父は娘の婚約破棄のため王と謁見する
「ヴィーチェを……エンドハイト王子の婚約者に、だと?」
エンドハイトが豪奢な馬車に乗り、ファムリアント家の敷地から出て行く様子をフレクは息子と共に執務室の窓から眺めていた。
嵐が去ったと安堵したのもつかの間、帰り間際に従者が手渡してきた王族からの手紙を息子のノーデルと一緒に目を通して驚愕する。
そこには第二王子であるエンドハイト・オーブモルゲとヴィーチェ・ファムリアントの婚約を認めると言った内容が記載されていた。
封蝋には王冠とその周りをリースのようにローズが囲うシーリングスタンプが使用されている。威厳と強者を示すかのような紋章だ。
そして手紙の文末には国王のサインまでされているため、紛うことなき王からの手紙であり、王命でもある。
「なぜよりにもよってヴィーチェが……」
フレクとノーデルは同じタイミングで頭を抱えた。王位継承権第一位であるエンドハイトとの婚約は未来の王妃の称号が与えられたようなもの。誰もが憧れるだろうし、喜ぶ者の方が大半だろうが、何せあの問題児ヴィーチェである。
正直な話、彼女が王妃になるなんて想像がつかない。むしろ公爵令嬢なのに冒険者になると言われるほうがまだ納得がいく。いや、二人からすれば理解はしたくないだろうが。
「お父様、これは抗議をするべきでは? いくら王族からの申し入れとはいえ、こちらの同意もないのに婚約をさせられるのはあまりにも強引です」
不愉快だと言わんばかりのノーデルの言葉にフレクは己の眉間を摘みながら小さく頷いた。
「そうだな……。いくらこちらの署名が必要とはいえ勝手に進められても困る」
手にした手紙を握り締めた音が小さく響く。ファムリアント家当主はすぐさま国王と謁見することに決めた━━その時だった。
勢いよく執務部屋の扉が開いたのだ。ノックもせずに。そのような作法を無視するのはただ一人だけ。ヴィーチェである。
「お父様っ!」
少しばかりムッとした表情と共に部屋に入ってきた娘はフレクの元へと歩み寄り、小さい力ながらも両の手に拳を作った。
「ヴィーはリラ様の妻になるのに婚約させられるの!?」
どうやらすでにヴィーチェの耳にもエンドハイトとの婚約について聞かされていたようだ。ひとまずフレクはリラ様の妻になるという話については、この時ばかりは聞き流すことにした。
「ヴィーチェは望んでない婚約なんだな?」
「えぇ! だってリラ様以外なんて嫌なんだものっ!」
それを聞いたフレクは横柄なエンドハイトとの婚約を所望していない安心感と、イマジナリーフレンドとの婚約を望む不安感で何とも言えない気持ちになった。
「……わかった。婚約解消するように言ってこよう」
「お願いね、お父様っ!」
娘のためならば。そもそも次期国王とはいえ、エンドハイトの性格はあまりいいとは言い難い。これからの成長に期待するしかないのだろうが。
だからと言ってヴィーチェを任せるわけにはいかないため、フレクはエンドハイトの後を追うように王城へと馬車を走らせた。
◆◆◆◆◆
ファムリアント領から王都へは普通の馬車移動だとおおよそ一週間はかかる。しかし、転移門を使用すれば話は別だ。そこを潜れば目的まであっという間だからである。
各地に配置されている転移門は大きな石造りの門なのだが、転移魔法持ちである転移職員がいなければ発揮はされない。
昔は移動屋という職業があり、職員が依頼主の元へ訪れて転移をさせるが、転移魔法は魔力消費が多く数をこなせない上に依頼料金はかなりの高額であったため、利用できる者も多くはなかった。
そこで当時の国王は職員の負担軽減や利用者を増やすため転移門を作った。
転移門には注がれた魔力を大きく増幅させる鉱物が使用されているため、転移職員も僅かな魔力で多くの人を転移させることができる。
料金も下がったことにより貴族で使用する者も増えたり、商人ならばさらに低価格で利用できるようになったため、物流が盛んにもなった。とはいえ庶民にとってはまだまだ高い移動方法である。
非常に便利にはなったが移動屋とは違い、転移門まで向かわなければならなくなった。移動屋なら職員が依頼主の元へ来てくれるが、すでに移動屋という職はなくなり、全て転移門の職員へ異動となってしまったのだ。
それでも転移門は各地に散らばっているのでそこまで向かえば目的地に到着したも同然。
フレクも馬車に乗って一時間ほどで一番近い転移門へと辿り着く。混雑はしていなかったため職員に身分を提示するとすぐに門を潜ることができた。
王都へと転移したフレクはそのまま王城へ向かい、早速国王との謁見を求めた。少し待たされたが結果的にフレクは城内へと案内される。
突然の訪問にしては早い対応。まるでこうなることを見越してたかのようにも思える。
謁見の間へと通された彼は玉座に座る国王フードゥルト・オーブモルゲと対面するとまずは頭を下げた。
「お時間を作っていただき感謝します、国王陛下」
「気にするな。それにしても久しいなファムリアント公爵」
少々恰幅のいい中年男性が親しげに話しかける。二人が元々仲が良いというわけではなく、ただフードゥルトがフレンドリーなだけ。
荘重な謁見の間にはあまり合わないが、怒らせたときはとにかく恐ろしいと聞く。フレク自身その様子を見たことがないため、王室の威厳を守るための眉唾物だろうと考えていた。
「はい。それで本日の用件なのですが」
「我が息子とそなたの娘の婚約についてか?」
「その通りです。ありがたいお話ではありますが、娘ヴィーチェはまだ幼く、親の私としても手を焼くようなお転婆娘です。エンドハイト王子と釣り合わないでしょう。そのため婚約はなかったことにしていただきたいのです」
本音を言えば「礼儀もなってないそちらの息子に娘をやるわけにはいかない」と口にしたい。
しかしフレクも大人であり、子を持つ親でもある。子供のことを悪く言われたら気分も悪くなるだろうし、それ以前に王族へ喧嘩を売りかねない。
自分一人ならまだしも、子供達や領地の住人達を巻き込むわけにはいかないので大人しくした。
「息子のノーデルは優秀であろう。そなたの子なら娘も同様に素晴らしい才女となり得る素質があるじゃないか。未来の王妃にぴったりの逸材だろう」
「お言葉ですが陛下、買い被りすぎです。ヴィーチェは本当に、本っ当に私や息子だけではなく、屋敷の者達にも困らせる問題児なのです」
イマジナリーフレンドに妄想話、そして脱走癖など困り事がいくつもある。今でも手一杯で将来すら不安だというのに、さらに王位継承権第一位の王子と婚約だなんて悩みの種が増えるだけ。
何としてでもこの婚約はなかったことにしたい。その思いでフレクは婚約無効の話を進める。
しかしフードゥルトは高らかに笑い声を上げた。厳かな謁見の間に響く豪快なその声は嘲笑しているわけではないことがよくわかる。
「やはり娘が生まれると過保護になってしまうようだな。要らぬ心配だ。私もエンドハイトに王位を継がせるのは少々不安はある。本当ならば序列に従って素質も申し分ないアリアスに任せたかったのだが、子を信用してやらんわけにもいかんからな」
アリアス・オーブモルゲ。ヴィーチェやエンドハイトより四つ歳上の現在十一歳の第一王子。
民を思いやることができて、次期国王としての資質もあり、将来を期待されていた。誰もがアリアスの即位を心待ちにしていたくらいに。
本来ならば彼こそが王位継承権第一位だったのだが、昨年未知の病に侵され療養中となってしまった。
優秀な医師を集めても治療法は見つかることなく、生きながらえさせることで精一杯である。
治る見込みがないと判断されたため、王位継承権も剥奪となり、第二王子であるエンドハイトが王位継承権第一位に繰り上がった。
正直なところ、エンドハイトはその器ではない。フレクだけでなく、そう思う者も少なくはなかった。だからと言って病にかかったアリアスを王位を継がせるわけにもいかないため、当然の流れでもある。
子を信用したいフードゥルトの言い分もわかるし、フレクも自分の子を信用していないわけではない。……場合によるが。
むしろ自分の子ではなく、エンドハイトが信用できないのである。あの者にヴィーチェを任せてたまるものか。
「そのヴィーチェがエンドハイト王子との婚約を嫌がっておられるのです」
「子供なのだからまだ深く理解しておらぬのだな」
「ヴィーチェの望まぬことを親である私としても望ましくはないので、婚約を認めるわけにはいきません」
はっきりと言った。でなければいつまでも向こうは折れることはないだろう。しかし、婚約を認めないと口にした途端、フードゥルトの表情が変わった。
不機嫌そうに眉を顰めたのだ。まるで場を凍りつかせるような氷の瞳とともに。プレッシャーを与えられるような圧にフレクは息を飲む。
「それはエンドハイトだからか?」
「……特定の誰かではなく、今のヴィーチェは誰であろうと拒絶します」
怒気を込めた現国王の言葉に躊躇いつつも返答する。
「何でも子の言うことを聞くというのは良い親とは言えんな。我が息子は気難しいこともあり、あまり誰かを気に入ることをせんので、此度の息子からによる婚約申し入れは是非とも進めたいと思っている」
「私は娘に幸せになってもらいたいだけです。しかし娘は王妃としての器量にはたりえないので苦労するのが目に見えますので」
「元より王妃というのは苦労が伴うもの。学がなければ補えばいいのだからな」
「心配なのはそれだけではありません。エンドハイト王子が本当に娘を守り、幸せにできるかが重要でもあります」
「それは息子に懸ける。そちらの落ち度もなく不義を働くような姿勢があれば、それ相応の謝意だってしよう。それならいいだろう?」
いや、良くはない。良くはないが、どちらも我が子を想っている。どちらも折れるつもりはない。おそらくフードゥルトとしても公爵家という身分と血筋、そしてファムリアント領地の特産品が目当てなのだろう。
ファムリアント領地には鉱山があり、宝石採掘や加工を得意とする。他にも衣類産業も盛んで、織物や染物、装飾品が特産品となっていた。
それらが特産品となったのは全てフレクの亡き妻、アンティのおかげである。彼女のアイデアにより名産になったものは数多い。貴族御用達のものだってあるくらいだ。
つまりこの国王は婚約を結んだことをきっかけに色々と融通を利かせてほしいと思っているのだろう。
しかしフードゥルトがここまで言うのだから相当自信があるのだろう。エンドハイトの将来に期待をしているということがヒシヒシと伝わる。
同じ子を持つ親としてわからない気持ちではない。だが、本当にあれがヴィーチェに相応しい男になるかどうかも未知数である。
とはいえ、これ以上反対をすると面倒になりかねないし、自分の首を絞める結果になるだろう。どう足掻いても王族には強く逆らえないのだ。フレクは心の中で盛大な溜め息を吐き捨て、頷くしかなかった。
「……」
そしてほんの僅かに、エンドハイトがまともになり、さらにヴィーチェが淑女として恥じない娘になることを期待した。
◆◆◆◆◆
「いやーー!! リラ様以外と婚約やだーー!!」
父、フレクが帰宅後、婚約破棄できなかったことを娘に報告した。
兄のノーデルは不服そうではあったが、仕方ないとも言える表情で静かに耳を傾けている。しかし当人のヴィーチェは癇癪を起こしてしまい、フレクもどうしたものかと頭を抱えた。
リラ様についてはこの際置いといておく。娘の望んでいない婚約は父としても望んでいるわけではないのでヴィーチェが怒るのももっともだ。
「ヴィーチェ、とりあえず話を……」
「いやっ! お父様なんか大っ嫌い!!」
ヴィーチェの拒絶の言葉がフレクの胸を貫き、小さな呻き声を上げたファムリアント家当主はショックのあまり膝から崩れ落ちる。
ノーデルが慌てて父に駆け寄って心配をする中、ヴィーチェだけはその場から逃げるように自室へと閉じこもってしまった。




