子爵令嬢は家族を捨てた父親と再会する
子爵家の令嬢ライラと第一王子のアリアスとの婚約発表はやはり学院内でも大きな話題となっているようで、授業中も昼食の時間もずっと生徒達の視線がライラへと向けられていた。
朝のようにアリアスを狙っている軍団に絡まれることはなかったが、その分快く思わない者達による「分相応」だの「どうせヴィーチェ・ファムリアントの仕業よ」という内緒話があちこちから聞こえてくる。
そんな話をしている暇があれば少しでもアリアスのお眼鏡にかなうように努力すればいいものの……と、言いたいところではあるが、火に油を注ぐ結果になるので心に留めておいた。
しかし、学院生達にひそひそ話をされるのがまだ可愛いと思えるほどの事件が授業終わりにライラの身に起こるのだった
それは寮に帰るときのこと。いつもならヴィーチェと一緒に帰るのだが、彼女は「ルナンに頼まれていた本を購入しておきたいからライラは先に帰ってて!」と言うだけ言って街へと行ってしまったのだ。
……おそらくルナンというのはゴブリンの一人だろう。
それにしても書店へ寄り道するくらいならいつも誘ってくるはずなのに今回はそのようなことはなかった。
別に自分も嫌ではないし誘ってくれたら共にしたのに、と少しモヤついたライラだったが、もしかしてとひとつの可能性に気づく。
第一王子との婚約発表があったばかりだから、そんな中で街を歩くとそれだけで注目が集まるはず。
野次馬のごとく住人達からあれこれと馴れ初めを聞いてくるかもしれないし、場合によっては今朝絡んできた女子生徒達のように不愉快な目に遭うようなことが起こるかもしれない。そう考えたヴィーチェは先に帰らせようとしたのではないだろうか。
そうだとしたら彼女の心遣いを無駄にするわけにもいかない。婚約の件が落ち着くまで街に行くのは少し控える方がいいかもしれないと考えた。
しかし授業終わりは寮へ帰る生徒達が多いのでライラは一旦図書室で本を読んで時間を潰し、人が少なくなったのを見計らってから帰寮しようと、学び舎に引きこもることに決めた。
一時間ほど本の匂いに囲まれ、時計に目をやったライラはそろそろ寮に帰ろうと身支度をする。
人通りがなくなり一人で正門を潜って学院の敷地を出た……その矢先だった。
「ライラ!」
聞き覚えのある男の声に身体がびくりと反応する。
そんなまさか、何かの聞き間違いではないかと戸惑ったが、相変わらず顔にはその感情が表れない。
機械が故障したかのように止まったままのライラだったが、その人物によって腕を強く掴まれる。
「ようやく出てきたな。この俺を待たせるとはいい身分になったものだっ」
相手の姿を見てライラは内心さらに驚いた。借金だけを残し蒸発した父だった。いや、父親と呼ぶのも抵抗がある。
「お父、様……なぜ? いえ、一体どこへ行っていたんですか! 私とお母様を残して家を売却しようとし、借金まで押しつけて!」
突然いなくなった父が目の前に現れて、込み上げてきたのは怒りしかなかった。むしろよく顔を出せたものだ。面の皮が厚いにも程がある。
「黙れ! 父親に向かってその口の利き方はなんだ! 誰のおかげでお前がそこまで育ったと思ってる! 俺は神も同然だろうが!!」
目眩を起こしてしまいそうになった。一体この人は何を言っているのか。
確かに娘の必要最低限の経費は渋りながらも彼が出してくれたので、育ててもらったと言えばそうなのだが、家にお金を入れなくなっただけではなく、家のものを勝手売り飛ばすようになったので、全く良い父親でもなければ神だとも思えない。
激昂する父にどう対応すればいいのか、と頭を悩ませたが意外にも相手は「まぁ、いい」と少し機嫌良く嫌な笑みを浮かべた。
「聞いたぞ。アリアス第一王子と婚約したんだってな?」
それを聞いて察してしまった。いや、むしろ気づくのが遅いほうだ。金に執着する厚顔無恥の父がアリアスとの婚約を知って何もしないわけがなかったのだから。少し考えればわかる未来だったのに。
「エンドハイトをものにはしなかったが、王位継承権を剥奪されたから結果的には良かったな。アリアスに擦り寄ったことは褒めてやろう」
擦り寄った覚えは何ひとつない。自分の娘のことを何も理解してないとは思っていたがここまでとは。この父親にとって娘は都合のいいただの道具でしかないことがよくわかる。
「だが遅すぎる。もっと早く婚約を知らせてくれたら俺もこんな辛い目に遭わなかったのだからな」
確かに最後に見た父の姿より少し痩せて、身嗜みは整っていなくて服もよれている。貧乏貴族よりも貧乏な生活を送っているということは明らかだ。
「ひとまず俺の衣食住が整うだけの金をすぐに用意しろ」
本当に自分のことしか考えていない。借金や家を売りに出して逃げていったくせに、母や自分の心配なんて何もない。人というよりもはや化け物だ。魔物よりも害のある人にしか見えない。
ライラはそんな傲慢な父だったものに我慢できなかった。
「……あなたは一体何がしたいんですか? 家族を捨てたかと思えば、お金の匂いがすれば戻ってきて。そんなフラフラした生き方をするのに父どころか神と豪語するなんて烏滸がましいと思わないんですか? せめて神だと言うのなら金銭を要求せず自分の生き方を貫き通してください!」
自分勝手に捨てた家族に擦り寄り、お金を工面してもらえると考えているのなら彼には人の気持ちが全くわからないのだろう。
そんな娘に好き放題言われて、相手も怒りが抑えられないのかみるみるうちに顔を真っ赤にした。
「こいつ……! 昔はもっと聞き分けが良かったのに父親に向かって反抗的な態度をとりやがって!」
躾だと言わんばかりに手を上げた。平手ではなく拳を作っているところを見ると、娘であろうと女性であろうと容赦しないようだ。
振り下ろされようとした瞬間、彼の動きは止まった。いや、止められたのだ。父だったものの後ろに立つ人物が、振り上げた腕を掴んで攻撃を加えようとしていたのを阻止していた。
間に誰かが入るとは思わなかったのでライラは驚きながらも硬い表情で乱入した人物へと目を向ける。
「反抗期は成長の証と言いますよ? それに言葉には言葉で返すべきかと」
父の愚行を止めたのはにっこりと笑う婚約者。彼の登場に安堵が半分、そしていつから見ていたのかという呆れが半分。
「ア、アリアス第一王子!? いくら王子であろうと家族間の問題に口出しはしないでもらおう!」
この男、王子の前でも暴力を振るい続けようとしているのか。これ以上マルベリー家の汚点を増やさないでほしい。
「私の大事な婚約者がぶたれようとしているのを黙って見ているわけにはいかなくてね」
涼しい顔をしているが父の腕を掴むアリアスの指が少しずつ食い込んでいた。父の顔もその強さに「くっ……!」と歪んでいる。
「それに訂正もしておきたいのだけど、擦り寄っているのはライラ嬢ではなく私だ。間違えないでもらいたい」
それはわざわざ言う必要があったのか。そう思ったのもつかの間、その情報を知った父は卑しく笑った。
「ならば、その娘の父には感謝せねばなるまいな! 結納金はたんまり用意してもらわんと話にならんぞ!」
次期国王相手になんて態度だろう。失礼とかの問題ではなくもはや侮辱に近い。本当にこんな人と血が繋がっているのかさえ疑ってしまう。
「もちろん、そのつもりだ。彼女は大事な人だからね。……けれど、あなたに渡すつもりはなくてね。何せマルベリー子爵は死人なのだから」
「……え?」
死人、と聞いてライラは声を上げる。一体何の話か理解できなかった。
「マルベリー子爵が失踪して、私は彼を探すためにあちこち兵を向かわせたが見つけられなくてね。それどころかマルベリー子爵が乗っていたとされる馬車が崖から落ちたという転落事故があった。しかし遺体は御者しかなく、マルベリー子爵の遺体はなかったが私物はいくつかあったんだ。落ちた馬車が森の中ということもあり、魔物か動物が遺体を連れ去ったと考え、死亡したものと処理していた」
それは初耳だった。父が事故死したことなんて絶対どこからか噂があってもおかしくないのに今の今まで知らなかったのだ。
アリアスの様子からすると世間に公表にしなかったのだろう。そしてライラにもあえて黙っていた。肉親が亡くなったことにショックを受けないようにするため……とは思えない。
おそらくアリアスは怪しんだのだろう。都合良く父の亡骸だけがないということに。それをわかっていながらも深く捜査はせず死亡扱いにした。
「子爵はもう子爵ではないんだ。正確に言えば当主が亡くなったため、爵位は夫人に移った。彼女、あなたの仕事の手伝いも担っていた……というか、失踪直前はほとんど夫人に任せていたそうじゃないか。それが功を奏したのか子爵の仕事も問題はないようだね。まぁ、姿を消して半年だし、家族も仕事も借金も放り出して今さら戻るなんて虫のいい話だとは思わないかい?」
父が色々と文句を口にしようとしたが、アリアスがその隙を与えないように捲し立てるように話した。
「ぬぬっ……そ、そもそも俺が死亡扱いにされていたことも知らんかったぞ! そんなもの無効だ! 俺に爵位を返すようにあいつに言え!」
それでも父は抗おうとしたのだろう。唸りながらも声を荒らげる。
「あはは、おかしな話だ。転落した馬車の中にあったあなたの私物は空になった上物の財布に、オーダーメイドの靴など、マルベリー元子爵の私物であることは間違いない。あなたが馬車に乗っていたのは確かだし、運良く転落した馬車から生き残ったとしてもなぜあなたは誰にも告げず身を隠したのかな?」
父の足元へと目を向けると、お気に入りのオーダーメイドの靴ではなく、手軽な値段で購入できる既製品の靴だった。
それに半年も前とはいえ、転落したのなら大怪我は免れない。医師にかかるお金もないだろうし、そのような怪我の跡も見受けられなかった。転落事故の被害者とは思えないほど。
「……もしかして、自分が死んだことにしようと?」
「なるほど、それなら納得がいく。我々が元子爵を探していたのを彼は借金取りに追われてると勘違いし、それならばと死を偽装したというのなら今の今まで雲隠れしていたのも頷けるというわけだ。さすがライラ嬢、聡明でいられる」
なんとわざとらしい持ち上げ方だろう。そもそもアリアスはすでにその線を考えていたはずだから、そのような言い方は若干苛立ちを覚えた。
しかし、第一王子に気に入られているという場面を父に見せつける分には悪くなかった気もする。
「さて、マルベリー殿。どういうことか説明してもらえるかな? 馬車に乗っていたのか、それとも事故現場に遭遇したのか、どちらにせよ事故報告もなく逃げ出したことは罪に問われるから然るべき場所で話を聞かせてもらおうかな。……捕らえよ!」
アリアスの一声により、魔法によって姿を隠していたと思われる近衛兵が次々と現れ、あっという間に父を拘束した。
「なっ! ふざけるな! この程度で罪だの何だの言うのか!」
「もちろんそれだけじゃないさ。心当たりあるんじゃないかい? マルベリー殿には詐欺罪の疑いもあってね」
それも初耳である。本当なのかと父に問いかける前に彼は兵達によって連れて行かれてしまった。最後まで父は怒鳴り声を上げていたが。
そんな実の父が捕まったというのに心は穏やかである。あの父だった人に向ける温情はないのだと自分のことながら他人ごとのように思えた。
「……詐欺をしていたというのは事実ですか?」
父も近衛兵もいなくなり、静かになった正門前でライラはアリアスに尋ねた。彼は躊躇うことはなく口を開く。
「そうだね。複数人の被害者もいる。マルベリー殿は投資をしていたそうだが、その金を集めるために知人を利用したようだ」
借金だけでなく詐欺まで。父はそこまで落ちたのかとライラは溜め息を吐き捨てた。
「借金といい、詐欺といい、一応娘でありながらそれらに気づけなかったのは私の落ち度です」
「それは仕方ないさ。ライラ嬢がジェディース学院に入ってから始めたそうだから寮暮らしをしていたら気づくものも気づけないからね」
「……アリアス様は父が何をしたのかどこまでご存知なのですか?」
自分の知らないところまでアリアスは父を調べていたということはここまでの流れで理解している。ならば他に余罪はないか確認をした。ライラの中でも若干疑わしいことがあるからだ。
その問いかけに関してはアリアスも少しばかり言いづらそうに間を空け、口を開いた。
「……これはマルベリー殿から話を聞かない限り判断できないけど、殺人罪も疑っている」
その言葉を聞いてライラは己の中の疑わしいことと一致したので「やっぱり……」と小さく呟いた。
「偶然馬車が転落した現場に居合わせたとしたら、あまりにも都合がいい話だと思う。彼の遺品は潰れてしまった馬車の中にあったし、酷いくらい傷だらけだった。あとから遺品を馬車の中に残したと主張したとしたらそれは少し無理があるくらいにはね。靴の傷と破損した馬車の部品が一致するし、後からつけたとしても潰れた馬車をひっくり返すくらいしないとつけられないものだ。だとすると考えられるのは彼は最初から偽装するため私物だけを馬車の中に残したということになる。御者を巻き込んでまで、ね」
「……現場が森の中だと聞いて、いくら身を隠すとはいえ父は虫や獣、魔物がいるかもしれない森に近づくことは普段から嫌っていました。たまたまそこにいた、なんて考えられません」
「調査によると馬車馬の体内から興奮剤が検出された。それが原因での事故なのは間違いないね。そして転落した崖の数メートル後方には急に停まったと思われる車輪や馬の足跡が残っていた。こちらの考えとしてはマルベリー殿が急に停車させ、ここで下ろしてくれと言ったのかもしれない。そして馬にも礼を言いたいとかそれらしい言い訳を御者に伝え、こっそりと興奮剤を口にさせたのだろう。そして馬車馬は暴走し、転落した」
状況証拠でしかないが、父ならば聴取の際にぼろのひとつやふたつを出すだろう。そこまで頭が切れるとは思えないので殺人罪で捕まるのも時間の問題だ。
「……ショックかい?」
アリアスが優しく問いかける。身内が人として越えてはならない一線を越えたことに心配してくれているのだがライラは不思議と落ち着いていた。
「どうでしょう。借金を残して逃げたときからもう家族とは思っていませんし、捕まったのを見て安心さえ覚えてます。……親不孝かもしれませんね」
「ライラ嬢が親不孝なものか。母親に対しては寄り添っているし、あの父なら子の気持ちが離れても仕方ないのだからね」
表情も変わらないし、感情も揺らがない。少しだけ自分が本当の人形になったのではないかと思ってしまったが、アリアスの言葉を聞いてモヤつきそうな心が晴れていく。それもそうだ、と素直に思えた。
「そうですね。あの人にいつも振り回されていましたし、むしろこちらも被害者でした。早くあの人を牢獄に入れてください」
「うん。そう思えてもらえて何よりだ。その潔さが何だかヴィーチェ嬢を彷彿とさせるよ」
そう言われると悪い気がしなかった。思えば父にあそこまで強く反発できたのも初めてだし、とてもすっきりした。
ヴィーチェの心の強さに少しだけ近づけたのならそれはライラにとってとても嬉しいものだった。




