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公爵令嬢は再びゴブリンに告白する

「数日前さね。リラが急に倒れてからじゃ。原因はわからんが、目が覚めたときにはヴィーチェの記憶だけがごっそりとなくなっておった」


 リラがターニャと狩りに出ていってから、ヴィーチェはアロンと共に大婆宅へと訪問した。

 そこにはすでにルナンがいて、ヴィーチェとリラが接触したことを長である彼女に報告していたようだ。

 足を崩していぐさの敷物に座ったヴィーチェは大婆からリラの身に起こったことについて話を聞くものの、原因もわからなければ、症状を見るのも初めてなためみんな頭を抱えていたそうだ。


「ヴィーチェのことは覚えていないが、お前さんの父や兄、学友達の記憶はあるようでな。不思議なもんよ。ヴィーチェを通じて知り合ったはずなのに、どうやって彼らと知り合ったのかは記憶があやふやになっておる」

「まあ。そうなのね。ということは、今のリラ様の中では人間に対する敵対心はないと考えていいのかしら?」

「そうね。ただヴィーチェに関しては怪しんでるみたいよ。何度か説明してるけど、全く信じてもらえなくて参ったわ」


 ルナンが少し苛立った様子で答える。アロンも口にしていたが村のゴブリン達はヴィーチェについてリラに話をしたそうだ。しかしそれが逆に怪しまれたのか、余計に警戒心を強めてしまったという。

 それを聞いたヴィーチェは仕方ないことだと感じた。記憶のない人物についてあれこれ言われても疑わしくなるリラの気持ちもわかるし、ヴィーチェのことを思ってリラに説明をしてくれた村のみんなの気持ちもわかる。

 とはいえ記憶がないのはヴィーチェのことだけ。それ以外はいつものリラなのだろう。そう思ったのだが……。


「それだけじゃなく、リラの奴ターニャに少し心を許してる感じがする」


 そう見解を述べたのはアロンだった。リラのことをよく知る人物の一人として何か気になったのだろう。ヴィーチェは反射的に「どうして?」と尋ねた。


「ターニャと狩りに行ってるのがすでにおかしいんだよ。普段のリラなら一人で狩る方が好きだから、あまり他の奴をそばに置かないんだよ。だけど、いくら腕が立つからってここ数日ターニャとよく行動してるんだよな」

「まあ、そうなのね」

「……私はあのターニャって女が怪しいと思うわね」

「……」


 訝しむように口を開くルナン。彼女の言葉に思い当たる節があるのか、大婆は否定しなかったし、アロンは何度も頷いていた。


「ターニャが?」

「リラが倒れた時にそばにいたのがターニャでもあるんだよ。あいつから話を聞いても『突然倒れた』ってしか言わないし、怪しさ満点なんだよな。ただでさえリラに気があるだろ? 今の状況ってターニャにとって得しかないわけだから」


 アロンの話を最後にみんな黙ってしまった。僅かに感じられる疑念の空気。ヴィーチェはきょとんとしながら口を開いた。


「リラ様が私の記憶がないからと言ってターニャが得になることかしら?」

「え? いやいや、そうなるだろ。ターニャにとっての最大の障害がおチビちゃんなんだし、その記憶がリラになかったらターニャは自分が成り代わるチャンスでもあるわけじゃん」

「そう簡単に成り代われるとは思わないわ。だって私がまたリラ様のお心を奪うものっ」


 その場で立ち上がり、拳を作ったヴィーチェの表情はやる気に満ちている。

 記憶がないからといってめげることはない。築き上げたものが崩れ落ちてもまた一から積み上げるその意思は強かった。


「あっひっひ! それこそおチヴィーチェだ! そのポジティブなガッツは嫌いじゃねーよ! まぁ、確かにお前ならまたリラのハートを掴めるだろうなっ」


 アロンが手を叩いて褒める。しかし彼とは違い、ルナンは溜め息を吐き捨てた。


「アロン、無責任に期待させるようなこと言わないで。ヴィーチェと初めて会った頃のリラと今のリラではまた感じ方や考え方が違うはずよ。そう何度も同じ相手、しかも種族が違う相手を簡単に好きになるとは限らないわ」


 現実を突きつけるように告げるルナン。アロンを無責任だと睨みながら非難するのはおそらく意地悪で言っているわけではないだろう。


「ロマンのねぇ奴だな、お前は……」

「理想と現実は違うでしょ。作られた物語じゃないのよ。……ヴィーチェ、酷なことを言うようだけど、昔ならまだあなたが小さかったからリラもそこまで警戒をしてなかったし、無害だと受け入れるのも早かったかもしれない。でも今のリラはあなたに強い警戒心を抱いてるわ。ヴィーチェが思ってるほど、簡単なことではないのよ。それよりも記憶を取り戻す方法を考える方が最善じゃないかしら?」

「無くした記憶が元に戻る方が現実的じゃなくね? 日が経っても記憶は変わらなかったし、一時的なものじゃないのは確実だろ」

「人間の医者に診てもらえばいいでしょ。ゴブリンよりも医療知識があるのだし、一部の記憶が欠如する症状の解決法を知ってる可能性だってあるわ」


 確かにそうかもしれない。記憶喪失というのなら脳に何かしらの影響があるのかもしれないし、それとも精神的に何かあったのかもしれない。

 それならばスペシャリストの医師を集めてリラを診察してもらう方が安心である。もしかしたらちゃんとした病名があるのかもしれないし。


「ルナン、残念だが今のリラは医者に診てもらうつもりはないらしいぜ。最初の頃にそれとなく言ったけど、あいつ病気だと思ってないから殴って気絶させない限り無理だな」

「殴って気絶させたらいいでしょ」

「リラ様を殴るわけにはいかないわ!」


 リラを傷つけるなんて言語道断。そう言わんばかりに反対の声を上げると、アロンが「ほらな?」という顔をルナンに向けた。彼女はまた大きな溜め息を吐き捨てる。


「……このままリラの記憶が戻らなくて困るのはヴィーチェでしょ」

「確かにそうかもしれないけど、リラ様を傷つけたくないもの。それなら時間をかけてでもリラ様にもう一度好きになってもらう方を選ぶわ」

「一年や二年、もしくはそれ以上かかるかもしれないのに?」

「えぇ。私はリラ様といられる時間があるだけ嬉しいもの」

「あんたって子は……」

「ルナンが私のために言ってくれてるのはとても理解できるわ。心配してくれてありがとう」


 ルナンはリラよりもヴィーチェのことを考えてくれたゆえの発言だろう。

 その心遣いをしっかりと受け取ると、静観していた大婆が言葉を発した。


「では、リラについては現状維持にするんかね?」

「えぇ、そういたしましょう大婆様。今のリラ様は周囲の方達との記憶の相違もあり、疑心暗鬼の状態なので責めるような発言は控えた方がよろしいかと」


 思えば以前、ヴィーチェの身体は別の人格によって支配されてしまったが、その人格の彼女も周りとの記憶違いに大きなショックを受けていたのだ。

 元は自分の身体だったので、もう一人のヴィーチェの感情はとても強く伝わっていた。

 今まで信じていた記憶を否定されると強いストレスとなっていた感覚があったので、おそらくリラもそうかもしれない。

 だからこそ、ヴィーチェはリラの精神を守ることを選んだ。


「私のことを覚えていないのならまたリラ様にアタックするだけよ! だってリラ様の根っこは変わらないお優しいままだもの!」

「よっ! それでこそおチヴィーチェだ!」


 ヴィーチェのやる気は変わらない。アロンに囃し立てられ、大婆は小さく頷く中、ルナンだけは何とも言えない表情をしていた。

 彼女なりに何か不安があるのかもしれないが、ヴィーチェは信じていたのだ。またリラと仲睦まじい間柄になれると。






 大婆宅から出たヴィーチェは狩猟に出たリラの帰りを待った。ただ待つだけではなく、村のゴブリン達と話をしたり、子供達と遊んだりして時間を潰す。

 みんなヴィーチェを気にかけてくれたし、事情をあまり知らないであろう子供達も村の雰囲気がいつもと違うと気づき心配までしてくれた。

 ヴィーチェとしては別段傷ついたというわけではないので村のみんなが気にしすぎだと思い、逆に申し訳ない気持ちになる。

 しかしそれだけ慕われているということでもあり、ヴィーチェは同時に嬉しくも思った。


 そんな中、狩りを終えたリラが村へと帰ってきた。ターニャと一緒に。

 ヴィーチェはすぐさま二人の元へ駆け寄った。


「お帰りなさいませ、リラ様。ターニャ」

「……まだいたのかお前」


 眉間の皺がキュッとなる。そんな訝しむ表情を見せるリラにヴィーチェは辛い思いをするどころか、勇ましいと胸を高鳴らせた。


「えぇ、もちろんっ! だってリラ様に会いに来たんだもの。お話しましょ」

「貴族の娘を接待するつもりはない。帰れ」

「娘じゃないわ。ヴィーチェよ。ヴィーチェ・ファムリアント」


 思えば似たようなやり取りを出会ったばかりの頃にした気がする。このツンツンした感じもやはり懐かしく感じてヴィーチェはアルバムを見てるような気分になり、自然と笑顔を浮かべる。


「……帰れ、ヴィーチェ」

「帰らないわっ」


 名前を呼ばれてさらに破顔しつつもリラの要望には頷かない。リラはどこか戸惑うような表情をするが、彼が口を開く前に隣にいたターニャが言葉を発する。


「ヴィーヴィー。リラリラが嫌がってるんだから言われた通りにした方が良くない~?」

「あら。ターニャはご存知ないのかしら? リラ様は照れ屋さんなの。最初の頃のリラ様は常にこのような感じだったわ」

「照れてない!」


 すぐに否定に入る姿も昔を彷彿とさせる。そうそう、リラ様はこうだったわと微笑ましく思った。

 するとリラの手がヴィーチェの胸ぐらを掴んだ。そのまま彼は顔を寄せ、凄みを利かせる。


「ゴブリンをからかうのも大概にしろ。本気を出せばお前なんていつでも捻り潰せるんだからな」

「……素敵」

「は……?」

「こんな間近でリラ様のご尊顔を拝見するなんていつぶりかしら! 口付けしてくださるのかと思って心臓が止まりそうなのだけど、心臓発作の原因がリラ様なら仕方ないし、むしろ本望かもしれないわ! でもリラ様の妻になるのでできれば骨一本くらいでお許しいただけないかしらっ?」


 ずいっとヴィーチェからも顔を寄せたが、条件反射なのかリラが避けるように手を離して後ずさる。信じられないものを見るような狼狽する様子も見受けられた。


「おまっ……正気かっ? お前の感性はどうなってる!? 目も悪いのか!?」

「リラ様によく目の心配をされるので視力は定期的に検査してるけど問題ないわっ」

「……お前の神経が理解できない」

「どうやらリラ様は私の真剣さがいまいち伝わっていないみたいね。では改めて宣言するわ」


 こほん、と咳払いをひとつ。そしてヴィーチェは自信満々の顔つきでリラを見つめた。


「私、ヴィーチェ・ファムリアントは生涯一生リラ様だけを魂ごと愛しております! そしてリラ様の妻になるために自分磨きを欠かさないことを誓うわ! リラ様のお心を寄せていただくためなら何でもする所存よ! 何年、何十年かけてもリラ様を射止め続けるわ!」


 ヴィーチェはリラへの気持ちについては誰にも負けない。記憶がなくなっても悲しまない。もう一度始めたらいいだけなのだから。

 また彼と前のような関係になれると強く信じてるヴィーチェは期待に輝く眼差しを戸惑うリラに向けるのだった。


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