ゴブリンは兄嫁を問い詰めるも記憶は戻らない
リラはファムリアント家に向かい、フレクに会おうとしたが、その日はちょうどヴィーチェの誕生日だった。
記憶がないのになぜか胸は落ち着かなかった。まるで重要なものをなぜ忘れるのかという焦燥のようなもの。
そんな中、アリアスからリラの今の症状の原因を告げられ、リラの中でその要因となったターニャを訝しんだ。
『リラ殿はエンドハイトの生誕パーティーの件も覚えているのならどのような思いであの場に現れたかも覚えているんじゃないかい? 誰のために、かは記憶にないだろうけど』
その後、アリアスからされた話に、リラは今一度第二王子の生誕パーティーについて記憶を掘り返してみる。
確かにリラは誰かのために王城へと忍び込み、華やかな人間が集まる宴を身を隠しながらこっそりと眺めていた。
エンドハイトが人間に化けたリリエルに乗り換えようと誰かに婚約破棄を突きつけていた気がする。
まるで罪人を民衆に晒すように断罪するその現場はとても腹立たしく思った。
嘘だの妄想だのと捲し立てるエンドハイトの言葉に耐え切れず、あの日初めて誰か以外の大勢の人間に姿を見せたのだ。
『お前、この娘を捨てるなら俺が貰おう』
娘の言葉を証明するために危険を冒してまで多くの人間の前に姿を現した。そう、その誰かは娘だった。ゴブリンの話を誰にでもするが、誰にも信用されないゴブリン好きという不名誉なレッテルを貼られていた哀れな令嬢だ。
誰かは思い出せなくても、その誰かによる情報がここまで揃っていればその娘は自然とヴィーチェなのだろうとリラはそう結論づけた。
今でさえゴブリンに対する……いや、リラに対する特別視が強い人間はあの娘だけ。
記憶の中の場面にヴィーチェの顔や姿は覚えていなくても、あの娘がその記憶のない誰かなのだとぴったり当てはめる。
リラは認めざるを得なかった。記憶のない誰かはヴィーチェなのだと。そう信じて疑わないところまできているのに、それでも忘れた記憶は蘇らない。
湧き上がる申し訳なさ。早く思い出してやりたいのにずっと靄がかかる。
『もう一度、大切な存在だったヴィーチェ嬢を好きになるだけさ』
アリアスの言葉にリラは頭を抱えた。簡単に言ってのけるな。確かに記憶があった頃はそうだったかもしれない。しかし今は違う、と。
ヴィーチェの記憶がないリラにとっては彼女に申し訳ない気持ちが芽生えつつも、まだヴィーチェと出会って日が浅いとしか思えず、そんな目で見られないのだ。
だからこそ原因を作ったターニャに怒りを覚え、リラはすぐに村へと帰った。
「あ、リラリラ~!」
村でターニャを探すとありがたいことに向こうからこちらに近づいてきた。
蘇る青い粉を撒かれたあの瞬間。頭の中が掻き混ぜられたような不快感。何かを忘れた喪失感。
最初は気にならなかったが、周囲の反応と記憶にないヴィーチェの存在がリラの何かを焦らせる。
「ターニャ! いったいどういうことか説明しろ!」
全てを明らかにするためにも、リラはターニャに詰め寄る。
彼女はそんなリラの態度に驚き、瞬きを繰り返した。やましいことがあるのか、まずいと言わんばかりの表情を見せる。
「ちょっ、ちょっとリラリラってば、急にどうしたの? そんな怒鳴ってきてさ……」
「お前が俺に青い粉末を撒いたのがきっかけで倒れたのを思い出した。そのせいで記憶障害を引き起こしたって話も聞いた。ここまで言えばわかるか? その説明をしろって言ってるんだ!」
「えっ……もしかしてヴィーヴィーのことを思い出したの?」
「……」
そう言われて言葉に詰まった。ヴィーチェのことは思い出していない。そうだ、と言えば相手はすぐに白状したのだろうか。
しかし嘘を貫ける自信はないので黙って否定することしかできない。
「……あ。ヴィーヴィーのことは思い出せないままなんだね。なぁんだ、てっきり思い出して怒ったのかと思っちゃった~」
「思い出せないからどうした? お前が俺にしたことは変わりないだろ」
ホッとするようなターニャの様子にどこか苛立ちを覚えたリラは怒りを含ませた声で彼女を追い詰める。
「確かにさ、その青い粉はかけたよ。だけどそれはリラリラを驚かせるためであって、記憶障害? ってのを起こすためにやったわけじゃないもん。そもそもそんなことになるなんて知らなかったし?」
「お前……よくそんなことを……!」
ここにきて誤魔化すつもりだ。あくまで忘華粉をかけると記憶障害を引き起こす効果を知らないと主張する様子。
「それにさ、ヴィーヴィーのことを思い出せないのをアタイに押しつけるのは良くないんじゃない? あの子のことを思い出せないならリラリラにとってもその程度の存在ってことなんだし、そんな怒る必要ないと思うんだよねー」
ターニャの言葉に野次馬のように騒ぎに駆けつけた仲間達がざわついた。
「その言い方はどうなの?」とか「開き直ってるな」という彼女にとっても悪い印象しか与えられないものばかり。
リラもターニャの言葉を聞いてまた胸が怒りに熱くなる。しかしその矛先はターニャだけでなく、ヴィーチェのことを思い出せない自分にも向けられた。
無意識に力がこもり拳を作る。きっとあの娘との記憶が蘇ればもっとターニャを責め立てられるのに。
ヴィーチェとの記憶がないからターニャも自分だけが悪いわけじゃないと言い張っているようで、それもまた癪に障る。
「ていうかさ、リラリラはヴィーヴィーのこと怪しんでたのに信用するの早いんだね。ゴブリンのアタイより、人間の言うことを信じちゃうなんて悲しいなー」
どこかわざとらしく、そう口にするターニャ。絶対にこいつが元凶のはずなのによくもそんなことが言えたものだと怒鳴りたくなる。
いや、それよりも手が先に出そうになった。その胸ぐらを掴んでやろうかとそう思ったその瞬間。
「いい加減にしてくれよ母ちゃん!!」
少年の声が響いた。声の主はオルガとターニャの息子、ヴォーダンだった。
「なんでそうやって嘘ばかりつくんだよ! 全部全部母ちゃんがやったことじゃんか!」
真実を知っているのか、叫ぶように証言するヴォーダン。そんな息子の告発ともとれる発言にターニャは狼狽え始めた。
「ちょっ、ヴォーヴォー! 何勝手なこと言うの!?」
「勝手なのは母ちゃんだろ! みんなを困らせて、迷惑かけて……! ただでさえオイラ達はお情けで生かされ仲間にしてもらってるのに、その恩を仇で返すようなやり方、オイラは嫌だよ!」
息子は大粒の涙をたくさん流していた。母を説得するように強く訴えるヴォーダンはよほどこの件に心を痛めていたのか、傷ついた表情も浮かべている。
そんな彼の隣にいたリリエルが寄り添うようにヴォーダンの背中をさすった。その瞳はターニャへと鋭く突き刺す。
「ターニャ。あんたの身勝手な行動で自分の子供を悲しませるってわかってるのっ? どうかしてるわよ! こんなに悩んで傷つけさせて、それでもこの子の親なわけ!? 馬鹿にもほどがあるでしょ!」
リリエルも容赦なくターニャを強く糾弾する。さすがにターニャも自分の息子が泣いて訴えるのに動揺しているようだった。
「ア、アタイは別にヴォーヴォーを悲しませるつもりはなくて……」
「だったら、だったらもうやめてくれよっ! ちゃんと自分がやったことを認めてみんなに謝ってよ……!」
「ヴォーヴォー、なんでそんなこと言うの……なんでアタイの言うこと聞いてくんないのっ? 黙ってたらバレないのに! アタイのことがそんなに嫌いなわけ!?」
その発言は白状しているも同然だった。しかしその言葉は息子の告発に叱っているようで、ターニャの心にまで響いているようには思えない。
「ターニャさん……ヴォーダンを責めるのは違うわ」
そこへオルガの第二の妻、シノンが息子のテールを抱えた状態で前に出てきた。その表情は憂うもの。
これ以上彼女に間違いを犯してはほしくないと願っているように思える。
「シノシノ……」
「ヴォーダンはあなたが好きだからこそ、あなたに間違った道を進んでほしくなくて止めようとしてるのよ。これ以上ヴォーダンの言葉を否定するのはやめて。子が母を嫌ってしまったらもう会話もままならなくなるわよ」
「……」
説得力あるシノンの経験談だからなのか、ターニャは静かになり俯いた。
リリエルは自分の母が出てくるとは思っておらず、最初こそ驚く顔を見せていたが、今はどこか冷めた目を向けるだけ。
「……ごめん、なさい。アタイが、全部わかっててやった……」
ぽつりと呟くように認めたターニャにリラはやっとか、と思いながら疲労感のこもった溜め息を吐き出す。
「どうしてこんなことをした?」
「リラリラが、ヴィーヴィーのことばっか構うから、あの子の記憶がなくなればアタイのことを見てくれると思って……」
たったそれだけのことで記憶を弄られたのか。というのがリラの正直な感想だった。
「……一応聞くが、記憶を戻す方法は知ってるのか?」
「ごめん、知らない」
期待はしていなかった。忘れた大切な存在をもう一度好きになる他に方法があればと思ったが、現実はそう上手いこといかないのだろう。
「ターニャ、お前がやったことは村の頭に攻撃したのと同じだ。例えそのつもりがなかろうと、攻撃したのが記憶だろうと、反逆者に変わりはない」
「うん……」
「お前の処遇が決まるまでしばらく家で謹慎していろ」
今後ターニャをどうするかを考えなければならないので一旦彼女には謹慎させることにした。嫌だという拒否権はもちろんない。
ターニャも理解してるのか、小さく頷くとゆっくりとした足取りで自分の小屋へと向かっていった。
全ての原因である彼女の今後をどうするか、早く考えなければいけない。事が事なので追放もやむ得ないだろう。
しかし原因を突き止めたとはいえ、リラは素直に喜べなかった。記憶が蘇らない限り事件は解決したとは言えないから。
ヴィーチェだけの記憶はまだ蓋を開くことはなかった。




