ゴブリンは公爵令嬢にもう少しだけ感情を伝えたいと決意する
リラの住む村の夫婦達は付き合うきっかけから求婚の言葉など、全ての仲間達が知るくらいには広まるのが早い。
それだけ馴れ初め話に興味津々で、ほとんどの者が食いつくのだ。
リラはどちらかというとその手の話は苦手である。背中が痒くなる思いをするからだ。
相手がどうしてもその手の話題をするのなら聞きはするが、せいぜい相槌を打つ程度。
しかし今になってリラは思う。もう少し話を聞いておけば良かったと少しばかり後悔した。
恋仲となった二人は普段どのような会話をしているのか。どのように接しているのか。そしてどのように想いを伝えて夫婦となる契りを交わしたのか。
もう少し真面目に仲間の恋の話に耳を傾けていれば何かヒントを得ていただろう。
ヴィーチェの祖母クレインと話をしたことにより、リラは自分がヴィーチェと違って全く気持ちを言葉に表していないことを改めて自覚した。
元より自分自身でもわかっていたことを面と向かって言われると強く心に響く。
しかし態度で示すだけでは駄目なのか、とリラは思う。ヴィーチェが口にする大きな愛情を受け止めているのにそれだけでは足りないのか。
「足りないに決まってるでしょ」
そう答えたのはルナンである。仲間内では一番話しやすい女性であり、ヴィーチェとも仲がいい。だから少しだけ心のモヤモヤを彼女に告げたが、悩む間もなく強く断言された。
陽の当たる場所でヴィーチェから差し入れされた新しい本を読むルナンにわざわざ声をかけたこともあり、いちいちそんなことで読書の邪魔をするなという視線が向けられる。
「会話ができるのに肝心なことだけ口にしないって意味がわからないわよ。ヴィーチェだから上手くいってるだけであって、普通なら心が見えなくて不安がっているものよ」
「……上手くいってるならいいだろ」
思わず反論してしまった。それがいけなかったのだろう。ルナンは鋭い目で睨んでくる。
「そうやってヴィーチェに甘えるなんて、アンタうちの頭のくせに恥ずかしくないのっ!? 自分の感情をまともに口にできないなんて格好悪いにもほどがあるわよ!」
強く詰められた。せめて「わかった、ありがとう」で終わっていれば良かったのに、つい口が先に動いてしまったのだ。
正直に物事を言うヴィーチェに似てしまったのかもしれない。それがいいことか悪いことかは今は考えないようにする。
「ヴィーチェより歳上のくせに思春期の子供みたいに『見ればわかるだろ』みたいな態度は正直腹立たしいわよ。何様のつもりっ? 素直に自分の感情を吐露している上に、告白もまともに言えない男について何も言わないヴィーチェの方がアンタよりも百倍以上大人だわ!」
さらにルナンはヒートアップするかのように口早に喋る。それだけではなく読んでいた本で脇腹まで小突かれる始末。
怒らせると厄介で少々おっかないルナンにリラはたじろぎながらも最後は根負けして「俺が悪かった……」と謝罪をして事なきを得た。
◆◆◆◆◆
「あー……ルナンならそう言うわな」
今度はアロンに話してみた。そうすると彼は腕を組んで悩ましい表情を見せる。
「俺としては気持ちを言葉にするって言うルナンの言うことも理解できるし、当人達が気にしてなけりゃ外野がとやかく言う必要はないって言うリラの言うことも理解できるぜ」
うんうんと頷くアロンはどうやら中立の立場のようだ。まだ否定されないだけマシだなとリラは思った。
「でもさ、わざわざ相談するってことはお前なりに気にしてるってことじゃね? 自分の気持ちを言葉に出すべきか、態度だけで示すべきかっていうよりかは、おチビちゃんへの気持ちを言語化するのが難しくてどう伝えればいいかわからないって悩みのように思えるし」
「……そうなのか? いや、そうなのか……」
自分で自分のことがわからなくなる。ただモヤついたものをどうにかしたいだけだったが、アロンの言葉もあながち間違いではないとも思ってしまう。
確かにヴィーチェへの気持ちを言葉として伝えるとするなら何を口にしたらいいかわからないのだ。色々な感情や言葉が溢れてきて上手く纏まらない。
「お前難しく考える節があるからなー。普通に好きって言えばいいじゃん。おチヴィーチェはそれだけで喜び跳ねるだろうしさ」
それができたら苦労はしない。しかし口にできたらヴィーチェの喜ぶ姿が目に浮かぶのだが、恥ずかしさとしっくりこない感覚がリラの中で芽生える。
「わかってはいるが……その、好き、という言葉だけでは足りないというか、そんなライトな感じじゃなくもっとこう……深い感情、だ」
「へぇ? 愛してるってことか?」
ぴゅう、と口笛を吹かれる。その瞬間、身体の熱が急上昇した。それと同時に反射的に手が動く。その手はアロンの顔面を掴み、指の力をこれでもかというくらいに込める。
「……茶化すなっ」
「あだだだっ!! 茶化してねーよ! まだ!」
まだとはなんだ。そう思いながら手を離す。
相談したものの、相変わらずからかう気満々のアロンに幾度「もうこいつに相談するのはやめようか」と思ったことか。
だが、何だかんだ話は聞いてくれるし、ちゃんと答えてくれるし、頼りになることもある。からかわなければ最高なのだが。
「ったく、相変わらずの馬鹿力だな……。まぁ、否定しねぇってことは間違ってないってことだろうけど、好きも言えないんじゃ愛してるもお前にとっては壁が高いだろ?」
「……」
高いどころか乗り越える自信がない。愛、してる? その言葉と感情がはたして自分のヴィーチェに対するそれと一緒なのかもリラにはわからない。
「俺は……ヴィーチェのことを愛してるのか?」
「うわー拗らせてんなぁ、お前。もっと簡単に考えろよ。好きで足りないなら愛してるってことじゃんそれ。おチビちゃんの気持ちを受け入れてる時点で愛なわけ」
愛、と言い切られると物凄く恥ずかしい感情に苛まれる。しかし不思議と違うと否定したいわけではない。
ヴィーチェの気持ちを受け入れた時点で愛というのなら、そしてその彼女への大きな気持ちが好きの一言で足りないのなら、愛してるのだろう。
恋だの愛だのそんな恋愛関係から遠かったリラにしてみたらそれはどうしようもないほど小っ恥ずかしくて仕方なかった。
耳の裏まで熱くなる。心臓の鼓動が増す。ヴィーチェのことを考えるだけで幸福感が高まる。きっとこれが好きで好きでたまらないくらい愛しいというやつだろう。
「てか、おチヴィーチェを娶るつもりなんだし、愛してないわけないだろ。覚悟決まってるんだからさ」
アロンのその言葉がストンと胸に落ちた。そうか、そうだったのか。ヴィーチェを仲間と認め、村に住まわせることを宣言した日や、ヴィーチェへの気持ちを認めたあの日にはすでに覚悟は決まっていた。そのときにはもう好きという言葉だけでは足らない感情を持ち合わせていたのだ。
「まぁ、今まで通りでも構わないと思うけどな。お前がおチビちゃんのことを好きなのは見ててわかるし、向こうだってそう理解してるから無理に言葉にする必要もないんだし、気にしなくていいじゃん」
そう言い切った友人の言葉にリラは「そうだな。そうする」と頷いてアロンと別れた。
(……とは言うものの、やはりモヤつくな)
一人になり、改めて現在の心境を見つめ直す。いつも納得する回答をしてくれるアロンの言葉は今回だって納得した……はずなのに、心が晴れない。
やはりヴィーチェからいつもたくさんの言葉を貰っているせいか、少しでも返したい気持ちになるのだ。
何よりヴィーチェは絶対に喜んでくれるはず。そんな娘の眩い表情を見るとこちらも嬉しくなる。
だから勇気を出して言葉で伝えるべきか。たった一言。この際二文字の言葉でもいい。好き、と。感情はそれよりももっと大きなものではあるが、まずは口にできることから始めてもいいはずだ。
それでもやはり言葉にできなかったら……それならばもっと態度に出すのもありなのではないか。例えば抱き寄せてみせるとか。
そう思い一瞬想像してみるが恥ずかしくなった。……そもそもできるのか、俺に? と考えてしまう始末だ。
だが、もっとヴィーチェにも知ってほしいとも思う。自分のヴィーチェによる気持ちを。おそらく本人は「わかってるわ!」と自信満々に言うだろうが、リラとしては自分からもアクションを起こしたいのだ。
好き、好き、好き……と、心の中で呟く。簡単に言えたらいいと思う反面、そんな軽い気持ちで言うつもりもないので、その一言だけに気持ちを込めたい。
次に会ったときにでも一歩踏み出してみよう。言葉でも態度でも何でもいい。好きだと言うヴィーチェに「俺も」と返事をするだけでもいいから━━。
「リラリラ~~!」
そう決心した矢先、小さな袋を持ったターニャが手を振って駆け寄ってくる。
最近は何やら青い花を磨り潰しているのを見かけたが、誰が聞いてもターニャは何をしているのか教えてくれないらしく、みんな不思議がっていたがそのまま好きにさせていた。
だから大人しくなったかと思ったのにまた面倒な奴が来たな、と心の中で溜め息を吐く。
「……なんだ」
「あのね、そのままジッとしてて」
「は?」
「━━えいっ!」
どういうことだと思ったそのとき、ターニャが持っていた袋の中身を顔面目掛けてぶちまけられた。
「な━━!?」
視界に広がる青い粉。突然のことだったので避けようがなかったが、たくさん吸ってしまい咳き込んだ。
「ゲホッ! おい、ターニャ! お前何してっ……」
その瞬間、酷い頭痛がして思わず膝をついた。止まらない痛みに表情も歪む。
なんだこれは。まるで頭の中が掻き混ぜられるようだ。そしてなぜか嫌な予感がした。大事な何かが抜き取られるような喪失感を覚えたのだ。
笑顔を見せる人間の娘が脳裏に過ぎったすぐあと、リラは意識を失って倒れ込んだ。




