ゴブリンは公爵令嬢に違和感を抱き、騎士団から逃げ出す
ヴィーチェがお茶会とやらに行ってから早三日。驚くことに森へ来ることはなかった。てっきり翌日から足繁く通うのかと思えばだ。
もしかしたら遅れてくるのかもしれない。そう思い時間を調整していつもの場所へ向かうも娘の姿はなかった。
天気が悪かろうと執拗いくらい通っていたあのヴィーチェが、である。
それとも貴族とやらのお茶会とは三日三晩行うものだったりするのか。その辺りの日程を詳しく聞いとけば良かったと思うものの、それでは俺が会うのを楽しみにしてるみたいじゃないかとリラは不機嫌そうな表情で頭を振る。
「……もしかしてとうとう諦めたか?」
ヴィーチェと会わなくなり三日目にしてハッと気づいたその可能性。元より望んでいたことがとうとう叶う日がきたのか。ようやく解放される……! と、喜びに手が震えた。
もう子供の子守りは懲り懲りだ、俺は自由だ、と胸の内で叫ぶ。よほど嬉しかったのか、リラは機嫌良くその日の狩りに出て行くのだった。
もう娘に会いに行かずにすむ。そう思っていたはずなのに、気がつけばリラの足はいつもの待ち合わせ場所へと辿り着いてしまった。
「……馬鹿か、俺は」
習慣とは恐ろしいもので、日課ともなれば無意識に足がそちらへと向かってしまう。その事実に気づいたリラは頭を両手で抱えながら大きな身体をしゃがみ込ませた。
クソッと呟き、すぐにこの場から離れようとした矢先だった。それは走る足音とともにひょっこりと姿を見せる。
「リラ様ぁぁぁぁーーっ!!」
歓喜の声で名を呼ぶ娘。まるで魔獣の突進の如く腹目掛けて飛びついた。その勢いに思わずよろついてしまったが、リラは何とか踏ん張って堪える。
結局人間の子守りは続くらしく、ゴブリンのボスは深い溜め息を吐き捨てた。
「もう会えないかと思ったーー!!」
むしろ会えない方が良かったというのに。その言葉を飲み込みながらリラは飛びつくヴィーチェの首根っこを掴んで引き離し、地へと彼女を下ろした。
「大袈裟な奴だな。三日くらいで」
「だって、だって! リラ様のこと信じないのに、婚約された上に私の邪魔ばかりするもんー!」
「お前俺のこと話したのかっ!?」
あれだけ話をするなと言ったのにこいつは全く聞きやしない。リラは頭が痛くなる思いだった。
もしその話を信じて討伐隊を組まれたりしたらたまったものではない。だから信じないでいてくれるほうがこっちとしては助かる……と、そこまで考えたところでリラは気になる単語に気がついた。
「婚約……? お前が?」
確か結婚を約束する関係だったな。そう思い尋ねるとヴィーチェは悔しそうに、認めたくはないという苦い表情でこくりと頷いた。
「で、でも安心して! 私、ヴィーチェ・ファムリアントは女神様に誓ってリラ様以外を愛することはないわ! 絶対に、何が何でも婚約は無効にしてもらって、ちゃんとリラ様と婚約できるようにするから! ヴィーは他の人の物にならないから!」
「別に浮気を問い詰めてるわけじゃないぞ、俺は」
そもそも人間とゴブリンの婚約なんて誰が認めるんだ。相変わらずおかしな思考回路をしている奴だ。
しかし良いとこのお嬢様というのはこの歳で婚約をしなければならないなんて大変なんだな。だが、それがこいつらの生き方なのだろう。やはりゴブリンとは考え方が違う。
リラは一生理解できないだろうなと考えながらも、これを機にヴィーチェと距離が取れるのではないかと気づいた。
「ヴィーチェ、何にしろお前に婚約者というのができたのならそれは大事にしなければならないだろ。そいつとの交流を深めるために俺の元へ来るのはもうこれで最後にしろ」
「ふっふっふ、その手には乗らないわよリラ様っ! そうやってリラ様に対する私の愛を確かめてるのでしょうけど、ヴィーの心はリラ様を掴んで離さないんだからっ!」
「頼むからちゃんと会話してくれ」
その手には乗らないと言われて一瞬ヒヤッとしたが、続く言葉を聞けば呆れることしかできなかった。今の話でどうやったらそんな都合のいいように受け取れるのか、どう育てばそんな前向きになれるのか。
「それにあのなんちゃら王子っていう人、ヴィーは嫌いだもん!」
「……は? 王子?」
耳を疑いそうな言葉を聞いてリラは青ざめた。人間情勢に詳しくない魔物と言えど、王という存在はよく知っている。人間の頂点に立つ存在であり、権力も兵力も強い。そして敵に回したくない集団。
その王の息子である王子が、今目の前の頓痴気娘と婚約しているなんて俄には信じ難い。しかし元より人間の常識などリラにはわからないのだから仕方ないと片付ける。
「……それ、絶対に無効にしていい婚約じゃないだろ」
「いーや! 無効にするわ! 破棄するの! 偉そうですぐ馬鹿にするし、リラ様とのメモリアルを作り話だって言うし、昨日だってリラ様の元へ向かいたかったのに連日お家に訪ねて来るし、今日だってまた来るって言うから一足先に逃げてきたのよっ」
「待て。待て待て! 王子とやらが来るのにトンズラしたのかっ!?」
「別に私は迎え出るって返事してないもーん。勝手に来るのは向こうだもの」
ぷいっと頬を膨らましながらそっぽ向くヴィーチェ。余程嫌われているであろうその王子がどんな人間かは知らないが、リラにとってはそいつに頑張ってもらわなければ自分が解放されないので、どうにか二人の仲を進展させたかった。
いや、それよりも今すぐこの娘を家に戻さないと大騒ぎになるだろうし、さらにこの森の中を出入りしてると知れば王族の権限とかで焼き払いかねない。
「家に帰れ、ヴィーチェ」
「やだっ」
「いいからっ」
「やだやだー!」
嫌がるヴィーチェを脇に抱えると、リラは全力疾走で森を駆け抜ける。
移動中、腕の中で暴れるヴィーチェだったが、森を抜けた頃には諦めたのか不服そうな表情をしていた。そして彼女を地面に下ろし、いつもより早い別れをする。
「……まだちょっとしかお話してない」
「先約があるんだから仕方ないだろ。俺は約束を破る奴は嫌いだ」
「うぅ……」
「……」
嫌いという言葉が効いたのか、ヴィーチェは我儘を言うことはなかった。しかし少し傷ついたような顔をするものだから、リラの心にちょっとした罪悪感が植え付く。
それでもこれ以上駄々を捏ねずに終わりそうだと思ったリラは「じゃあな」と告げて森の中へと戻り、ヴィーチェの前から立ち去った。
「リラ様ー! また明日行くからねーー!!」
森の入口で少しヤケになるようにヴィーチェが叫ぶ。返事をすべきか迷ったが、そうしている間に森の中を駆け抜けるため、言葉を返すにしてもすでに距離ができたのでリラは何も返すことなく自身の村へと戻って行った。
◆◆◆◆◆
翌日、出会いの場にてリラは違和感を抱いた。昨日の宣言通りヴィーチェはすでにリラが来るのを待っていたようではあるが、何かがおかしい。
いや、顔色はいい。今日も不必要なくらい元気に「リラ様っ、今日もかっこいい!」と褒める。いつも通りなのに何だろうか。そう思った瞬間、リラはその違和感に気づいた。
昨日と同じ服を着てるんじゃないのか? と。はっきりとは断言できない。ただ、昨日と何となく似ている気がするだけ。服の色だけでなく胸元のブローチとか、昨日見た気がする。
お嬢様というやつだから同じ服が何着もあるのかもしれない。さほど気にすることはないなと思った。
だがしかし、また翌日になってリラは確信した。今日も昨日と同じ服を着ている。今回は自信がある。昨日よく見ていたので。
「……お前、なんで三日も同じ服着てるんだよ?」
「お、同じ服がいっぱいあるのよ!」
そうだな、俺もそうだと思ったよ。その綺麗な服が段々と薄汚れてたり、髪がぼさぼさになってなければな。
そんな疑いの視線をリラはヴィーチェに向ける。今思えば昨日もそれなりに汚れていたのかもしれない。こんな森の中に来るし、石の上に座り込んだりするし、綺麗な身なりのまま帰れるわけがない。
だが、いつもなら翌日になれば身綺麗になっていた。そのいつものがないということは……。
「お前、まさか……森の中で夜を明かしたりしてないよな?」
「!」
冗談半分で口にしただけだったのに、なぜそれを! と言いたげな反応を見せるヴィーチェにリラは「マジかよ!?」と驚愕する。
「お前みたいなガキが魔物の住む夜の森をどうやって過ごしたんだ!?」
「木の上で寝たわ!」
「貴族だろお前っ!?」
なんでそんな誇らしげに答えてるんだこいつ。そう思わずにはいられない。
常々感じるが、お嬢様の行動では無い。そもそも野宿なんて普通はしないはずだ。もはや人間というか動物なんじゃないかとも疑ってしまう。
いや、それよりも家に帰っていないということが問題ではないか? 娘の実家では大捜索が始まっているのではないか?
捜索の手が森の中へと伸び、この現場を見られてしまったら魔物が貴族を攫ったと思われ討伐対象になるかもしれない。
自分ならまだしも仲間が巻き込まれるのは一番困る。他の人間に見つかる前に行方不明扱いになっているであろう娘を帰さないと。
「そもそもなんでお前は家に帰ってないんだ! 家族が心配するだろっ!」
「大丈夫よ。ちゃんと『王子と婚約破棄しなきゃ帰らない』って書き置きしたわ」
「何が大丈夫なんだよっ! 三日も行方をくらましてたら大事件になるだろ!」
どうしてこいつは次から次へと問題行動を起こすのか。子供だから本人にその自覚がないのは頭の痛いところだ。
頭をぐしゃぐしゃに掻くリラだったが、ふと何かの気配を感じた彼はハッとした表情を見せ、とある一点を見つめた。
そこは森の出口方面。人間の住む土地へと続く道である。遠くからではあったが足音が聞こえたのだ。魔物の気配ではない。それは断言できる。二足歩行の足音なのは確かだ。
方向からして人間で間違いないだろう。しかし一人や二人なんてものじゃない。かなりの数である。
人数を把握しようとしたが、突然頭上にポツリと冷たい雫が当たった。
「あ。雨」
見上げたヴィーチェがそう口にする。すぐに大降りとなったせいで謎の足音が掻き消されていった。
軽く舌打ちをして警戒を怠らないようにすると、段々とこちらに近づいているのか雨音に紛れた足音が少しずつ耳に入ってくる。
「ヴィーチェ様ーー!! いらっしゃいますかー!?」
「!」
男の声にヴィーチェがびくりと肩を跳ねさせ、すぐにリラの足へとしがみつく。まるで隠れるかのように。その態度を見る限り近づいてくる者を知っているのだろう。
「ヴィーチェ様! いたら返事をしてください!」
次々にヴィーチェの名を呼ぶ男の数が増えていく。おそらく捜索隊なのかもしれない。このまま一緒にいるのを見られるのは非常にまずい。
「ほら言わんこっちゃない! お前を探してる奴らがここまで来てるだろ! 早く帰れ!」
「いーやー! リラ様と駆け落ちするのー!」
「! ヴィーチェ様っ!? いらっしゃるのですか!?」
ヴィーチェを探してるだろう団体の声と駆けつけるような足音がさらに近くなった。もはや目と鼻の先と思われる。雨で発生した霧のせいで姿が見えないが、リラにとっては好都合であった。今ならまだ逃げられる。
「行かないでリラ様っ! ヴィーも連れてって!」
ぐいっと強く腰布を引っ張られた。この場から去ることを察したのだろうが、リラにとっては鬱陶しいことこの上なく、苛立ちのあまり少女の手を強く振り払った。
「いい加減にしろっ。この状況を他の人間に見られたらどれだけ迷惑になるのかわからないのかっ!」
「リラ様っ……」
悲しげな表情をするヴィーチェ。雨のせいで涙を流しているように見えなくもなくて、リラの心が針を刺すような痛みを覚えるもヴィーチェを探す者達の気配を強く感じたため、ハッとした表情をする。
これ以上令嬢に構ってられないと舌打ちを残した彼はヴィーチェを置いて森の奥へと姿をくらました。




