公爵令嬢はゴブリンに誕生日プレゼントを贈る
寒い冬が過ぎ去りつつある四月。中旬にもなれば少しは暖かい陽気となり、空気も匂いも春の暖かみのあるものに変わる。
そんな中、ヴィーチェはようやく楽しみにしていたものが届いたと侍女のアグリーから聞いて急いで来客用の部屋へと向かった。
来客部屋には有名な時計職人がソファーに座っていた。柔らかい笑みと頭頂部はつるぴかだが、サイドはふさふさの髪が特徴の老人。
そして彼の向かいとなるソファーにはヴィーチェが座るのだが、すでに兄のノーデルも同席している。ヴィーチェは兄がいても気にすることなくご機嫌な様子で席に着いた。
「ヴィーチェ、挨拶」
ノーデルに小声で言われて「そうだったわ」と思い出したヴィーチェは再び立ち上がると、スカートを摘んでご令嬢の挨拶を披露する。
「ごきげんよう、時計職人のお爺様」
「……ヴィーチェ、以前も会ったからちゃんと名前で呼ばないと」
こっそりとヴィーチェに伝えるノーデルだったが、彼が何を言ったのか察したと思われる時計職人の老人が「お気になさらず」と人の良さそうな笑みで答えた。懐の深い彼にノーデルが感謝の言葉を述べると、ヴィーチェも同様に元気よくお礼を口にする。
「改めましてこんにちは、ヴィーチェお嬢様。ご注文頂いた品をお届けに上がりました」
「待ってたわ! お願いしたものは完成したのねっ」
「はい。ご確認ください」
時計職人は無邪気な子供の振る舞いを見て微笑ましいと言わんばかりのニコニコとした表情でヴィーチェが待っていた品物を箱の中から取り出した。
テーブルに置かれたのは木製の掛け時計。文字盤の中には時間を知らせる数字以外に日付を知らせる数字も刻まれていた。日を跨ぐとちゃんと時計のからくりも働き、翌日の日付へと変わる。
以前、大婆の家で休ませてもらったヴィーチェは殺風景な部屋に時計すらも置いてなかったことに気づき、もしかしたら正確な時間すらわからないのかもしれないと考えた。
ヴィーチェは日付つきの時計さえあればリラに正確な時間と日にちを知らせることができると思って、その掛け時計を誕生日プレゼントにしようと決めたのだ。
そのため時計職人を呼んで、時計のデザインなどを何度も納得するまで話し合って時間をかけたが、やっとその完成品を目にすることができたヴィーチェの瞳は星の如く煌めく。
最初は「もっと派手で格好いいものがいい!」と口にしていたヴィーチェだったが、ノーデルと侍女のアグリーにより「相手のためならシンプルなものが喜ばれる」と説得されたのだ。
ヴィーチェは引く気はなかったが、相手のために、と言われてしまうと、確かにリラは派手な見た目でもないのでシンプルなものが似合いそうだと考える。そのため当初予定していた宝石を散りばめたり、独特なデザインの案は取り止め、シンプルなものにすることを受け入れたのだった。
「わぁーー! 凄い! これ、ヴィーが考えたデザイン!」
「はい。お嬢様が一生懸命考え、私が一から作り上げました。お気に召していただけましたか?」
「えぇ! 素晴らしい出来だわ! ありがとう、本当にありがとう時計職人のお爺様! これならリラ様も喜んでくれるわ!」
壁時計をぎゅっと抱きながらぴょんぴょんと跳ね、喜びを全力で表現し、笑みを浮かべたヴィーチェは時計職人に向けてお礼を告げる。
少々はしゃぎすぎたゆえ、兄ノーデルに注意をされるのではないかと幼いながら気づくものの、兄は何も言うことはなく優しく笑っていたようなので気にしないことにした。
思えばノーデルは今日この日まで時計職人と面会する度にヴィーチェの隣についていたっけと思い出す。多分、父に頼まれたのだろうけど嫌々ではなさそうだったのでヴィーチェも喜んで兄の同席を許した。
とはいえ、ヴィーチェの好きな兄であろうと愛しのリラ様のことを信じてないのだけは解せない。家族だけではなく屋敷の者みんな口では否定しないようにしているが、心の中では信じてないということを子供ながらに気づいているのだ。
「ヴィーチェお嬢様が沢山時間をかけ、こだわり抜いたものですし、ヴィーチェお嬢様のお心遣いに感激するはずです。リラ様は幸せ者でしょうね」
「ふふっ! リラ様の誕生日が楽しみだわ!」
「……」
「……」
時計職人が孫を見るような目でヴィーチェの話にうんうんと頷く。まさかゴブリンにプレゼントをするだなんて思ってもみない彼は友人か婚約者に宛てたプレゼントだと考えているのだろう。
兄と侍女は何か言いたげな様子だったが、静かに見守っていた。
◆◆◆◆◆
そして四月二十五日。ヴィーチェはプレゼント用のラッピングに包まれた壁時計を抱えて魔物の森に向かい、いつもの場所でリラに差し出した。
「リラ様! お誕生日おめでとう! これ、ヴィーからのプレゼントよっ!」
にこにこにこにこ。自分の誕生日の如く嬉しげな笑みを愛しのリラ様に向けた。
対するリラは何か眩しいものを見るように目を細めている。太陽が直接当たるわけじゃないのになんでかしら? とヴィーチェは木々に隠れつつある空を見上げた
「……祝うのはやめろと言っただろ」
「リラ様がこの世に生まれた日なんだから感謝のお祝いをしなきゃ! ヴィーはリラ様が生まれてきてくれて嬉しいもの! それにリラ様に誕生日プレゼントも渡したかったから!」
ぐいぐいぐいっ。リラの足へと押し付けるヴィーチェは受け取るように促した。しばらくしてリラは諦めたのか、盛大な溜め息を吐いてしゃがみ込むと、ヴィーチェの差し出すプレゼント箱を受け取る。
「……くれるっつーなら貰うけどよ。何を用意した?」
「ふふふっ。開けてからのお楽しみ! 早く開けてっ」
リラ様に早く見てもらいたい。その気持ちを抑えきれず、待ちきれず、ヴィーチェは彼の驚く顔や喜ぶ顔が見たくて仕方なかった。
しかしリラはどこか警戒するように顰めた顔で綺麗にラッピングされたリボンを解く。包み紙を破り、箱を開けた彼は壁時計を取り出して訝しそうに首を傾げた。
「? なんだこれは……?」
「やっぱりリラ様は初めて見るのねっ。それね、日付もわかる時計なのよ」
「村では日時計が主だが、人間の使う時計はこんな感じなのか……」
「うーん、日付が一緒になったのはあまりないかも。一般的なのはこの時計の部分だけだもの」
「……なんで日付もつけたんだよ」
「今日が何月何日かをリラ様が知るためよっ」
「だと思った……。頼むから人間の常識をゴブリンに押し付けるな……」
「リラ様にヴィーの世界も知ってほしいの! もちろん、ヴィーもリラ様の世界をもっと知りたいわっ」
「知らなくていい。そもそもお前が知る必要はない」
「旦那様の種族のことを知りたいと思うのは普通のことよ」
「……いつまで言い続ける気だ」
はぁ、と溜め息をつくリラにヴィーチェは自信満々な表情で「永遠にっ」と断言する。その返答にリラが項垂れると小さな令嬢は「リラ様ってば本当に照れ屋さんなのね」とクスクス笑った。
「ところでヴィーからの贈り物は気に入ってくれた?」
「……そもそもどうやってこの時計を見るんだ? 針がいくつもあるぞ」
「あ、そっか。リラ様はこの時計は初めてだものね。これはね、時針と分針と秒針って言って━━」
ヴィーチェは日時計以外の時計を初めて目にするリラに時計の見方を教える。
秒を表す秒針ならまだしも分を表す分針については特にややこしかったそうだ。分という単位そのものを知るのが初めてだったようで最初は意味がわからんと言われてしまったが、理解をすればリラはすぐにプレゼントされた時計が読めるようになった。
「あー……つまり今の時刻が15時24分の4秒、5秒、6秒……ってことか」
「そう! そうなの! 凄いわリラ様っ! 強くて格好良くて頭もいいなんて」
「なんでお前はそう大袈裟なんだよ……。人間は当たり前に読めるものでそんなに持ち上げるな」
人間にとっては簡単なことだろ。と、そんなもので褒められても嬉しくないと言わんばかりに告げるリラだったが、ヴィーチェは首を横に振った。
「でもゴブリンにとって当たり前じゃなかったものをリラ様は理解してくれたのよっ。凄いことだわっ! リラ様は天才ゴブリンなのよ!」
「んなわけねぇだろ。学もねぇし」
「ヴィーも学はないわ!」
「本当に頼むからお前はまず常識を学んでくれ……」
何度目かの溜め息を吐き出したリラは壁時計を手にしながらマジマジと見つめる。
「……まぁ、面白いものを貰った礼は言うべきか。ありがとな、ヴィーチェ」
「!!」
お礼を言ってくれた。リラ様に感謝された。それだけでヴィーチェの嬉しさが込み上げてきて興奮となり、溢れる思いは行動として現れる。
しゃがみ込んで目を合わせてくれたリラの首元へとぎゅっと抱きつき、ヴィーチェは叫ぶ。
「早く結婚しましょ!!」
「なんでそうなるんだっ! てか、いきなり抱きつくな! 時計を落として駄目になったら大変だろうがっ」
さすがに貰ったばかりのプレゼントを壊したくはないと考えたのか、リラは落とさないように気を遣ってくれた。それを聞いたヴィーチェはすぐに抱きついた手を緩める。
「それなら大丈夫よ。ユグドラシルの木を使ってるからそうそう壊れることはないわ」
「今なんて?」
「ユグドラシルの木を使ってるの。他にも耐熱、耐水、耐電とか色々と守ってもらえるようにしたのよ」
えへん。と胸を張るヴィーチェにリラは冷や汗を流しながら顔に手を当てた。
ユグドラシル。またの名を世界樹とも呼ばれる大樹で、神秘的な力が宿っている。葉や枝はもちろんのこと樹皮、樹液まで部位によってはその効果は様々。
秘薬や武具、家具の材料から料理にまで多岐にわたって使用されている。しかし世界樹は貴重であり簡単に手に入るものではない。
なぜならユグドラシルを守るように凶暴な魔物達が闊歩しているからだ。強敵なドラゴンだけでも百を超えると言われている。
けれど百年に一度、新たに芽吹いた世界樹を守るため魔物達は古い世界樹を捨て、新しい大樹の元へと向かう。そして人々はその都度捨てられた大樹を採取していくのだが、何一つ無駄のない価値ある貴重なユグドラシルは高値で取り引きされていた。
ユグドラシルの木はとても丈夫で採取するにも一苦労すると言われている。加工するとどんなに重いものに踏まれようが叩き落とそうが壊れることはない。
そんなユグドラシルの木を使って時計を作る者はそうそういないが、ヴィーチェは違った。愛する人に長く使ってもらいたいためにユグドラシルの木を材料に選んだのだ。
それだけでなく、あらゆる脅威に備えて時計に耐性効果も与えた。ファイアドレイクの鱗を粉末し、水で溶いた鱗を時計に塗れば耐熱効果、水の妖精の加護を降り注いでもらえば耐水効果、神鳥サンダーバードの羽をお守りのように時計の内部に入れておくと耐電効果が発揮する。
そして魔法の源となる大気中に漂うマナを自動的に使用することによって半永久的に動き続けることが可能となる。そのように作られているのだから、故障や時間が狂う心配もない。
ヴィーチェは一通りの説明をリラにするが、彼は頭を抱え始めた。
「いくら俺でもユグドラシルの存在は知ってるが……人間の暮らしがわからない俺でもわかる。絶対に普通の時計じゃないだろ」
「えへへ。リラ様にずーっと使ってもらえるように材料からデザインまでヴィーが一生懸命考えたのよ。受け取ってくれて嬉しい!」
「いや、待て! 俺はそんなレア物を使った高いものだとは知らなかっただけだ! 価値観のわからないゴブリンに高いものを渡してくるなっ! せめて普通のものにしろ!」
「普通でしょ? 世界に一個だけの時計はかっこいいの!」
「まず普通の価値観が……はぁ。お前は何を言っても無駄だな。もうわかった。貰うから返せって言うなよ」
「言わないわ。その代わりヴィーの誕生日にお返ししてねっ」
「断る。というか見返りを求めるな。俺に期待するな」
渋い顔ではっきりと拒絶を示すリラだが、ヴィーチェは「凛々しいお顔っ」と見とれるのだった。




