5話:哲二の就職と結婚
不動産屋が、さすが元東大生、頭が良いと言った。驚いた様に購入希望者の男は名前も告げずに帰って行った。そして3月27日にトラックを借りて家財道具全部と遺影を撤去して店を後にして以前、同じ不動産屋に依頼していた近くの2DKのマンションの部屋へ向かった。その後1972年3月30日に小田哲二の三菱銀行の口座に1300万円が振り込まれ預金通帳の残高が2千万円となった。そこで、すぐに郵便局の定額預金に入れた。その当時の証券会社は売買手数料が高くて一流の証券マンは多くの顧客から一任勘定で売買して多額の報酬を会社からもらい、裏では、お客と、うまくやってリベートをもらう輩も大勢いた。
それをしっかりと見て小田哲二は上手い商売の仕方を勉強していった。そして1972年の4月1日にY証券に出社した。その後、営業活動をして以前から顔見知りの商店街の仲間や近所のおばちゃん不動産屋、以前住んでいた所に店を構えた人など30人を訪問して15人から証券口座を作ってもらい10人とは特別契約をしてリベートをもらう口約束を5月末には終了した。その頃、高校時代から付き合っていた重信香苗さんと毎週のようにデートして映画を見たり食事をしたりしていた。
重信香織さんの父、重信竜男は戦後の闇市の頃からこの地区の顔役で訳のわからない料理を丼に入れて闇市で食堂をやっていて、かなりの収入を得て、米軍の残飯やガム、チョコレートを仕入れて高い値段で売ったり新しく店を持ちたいと言う人から多額の開店費用を巻き上げたりして、あこぎな商売をしていて喧嘩も絶えなくて顔に、いくつもの傷を持っていた。香織さんは、そこの5人の子供の末っ子だった。詳しく話わからないが、どうも腹違いの子供だったようだ。そう言う事で重信香織さんも早く家を出たがっていた様だった。
もちろん、父親に挨拶もしていないし、第一、家に帰るのも週に数回ほどで、いろんな飲み屋の女がいて派手に遊んでいるという悪い噂が絶えなく子供の事にもほとんど無関心だった様だ。1972年5月連休明けから重信香織は実家を出て小田哲二のマンションに転がり込んで同棲を始めた。そして重信香織にY証券の神田支店に口座を作らせて1千万円を渡した。若い2人が同棲して夜の生活も充実し7月3日に重信香織が妊娠して1973年1月15日が出産予定日だとわかった。
そこで重信香織の父に見つかったらまずいと思い8月のお盆休みに不動産屋へ行き、このマンションを解約する手続きを取り、電車で30分の池袋に引っ越し池袋の3DKのマンションを借りて住み始めた。駅まで徒歩20分自転車で7分、8月から通勤時間が35分かかる様になったがヤクザっぽい重信竜男から姿をくらますためには仕方なかった。その後、Y証券で投資の研修の毎日が続き帰りが毎晩7時過ぎるようになった。この新人研修は12月中まで続き、やがて1973年を迎えた。