87、ジレンマ
今よりしばらく前。
セィ城下街では『幸運』と呼ばれた一人の女性がいた。
彼女はとても稀有な力を持っており、彼女に気に入られると『幸運』に見舞われ、彼女に嫌われると『運に見放される』と噂され、彼女自身が『運』そのものだと皆の口から噂された。
その彼女はこの世から消え去り、その彼女を射止め、彼女の『幸運』を一身に受けた男も身罷った。
数年前の出来事である。
未だセィ貴族街では彼女のことが語り継がれ、彼女がいなくなった今は独り歩きした噂が彼女への恐れを嫌悪へと姿を変えている。
「その消えた彼女は、異邦人たちがいる世界に、彼女の生まれ故郷に戻ったのよ」
「荒唐無稽な話だな」
「そうね。普通は笑い話よね。でも私は彼女を見送ったからわかる。そして、彼女の遺した子もまた、彼女の生まれ故郷に向かったのよ」
もし無事辿り着けていたら、きっと彼は、『幸運』はここに来る。
力を増幅させてくれる人物が。
サラは、転移魔法陣をわが物の様に使うことのできるクラッシュに声をかけた。
彼がこの世界に『ログイン』したら、ここに連れて来て貰えるように。
彼もあの道を通って、この世界じゃない場所へ行ったのだから。
残るは、覇王の剣のみ。
しかし、覇王の剣がどこにあるのか、それはサラも知らなかった。
魔王の攻撃は時を追うごとに熾烈になっていく。
魔王の繰る何本もの黒い剣は、容赦なく後衛の者たちまでも攻撃し、絶え間なく魔法攻撃を身体から打ち出す。
セイジの魔法陣がなかったら、ドレインの回復魔法がなかったら、すでに前衛は宙に消えていたかもしれない。
「思う様に力が出せねえもんだな」
魔王を切り刻み、その剣の手ごたえに舌打ちしたアルは、手に持っている『殘魔剣』を握り直した。最初の魔王討伐当時持っていた剣は、馴染みの鍛冶師が力の限りを込めて打ち込んだ『殲魔剣』という魔を殲滅するのにふさわしい剣だったが、当時の戦いで耐久値が最低値を切り、復活させることが出来なかった。その後手に入れた今の剣『殘魔剣』も同じような性質ではあったが、アルの手にはいまいち馴染ませることが出来なかった。相性がそこまでは良くなかったのだ。ほぼ全ての剣を使うことのできるアルではあったが、そうであるが故に、相性による誤差は大きな差となっていた。
そのほんのわずかの差は、魔王に対するダメージに出ていた。
かといって、それじゃあ他の剣を、とも行かないのが辛いところだ。魔王討伐以降、今手に持っている剣よりも馴染み、強い剣をアルは手に入れることが出来なかった。
至る所で剣を交える音がし、魔王の身体は引っ切り無しに切り刻まれている。しかし闇の塊である魔王はすぐさま身体を復活させ、何事もなかったかのように攻撃を続ける。
サラとユイの魔法攻撃が魔王に当たると魔王の身体が霧散する。しかし、またすぐその身体ももとに戻る。
手ごたえのなさに、皆それぞれに不快感が沸き上がっているのが見て取れる。
セイジもまた、そんな不快な気分に陥った一人だった。
「前の時はもっと手ごたえがあった気がするんだけどな」
舌打ちをしながら魔王の防御力を下げる魔法陣を構築する。
その魔法陣が魔王の身体で構築されると同時にユキヒラが聖剣で攻撃し、魔王の口から地が揺れるような咆哮が上がった。
最初の咆哮よりもさらに圧のこもったそれに、セイジの肌が粟立つ。
一瞬足を止めてしまった瞬間に魔王の魔法が目の前に迫った。
バチィン! と派手な音がして、目の前に展開していたはずの防御魔法陣が打ち消される。
それと同時に動けるようになったセイジは、もう一度皆に魔法陣を飛ばすと、まだ動けないやつらを視界の隅で確認した。
前衛異邦人たちはそこまで効かなかったらしい。後衛で魔法を飛ばしていた者たちは、もう少し。
魔王の剣を弾きながら、動き始めた異邦人たちがまたも魔王に攻撃し始めるのを見て口元を少しだけ持ち上げた。
剣を持ち、物理攻撃も視野に入れたセイジとは違い、サラの攻撃方法は魔法攻撃のみ。
いつの間にやら隣にいたはずのサラは、後ろに下がって次々特大魔法を繰り出していく。
ユイも負けじと似たような魔法を繰り出し、マックも聖短剣を片手に聖魔法を次々飛ばしていく。
ブレイブが急所を狙い定めて属性矢を放ち続け、ユーリナも光の矢を放つ。
ドレインは前衛の回復に努め、手が空いた瞬間に回復アイテムを煽っている。
ドレインの回復魔法により傷つこうがガンガンせめて行く前衛は、マックの聖魔法による武器への聖属性付与により、ひたすら魔王に攻撃を加えていた。
至る所から聖属性の攻撃が来ることにより、聖属性であるユキヒラを狙っていた魔法は、狙いを定めることが出来なくなったのか、全体への攻撃ばかりするようになった。広範囲にわたる攻撃はしかし、パターン化しており、数度繰り出されると難なく避けることが出来る様になった。
しかも途中からユイとサラが連携魔法を繰り出し始めると、目に見えて魔法の威力が上がり、異邦人が魔王に対して圧し始めた。
その際アルが顔を青くしながら「あの二人を平時では一緒にするなよ、街が滅ぶ」と呟いたのを偶然耳にしたセイジは、真顔で頷く。それほどに、2人の魔法は魔王にダメージを与えているようだった。
そんな皆の攻撃の甲斐もあり、魔王の身体がよろけ、ガンツが「よし!」と叫んだ。
「おっしゃもう少しでHPバー青くなる!」
「っつうかまた咆哮来るから気を付けろよ!」
異邦人たちが通る声で皆に忠告する。
と同時にユキヒラの剣が魔王を刻むと、魔王が剣を止め、天を仰いで震える様に咆哮を上げた。
先程よりももっと酷い咆哮だった。
戦歴の勇者であるアルですら、身体が一気に重くなった。
ここまでの威圧に慣れていない異邦人たちは、瞬きひとつできないほどに硬直していた。
魔王の剣が動けない高橋を切り裂く。ガンツに剣を突き立てる。月都の足を引きちぎる。
他の者たちへも一斉に攻撃をし、寸でのところで動けたアルとセイジとエミリが自らの剣を使って魔王の攻撃を防いでいく。
その攻撃は後衛にも伸び、飛ばされた魔法はサラが全て打ち消すなか、視界に何者かが飛び込んできた。
「お待たせ! 連れて来たよ!」
クラッシュの声と、剣を弾く金属音が辺りに響き、同時に皆の硬直が解けた。
魔王の剣に致命傷を受けた者たちは、それでも自身の持つアイテムで回復し、立ち上がる。
そして、皆が一斉にクラッシュの連れて来た人物に視線を向けた。
そこには、ここに来たら数秒と持たず魔物になる、と言われているはずの、『幸運』が立っていた。
HPバー:黒・白・青・緑・黄色・赤
赤がなくなると、HPがなくなるということです。
黒ゲージがなくなるとゲージが白になり、なくなるごとに次の色に変化します。
ボス魔物はゲージが変わる際、何らかのパワーアップをし、咆哮などを上げて状態異常攻撃を与えてきます。




