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はぐれゴブリンは男爵家夫妻の温かさに戸惑う

「さぁ、行くわよ」


 ヴィーチェに腕を握られたまま逃げることもできない。そのリリエルの腕もシャドウローブの効果によって見えない状態だ。

 それにしてもこっちの話も意見も聞いてくれやしない。いや、ヴィーチェは……人間はそういう生き物だった。人間にとって魔物ゴブリンは自分達より下位にあたると考えている。


 そんなヴィーチェに連れてこられた久々のキャンルーズ男爵家。少し古びた木の香りも懐かしく思ってしまう。

 たった数年しかいなかったというのに、そのせいで警戒心が薄れていきそうであった。まるで安全地帯に到着したような安心感。


 その後、応接室にて両親役をさせていたキャンルーズ夫妻を目にしたリリエルは彼らの姿を見て少しばかり動揺した。

 なぜなら父も母もどこかやつればんでいたから。それなのに無理に作ったような笑みでヴィーチェを出迎えていた。

 ……いや、ゴブリンに騙されたのだから憤怒するよりショックの方が大きかったのかもしれない。そういう意味なら心労でやつれているのも理解できる。


 そしてヴィーチェの隣で夫妻の話に大人しく耳を傾けていた。ヴィーチェはすでにリリエルの手を離しているし、姿も見えないのなら逃げてもバレないはずなのに、なぜか身体は動けずにいた。

 父役だったドードル・キャンルーズも母役だったハリット・キャンルーズも最初こそ畏怖の念を抱いていたはずなのに、リリエルと一緒に過ごした日々を素敵な思い出のひとつとして語り、さらに一緒に罪を背負うつもりでいたということも話していた。

 あの虚偽の証言は「お前の魔法なんて効いていない」というリリエルのプライドを刺激するための意趣返しだと思っていたのに。そんな本当の両親がするようなことをしたなんて信じられなかった。

 そんなわけない。そんなことがあるはずない。そう強く思うも、鼻の奥がツンとしてきた。目頭が熱くなり、思わず鼻を啜る。


 しかしさらに信じられないことがリリエルの耳に入った。

 なんとキャンルーズ男爵夫妻はリリエルというゴブリンに騙されたというのに娘として迎え入れたいと口にするのだ。

 これは何かの罠かもしれない。そんな都合のいい話があるわけないのだから。

 自分に復讐をするためにヴィーチェを騙して、秘密裏に始末しようと考えているのかもしれない。


「だそうよ、リリエル様。あなたはどうお考えかしら?」


 そう問われ、リリエルは意を決してフードを取った。不思議そうな表情をしていた夫妻の表情が一気に変わる。


「リリエル!?」

「━━!!」


 ドードルは立ち上がり、ハリットは口元に手を当てていた。どちらもその顔は驚きでできている。

 お互いに本性を出すのなら今だ。


「私は━━」

「「リリエル!!」」


 言葉にしようとした瞬間、夫婦がリリエルの元へ駆け寄ってきた。驚いていたはずなのに今では安堵するような表情だ。

 それが逆にリリエルを戸惑わせるというのに。


「まさかお前とまた会えるなんて……」

「ご飯はしっかり食べてるの? 少し痩せているように見えるわ」


 リリエルの傍らで膝をついて手を握る男爵とリリエルの座るソファーの後ろへ周り、彼女の顔を覗き込むように頬に手を添えて顔を合わせる男爵夫人。

 それは洗脳しているときのような心配ぶりであった。まさかまだ洗脳魔法がかかっているのかと疑うくらいに。

 しかしリリエルの腕には魔力防止の効果がある腕輪が嵌められている。いくら洗脳魔法に沢山の魔力を注いだとしても、新たに魔法をかけなければいつかは解けてしまうのだ。


 だからこそ意味がわからなかった。理解できなかった。何か企んでいるとしか思えない。しかし二人の演技だとしたらあまりにも上手いと思えるほど胸が震えた。


「……あ、あんた達正気なのっ!? 現実が見えないわけ!? どう見ても私はゴブリンよ! 人間がゴブリンの心配をするなんてどうかして━━」


 そのときだった。言葉を遮るようにソファーの後ろに立つハリットによってリリエルは背後から抱きしめられた。

 優しい温もりは幼い頃、本物の母によって与えられたものととても似ている。久々に家族の温かさを感じた。

 そして同時に恐怖が芽生える。この温かさに飲み込まれてしまいそうだと。

 そうすると温もりに感化されて今まで自分が行ったことを後悔してしまいそうになる。

 リリエルにとってそれだけはしたくなかった。後悔したら今まで自分が何のために生きてきたのかわからなくなるから。復讐をなかったことだけにはしたくない。


 早くこの腕を振り払わなければ。そう思い、リリエルが「ちょっと……!」と、もがこうとしたが、それよりも先にハリットが口を開く。


「ゴブリンだからとか人間だからとかじゃなく、私達はリリエルの心配をしてるのよ」

「っ、口では何とでも言えるわよっ。この肌の色が見えないのっ!? どこからどう見てもゴブリンでしょ! 私という存在の前にゴブリンという種族よ!」


 種族は関係ないなんて絶対ない。醜いと言われたり汚いと言われたゴブリンのこの肌の色はどうしたって目に入るはずだ。

 人間にとっては忌まわしい意味で使うゴブリン病こと緑肌病と同じ色味。患っただけで酷い差別を受けるほどの肌の色は貴族様にとっては不快の色でもあるはず。


「私達にとってはとても見慣れた肌の色じゃないか」

「そうよ、リリエル。あなたの髪と一緒の色だったじゃない。とても綺麗よ」


 そう言われてリリエルはハッとする。今でこそゴブリンの特徴である緑色肌と灰色の髪色ではあるが、人の姿に擬態していたときの髪色は今の肌の色と同じにしていたのだ。

 緑色が肌から髪に移っただけで、ゴブリン色が木々の葉色と呼ばれるようになったのは意味がわからなくて心の中で人間を見下していたのに、エンドハイトと同様に肌の色を褒められるとは思わなくてリリエルはただただ困惑する。


「リリエル、お前さえ良ければ改めて私達夫婦の娘になってもらいたいんだ」


 ふくふくしたドードルの手がリリエルの手の甲を握る。ぎゅっとしたその手もまた温かい。

 しかしリリエルの記憶の中に本物の父の記憶はなかったため、父親というものがどのようなものかはわからなかった。

 リリエルが生まれた頃に狩猟の最中魔物に襲われて亡くなったと母から聞いていたので、彼女にとっての家族は母のみ。

 それなのに、目の前にいる父親役だったドードルの言動はまるで本当の父親のように思えた。

 また、鼻の奥が痛くなる。


「だから、わた、しは……ゴブリンで……」

「ゴブリンだから私達の娘になれないことはない。それとも私達ではリリエルの家族には相応しくないのだろうか……?」

「そうじゃなくて! それに私はいい子ちゃんでもないのよっ。こうやって口答えする可愛げないのを娘にするって言うの!?」

「むしろリリエルはいい子過ぎたから我儘を言うくらいがちょうどいいわ」


 なぜ全て受け入れようとするのか。リリエルにとっては夫妻の言うことは全く理解できなかった。人間のくせに、人間なのに、なぜ自分を欲するのか。やはり裏があると思ってしまう。娘が欲しいなら同じ種族の中から好きに選べる立場だというのに。


「……私が罪人ということを忘れてない? 人間を仇なす存在よ。それに私は自分のしたことを間違っているとは思っていないし、反省をするつもりもない。それで死罪だって言われても改めるつもりもないんだから」

「リリエル……私達はあなたとともに生きたいのよ」


 悲しげに言うハリットの言葉は僅かに胸が痛む。本当の娘だったら見事なまでの親不孝者だ。

 思えばハリットとはショッピングに行くことが多かった。リリエルに合う服を見繕ってくれたり、カフェに寄ったり、と今になってその思い出が蘇る。


「私は、自分を曲げたくない。私は、私のしたいことをしたまで。もう、目的は果たしたのよ……家族ごっこだって必要ない……」


 家族ごっこ、という言葉を発すると、ドードルの眉が大きく下がった。間違いなく傷つけたのだろう。でも突き放さない限りこの夫妻はしつこいかもしれない。


「リリエル様、別にご自分の生き方を曲げたくないのなら私は構わないと思うわ」


 すると、今まで黙っていたヴィーチェが口を開く。


「……あんなに更生させようとしていたあんたがそう言うってことはようやく私のことを諦めてくれたってことね?」


 あれだけ更生させようと、生かし続けようとしていたヴィーチェがリリエルの好きにさせようとしている。やはり今までは貴族様の気紛れだったのね、と心の中で皮肉を口にした。


「いいえ。リリエル様は反省するフリをしてくだされば極刑を免れると思ったまでよ。リリエル様はお一人でどう生きていくか考えた結果が、今の後悔しない生き方なら私はリリエル様のその信念も素晴らしいものだと思うわ。だから無理に今までのことを反省しなくてもいいと考えを改めさせていただいたの」

「何、言ってんのよあんた……人間側からすれば私は数多くの罪を犯したんでしょ! 人間のくせに、反省するフリとか、そんな適当なこと言っていいわけ!?」

「適当ではなく真面目な発言のつもりよ? もちろん、リリエル様が誰かの命を狙っていたり、傷つけようと考えてらっしゃるのならそれは全力で止めさせていただくわ。でもリリエル様はご自分の目的は達したとおっしゃっていたから、もうそのつもりはないのでしょう?」


 ……確かに、目的は果たしたのでこれ以上何をする気も起きない。人間を全て滅ぼすみたいな壮大なことをするつもりもないので、簡単には認めたくないがヴィーチェの言う通りである。


「だから反省したフリをしてあとは細々と余生を楽しみましょう。キャンルーズ男爵も夫人も優しく迎えてくださるし、乗り気がないのから無理しなくてもいいのだけど、リリエル様さえよろしければたまに顔を合わせてもいいんじゃないかしら?」


 なんて勝手なことを。それに余生って何よ。まだそんな年じゃないんだけど。

 そう思いつつ、いつ死んでも構わないと考えているリリエルにとっては余生という言葉もあながち間違いないと思った。


「リリエル、ヴィーチェ様のおっしゃる通り家族になるのが躊躇われるならたまにこうして会う日を作ってくれないだろうか? 一緒に食事をともにするだけでも構わないんだ」

「えぇ、お茶会もいいわね。改めてリリエルのことを知りたいもの。お話を沢山したいわ」


 こう何度も自分を求められるとリリエルは心がむず痒くなった。この温かな雰囲気に飲まれそうになる。


「……気が乗れば、ね。自分達の言ったことを後悔させてあげるから」


 簡単に人間を信用していいわけないのに。そう思いながらもつい呟くように答えた。

 けれどキャンルーズ夫妻は意地の悪い言い方であろうと、リリエルの言葉に顔を綻ばせるものだから、何なのよと決まりが悪い思いをする。

 不思議と嫌だとは思わなかったリリエルはその後「まぁ、また貴族の娘らしくいい思いをしてもいいかもしれないわね」と自分に言い聞かせたのだった。


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