8話:マイカーで家族旅行
この手数料が個人のボーナス査定に大きな影響が出てくる。こうして基本給の2倍以上の収入をもらうのが、やり手証券マンの手口。この当時、現在とは違い、手数料はかなり高いものだった。ただ勢い余って、絶対にもうけさせるとか、もうかるとか、断言口調はトラブルの元になるので、決して言ってはいけない。・・・かもしれませんね、上がる可能性は高いかもなど、曖昧な表現を使う様に
することを心がけた。1975年11月10日にソニー株が上昇して1450円で売り指し値を入れて、売れ、税引き後利益が297万円で奥さんの証券口座残金が841万円となった。
その他、リベート契約の10人の顧客の株も売りを出して合計500万円の利益を与えて会社に報告せずにリベート100万円をもらった。このリベートでカローラの中古車を120万円で購入した。11月24日の土曜日、有給休暇をとって、早朝、家を出て、第三京浜を使い、湘南を走り、相模湾を見ながら、平塚、小田原から箱根に行って、箱根温泉に1泊して、ゆっくり温泉に入って、子供の寝顔を見ていると昔から小田は無意識のうちに、いつも母がいない悲しさ、寂しさを押し殺すために無理して無表情、無感情でいた。それが徐々に雪がとけるように、心の中で溶けていき、人生の嬉しさ、楽しさという感情を自然に表に出せるようになって、本当に気が楽になった。
この幸せが、長く続くように、お金を稼いで、豊かな生活を続けたいと感じたのだった。翌日、芦ノ湖の遊覧船に乗って霊峰富士を眺めて、明日からも稼ぐぞと心に誓った。その後、小田原港のレストランで、上手い鯵フライを食べて、池袋のマンションへ戻った。やがて1975年が終わり1976年を迎えた。今年も初詣でに行き家内安全、商売繁盛、子供達の健やかな成長を祈願して帰った。 この年は1976年は1月9日に中華人民共和国の周恩来国務院総理が死去し、9月9日には毛沢東が死去。中国は毛沢東の独裁体制から新しい時代が始まった。
2月6日にはアメリカで、ロッキード事件が発覚する。ロッキード事件で6月22日。東京地検、ロッキード事件で丸紅の大久保利春前専務を逮捕。丸紅関係者では7月2日に伊藤宏前専務、7月13日に檜山廣、前会長をそれぞれ逮捕。田中角栄の金脈問題が問題となり失脚していった。小田は4月になり暖かくなった頃、家族サービスとして土曜日に休暇を取りカローラで山梨に桜と桃の花、甲府の外れの天然温泉に泊まって、ゆっくり温泉に入り帰って来た。夏も休みを取って清里高原から山岳ドライブを楽しみ、高原に宿を取り、八ヶ岳周辺を散策して温泉宿に宿泊して池袋に帰ってきた。
小田哲二は、この年、株の売買が少なかったので投資の勉強を継続して猛勉強した。やがて秋風が吹き11,12月と足早に過ぎて1976年が終わり1977年となった。3月になるとトヨタ株が上昇し1976年3月12日に持っている全株を600円で売り税引き後利益が344万円となり証券口座残金が1185万円となった。1974年に購入した1千万円の3年満期のスポットファンドが1977年での満期を迎えを売却し1300万円となった。