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記憶のないゴブリンは公爵令嬢を怪しむ

 リラは戸惑った。記憶のない人間の娘が求婚とも言える告白をしてきたのだ。


 娘はヴィーチェ・ファムリアントと名乗った。ファムリアントは馴染みのある名前だ。何せ村のゴブリンを領民として受け入れた当主フレク・ファムリアントと同じ名だから。

 身なりからして貴族なのは間違いないが、ファムリアント家の娘らしい。全く記憶がない。フレクの子供は長兄のノーデルしか知らないのだ。

 ヴィーチェなんて名前の娘がいたとは到底思えないし、ファムリアントの名を騙った怪しい女でしかなかった。


 いや、ヴィーチェという名前自体は仲間から何度も聞かされた。

 誰だそいつは。と返せば誰もが皆驚く。なぜあいつを忘れるのかとか、冗談じゃ許されないぞとか、責められた。

 知らないものは知らない。それなのにみんなの記憶と自分の記憶だけが合わない。それもヴィーチェという娘に関することだけ。

 自分だけが何か違う。それが凄まじくおぞましかった。何か取り残されているような。いや、もしかしたら周りがおかしくなってしまったのか?

 仲間の言葉を信用すればいいのか、それとも自分を信用すればいいのか。


『リラリラの気持ちに従えばいいんじゃないかな。だって生きるってのは自分を信じた道に進むってことだし』


 自分の記憶を疑いかけた瞬間、リラはターニャにそう言われた。

 それは知らない記憶を植えつけられようとした現状の苦しみを解放してくれるような、手を差し伸べてくれる感覚に近い。


『確かにヴィーヴィーは存在するけど、リラリラの記憶にないならその程度ってことで気にしなくてもいいでしょ。ただのちっぽけな人間の子のことなんてさ』


 ターニャの言葉はリラにとって都合の良い言葉だった。だからリラは彼女の言葉を信じ、自分の記憶を信じることに決めた。

 仲間を信じられないというわけではない。だがあまりにもヴィーチェの肩を持つ様子が逆に気味が悪かったのだ。まるで操られているのではないかというほどに。

 そのためリラにとってのヴィーチェは何か企みがあり、仲間を魔法で操る魔女のような存在だと思っていた。


 実際対面してみれば予想よりも明るいご令嬢だった。もっとミステリアスな奴かと思えばとにかく喋る喋る。他人の心を掌握する才能があるのではないかと恐れてしまうくらいには。

 もしかしたら仲間はこいつの口車にでも乗せられたのか。そう思っても仕方ないくらいヴィーチェは人懐っこい表情をしていた。

 ゴブリンと対面しても恐れないのはすでに耐性がついているからなのか。

 ファムリアント領地の人間も恐れずに対話してくれる人間も増えたが、ヴィーチェくらいの若い娘ならまだ怯えてもおかしくないというのに。


「私、ヴィーチェ・ファムリアントは生涯一生リラ様だけを魂ごと愛しております! そしてリラ様の妻になるために自分磨きを欠かさないことを誓うわ! リラ様のお心を寄せていただくためなら何でもする所存よ! 何年、何十年かけてもリラ様を射止め続けるわ!」


 脅しても喜ばれ、妻になると豪語する貴族の娘は今のリラにとって規格外の存在である。

 せめて含みのある視線を向けてくれたら何か企んでると確信できるのに、娘の瞳には星を宿していた。

 あまりにも眩しかったが、なぜか初めて見たような感覚にはならなかった。

 なぜなのか。深く考える前にリラは何か言わなければと口を先に動かした。


「……よく回る口だな」

「お褒めいただけ嬉しいわ!」

「褒めてないが」

「そういうことにしておくわね」


 何を言っても都合のいい解釈をされる。何なんだこの娘は。そう思いながらリラは重たい嘆息を吐き捨てる。


「俺は疲れたから休む。お前にも用はないし、さっさと帰れ」

「あら? そうでしたのね。ではお家までお送りしますわ」


 こいつ、どこまで付きまとう気なのか。ずっとくっついていそうなヴィーチェに「いらん」と突っぱねようとしたが、ターニャがヴィーチェの前へと立ち塞がる。


「こーら、ヴィーヴィー。リラリラが困ってるんだから自分の身を弁えてくれないとさぁ」


 腰に手を当てて、ヴィーチェに注意をするターニャ。はたしてヴィーチェがそれで諦めてくれるかは現時点ではわからなかった。

 ヴィーチェは瞬きを繰り返したあと、何やら悩む様子を見せたのち、にこりと微笑んだ。


「私としたことがつい欲張ってしまったわ。リラ様と新しい恋を始めるのだから段階を踏まないといけないものね」

「始めるつもりなんてこれっぽっちもないが」

「ふふっ。そうだったわね」


 なんでそういうことにしておこう、みたいな返答をするのか。なぜこっちが宥められる立場になるのか。色々言いたいことはあるが、ターニャのおかげで帰る意思を見せてくれるだけでも良しとする。


「では、リラ様。また明日」


 スカートの裾を摘んで貴族様の挨拶を披露する。それがまた様になっていた。言動は少々おかしいが、指先ひとつだけでも品の良さが際立つ。付け焼き刃ではないことは確かだった。

 そして娘は転移魔法を口にするとすぐに目の前からいなくなる。上手いこと帰ってくれてホッとしたが、すぐさま娘が言った最後の言葉を思い出した。


(“また明日”って言ったな……?)


 嘘だろ。聞き間違いじゃないよな? そう思うものの、疑問の答えは翌日に出た。






「リラ様っ!」


 有言実行するな。あからさまに嫌な顔を見せてもヴィーチェは怯むどころかずっと口を動かしている。

 無視をしても返事をしなくても「今のリラ様の好みはお肉や甘いもので変わりはないかしら?」とか「リラ様の険しい表情はいつ見ても凛々しくて国宝ものねっ」と瞳の輝きが失うことはなかった。


 その翌日も、さらに翌日も、ずっと、毎日。娘は「リラ様っ!」と駆け寄ってくる。

 何度かはターニャが追い払おうとしてくれるが「ターニャが決めることではないと思うのだけど?」と返され、それならばとリラが「帰れ」と告げるも「リラ様とお話したら帰るわ」と居座るので結局帰らない貴族の娘にリラは頭を抱えた。

 何せターニャ以外の他の仲間達はヴィーチェの味方だから助けてくれるわけもないし、むしろ「いいぞヴィーチェ!」と声援を送る始末。

 乱暴に追い返したいが、ファムリアント家の娘という話が事実ならば、世話になってるフレクの娘にそんな手荒なことはできないため、さらにリラは頭を悩ませた。

 いや、もしかしたらフレクの娘ではない可能性がある。これは近いうちにファムリアント家に訪問して確認しなければならない。リラはそう決めた。






「ずいぶんと疲労がたまってんな、リラ」


 その日もヴィーチェにまとわりつかれ、ようやく解放されたリラは早々に小屋に戻ろうとしたが、兄のオルガに声をかけられリラは足を止める。


「……兄貴」

「噂には聞いてたが本当にヴィーチェのことを思い出してねぇんだな?」

「兄貴もあいつのことを知ってる風な口をするんだな」

「知ってる風じゃなく知ってるんだがな。俺がなんでこうなったのかも覚えてねぇのか?」


 そう言ってオルガは手首の枷をリラに見せつけた。何を今さら、と思ったリラが呆れながらも口を開く。


「それは兄貴が村を乗っ取ろうとしたからだろ」

「それもそうだが、お前が一番キレたのはそれじゃないだろ。俺がヴィーチェに手を出したことでプッツンしたのも忘れたのか?」


 全く覚えがない。リラの記憶にあるのはオルガが村とボスの座を横取りしようとけしかけてきたこと。

 しかし言われてみればオルガは誰かに向けてナイフを投げていた。いったいそれは誰だったか。それを見て確かに怒りで我を忘れていたような気がする。

 記憶に靄がかかり、何とも言えない心地の悪さを感じた。


「……」

「まぁ、俺としては今のお前のままで構わないけどな。ヴィーチェを俺の第三の嫁にしてもいいってことだろ?」

「……兄貴の嫌いな人間なのにか?」

「ヴィーチェは特別。気に入ってるからな」


 人間を殲滅しようと企んでいた男の発言とは思えない。しかし今のリラにとってオルガがなぜヴィーチェを気に入るのか全く理解できなかった。


「勝手にしろ。俺には関係ない」

「サーンキュ。頑張って口説き落とすぜ」


 むしろ口説き落としてくれ。毎日まとわりつかれて困ってるんだよこっちは。

 そんな気持ちで兄に許可を出すと、オルガは機嫌良くリラの前を立ち去った。

 人間を嫁にだなんて変な趣味を持ったな、と思いながら溜め息をつく。すると今度はルナンがリラの前に現れた。

 腕を組み、機嫌が悪そうな表情はどこか威圧的である。


「……なんだ?」

「最っ低ね」

「はあ?」

「ヴィーチェを蔑ろにするその言動が気に食わないのよ」

「ったく、どいつもこいつもヴィーチェ、ヴィーチェって……」


 聞き飽きた。こちらから口にしてないのにみんな人間の娘の話ばかりでさすがにリラも嫌気がさす。


「いくら記憶がないからって限度ってものがあるでしょ! 記憶がなくてもあんたはヴィーチェを仲間って認めたのよ! 仲間をぞんざいに扱い続けるなら私は、私達はあんたをボスと認められないわ!」


 強く責められる。詰め寄られる。ルナンは男相手でも構わず言い負かす奴だ。

 何度もその経験があるリラだから理解する。ルナンがかなりご立腹だということを。

 正直納得いかない。なぜ記憶のない人間の娘一人で仲間達がここまで憤怒するのか。仲間達の心を上手いこと操る人間の娘なのかもしれないのに。

 もしかしたら仲間割れが娘の目的だってある。内部崩壊すればあっという間に村も潰れるだろう。

 だから例え仲間に疎まれようと、その可能性を払拭しない限りリラは警戒を解くことはできない。大事な仲間のために。






 石造りの小屋へと戻ればリラは疲れたと言わんばかりに床へと座り込む。

 自分の自宅なのだが、いつ見ても違和感しかない。貰った記憶はあるが誰から貰ったかわからない代物があちこちにあるし、クラウンウルフの牙を使用した作りかけのペンダントまである。


(俺が、こんな細かい作業を誰のために……?)


 不得手な作業を自分が行うとは思えない。しかし大事なことだった気がする。

 大事だ、大切だ、そう思った気がする度にその相手が見えない。靄がずっと覆っている。

 これが消えた記憶なのか、それとも植えつけられようとしてる記憶なのか、リラにはわからなかった。


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