ゴブリンは公爵家へと赴き、第一王子から話を聞く
ファムリアント公爵家の道のりは慣れたものだ。何度も通っていたので当然である。
しかしふとリラは考えた。元々公爵家のフレクとはどうやって出会ったのかを思い出そうと思考回路を動かす。
そう、確か誰かを屋敷まで送っていたような気がする。フレクの息子ノーデルだったか? しかしリラは頭を振った。
ノーデルはその誰かを送り届けたあとに出会ったのだと思い出したから。
しかしどれだけ考えても記憶の靄は晴れない。ずっとその誰かの顔が思い出せなかった。
それだけじゃない。所々リラの記憶には顔が見えない知り合いが存在する。
何をしたかという朧気な記憶はあるというのに、相手だけが全く見えてこない。まるで見たはずの夢を必死に思い出している気分だ。
(……もし、その誰かとやらが本当にあのヴィーチェだとしたら?)
正直言えばだからどうした。というのがリラの感想である。
娘のことは全く覚えていないのだから、仮にヴィーチェの言葉が全て事実だとしてももう娘の望むような関係には戻れないだろう。
ヴィーチェに恋愛感情が湧かないというのが大きな理由だった。
そもそも年齢的にも種族的にもヴィーチェと合わないのだ。
そんなことを考えながら辿り着いたファムリアント邸。相変わらず立派な屋敷だなと思いながらリラは屋敷の門番に声をかけられる。
「ややっ、これはこれはヴィーチェ様のリラ様! お久しぶりです!」
元気に声を上げる彼は最近入ってきた新人らしい。元気が取り柄のようで声量が大きめであった。
しかし、だ。ヴィーチェ様の、というのは語弊であるが、面倒なので今はそのことは目を瞑る。
「公爵はいるか?」
「えぇ! もちろん! 本日は大変おめでたい日ですので! どうぞどうぞ、お進みください!」
めでたい日? と気になる言葉が聞こえたが、何か大切な日なのだろうか。
心当たりはないが、門番が止めることなく進むように言ってくれたので屋敷に邪魔をすること自体は許されているのだろう。
彼に言われた通り、リラは門を潜り、屋敷の扉前へと立つ。そして拳で大きめのノックをすると、しばらくして見覚えのある人間がドアを開けた。
「! リラ様! まさかいらしてくれたのですね!」
リラは頭を働かせる。確かアグリーというメイド。それは記憶にあるが、そのアグリーの名前をよく口にしていた人物がいたような気もしなくはない。
「お話には伺っていたのですが、それでもお祝いに来てくださるとは。旦那様もお喜びになります」
「……お祝い?」
門番もめでたい日だと言っていたが、何か祝い事でもあったのだろうか。
公爵が喜ぶというのなら祝いの言葉のひとつくらい伝えるべきだろうと思いながら、リラはアグリーに案内され、公爵家へと足を踏み入れた。
そして辿り着いたのはいつもの応接間ではなく、別の大きな部屋と思わしき扉の前だった。何やら中はたくさんの人間がいるのか、とても賑やかな雰囲気が嫌でも伝わる。
アグリーの手によって開かれた扉の先には眩しい光景が広がった。
貴族と思わしき洒落た格好をした人間達がうじゃうじゃいる。それはまるで何かのパーティーのように思える。そう、例えばエンドハイトの生誕パーティーのような大広間だ。
「リラ様っ!!」
リラは絶句した。なんでお前がここにいる。いや、ファムリアントの姓を名乗っているのならいても不思議ではないか、と胸の中で自分に問い、自分で答える。
しかし本来なら村にいる時間帯ではないのか。そう思っていたがヴィーチェの格好はどう見てもパーティードレス。
リラにはその衣装の価値はわからないが、細かい飾りや石などで装飾された煌びやかなドレスに一瞬だけ目を奪われた。
「嬉しいわ! リラ様が誕生日にわざわざお屋敷にいらっしゃるだなんて!」
「誕生日……」
それは初耳だった。だが、門番やメイドの発言を思うとこういうことだったのかと納得もした。
とはいえリラはヴィーチェを祝いに来たのではない。公爵に会いに来ただけだ。
そんなリラの気持ちとは裏腹に、会場の他の人間達の視線がこちらに突き刺さる。
好奇な目もあれば、優しく見守るような視線がちくちくと感じた。まるで何かを期待されるような。
「……誕生日、おめでとう」
ひとまず空気を読むことにした。場の雰囲気を読むのは苦手だが、このときばかりはそうしなければいけない圧力のようなものを抱いたのだ。
たった一言伝えただけなのに目の前の娘は満面の笑みを浮かべた。豪華な照明器具に負けないくらいキラキラと輝かせて。
「ありがとうリラ様!!」
ヴィーチェが喜びのあまり大きな声でお礼を告げてくる。周りの貴族達は「良かったねぇ」と言わんばかりの温かい拍手を送っていた。
(なんだ……この茶番は……)
何とも居心地の悪い気分だった。ただでさえ貴族のパーティーに野蛮な身なりのゴブリンが登場というだけでもこの場に相応しくないというのに。
「……言っておくが、何もあげるものはないからな」
「えぇ! リラ様がお家にいらして祝福の言葉をくださったのだもの! 十分過ぎるプレゼントだわ!」
欲がないのかこの娘は。いや、公爵の娘だから欲しいものは何でも手に入るし、ゴブリンからのプレゼントなんてたかが知れてるのだろう。
するとヴィーチェの後ろからこちらに近づく二人組か目に入る。
「やぁ、リラ殿。まさかここで出会えるとは思わなかったよ」
「こんにちは、リラ様」
そう言ってやって来たのはグラスを持ち、これまたしっかりと正装されたアリアスとライラだった。
「あぁ、久しぶりだな」
少しだけ久しいのでそう告げるとアリアスは少しだけ間を開けた後さらに笑みを深めた。
「良かった良かった。ヴィーチェ嬢の記憶がないと本人から聞いていたものだから私の記憶もないのかと心配してしまったよ」
すると隣に立つライラがアリアスの横腹を肘で小突いた。その表情はいつもと変わらない感情の見えないものではあるが。
「何も良くありません。ヴィーチェ様の前で無神経です」
「あぁ、これは申し訳ない」
「そういえば以前別人格の私に成り代わったときはアリアス様のことは存じてなかったものね」
別人格に成り代わった……? 話が見えてこない。しかしぼんやりとした記憶がある。
誰かに予期せぬ事態が起きて、アリアスやライラ達が解決に動いていた。その場に自分がいたような気もする。
リラは自分の曖昧な記憶の多さに難しい表情をするばかりだった。
「……。そうだ、ヴィーチェ嬢。少しだけリラ殿と二人で話をさせてもらえないだろうか? 何、少し世間話をするだけだから悪いようにはしないから信じてほしい」
「アリアス様、そこまで言うと逆に胡散臭く感じます」
アリアスの言葉にすかさず返すライラ。何だかんだ良いコンビだなとは思わずにはいられない。
しかしわざわざ二人で話をしたいと言うからにはヴィーチェ達に聞かれたくない何かがあるのだろう。
「同性同士で積もる話というものがあるのね。リラ様が構わないのなら私も同意するわ」
「ということだが、どうだろうかリラ殿?」
「……まぁ、いいが」
「それは良かった良かった。じゃあ早速場所を移そうか。ライラ嬢とヴィーチェ嬢はそのまま楽しんでいて」
許可をするとアリアスはすぐに動いた。リラの背中を押し、女性二人から離れる。……ライラはどこか怪しむようにずっとアリアスを見続けていた。
賑やかなパーティーから離れ、連れられた先はバルコニーだった。
まだ昼間の明るい中で出たバルコニーから見えるのはファムリアント家の敷地の広い庭である。
庭師が管理してるであろう庭園は来客の目を楽しませるほど整えられていて、そして夏の花々が太陽に負けずに咲き誇っている。どこかその花がヴィーチェのように見えなくはない。
アリアスはバルコニーの手すりに手を置き、庭園を眺めながら口を開いた。
「リラ殿、私はあなたに非常に深い感謝を抱いている。それはなぜかわかるかい?」
「……あー、緑肌病の治療法を教えたからか?」
鉄石症。人間の間では緑肌病と呼ばれる皮膚病。
人間にとっては不治の病という扱いだったが、リラがその治療法を伝えたことにより、多くの患者を救うことになった。そのため勲章を貰ったりと大事にはなったのだが。
「その通り。リラ殿のおかげで私は生き長らえた。そこも覚えていてくれて良かったよ」
「まぁ……勲章を貰うパーティーみたいなのも開かれたしな……」
「そうか。じゃあ、リラ殿の伝えてくれた治療法を誰が広めてくれたのかはわからないかい?」
「……」
リラは言葉に詰まった。確かに自分一人で治療法を広めたわけではないと断言できるから。
誰かが鉄石症を患い、大婆から治療法を聞いて試した気がする。相変わらず顔は思い出せない。おそらくそれがきっかけだったとリラは思い出す。
(そこからその誰かが治療法を伝え回ったような……。頼んでもいないのに俺の名を吹聴していたような……)
記憶はあるのに人物だけは思い出せない。あまりにも多いあいまいな記憶。段々と自分が記憶障害に陥っているのではないかと疑い始めた。
「……リラ殿。やはりヴィーチェ嬢のことは思い出せないかい? 今こうして人とゴブリンが対話できるようになったのは全てヴィーチェ嬢のおかげなんだ」
わかっている。いや、だがわからない。リラは自分自身の過去をどれだけ振り返っても思い出せないことが多く、段々と苛立ちを覚える。
誰かが間に入ったことは理解しているが、どうしても脳に刻まれたはずの記憶が働かないのだ。
「一応ね、私の方で調べてみたし、医師に尋ねてみたんだ。リラ殿、あなたは間違いなく記憶障害を患っている」
はっきりと告げられる。医者でもない第一王子から直々に。
最初は自分の記憶に絶対的な自信があった。しかし靄がかかる数多くの思い出ばかりが脳内に再生されるため、自分自身の記憶が信じられなくなる。
「忘華粉を吸った人の症状のひとつに一番大切な存在を忘れるというものがあってね」
「忘華粉……?」
「ブルーオブリビオンという花を粉末状にしたものだよ。大量に吸うと記憶に障害が起こるんだ。リラ殿、記憶はないかい? 青い粉を大量に吸った覚えは?」
そんなもの……と、思いながらもリラはハッとした。心当たりがあったのだ。そしてフラッシュバックする。
ターニャが自分に目掛けて青い粉を大量にぶち撒けたのを。
なぜ今まで思い出せなかったのか。それが原因で倒れたはずなのに。
目覚めたときは不思議と頭がスッキリしていたから気にも止めなかったのか。
どちらにせよ、アリアスに青い粉について尋ねられない限り思い出すことはなかった。
「その様子だと心当たりがあるようだね」
「……なぜか、今になって思い出した」
「不思議なことに忘華粉を嗅いだ者は誰かの口から青い粉について問われない限り原因となった瞬間のことを思い出せないらしい。それとこの記憶障害には案外簡単に記憶を取り戻せる方法もあるんだ」
あるのか。そんな方法が。そう訴えるような目をアリアスの背中に注いだ。すると相手は振り返り、にっこりと笑いながら口を開いた。
「もう一度、大切な存在だったヴィーチェ嬢を好きになるだけさ」
案外簡単と言ったよな? そう思いながらリラは眉を寄せた。




