公爵令嬢はゴブリンの兄嫁と対話し、謎の老人と出会う
リラとティミッドが話をしている間、ヴィーチェは村のゴブリン達との会話を楽しんだ。
リリエルに話しかければ邪険に扱われ、ヴォーダンに話しかければ「母ちゃんを追い出さないでくれてありがとう……」とお礼を言われ、ルナンに話しかければ最近読んだ本の感想を語り合い、アロンに話しかければ相変わらずおチビ呼びをするので訂正の声を上げ、シノンに話しかければリリエルの話をしてあげたり、大婆に話しかければ「今のリラでも構わんか?」と聞かれては笑顔で頷き、オルガに話しかければ口説かれるのでリラへの愛を語って撃退したりした。
村のゴブリン達はみんなヴィーチェのことを同胞だと認めて気楽に話してくれる。
新しく仲間に加わったオルガの仲間達も最初こそはよそよそしかったけれど少しだけ心を開いてくれてるのか色々と話もできるようになった。
ご近所付き合いは大切だと幼い頃、病気で苦しんでいたヴィーチェの前に現れた母の影がそう話してくれたのを今でもよく覚えている。
だからヴィーチェは母の言いつけ通り、近い将来ご近所になるゴブリンの仲間達と親しくなることに努める。
どのような相手であれ、村のボスであるリラの良き妻になるために。
例え、恋敵であろうと。
「あ、ターニャ!」
「うげっ、ヴィーヴィー……」
ターニャを見つけるとヴィーチェはいつもと変わらぬ表情で駆け寄った。
対するターニャは一歩後ずさる。その顔はどこか居心地が悪そうで視線を逸らしていた。
「な、何? 何の用? 何か言いたいことでもあるの?」
「言いたいことというかお話をしに来たのだけど、あれから問題はないかしら?」
あれから、というのはターニャの追放処分が免れたことを指す。
ターニャもその意味を理解しており、ばつ悪そうな表情を見せる。
「問題、ないと言えばないけど……正直居心地はあんま良くないんだけど」
「あら、そうなの? どうしてかしら?」
「そんなの、アタイが……色々と、迷惑かけたし……みんなの目もそういう感じだったし……」
ぽつぽつと呟くターニャ。迷惑かけた自覚があるのか、それとも周囲の視線でそう思ったのかはわからない。
しかし居心地が悪いとは思うくらいには気になる様子。
「それは村のお頭であるリラ様に危害を加えたから仕方ないことだと思うわ。でもあそこまで騒ぎを起こしておきながら周りからどう思われてもいいというわけではなかったのね? 結局ターニャはどうしたいの?」
「どうしたい……」
ヴィーチェの言葉にターニャは静かになって思案する。
そして彼女はその場で座り込み、近くにあった細い木の枝を使って、草のない地面に何かを描き始めたのでヴィーチェも膝を折って眺めることにした。
「アタイは……安心して暮らしたい。そのためにはオルオルのような強い相手と一緒になって、強くなって、リラリラみたいな強い個体との繋がりもたくさん作って、アタイとヴォーヴォーを守ってくれるような環境を作りたい……。追われたり、襲われたりしたくないから……」
ターニャは元々オルガ側の仲間である。オルガの仲間達はオルガが放浪中に出会ったはぐれ者なので、彼と出会うまではそれぞれどのように暮らし、何があってはぐれ者になったのかはわからない。ターニャも過去に何かあったのだろう。
「……アタイ、昔は仲間からハブられてたの。なんかムカつくんだって。そんときは弱かったから、弱いくせにヘラヘラ笑って努力もしてないって。元気づけようと声をかけても空気が読めないって言われたこともあった。そんで、結局足手まといだから出て行けって。獲物を狩るまで帰ってくるなって。実質追放されたの」
地面に描かれるのはターニャと思わしきデフォルメされた女性の絵。目から雫を描いて涙を流している様子だった。
「力も知恵もなくて彷徨いながら木の実で生き延びていたけど、途中でオルオルと出会って全てが変わったの。オルオルは強くて、アタイを守ってくれて、強くさせてくれた。ヴォーヴォーも生まれて守るものが増えた」
自身のイラストの隣にヴォーダンと思わしき少年が描かれている。ターニャのイラストにあった涙も手で払って消し、笑顔に変えられた。
「だからアタイは強い男が好きなの。守ってくれる存在が多ければ多いほど安心するから。リラリラも……と思ったけど、もう無理だって諦めるよ。……記憶を戻せなくてごめんね……」
しゅんとしながらも謝罪の言葉を口にするターニャ。心からの反省の言葉のように思えるそれを聞いたヴィーチェは満足気に笑みを浮かべた。
「済んだことは仕方ないわ。それにリラ様とまた新しい愛を育めるのも楽しいもの。絶対にまたリラ様のお心を奪ってみせるわ!」
ヴィーチェは信じていた。またリラと仲睦まじい深い仲になれると。
リラとの関係を一からやり直すことはヴィーチェにとって苦ではない。何度でも彼と恋を楽しめると思えば幸せなことだと感じたから。
「ターニャ、あなたが犯してしまったことは許されないことだけど、反省をしてるのならこの村の方達はあなたを受け入れてくださるわ。安心して暮らしたいと言うのなら強い殿方だけに心を開くのではなく、もっと他の方々にも頼ることをしましょう。もちろん、お互いに助け合ってこそ、だけれど」
にっこりと笑いながら告げたヴィーチェの言葉にターニャは何を思ったのか、絵を描くのに使った枝をぽいっと投げ捨てて両足を抱えた。
「……でも、アタイは二度目だから。オルオルと一緒に村を襲った前科者」
「それはターニャの態度次第で変わるわ。でもターニャは素直になれるし謝罪もできる方だもの。大丈夫よ」
「リラリラはアタイのこと許さないはずだし」
「例えそうだとしてもリラ様はお仲間を大事にする方よ。印象なんて頑張り次第でどうとでも変わるわ。ただリラ様のお隣を譲るつもりはないのだけど」
リラのことだけは一歩も引かないヴィーチェ。そんな自信満々の彼女にターニャは小さく吹き出すように笑った。
「……ふっ、あははっ。頑張り次第で変わるって言っておきながら勝手すぎじゃん。でもちょっとだけヴィーヴィーの言葉を信じよっかな。リラリラにあんなことしたっていうのにこうやって話してくれるし」
少し沈んでいたターニャの表情がようやく柔らかくなりヴィーチェも嬉しくなる。
「ヴォーヴォー……ヴォーダンのためにもさ、アタイしっかり反省するよ。あの子、結構ここに馴染んでるからさ。アタイのせいで居心地の悪い思いしてほしくないし」
喋り方や雰囲気で同年代と錯覚してしまいそうになるが、ターニャはヴィーチェより歳上の子持ちの母である。
そんな彼女の小さくも大きな決心はきっと悪い方へは進まないだろう。そう感じてヴィーチェは「その意気よっ」と励ました。
(そろそろリラ様とティミッド様のお話は終わった頃かしら?)
そう思い二人の元へと戻るヴィーチェ。同性同士での有意義な時間を過ごせたか気になるそんな彼女の後ろから「ヴィーチェ」と少し掠れ気味の声によって呼ばれた。
「?」
振り返ればそこには暗いローブを目深に被り、声からして老人のような背格好の男性がいた。
鼻から下半分の顔と手の色からしてゴブリンでないことは間違いない。
人か別の魔物か、ヴィーチェにはわからないが、仲間意識の強いリラが見知らぬ存在を村に招き入れることはしないため、彼はリラと何らかの繋がりのある相手と考える。
「私のことをご存知ということはリラ様のお知り合いかしら? あなたはどちら様?」
何気なく問いかけた。すると相手はまるで恍惚としたような震える溜め息を吐き出す。
「あぁ……あのゴブリンに己の記憶が無くなっても、構わず我を通すお前は中身が違えどやはりその魂は変わらんのだな……」
ゆっくり歩み寄る老人。その言葉の意味はヴィーチェには理解できなかった。
そして気づく。ゴブリンの村なのに周りに誰もいない。広くない面積の村なので少なくとも二、三人は近くにいるはずだというのに。
まるで自分と謎の老人の二人だけが取り残されたような異質な空間を感じた。
それだけでなく、不思議とヴィーチェはこの体験が初めてではないような感覚を抱く。
「お爺様、もしかして私達は初対面ではないのかしら? 面識があるような気がするのだけど」
そう尋ねれば相手はさらに「おぉっ……!」と歓喜の声を上げる。
「そうだ、そうだともヴィーチェ! 俺とお前は切っても切れない関係だ! 今までそんなことは一度も口にしなかったのに! ただでさえ異様な介入により改変が起こったが、やはり今回のお前は今までとは違うようだな!」
興奮するように話をされるものの、ヴィーチェはその意味がわからず首を傾げる。
「おっしゃる話がよくわからないわ」
「あぁ、そうだろう。俺と会う度にお前の記憶は消してるのだからわからなくても仕方ない。だが、俺とお前が会うのは今回で284回目であって今世では25回目なんだ」
「?」
やはりヴィーチェには老人の言葉が理解できなかった。もしかしたら年齢的ゆえの脳の老化の可能性があるかもしれないと、そう考えたときだった。
彼は縋るように震える手をヴィーチェへと伸ばし始める。
「では恒例のこの誘いの言葉をお前に送ろう。……俺の妻になるんだ、ヴィーチェ」
それは唐突の求婚だった。驚きよりも不思議という気持ちの方が強い。
「あら? 私のことをよく知ってらしているのならご理解いただけてると思っていたのだけど、私はリラ様の妻になる予定よ。ご存知なかったのかしら?」
「今世限りの戯言なんぞ何も響かん。そもそも相手は記憶のなくなったゴブリンじゃないか」
「まったく構わないわ。また最初から愛を育むもの。ですからお爺様の妻になるのはお断りするわね」
「……」
謎の老人は言葉を失っていた。フードでその表情は見えないが、唯一見える歯が欠けた口元は半開きであることがわかる。
しかし緩やかに唇の形は変わった。三日月型に「ひっひっ」と小さく笑う。
「これで284回目か。今回ならばと思ったんだが……この身なりが不愉快だと言うのなら姿を変えることも可能だ。俺は無から有を生み出し、変化をもたらすことができる創造神だからな」
言うや否や、老人の皺だらけの手が若者のような瑞々しい肌へと変わり始めた。
身長も伸び、少ない歯もいつの間にか綺麗に生え揃っていて、老人はずっと被っていたフードを取る。
そこには清楚な顔立ちをした━━ヴィーチェ的に言えばどこにでもいそうな貴族顔の男性が立っていた。
にこりと目を細めて笑うが、その瞳の奥にはどす黒い何かを抱えているような濁りが見える。
「これで少しは抱く印象が変わるだろう?」
「魔法か何かはわからないのだけど、例えあなたがどのような姿であっても私の一番はリラ様よ。気持ちが変わることはないわ」
はっきりと真摯な眼差しで告げる。老人だった男はやれやれと言わんばかりに軽く溜め息をつくだけ。
「あぁ、そうだろうな。お前はいつも俺を受け入れない。その一途な魂に惹かれたんだ俺は。だが、俺もかなりの年月を費やしている。そろそろ振り向いてもいいはずだ。……何より、俺があの醜いゴブリンに劣るというのが許せない」
最後の言葉だけ少し怒気を纏わせている声色だった。
ヴィーチェはリラ様が醜いなんてないわと言い返そうとしたが、すぐに相手が「まあいい!」と声を上げる。
「学院卒業まではまだ少し時間がある。また作戦を練り直すとしよう。俺を拒んだところで未来はないだけだ。次は考えを改めることを願ってるよ」
そう告げると男は静かにその姿を消した。周りに誰もいない奇妙な空間も弾けるように生活音や村の住民の声が突如聞こえてくる。
まるで見えない膜に包まれていたような感覚にヴィーチェは瞬きをするが、すーっと頭が冴えてきた気分に浸る。
「私、何をしてたのかしら……?」
今さっき誰かと話した気がする。ターニャのあとに。誰かと。ぼんやりとした記憶の中、ヴィーチェはハッと大事なことに気がついた。
「リラ様の元へ行かなきゃ!」
ヴィーチェの一番はリラである。そろそろ彼と話ができるだろうと考えていたことを思い出し、彼女は愛する者の元へと駆け出した。




