95、触れてはいけないもの
ずっと身にまとっていたローブを羽織る。
朝の冷たい空気が肌を刺し、思考がクリアになる。
ルーチェはそっとドアに手を掛けると、音を立てないように開けた。
「ねえ」
いきなり声をかけられて、思わず身体を固くする。
振り返ると、そこにはサラが立っていた。すっかり旅支度を終えた姿を見て、ルーチェは苦笑した。
「ルーチェ、私を置いてどこに行く気?」
「散歩」
「魔大陸まで? ずいぶん遠いお散歩ね」
「まあな、魔法陣で一瞬だからな」
ルーチェの返事に、サラの口元が綻ぶ。
スッと腕に手を絡められて、ルーチェは為そうとしたことを一人ですることは出来なくなったと悟った。
今はまだ店の中。
奥には両親とクラッシュが休んでいる。
「考えてたんだ。色々と調べ回っている間に」
ルーチェはサラの腕を振り払うことなく、まっすぐサラを見下ろした。
始まりは、一つの錬金釜だった。
神の御使いの欠片。
人族の欲望とその欠片が融合して、大いなる災いと成った。
それにより散った命は、もう数えることも出来ないほどだ。
今は、ようやくその脅威はなくなったけれども、また、何年後何十年後、知恵ある者が息づく限り復活する恐れがあるのだ。
「俺らが生きてる時代は平和になったかもしれねえ。でも、子供たち世代には、その後の世界には。もう、俺らみたいにあの大陸に渡れるやつはいないかもしれない。その頃には異邦人ももう渡ってこないかもしれねえ。そうなると、この世界はきっとすぐに呑み込まれちまう。本当にちっぽけな世界だからな。だから、今が多分最後のチャンスなんだ、と思う」
「ルーチェ、そのことを考えてたのが、あなただけだとは思わないことね」
「その恰好を見りゃサラも似たようなことを考えてたってのはわかるよ」
ルーチェは苦笑すると、サラに腕を取られたまま、外へ通じるドアに手を掛けた。
まるでエスコートをするかのように恭しくドアを開ける。
すると、「忘れものですよ」と後ろから声がかかった。
振り返ると、そこには一つのカバンを手にしたクラッシュが立っていた。
「2人そろって早朝デートですか。遠出するようなので、これを。すぐに食べられる物と、最高級ポーション各種、あとは出来うる限り最高の蘇生薬を詰め込んでます。変な効果の薬もかなり沢山入ってるので、色々と試してみるのもいいと思います。どこに行って、何をしようとしているのかはわからないけれど、一つだけ伝言を伝えさせてくれませんか。レガロ……先見の魔術師から店に顔を出すようにと。時間はいつでも、それこそ早朝でもいいそうです。昨日の時点でもらったので、これから行くといいと思います」
クラッシュからカバンを渡されたルーチェは、サラと顔を見合わせて苦笑した。
魔王討伐時には魔大陸までついていくと意気込んでいたクラッシュは、今日はそんなことは言い出さず、笑顔で二人を見送っていた。
行ってくる、と軽く手を上げて外に出ると、そこにはエミリとアルフォードが立っていた。
「二人ともどうしたんだ?」
見れば、二人ともしっかりと旅装束である。
「今は辺境からトレまですぐだな。とても近い。馬を数日飛ばしたのが夢のようだ」
「そうね。ケインには感謝しないと。便利すぎて馬車に乗れないわ」
「さ、ルーチェ、行くか。穴掘りをすれば出てくるのか? それともエミリとサラの魔法であの地に大穴を開ければいいのか?」
「アル……お前、穴掘りって……」
「魔王を作り出す釜を掘り起こすんだろ」
シャベルは必要か、と真剣に悩みだすアルフォードに、ルーチェは思わず声を出して笑ってしまった。
考えていることは四人とも同じだった。
皆、元凶を消滅させようとしていた。
「俺は、今までジャスミンのことを考えて子供を作らないようにしていたが、やめることにしたんだ。愛の結晶をこの手で抱きたい。ジャスミンに多大な負担を強いてしまうかもしれないが、でも、何かに遠慮するのはやめた。だからこそ、またあんなモノが出てこない世界にしたい。まだ見ぬ我が子が、平和に過ごせるようにしたいんだ」
「異邦人たちがたとえ来なくなってもちゃんと生きていける程度には環境を整えたいわよね。息子に死地に連れて行けなんて懇願されるの、もう嫌なの。あの子には平和に生きて欲しかったからこそ商人の道へ進ませたのに。傭兵でも冒険者でもなく」
二人が手を伸ばし、サラの腕が絡まったルーチェの腕に触れる。
ルーチェはクックッと笑いながら、魔法陣を描いた。
行先は、クワットロ『呪術屋』。
四人が裏路地らしきところに姿を見せた瞬間、目の前のいかにも朽ち果てそうな外観の建物の扉が開いた。
そして、その建物の外観とは全くそぐわないきっちりとした服を身に着けた、片眼鏡をかけた若い男が顔を出した。
「お待ちしておりました。どうぞ、店の中へ」
まるで今ここに四人が現れることがわかっていたとでもいう動きで、『呪術屋』店主、レガロは皆を店に招いた。
「これから皆さま遠くまで朝の散歩に行くそうですね。この度はあの巨大なる闇を封じて下さってありがとうございます。そして、偉大なる魔術師殿、お初にお目にかかります。勇者殿、英雄殿におかれましては、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
レガロは店の奥のテーブルに四人を座らせると、温かい飲み物の入ったカップを差し出した。
「今回来ていただいたのは、他でもない、あなた方が為そうとしていることを、私に譲ってもらおうと思ってのことです」
レガロは時間を無駄にすることなく、早速話を切り出した。
「譲るってどういうことだよ」
「そのままの意味ですよ。アレに触れて無事でいられるのは、この中では魔術師殿のみ。あなた方が行っても、きっと何もできないでしょうから」
「サラが持ってた釜なら、俺も何度か触ったけど何ともなかったんだけど、それだけじゃダメなのか?」
「ええ。魔術師殿が持っていた物は、とても小さな欠片です。が、彼の地にある欠片はかなりの大きさの物になります。触れてしまったら第二、第三の……などということにもなりかねないので、どちらかというとあなた方には行って欲しくはないのです。今回の魔王よりもさらに強大なモノになってしまいますので」
「俺が魔王になる……とそういうわけか」
「まさにそうです、勇者殿。私としてはそれだけは頑として止めたいのです。それに、まだ賢者殿には対価の過剰分をお支払いしておりません。その過剰分が、今回の釜の消滅というのではいかがでしょうか。もちろん、個人的に返して欲しいのでしたら、それはそれでありです」
レガロはにこやかにそう告げた。
「でも、俺は充分あの力の対価というものは貰ったんだが。それこそ過剰じゃないのかってくらい」
「いいえ。あれはもともとあなたが蓄積していた力です。それを取り戻しただけであり、あなたの功績に過ぎません。私はただ、それのお手伝いをするための一冊の本を渡しただけなのです。ですから、対等ではなく、過剰だと申し上げておりました」
いまいちレガロの言い分に納得のいかなかったルーチェは、でも、と口を開いた。
目の前の男も、この世界のエルフ族の一員だ。ということは、釜に触れるというのはやはり禁忌に近いのではないか、と。
思えば、エミリはサラの扱う釜には一度たりとて触れることはなかった。
きっと、あの釜の怖さを知っていたから。
では、目の前の男はアレをどうにかすることは出来るのか。
「あんたが触れて、魔王になるっていうことはないのか?」
「触れません。私には触れる資格がありません」
あっさりと答えられ、ルーチェとアルフォードは表情を険しくした。
「実は私、異邦人たちに対して『クエスト』というものを依頼する立場にありまして。力ある者でしたらどなたでもその『クエスト』というものは異邦人に対して発生させることは出来るのですが、私はそれを意図的に行うことが出来るわけです」
いきなり話題を変えたレガロは、どこからともなく取り出したポットで、女性たちの前のカップにお茶を注いだ。
二人の女性にお礼を言われたレガロは、笑顔でそれに応え、またどこかへとポットをしまった。
「例えば勇者殿、あなたは弟子の異邦人たちに『魔王討伐』関連の『クエスト』を出しました。そして賢者殿、あなたも『蘇生薬』のクエストを依頼しております。英雄殿は扱う依頼書が全て異邦人には『クエスト』となり発動します。これは異邦人たちの特性と、私達の持つ魔力の関係が複雑に絡み合って起きることですが、説明は省かせてもらいますね。私自身の特殊な能力も関係してまいりますので。まあ、前置きは長くなりましたが。私は異邦人に『隠れクエスト』を出すことが出来ます」
「『隠れクエスト』……」
「拾ってくださる異邦人は実にたくさんの『隠れクエスト』を拾ってくださるんですよ。面白いほどに。しかし、拾わない異邦人はとことんまで拾うことはありません。それは私達グランデ国民との親和性及び好感度に関係してきます。こちらに心を傾けてくださると、『隠れクエスト』の方が自ら引き寄せられていく、とでも言いましょうか。異邦人たちにとって、私達が生きるこの世界は『ゲーム』と呼ばれる仮想現実の世界なんだそうです。たまに見かけるでしょう、私達をNPCと呼ぶ異邦人たちを。ああいった者たちは『隠れクエスト』を掴み取ることは出来ません。その見極めは、賢者殿がとても優れているでしょう」
「ああ、まあ……命が掛かってたからな」
まあ、話が長くなりそうですので、お茶でも飲んで、とレガロは皆に飲み物を勧めた。
時間が経って温くなっていると思われたその茶は、まるで淹れたての様に熱かった。




