第9話 なくなった家と愛
離婚を受理された恵子は、なかなか本気の笑顔にならないのを気にしながら秀樹の車に近づいた。
しかし徐々に嬉しさが湧いて来た。
はー!これで、杉沢クンとの離婚も完了!
これで、ようやくヒデちゃんと…順調すぎて…。幸せ!!
恵子は車に乗り込み、運転席の秀樹に顔を近づけた。
「ねぇ…ヒデちゃん?」
「なに?」
「あたしのこと…好き?」
「ああ。好きだとも!!」
「やった!あはは!」
「オレもやったぁ!これで、二人で幸せになれるね!」
恵子は身を乗り出したついでに秀樹にキスしようとしたが、身を引いた。
え?二人…?
「子供たちは…??」
「……うん…そのことなんだけど…やっぱ、最初は、二人きりではじめない?」
「だって…赤ちゃんもいるんだよ??」
「ウン…。ケイコの実家で預かって…もらえるだろ??」
「うん………ま…それもそっか!」
恵子の胸の奥底から青く冷たい気持ちが泉のように湧き上がってくる…。
………あたしの……
………何もかも奪った人……
………また……
………あたしから……
………全部奪っていく……
………つもりなの……??
………目を……
………さましてよ……
………あたし……
………………
恵子の胸がトキトキと動く…。とても悲しい気分だった。
しかし、離婚したばかりで気持ちが不安定なんだと自分自身に言い聞かせた。
秀樹が続けた。
「まぁ、ご実家には養育費の半分渡せば、大丈夫だろ?」
「ウン…まぁ…けっこうもらったし…。」
「あ、そうそう。お金は?家売った金。」
「あ…家に置いて来たけど…。大金だったから…。」
「なんだ…。じゃ、今度…持ってきてよ…。」
「あ…そか…気が利かなくてゴメン…。」
「じゃぁ…行きますかぁ!」
「え?どこに?」
「わかってんだろ?ホテル!」
「あー!やった♡」
秀樹の車がホテル街に入って行った。
運よく空室があるホテルを見つけた。二人は車を降りてビルの中に入って行った。
全てが終わり愛を確かめ合うのだ。
フロントでキーを借り、部屋へ向かう。
「あー!ようやくヒデちゃんに抱いてもらえるぅー!」
「はは。オレもよかった!」
キーを入れドアノブを回し中に入ってカギを閉めた。
秀樹が暗い部屋の中に入って行く。恵子はその後ろ姿を見ていた。
あれ…。
あの人…
ヒデちゃ…佐藤係長…
なんで?あたし…ここにいるの…?
やだ…
助けて…!
カズちゃん!
秀樹は部屋の明かりをつけた。
「ケイコぉ!そんなところで突っ立てないでこっち来いよ!」
呼ばれてふと我に返った恵子。
「あ…はーーーい。」
………だめ…
………そっちにいっちゃ…。
………あたし、そっちに行きたいくないの…。
………あたしは…
………カズちゃんの…ものなのに…。
え…
そうだ…思い出した…
ここ…あたしの昔の部屋に似てる…。
そして…ヒデちゃんに犯されかけて…。
カズちゃんに助けてもらって…。
カズちゃんに…会いたい…。
やだ!なんで…
大切なこと…忘れてたんだろ…。
恵子の脳裏に思い出が甦ってくる…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そこは産院。恵子はベッドの上。小さい赤ん坊を抱いていた。
「ケイちゃん。俺たちの赤ちゃん…産んでくれてありがとう…ホントにありがとう…」
「また、泣いて…パパ、泣き虫でちゅね~。ね!カズちゃん!秘密だった名前教えて!?」
「うん。ケイト!ケイちゃんの恵とオレの斗で、ケイト!」
「んふふ…。カズちゃんらしい…。ステキなお名前でちゅね。ケイトくん。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
秀樹はすでに部屋の中で一枚、一枚と服を脱いで動きやすい格好になってブラついて冷蔵庫から飲み物をとって飲んでいた。
「どうした?なにか…あった??」
「いや…ちょっと…トイレ…。」
「あ、じゃぁ、行って来いよ。オレ、シャワー浴びようかな?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
また産院の白い部屋だ。自分は小さい赤ん坊を抱き和斗の近くでは長男が危なっかしく歩いていた。
「ケイちゃん、年子でゴメンね。ゴメンね。大変だったろ?」
「ふふ。計画通りだったくせに…。」
「あーー。ケイちゃんに似た女の子だなぁ~。ケイちゃんの恵に美しいで、メグミ!」
「メグちゃんかぁ~。次の子は、カズちゃんの名前入れるつもりでしょ?」
「ん?もう、三人目の話しですか~?じゃ、退院したらすぐ仕込む?」
「もう…ちょっとは間隔おこうよ…。あたし、どれだけお酒飲んでないと思ってんのぉ。」
「わかってるよぉ!でも…作る練習はしようね…。」
「どうせ、襲い掛かってくるくせに。覚悟できてますよーだ!はー早くカズちゃんとビール飲みたい。」
「そーだね!ははは。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの時…わたし…。アイちゃんを抱っこしながら階段で…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ビール!ビール!今日はカズちゃんとビール解禁日~♡。アイちゃんは、今度から粉ミルクね~。おいしいわよ~!ふふふ。そうだ!今日はレバーにしよ!子供たちには、鶏肉の大きいハンバーグにして…カズちゃんと私は…、だ~い好きなレバー!あ…ラインしとこ…。きっとすぐ返信くるぞ~。ね。アイちゃん。」
スマホを取り出し、
Line:恵子「今日は、レバー料理ですよ!お楽しみに!」
Line:恵子「スタンプ:ビール」
Line:カズちゃん「やったぜ!!」
スマホをポケットにしまった瞬間…。
「あ…!!」
ガタガタガタガタ!!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フワっとあふれる涙。
そうだ…。あたし、カズちゃんの好きなレバー料理作ろうと思って…
一緒にビール飲もうと思って…
アイちゃん抱っこしながら、階段でスマホ操作して落ちちゃったんだ…。
バカ!あたしのバカ!!
浴室からシャワーを出す音が聞こえる…。
ここから…逃げなきゃ…。
そして…カズちゃんに謝らなきゃ…。
謝ってどうするの?
もう一度結婚してくださいっていうの?
家まで売らせたくせに?
なんなの?あたしは?バカ?クソバカじゃん!
シャワー室から声が聞こえる。
「ケイコぉ!お前も入って来いよぉ!」
ここは…話を合わせるふりをして……逃げよう…。
「はぁーい!今、すぐ脱いでいくね~…。」
こっそり、出口に近づいて…
扉をあけてダッシュ!!
息を切らしてホテルを飛び出し、タクシーを捕まえた。
カズちゃんにあわなきゃ!カズちゃんに!
タクシーの運転手が
「どこまで?」
「めぐみの丘方面!」
「はい。」
え?めぐみの丘って…あたしたちの家の方じゃん…
売られた家にいくの?
でも…カズちゃんなら…いそうな気がする…。
そう。この坂道を登って…
このカーブを曲がったあそこに…カズちゃんの車が…
「ここで止めてください。」
「はい。」
タクシーに急いで料金を渡し、元の杉沢家に走る。
カズちゃんの車が駐車場に…
…ない…。
家も真っ暗…
庭…あたしの好きな庭…。
ビールサーバーをここに置いて呑みながら…。
カズちゃんと…父さんが…、休みの日に芝を植えてくれた…庭…。
立札が立ってる…。
そこには「売家」と書いてあった。
そうだよね…。売ったんだもん…。
え?立札の下に、紙が貼ってある…。
「売約済」??
え?
あたしが…
一生懸命考えた…
この家の…壁から…
階段から…
部屋割りから…
あたしのものなのに…
あたしと…カズちゃんの家なのに…
「あ……。ウッウッウッウッ…エーン…。カズちゃぁん…。」
その時携帯のバイブ音が「ヴヴヴヴ」となり、恵子に振動を伝えた。
あ!カズちゃん??
急いで携帯に出てみると
「もしもし!?」
「ケイコ?今どこ?コンビニ?」
「あ、ヒデちゃん…。…チガウのゴメン!やっぱりあたし…ダメなの。カズちゃんが好きなの!」
「はぁ??」
「ゴメンなさい!ゴメンなさい!」
「チッ!記憶が戻っちまったのか。」
「そうなの。だからゴメン!」
「まーいいか。お前らに復讐もできたし。杉沢ももう、ボロボロだろ!?はは。じゃーな。」
ブツリ…。乱雑に携帯が切られる音がした。
え?切れた…。
ヒデちゃん…そうだったんだ…。
あたしとカズちゃんに復讐するために…。
バカだあたし…。
一生懸命だったカズちゃんを裏切った…。
これが恋だって勘違いした…。
カズちゃんはいつだって、あたしを愛してくれたのに…。
そうだ!電話!
恵子はすぐに和斗に向けて発信した。
カズちゃん…でて…
でて…
でて…
でて…
………
でない…。
飲みに行ってるのかも…。
荒神にいるのかも…。行ってみよう…。
ここから…5kmはあるけど…
恵子は走った。息を切らしながら、とにかく走った。
二人の思い出の居酒屋「荒神」は駅から5分ほどの場所だ。
そこにようやくついた。恵子は店の前に立つ。だが…。
「臨時休業のお知らせ」
そうだった…あたしがこの店やってたんだ…。
でも、弓美ちゃんは!?
電話してみよ…。
弓美はこの居酒屋の娘で、二階に夫婦で住んでいるのだ。
和斗の居場所を知っているのかもしれない。
わずかな望みを弓美に託したのだ。
「はい。」
「あ!弓美ちゃん!?」
「あれ?ケイちゃん!あ…記憶…戻ったの?」
「そうなの…グス…今、店の前に来てるの。」
「あ、じゃ、おりてくね。」
弓美に今までの経過を話した。
家を売ってしまったこと。
離婚してしまったこと。
記憶が戻って逃げ出してきたこと…。
「うーん…そっかぁ…。」
「ねぇ!弓美ちゃん!カズちゃんの居場所知らない?」
「数日前に、ちょっとだけ街ですれ違ったの。急いでるみたいだったけど…。どっかのアパート借りるっていってた…。でもゴメン…どこかは知らない…。」
「あ…そうなんだ…ゴメン…。」
「すぐ…会えるといいね…。」
「うん…。」
あてが外れた…とにかく…実家に戻ろう…。
子供も心配だし…。
かぁさんに謝らなきゃ…。
恵子は駅までタクシーを捕まえ、めぐみの丘の実家に到着した。
母は、茶の間で恵子の帰りを待っており、あきらかに怒っていた。
「あんたねぇ!!」
「ウウ…かぁさん…ウグ…ウグゥ…。」
「なに…どうしたの…。」
「あたし…ウグ…離婚届だしちゃった…。ウグ…でも思い出したの!カズちゃんのことぉ…。かぁさん、どうしよう!どうしよーー!!」
「え?ホント…??あらやだ…。どうしよう…。」
「カズちゃんどこいったんだろー!かぁさん、聞いてない?あたし、謝りたい!」
「聞いてるわけないでしょ?なんか…手がかりとかないの??ほら、あれやってみたら?なんとかっていうやつ…。レインだかラインだかっつうの?」
「…さっき…タクシーの中でやったんだけど…既読にならなくて…多分、ブロックされてるんだと思う…。」
「もう…あんたはホントに…どんだけ嫌われたの??」
あ!
カズちゃん、手紙をくれたっけ!
それに住所が書いてあるかも!
恵子はバッグから渡された手紙を出した。
「なに?手紙??」
「ウン…。」
宛名面にも裏にも何も書いてなかった。
開けてみると、手紙が一枚だけ入っていた。
手紙が一枚…?一枚だけ??
開いてみてみると、そこには一行だけ
「ケイちゃん。愛していた。」
え?
それだけ?
一行?
愛して…「いた」?
「いる」じゃないの?カズちゃん!
どうして!!
あたしたち!愛しあっているんじゃないの!?
カズちゃん…どこにいるの…??
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇