第一話 喧噪鳴りやまぬ世界で
第一話 喧噪鳴りやまぬ世界で
山があれば谷もある。どんな人の人生でも、どんな時でもそれはあるものだ。それが面白味でもあるし、やがて訪れる試練でもある。
じゃあ両方を同時に味わっている時はどう受け止めればいいんだろうか。そんな取り留めの無い疑問を抱きながら代行屋の紡木流星は目の前の光景に頭を悩ましていた。
「今朝の運勢占いは二重丸。二つもついてお得な日って言ってたっけか」
事件を遠目で見る野次馬集団の中で押し合いに揉まれてハンチングを被った頭がユラユラ揺れ、それは頭が重くなってしまったせいで余計に振られているのではないかと、冗談交じりの思考が浮かぶ。
家出少年を探してくれというのが二日前に受けた仕事だ。探すという仕事はそれなりに入ってくる案件で、仕事を始めて四年がたった流星も家出捜索はこれで十軒目になる。
思春期の少年少女にはどうしても飛び出して走り出したくなる時くらいあるのだろう。内なる衝動を止められないってのが若さなのだからそれはしょうがない。
だが今までの家出人とは違うというのがすぐにわかった。その少年の足取りを追うとなんと治安の良い内側から外側に出ていると言うじゃないか。少し正気を疑う行為だがそれでも無くは無い話だ。
さらに追跡してみれば外側でも犯罪組織、通称『ブラックガード』が居を構えている住所すら割り当てられていない奈落街に向かったとらしい。頭がどうにかなってしまったのかという疑問が沸き上がる。そして急がないと少年の身が危ないという焦りを抱えて、流星は駆け出した。
結果たどり着いた先に見たのは眉をひそめて、ため息しか出ない光景だった。
「近づくんじゃねぇ!」
「人質が目にはいらねえのか!」
銃器を構えて周囲を威嚇する集団。
「無駄な抵抗はするな。君たちは完全に包囲されている」
それを取り囲んで銃口を向ける警察官達。
「これは……無いな」
そして人質になって拘束される家出少年。散々探した上に最悪の状況に放り込まれていた少年を見て流星は頭を抱える。ただの家出がどう悪く転べば、こんな危機的場面に陥るというのだ。
少年を抱えて脅す3メートルを軽く超える巨漢の男は、その風貌や佇まいから立てこもり側のリーダー格と思われる。右腕の一部から金属の部分が見えているところから体の一部を機械化しているようだ。
あの男がその気になれば一秒とかからずに家出少年の命はあっさりと消えるだろう。それこそ大男が少し手に力を入れるだけで紙コップのようにぐしゃりと潰れてしまう。
悩んでいてもなにも解決しないと流星は周りを簡単に確認する。人質を取っている集団の後ろの大きな建物はこの奈落街と呼ばれるこの地域に、強い影響力を持った組織のものだ。繁華街の中にあるのだが飾りのたぐいが一切ないコンクリートの建物は異質な存在感を持っている。
しかしよく見れば入口付近には何人かが倒れている様子が見える。
逃がさないように配置されている完全武装の警察官達。何かが焦げた匂いと血の香りが離れて様子を見ている流星の所にまで流れていている。
おそらくだがなにかがあって一斉検挙に乗り込んだが強い抵抗にあって乱戦になった。そして苦し紛れに少年を人質にとったといったところだろう。
なぜそこに少年がいたのかは甚だ疑問だがそれは一つ置いておくとしよう。
「どうしたもんか」
依頼は家出少年を無事自宅に連れ帰ることだ。ここでもし人質として傷つけられたり連れ去られようものなら依頼としては大失敗だ。
かといって一触即発の場面にノコノコ出て行ったところで開放してくれるとはとても思えない。遠目の野次馬に紛れながら解決策を探る流星。どうにかならないものかと周りをさらに見回す。
するとその野次馬をなにかが飛び越えていき人質をとった犯人達の前まで躍り出る。
「ハッハッハそこまでだ!」
武器をもってそれぞれが物陰に隠れて臨戦態勢の男達。揃えられた制服に防具を付けた取り囲む警官達。
睨み合う両者の間に現れたのは異色の格好をした者達だった。
片方は機械的な篭手をしたオレンジ色に白のラインが入ったメタリックなスーツを着た男。もう一人は機械的な具足をした緑に黄色ラインが入ったメタリックなスーツを着た男。
流星の見立てではその着ているスーツは防刃対衝撃を施された戦闘用の物に見える。武装した警官たちも装着しているのだがどうも彼等のはオーダーメイドのようだ。
「ヒーローナンバー566ジェットアッパー!」
「ヒーローナンバー567キックホッパー!」
「「只今、参上!」」
赤い方のジェットアッパーは腕を上げて構え、緑の方のキックホッパーは足を上げて構えを見せる。顔の半分が仮面に隠れているがその顔は完全なドヤ顔だと誰もが分かった。
「ヒーローまでしゃしゃり出て来やがって、だがこの人質が見えるだろう。それ以上近づいたらこいつがどうなっても知らねえぞ」
男は銃口を家出少年のこめかみに密着させる。恐怖のためか少年は半泣きになっていた。
「おっとこれは困ったぞ弟よ。俺はこういうのは超苦手なんだ」
「それは俺も一緒だよ兄者。でも俺らに慎重の二文字は生まれる前に無くしてしまったからな」
「そういえばそうだったなハッハッハ」
二人の登場を見た流星の額に冷たい汗が流れる。
【英雄会】ヒーローという存在を職業として世に作り上げた団体。日に日にその勢力を増す犯罪集団に対して作られた彼らは基本個人主義の集団だ。警察のように縦の関係をきっちり出来ているわけでもなく、完全に掌握して運営しているわけでもない。ただヒーローとしての正義的活動を支援するというのが英雄会だ。
そしてそれに所属するヒーローはどれもが力も性格も強烈な個性を有している。
「急ぐか」
流星が知っているあの赤と緑の二人は猪突猛進兄弟として有名で、とにかく勢いとパワーで物事を解決する傾向がある。救援を待たずに敵の本拠に二人で突入した事もある。人質事件なんてのにはまったくもって向かない人材だ。
彼らの耳元に繋がれている通信機から制止の声がかけられているだろうが、しびれを切らして殴りかかる可能性が大いにあった。
状況が動くと確信して早くなる鼓動を胸に、流星は移動を開始する。
「はやまって犯人を刺激するんじゃない」
警官達の代表らしき人物が二人に声を掛ける。
「それでじっとしてれば解決するのか?」
「言いなりになれば本当にあいつらが人質を返してくれると思うか?」
「それは……」
二人の言ったことに反論出来ずに言葉を詰まらせる。真っ正面から警察の取り押さえに反発している奴等がこの期に及んで交渉に応じるとも、大人しく縄につくとはとても思えない。だからといって人質をないがしろにしていいわけでもない。
一般市民を守ることは警察官の使命だ。もちろんそれはヒーローだってそうだ。
だがここで凶悪犯を取り逃がせばより多くの被害を出すことは間違いないだろう。
人質を守ることも重要で犯人たちを逃がさないこともまた重要。それをどう両立するかが腕の見せ所だ。
「俺等細かいことはできないからな!」
「話し合いも大切。でも俺らはいつだって正々堂々真正面から、が売りですからね」
ヒーロー二人は重心を低くして人質を取っている男に視線を集中する。
腕の見せ所といったがジェットアッパーとキックホッパーの二人が出来るのは突っ込んでぶっ飛ばすという単純な一手だけである。
「単なるお脅しと思ってるのか? それともこのオレが引き金を引けない腰抜けだとでも言うつもりか? ふざけんじゃねぇ!」
男の形相は更に険しくなり、銃を持つ手に力が入る。
「どうせ捕まるならお前ら全員道連れだ! せいぜい後悔しろよボケカスがぁ!」
膠着状態がヒーロー二人によって解かれると思った男は先手を打つべく行動に移した。
もしも警察に捕まることになれば刑務所から出ることは叶わないと自覚していた少年を人質に取る大男は、最後に一矢報いる覚悟を決める。
今まさに限界まで膨らんだ風船が破裂しそうになり
「そいつは困る」
その寸前に場が静止した。
誰もが人質を取っていた大男に注目する中で、突然その頭上に一人が舞い降りた。
完全な不意打ち。警戒網の外側から来訪者。
ベージュ色のスラックスにグレーのベスト。赤いカッターシャツにハンチング。この鉄火場に似つかわしくない整った格好をした紡木流星がそこにいた。
「ご機嫌ようみなさん」
しかし驚きつつもブラックガード達は余程場慣れしているのか、一斉に持っていた銃を流星に向けて引き金を引く。
素早い反応だったし判断としても的確だった。しかしその銃口から弾が撃ち出されることはなかった。
「しっかり確認はしたほうがいいぜ」
全員がなぜ、という気持ちで持っていた銃を見る。するとどうだ。安全装置が稼働して撃てない状態になっているではないか。だがこんな状況でそんなものをつけっぱなしにするようなド素人はここにはいない。
つまりは何かをされたのだ。しかも安全装置解除することすらできなくされていた。
「てめぇ覚醒者か!」
銃が使えないと判断した男は即座にそれを捨てて頭上の流星に掴みかかる。
「あらよっと」
男の頭と肩を踏んで立っていた流星は軽くジャンプする。それとほぼ同時に男は唐突に天を仰いで転倒してしまった。
「ほっ」
「がはっ!」
そして仰向けになった男の腹に着地して追撃を繰り出す流星。いつの間にか奪取したのかその小脇には人質に取られていた少年が抱えられていた。
「悪いけどこの子を無事に家に帰すのが俺の仕事なわけよ。だから――」
くるりと回って残った者達に笑顔を送る。
「あとはみなさんご自由に」
そう言うなり流星は空に舞い上がり、並んだビルの影に消えていく。音もなく飛んで消えるそれを、誰も彼もが唖然と見送る。
「……」
「……」
「……」
緊迫した空気の中に颯爽と現れて、あっさりと退場していった流星に一堂は呆気の取られてしまう。
自分達の命綱を失ったブラックガード。一番の懸念がいきなり無くなった警官達。よく分からない展開に頭が付いていかずに一瞬の空白が生まれる。
だがそれをヒーロー二人が飛び出して一気に振り払った。
「突っ込んで超殴る!」
「飛び込んでもって蹴る!」
元々突撃して何とかするなんて思考をしていたジェットアッパーとキックホッパーからすれば絶好のチャンス。満面の笑みを浮かべてブラックガード達を殴っては蹴りつける。
突然の乱入者によって銃が使えないというハンデをブラックガードに背負わされて、乱戦は再開された。
ヒーロー、警官、ブラックガードの入り乱れる場所から少し離れた五階建てビルの屋上に流星は少年を連れて降り立つ。
「おお、やってるやってる」
そっと少年を足元に降ろすと流星はそのまま振り返ってさっきまで居た場所を見下ろす。
二人のヒーローが縦横無尽に暴れまわり、孤立した者を警官達が取り押さえていた。
「まだ奥の手でも持ってるかと思ってたんだけど一方的だな」
近くで見たブラックガード達の様子は完全に包囲されている割には焦りの色がそこまで見受けられなかった。あの場面を切り抜ける手を隠しているのではないかと流星は感じていた。
まさしく飛んで跳ねる猪突猛進兄弟に好きなように蹂躙されている。武装した集団であっても渡り合えるあの二人に対して、武器が使えないなんて枷を付けられては勝負にもならない。
さっき人質を取っていた頭目らしき男は人体に機械を取り込んで強靭な力と頑丈さを手に入れていた。
そんな男でさえジェットアッパーに殴られて吹き飛び、壁にめり込んで趣味の悪いオブジェと化している。ヒーローと呼ばれる集団の中でもあの二人は上位に位置する者達だ。ただの人でそれに抗うのはかなり難しい。
なんとか刃物や鈍器を手に抵抗をするものもいるが、あのヒーロー二人とはまったく勝負になっていない。
これで詰み。そう思ったところに逆転の目が訪れる。
「回避ー!」
警官隊から響く大声と共に状況を打ち破るモノが横合いから突っ込んできた。
道路を封鎖するために並べられていた警官達の車をおもちゃのように蹴散らし、囲みに穴を開けてしまう。
「超大型装甲車か。最近のブラックガードは金持ってるな」
全長十二メートル。全身を特殊装甲で固めた動く要塞。そう呼ばれるそれはひたすら防御面と輸送能力を高めた結果作られたモンスターマシンだ。
逃走用に呼び出したこれこそがブラックガード達の奥の手だ。その硬さはとてもではないが警官隊の武装でどうにかなるものではない。軍隊が出てきてやっとなんとかなるかもしれないというシロモノだ。
なんせ乗用車が全力で突っ込んだとしてもその装甲は凹みもしない頑丈さなのだから。
「確かにこれなら逃げれる可能性はあったな。外側なら逃げ込める場所は結構あるし。でもまあ運が無い」
奥の手で切り札で最終兵器。その中には警官隊並に武装したブラックガード達が仲間を救援する為に何人もが乗り込んでいた。そんな超大型装甲車から降車しようと扉を開け放つ。
そして重さ六十トンを超えるその巨体は哀れにも轟音をあげて吹き飛んでひっくり返ってしまった。
「ガハハハハハハ。いいぞいいぞ! 久しぶりに手加減抜きで殴れるじゃあないかぁ!」
装甲車を飛ばした音の発生源には喜々として笑うジェットアッパーの姿があった。何が起こったのか。それは単純明快。ただ彼が思いっきり装甲車を殴ったのだ。
ジェットアッパーの体からは薄い煙が立ち上がっている。その手に付けた手甲は流石に耐えれなかったのか拳の部分が半壊していた。殴った衝撃が痺れと痛みを手に伝えている。だがそれがジェットにとっては実感という嬉しい感覚だった。
そして頑丈が売りの大型装甲車の側面には、拳の形がくっきりと残っていた。
「ほんと出鱈目なパンチだ。覚醒者に常識は当てはまらないなホント」
それを知っていた流星は苦笑いをこぼす。現場ではあまりの光景に敵も味方もドン引きであった。拳銃すら歯が立たない装甲車を殴り飛ばす。なんとも常識外の話だ。
「うっわぁーあれが本物のヒーローなんですか。生で見るのは初めてです」
もはや現実とは思えない光景にただ淡々と家出少年は感想を洩らした。
「……もう立ち直ったの?」
「ええ、なんとか生きた心地は戻ってきました」
「命を実感できる貴重な体験になったな」
先程まで下手をすれば死ぬかもしれなかったというのにどうにも少年はそこまでショックを受けた様子が見られない。
治安が乱れに乱れるこの奈落街に自ら足を運んだことといい危機意識が少ないのか。それとも元から度胸が据わっているのかは判断に困るところだ。
「さっきは危ないところをありがとうございました」
「これも仕事なんでね。色々疑問は尽きないがとりあえず帰ろうか。ご両親が心配してるぞ」
なぜこんなところに来たのか。なぜあんなことに巻き込まれたのか。そもそもなんで家出なんてしたのかと聞きたいことはあったが、まずは家に返すのが先決と流星は話を切り出した。
「帰りません」
だが断られた。
「はあ?」
平和な世界に生きる者が外側の洗礼を受ければ泣いて帰りたいと願う。草食動物がライオンに囲まれて生き延びる。そしてまたその群れの中に入っていきたいなど思わないだろう。
素直に戻ってくれると思っていた流星は、驚きを隠せずに変な声が出てしまう。
「まだここでやらなきゃいけないことが残ってるんです」
動揺している流星に対して強い眼差しでその目を見返す少年。
「いやいや仕事の上でも困るけど、いち大人としてはこんなとこで彷徨く青少年を放置するわけにもいかないんだけど」
さっきのような大捕物は流石に早々あるものではないが、強盗や傷害。盗みに喧嘩なんてのはこの街では日常だ。ただふらつくだけでも身ぐるみを剥がされかねない。
「でも帰りません」
「いやダメだって」
「帰りません」
「……」
いかにここが危ない場所かを説明してみても、どれだけ依頼主である両親が心配していたのかを説明してもまったく折れる気配がない少年。その瞳の奥には揺るがない決意が見て取れる。
そもそもさっきまで生きるか死ぬかを体感していたわけだ。それを知ったうえでまだここに留まろうとしている。
(これは困ったな)
強硬手段に出て連れ帰るのは難しいことじゃない。仕事内容としてはスマートとは言い難いが『見つけて家に連れ帰る』という依頼は達成できる。
だがここで家に送ったところでこの少年は再び機を伺って、ここに来ようとするのは目に見えていた。
依頼の範囲外の話ではあるのだが、見過ごすというのも後味が悪過ぎる。というかほぼ確実に身の危険が彼に襲い掛かる。奈落なんて呼ばれるの街なのは伊達ではない。トラブルこそが日常で、暴力こそがルールと化しているのがこの街なのだ。
今日は助かったが次は助かる保証は無い。
「じゃあこうしよう――」
仕事、意思、そして良心を互いに納得させる妥協案を出された少年は、渋々ながら家に帰ることになった。
「なんて日だよ……。あの番組の運勢占いは今度から信じないでおくか」
この後が思いやられる流星は長い長い溜息を吐いてハンチングを被り直し、喧騒冷めやまぬ奈落街を後にした。