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ゴブリンは兄貴に拳を振るわれる

「あいつは相変わらず口の悪い奴だな……」


 言うだけ言って大婆の家宅へ引っ込んだリリエルに舌打ちをするリラは目の前にいる兄へと目を向けた。

 一体何用でここにいるのか。もしかして大婆達との会話を聞かれたんじゃないかと背中に嫌な汗をかく。


「……で? 兄貴はなんでここにいるんだ? 大婆に用か?」

「いや、シノンの娘がいたから声をかけただけだ。俺の娘でもあるしな」


 軽く笑いながら答えるオルガにリラは「へー」と、相槌を打ったところでハッとする。

 あまりにも重要な情報を平然と口にするものだからつい聞き流すところだった。


「……娘? あいつが、兄貴の?」

「リリエルとは血が繋がってねぇけどな? 義理のってやつだ」


 リリエルとは、ということはリリエルの母、シノンが抱いていた子はオルガとの子なのだろう。

 まさか兄に伴侶がいるとは考えもしなかった。いや、それよりも考えることが沢山あったため、兄の近況については聞いていなかったが、妻がいて子供がいると聞いた今、それくらいの変化は当たり前かと納得する。

 なぜなら兄はリラ達を逃がした英雄なのだ。放火事件さえなければ、離れ離れにならなければ、この村を統べるボスは間違いなくオルガだった。

 誰よりも勇ましく、強く、優しく、尊敬される。そんな兄が魅力的に見えないわけがない。


 そんな中、ふとヴィーチェの姿を思い出す。リラのことを好意的に見る彼女が自分より何もかもが上の存在の兄を見たら心変わりをしてしまうんじゃないかと。

 今までだったら、あのヴィーチェが簡単に心変わりするわけがないと自信があった。それでなければ何年もかけて言い寄ってはこないのだから。

 だが、兄がいるとなると話は変わる。オルガはリラの憧れだ。自分の全てが二番手になるくらい完璧な兄。


 『お強いリラ様が素敵なの』と言われたら「兄の方が強い」と言えるし『お優しいリラ様はとても素晴らしいわ』と言われたら「兄の方が優しい」と言えるし『リラ様は誰よりも格好いいのよ』と言われたら「兄の方が格好いい」と言える。

 ヴィーチェの眩しい瞳がオルガに向けてもおかしくないほど、オルガはリラにとって素晴らしい兄なのだ。


「おい、リラ?」


 不思議そうに名を呼ぶオルガの声を聞いて、リラはハッと現実に引き戻された。


「何難しい顔してんだよ。兄に嫁と子供ができたからってショックでも受けたってのか?」

「……いや、驚いただけだ」

「ダハハッ! それなら早いうちにこれも言っとくか。俺の嫁はあと一人いるぜ」

「……。……は?」


 これはまた唐突な発言である。思わず時が止まったかのように長い間を空けてから不可解と言わんばかりの声を上げた。


「ターニャって言ってな。八歳の息子もいる」


 驚きがさらに上書きされる。兄が複婚しているとは。

 リラ達の住むゴブリンは一夫一妻の単婚が主である。それが幼い頃から当たり前とされていたため。

 もちろん強い種を多く残すために一夫多妻制を選ぶ種族もいるのは知っていた。

 まさか同胞であり、兄がそれを選ぶとは思っていなかったので困惑の気持ちが大きい。


「ダッハッハ! お前は顔に出る奴だな! ━━そして考えがあまりにも古い」


 気さくに笑ったと思いきや、急に厳しい視線を向けられた。その声色も低い。


「俺達ゴブリンは圧倒的に数が足りなく、弱い。強い個体を増やすのがこれからの課題でもあるんだ。一夫一妻じゃとてもじゃないが子を沢山残せないしな」

「……沢山子を作ることを義務として考えているのか?」

「そりゃあそうだ。数が多ければ一気に人間を襲えるからな」


 リラは頭が痛くなる。考えが古いのはどちらなのかと言いたくなるのを必死に飲み込んだ。

 やはり兄は人間への復讐を実行するつもりだ。

 人間を襲ってもみんながみんな無事にすむとは思えないというのに。余計な争いはまた新たな争いを生み、さらに命を散らす危険性があるのに兄は仲間の命をそこまで軽く考えているというのか。兄はそんな男ではなかったはずなのに。

 しかしリラはまさかと気づく。オルガは仲間が死ぬことはないと本気で思っているのではないかと。人間に殺されないという自信が強いのかもしれない。

 そして生まれる子をみんな英才教育のごとく戦闘経験を積ませるのだろう。人間に負かされることがないように。


「……兄貴の考えは否定しない。だが、それを俺や仲間達に強要だけはしないでくれ。あいつらはあいつらで好きなように伸び伸びしてもらいたいからな」


 価値観の違いは仕方ない。しかしそれを押しつけることはしてほしくないのだ。みんなにはみんなの考えや思いがある。

 オルガにもそれを理解してもらいたかったが、兄はまたも子供の我儘に振り回されていると言わんばかりにやれやれと溜め息をつかれた。


「まったくお前は……村の頭を張ってるってのに放任主義か? そんなんじゃいつまで経っても俺達ゴブリンは成長しないぜ」

「俺達は俺達のやり方がある。それが気に入らないって言うのなら……」


 出て行ってくれ。そう告げようとした矢先だった。


「リ・ラ・さ・ま~~!!」


 慣れ親しんだ声と呼び名とともに、砲弾のごとく勢いのあるそれに突然飛びつかれた。

 あまりにも唐突すぎる登場によりリラは驚愕する。


「な、んでお前がここにいる!? まだ会う日じゃないだろ!?」


 ヴィーチェが来るのは週末。まだ数日先である。本来なら学院にいるはずなのになぜ彼女が村にいるのかリラにはわからなかった。


「本日は開校記念日でお休みなのよっ」


 だから飛んできたわ! と、さも当然のように元気良く、そして幸せそうに笑うヴィーチェ。その眼差しにリラの心臓が昂った。ヴィーチェにそう言われて嬉しくなったのだ。

 言葉通り転移魔法で飛んできたのだろう。すぐに自分の元へと駆けつける彼女を愛くるしく思えた。


「……リラ。そいつはなんだ?」


 しかしヴィーチェに抱く感情はオルガの低い声により払拭させられた。代わりにドッと大量の冷や汗が流れる。


「あ、兄貴……こいつは……」

「! もしかして、以前リラ様がお話してくださったお兄様なのかしら? ご存命でしたのねっ」


 まるで自分のことのように喜ぶヴィーチェがオルガへと目を向ける。そして貴族様お得意の上品な挨拶をするため、ヴィーチェはスカートを摘み上げ、美しい所作で片膝を屈めた。


「初めまして、リラ様のお兄様。私、ヴィーチェ・ファムリアントと申します。リラ様と婚姻を前提にお付き合いしています」


 普段であれば余計なことは言わなくていいと言いたい内容ではあったが、今のリラにとってはそれどころではなかった。

 なぜなら兄は隠す気もない殺気をだだ漏れにさせているのだ。ヴィーチェは相変わらずそういう空気を察知できないのか、気づく様子はない。

 そんな兄の様子に危険信号を鳴らすように心臓の鼓動も早くなる。

 一瞬でもオルガから目を離せば、ヴィーチェは殺されるかもしれないという不安がリラを襲った。


「リラ。正直に答えろ。この黄色肌の女は人間か?」

「……あぁ」


 兄の望む通りに答えたその瞬間、オルガに鋭く睨まれた。

 それだけじゃなく、目の色が変わった兄によって振り上げられた拳がリラの頬へと強く打ち込まれる。リラはその勢いに逆らえず激しく地面へと叩きつけられた。

 あの頑丈なリラがたった一発の拳で吹っ飛ぶくらいにオルガの腕力はリラの想像より威力があることを身をもって知る。

 その様子を見た他の仲間達がどよめき、悲痛な声で彼の名を叫ぶ。


「……」


 ちょっとやそっとじゃ傷をつけることができない強靭な身体を持つことが自慢のひとつでもあるリラ。しかし頬が尋常ではないほど痛みに熱を持つ。

 立ち上がるよりも先にオルガがリラの前で膝を曲げる。蔑むような視線を向けられ、荒々しく髪を掴まれた。


「っ……!」

「お前には失望したぜリラ。まさか人間の娘にうつつを抜かすとはな……。人間に騙されてゴブリンとして恥ずかしくねぇのか?」

「アニ、キ……こいつは、そんなことしない……」


 無駄かもしれないが何も言わないわけにもいかなかった。

 リラはヴィーチェに騙されているなんて微塵も思っていないので、髪を引っ張られる苦痛に顔を歪めながらも強く否定の声を上げる。

 しかし血の分けた兄弟からは落胆の溜め息が吐き出されるだけ。


「まさかお前がここまで愚かな奴に成長したとはな。お前の兄であることすら恥ずかしく思うぜ」

「おい、やめろよオルガ! リラの言う通りおチビちゃんは人間だけど無害だっての!」


 さすがに黙っていられなかったのか大婆の家にいたアロンが姿を見せて抗議する。

 しかし今のオルガに楯突くのは悪手でしかないので、リラは「アロン、引っ込んでろ……」と言うしかできなかった。


「……なるほど、お前だけじゃなくお前の仲間達も人間に毒されてるってわけか。村の奴をみんな惑わすなんてよほど騙し上手な人間なんだな」


 リラの仲間達はみんなオルガに敵意を向ける目を向けていた。そのため、オルガはリラを含めた村の住人全員が人間に騙されていると判断したのだろう。


「変だと思ったぜ。人間に肩入れする発言をするからな。これは村の奴ら共々ちゃんと教育し直さなきゃならねぇか」


 骨が折れるぜ、と言いつつも薄笑いを浮かべるオルガにリラはまずいと思った。

 その視線は兄に……ではなく、その兄の後ろにゆらりと立つヴィーチェへ。その先に起こりうる出来事をすぐさま察した。

 なぜならヴィーチェの怒りの象徴とも言える可視化した魔力の火花がバチバチと彼女の目元から発していたのだ。


「その手を……リラ様から離しなさい!!」


 怒声とともにヴィーチェは上半身で引っ張るようにして躊躇なくオルガの横面に蹴りを入れた。

 その勢いはオルガが吹っ飛ぶほど。不意をついたとはいえ、やはり令嬢とは思えぬ脚力にオルガの手から解放されたリラは「なんでこれでただの令嬢なんだよ……」と思わずにはいられなかった。

 そんな回し蹴りするヴィーチェに村の仲間達は歓声の声を上げる。アロンに至っては口笛を吹いて「やるじゃん」とほくそ笑んだ。


「リラ様、大丈夫っ!? リラ様とお兄様の特殊な愛情表現だと思って様子見をしていたのだけど、こんなことになるなら、もっと早く行動すれば良かったわ!」

「……いや、気にするな」


 娘に助けられるのは何とも言えない気持ちになるが、格好悪いところを見せても相変わらず一途な感情を向けるヴィーチェにリラは無意識に安堵する。

 危険な状況は変わらないというのに。


「ってぇ~……人間の小娘にしちゃキツいの持ってるなぁ……」


 ヴィーチェから受けた攻撃箇所を手で押さえながらもすぐさま立ち上がるオルガはやはりと言っていいのか、打たれ強い肉体を持っている。本当に痛いのかと疑うくらいには余裕そうに見えた。


「リラ様に暴言と暴行を振るった罰だわ」

「ダッハッハ! ……あ~やっぱ人間ってのはムカつくなぁ。上から目線で傲慢で……自分が正しいと思ってやがる」


 そっくりそのままオルガにも言える台詞だった。本人にその自覚があるかどうかはわからないが、オルガは続けて話をする。


「お前が只者じゃないのはわかったぜ。村のゴブリンを懐柔させるだけじゃなく戦闘能力も高いなんてますます怪しい存在だ。寝首を掻くつもりだな」

「兄貴! いい加減にしろ! ヴィーチェはそんなことしないんだよ!」


 ヴィーチェにいらぬ敵意を向けないようにオルガに訴えようとするも、兄は冷たい目をリラに向けるだけ。逆効果でしかなかった。


「いい加減にするのはお前だリラ。これ以上人間に籠絡された愚弟を見る俺の身にもなれよ」


 呆れるような表情、期待のない瞳、実の兄に向けられたそれらに胸が痛まないわけがない。しかし同時に憧れだった兄はもはや昔のものだったとリラも割り切るしかなかった。

 するとオルガは何かを思いついたのか「あぁ、そうだ」と口を開く。


「人間の女に溺れる男がボスなんて俺は認めない。だから俺に譲れよ、リラ。お前には相応しくないんだよ」

「……それで頷くと思ってるのか?」

「変なところで頑固なお前は頷かないってことはわかってるぜ。だから俺と勝負しろ。勝った方がボスだ。元よりボスってのは強い奴が担うもんだしな?」

「それは……」


 兄からの唐突な提案にリラは返事に困った。強い者が村の頭を張るのは当然のことだからこそリラはオルガの言葉を否定できない。

 元々、ボスの座は兄に相応しいと思っていたし、兄に勝てるイメージすら湧かないのだ。勝負しても勝ち目がない。

 どっちが勝つかなんて誰もがわかっているだろう。だから簡単に受け入れる提案ではないのだ。

 それにオルガがボスになったら人間への対応を改めさせられるのは間違いない。

 ここは例え格好悪くても断るしかないのだ。そんな弱腰の自分を仲間が、そしてヴィーチェがどう思うかは気になるが、村のみんなや人間との関係を維持するためにも慎重にならなくてはいけないのだとリラは決心する。


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