の存在にも気づく。手で触ってみるとそれは濡れタオルだった。

 全身が熱い。頭もぽやぽやするし倦怠感もある。紛れもなく風邪をひいてしまった。

 カーテンで閉められた窓はすっかり暮夜の色に染められていて、夜が息苦しい呼吸音を吸い込むかのようにただ静かな空間を作り、どこか寂しさを感じる。


『ヴィーチェ……』


 そんな中、小さく反響するような女性の声が耳に入り、ヴィーチェはハッとして飛び起きた。その拍子に濡れタオルはシーツの上に落ちるも、少女は部屋をぐるりと見回す。

 誰もいなかったはずの自室にはいつの間にか彼女の姿があった。部屋に飾られている小さな肖像画の女性と同じ見た目。生まれたばかりの小さなヴィーチェを抱えた様子が描かれている。

 その人はヴィーチェの傍に立ち、悲しげにも優しく微笑んでいた。


「お母様っ!」


 ヴィーチェと同じ金糸雀色の髪。それを後ろにお団子として結う女性を見てヴィーチェは嬉しそうに笑う。

 彼女が口にするお母様とはヴィーチェを産んで日が経たないうちに亡くなったアンティ・ファムリアントのこと。

 父からは母はお星様になったと聞いて育ったヴィーチェだったが、数年に一度母の姿が見えるようになった。

 夢か幻かはたまた死霊か、お星様の意味を幼いながら理解していたものの、なぜ母が現れるのかはヴィーチェにはわからない。


『起きちゃダメよ、ヴィーチェ。ちゃんと寝てなきゃ』

「でも、お母様が来てくれたんだものっ」


 母に手を伸ばすも小さな令嬢の手はすり抜けるだけ。別にこれが初めてではない。理解していたとはいえアンティに縋りつきたい気持ちは幼いからこそあったのだ。


『横になってもお母さんは逃げないわよ。熱があるのでしょ? 早く治さなきゃ』


 優しくベッドで寝るように促されるヴィーチェは渋々と「はぁい……」と呟きながら布団に潜る。


『前よりまた大きくなったわね。最近はどうかしら?』

「! ヴィーねっ、将来の旦那様と出会ったのよ! 素敵なゴブリンでリラ様って言うの!」


 聞いて聞いてと言わんばかりにリラとの出会いについて語るヴィーチェ。

 アンティはまさかゴブリンが相手とは思ってもみなかったのか、最初こそ驚きはしたが途中からは穏やかな表情で耳を傾けている様子だった。


『そう。そのリラ様に良くしてもらっているのね?』

「えぇ! ……でも、そのリラ様の嫌がることをしてしまったの」


 嬉々として返事をしたのもつかの間、リラに手を払われたことを思い出したヴィーチェは眉を下げながら覇気のない声で呟く。

 あの優しいリラ様が怒るのだからきっと嫌われてしまったのかもしれない。そんな不安を吐露すると、アンティの手がヴィーチェの頭へと触れた。感触はない。しかしなぜか温かみは感じられた。


『ヴィーチェ。あなたがそうやって思い悩むのはまたひとつ大人へと成長する証よ。でも私の言った言葉は覚えているかしら? 悲しむよりも悩むよりもヴィーチェの思うままに行動しなさい、って』


 暖かな言葉で紡ぐ母の言葉にヴィーチェは小さく頷いた。幼いながらにも残っている星になった母の言いつけを。

 姿を見せる度に彼女はヴィーチェの気持ちを尊重する言葉を残してくれた。


『もちろん、悲しむのも悩むのもダメじゃないわ。けれどヴィーチェが生きている間は楽しい記憶を沢山作ってほしいの。だからそのもやもやは少しだけお付き合いして、あとは思うように行動しなさい。……ヴィーチェ、嫌がることをしたと思ったらどうしたらいいのか、あなたならわかるんじゃないのかしら?』

「ヴィーは……私はっ、リラ様にごめんなさいする!」


 勢いよく起き上がって謝罪を決意するヴィーチェ。その拍子に熱の宿る頭がくらりとして、再びベッドに沈んだ。


『無理しないのよ。謝るのはちゃんと元気になってからね』

「はぁい……」


 今すぐにでも謝りたい気持ちが先走る。でも大好きな母が元気になるまで、と告げるのならそれに従うしかなかった。

 その最中、瞼が重くなるのを感じたヴィーチェは必死に目を開けようとする。しかし強い眠気に抗うのはなかなかに難しい。


『長話してしまったわね。そろそろおやすみなさい、ヴィーチェ』

「……お母様と、お話する……」

『それはまたの機会に』


 寂しげに微笑む母の姿が目に入るも、ヴィーチェの瞼は本人の意思に反するように閉じられてしまい、深い眠りにつく。


 次に目覚めたときにはもちろん母の姿はなく、ヴィーチェの体調も回復していた。


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